写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.453] 2012年5月27日 ”上州の探検家・矢島保治郎の足跡を辿るーチベット6010キロメートルの旅 (弟4回) シガツェ、再びラサ、西蔵鉄道で西寧、そして北京・・・・・・・。

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シガッェを代表するのは、タシルンボ寺。1447年のゲルク派の開祖ツォンガバの高弟・ゲンドォン・トゥプ(ダライ・ラマ1世)によって創建されたもの。そのタルシンポ寺で笑う猫と出合った。仏塔が並んでいる所を巡礼者が廻って祈りを捧げているのを見守るようにこの猫はいた。カメラを向けるとニッコリと笑って僕を見つめていた・・・・・・・・。

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タルシンポ寺には、猫や犬が多く居た。それも人を恐れない、人馴れしていた。

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高さ26メートルある阿弥陀仏の座像。金銅仏としては世界最大といわれている・・・・・・・・。

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パンチェン・ラマ4世の霊塔殿の前ではラマ僧たちが御守りを売っていた。僕は母などのへのみやげに幾つか求めた・・・・・・。

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80歳というラマ僧と写真を撮らせてもらった。老僧は何度も僕の手を握って額につけてくれた。 

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これまでの写真はすべてタルシンポ寺で撮影。この寺はゲルク派6大寺のひとつ。ダライ・ラマ5世の時代、この寺の僧院長・ローサン・チョエキ・ギャルツェンが阿弥陀菩薩の化身であるパンチェン・ラマの地位を得てから歴代のパンチェン・ラマの政治・宗教活動の中心となて繁栄した。僧も多い時には4500人が修業をしていたという。現在でも1000人の僧たちが生活している。

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午後からはシガッエのバザールや生活品などの店が軒を連ねる町へ行ってみた。

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ラサを発ってから12日目。いよいよラサに戻る日。「一路平安」を祈ってもらった白い絹のカタをしている僕とローサン(左)とドライバーのジュンペイ。

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シガッエからラサの道は約350キロメートル。両側にはこのような光景が広がっていた。 

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思ったより早くラサに到着した。山崎君と電話連絡をしていた「足洗い」の店のイ族出身のリンちゃん(上)と重慶から3年前に妹と働きにきているワンちゃんを夕食に誘った。結局、僕はラサにいる間に4回も足や全身のマッサージに通ったのだ。それでお友達になったのである・・・・・・・。

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拷問を受けているようだがこれはマッサージのサービスで身体の悪いものを吸い出すというお灸みたいなもの。身体に悪い所がある人ほど、赤い痣が浮き出るのだそうだ。僕はご覧の通り、痣だらけとなった。烏里君はほとんど痣がでなかった。彼は健康そのものであり、僕は病気の巣窟らしい・・・・・・・。 

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今回の旅では、最初にも書いたが思いもよらぬ人々と出会えた。矢島保治郎の妻・テンバ・ノブラーと同じ血を継ぐ元貴族・デンバ家のデンバ・ストップ・ソナム・トップゲルさん(54歳)。俗名ソラドジェさん。現在はチベット藝術研究所編纂委員長を務めている。僕が持っているのは『チベットの貴族』という本。ここに彼の父親と母の妹さんの若い頃の写真が載っている。2時間程のインタビューに快く応えくれた。詳しい話は写真報告集のなかで書きたいと思っている・・・・・・・・・。この秋に刊行予定です。

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路地という路地まで巡回する武装警察。必ず7~8人のグループだ。

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車の中から撮影したポタラ宮殿。以前は中も撮影できたが、今は一切の撮影禁止だ。他の寺院のように何がしかのお布施を払えば撮らしてもらということは絶対にないというので高い入場料を払って入るのは止めることとした。山崎君も24年前に1度入っているので入らないと言った。ジョカン寺、ノルブリンカも一切の撮影を禁止されていた。

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ラサの中心地から西へ8キロメートルほど行ったウェツ山の中腹にあるセラ寺の問答修業。1419年創建のゲルク派の寺院。ツォンカバの高弟によって建てられた。最盛期には5500人もの僧侶たちが修業に励んでいた。矢島と同時代に河口慧海や矢島と親しかった多田等観もこの寺で修業していた。午後3時から5時までぶっ通しでおこなわれる問答は、若い僧侶たちの甲高い声が響いていた・・・・・・・・。

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ラサの象徴ともいえるポタラ宮殿の全景。歴代ダライ・ラマの宮殿で、その規模は高さ115メートル、東西360メートル、南北300メートル、総面積は41平方メートル。1994年にユネスコの世界遺産に登録された。建設は7世紀に始まったといわれるが、その中心部分はダライ・ラマ5世の時代、17世紀中期から始まっている。西日に照らされて白亜の宮殿になった・・・・・・・。

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5月14日朝、ラサを発つので、前々日の12日に、ガイドのローサンとドライバーのジュンペイのご苦労さん会を開くことになった。重慶名物の「火鍋」が食べたいというので、ラサで一番美味しいという火鍋料理の店へ。そこで大いに盛り上がった後、ローサンは小さい子どもと会うために帰ったが、ジュンペイは家がラサでないため、まだ飲みたいというので「君がよく行く店へ行こう~!」と僕と山崎君と烏里君と4人で繰り出した。そして連れて行かれた所が上の写真の店。これは僕らが案内された一つの部屋であってこんな部屋いくつもある。女性は全部で420人いてさまざまな民族の女性がいるという。僕らには5人が付いた。というよりも自分の好みで選ぶのである。そしてひたすら飲み、歌い、踊る・・・・・・・。畳4~50畳ほどの広さだ。トイレなども完備され、巨大なスクリーンのカラオケがついている。ビールは5~60本空けたろうか。生花やつまみなども次々に売りに来るのだ・・・・・・・・。勘定のことが心配になてきたが、ここはラサ、ジュンペイは本当にこんな店に出入りしているのか! 烏里君もそうとう粘って3割引きにさせたといっていたが、前の火鍋の店と合わせて7000元支払ったという。日本円にすると約10万円強だ。僕と山崎君も少しカンパすることにした。でも烏里君もドライバー君も山崎君もとても楽しそうだったので、こんなこともあってもいいかなあ・・・・・・と思ったりもしたのである。 しかし、この出費は痛すぎた・・・・・・・・。明日からラーメン暮らしだね。

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ラサ川の対岸の山に登ってポタラ宮を撮った・・・・・・・。白い大きな建物がポタラ宮殿。

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チベットの太陽は、近いせいか灼熱のように熱い。家々の前には不思議な光景があった。太陽熱を集めてお湯を沸かしているのである。どのくらいで沸騰するのか興味を持った。 

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ラサを離れる前にどうしてももう一人の人と会っておきたかった。それはソラドジさんとは母方の従兄弟にあたるツーベムさん(64歳)だ。30年前に亡くなった彼女の母親がソラドジさんの母と姉妹にあたる。実はこのツーベムさんはガイドのローサンの母親なのである。家に招いてお茶や手作りの菓子でもてなしてくれた。1時間ほどのインタビューの後、一緒に写真を撮らせていただいた。何か上州の母方の伯母さんたちに雰囲気が似ていて懐かしくなった・・・・・・・。

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チベット軍の騎兵隊か、矢島保治郎が最初にチベットに騎兵隊を創設したのだが・・・・・・・。ホテルの僕の部屋に飾られていた写真をコピーした。

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ガイドのローサン(左)と運転手のジュンペイに僕らで気持ちお礼をした。漢字で書くと二人の名前はこうなる。

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ラサを発つ前日の13日、突然僕のホテルの部屋にソラドジさんが従兄弟のツタンゾウカさん(38歳)とともに訪ねてきてくれたのには驚いた。烏里君のノートパソコンに、ノブラーや矢島の写真が入っていたのでみてもらった。そしたらノブラーの写真を指差し「母や伯母たちに面影が似ている・・・・・」と持ってきた写真を見せてくれた。日本にいる親戚の矢島仲子さんへのおみやげや写真を託された。僕らにも一人ひとりにおみやげを持ってきてくれた。感謝の気持ちで一杯である・・・・・・・・。帰り間際には僕の手を握って何度も僕の額にソラドジさんの額を付けて別れを惜しんだ・・・・・・・。  合掌

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5月14日、午前8時10分発、青海海の西寧までの約24時間、1950キロメートルの列車の旅である。一人796元だが軟座の個室2段ベットである。トイレも直ぐ近くにあり、隣の車両はレストランであるいい部屋であった・・・・・・・。

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標高5000メートルを超える土地をひたすら走る。雪になった場所もあった。まだ残雪が多くあった・・・・・・。

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この川の上流、もう間もなくで黄河の源流だ。

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夕暮れの大地を野生のロバたちが餌を探していた・・・・・・・・。

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ラサから走ること14時間、青海省のウルムドで夜の10時、ようやく暗くなった。それまでの間、烏里君は食堂車でよく飲んでいた。僕は眠ったり、こうして車窓から風景を眺めていた。そのほとんど土地は人間が暮らしていない土地。野生のヤクやロバなどが群れをなしているばかりで荒涼とした風土であった・・・・・・・。

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早朝、西寧に着いた。ウイグル族の料理で腹ごしらえをしてからバザールへ行ってみた。十数年ぶりの西寧の街は大きく変わっていたが、何か懐かしい匂いがした・・・・・・・。

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午後の飛行機で西寧を発ち、夕刻北京に着く。見渡す限り高層ビル群だ。

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北京ダックが旨い店に行く。烏里君の四川藝術大学時代の友人も呼ぶ。油科には11人の同級生がいたというが、そのうち7人が現在、大学教授で残りは4人のうち一人は酒造会社の副社長、2人は画家、そして写真家の烏里君・・・・・・・。彼は画家、絵だけで生活をしていると言う。全紙ぐらいの大きさの絵が1点150万円ぐらいで売れると言っていた。ぜひアトリエに遊びに来てくださいと誘われた。今度機会があれば彼の絵を見てみたいと思った・・・・・・・。

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もう一軒行った。北京の歌舞伎町みたいな所なのか、道路にテーブルなどが広がっていて、欧米人も多い。外からガラス張りになっていてダンスなどのショウーが見れるようになっている。生演奏のライブハウスもあった・・・・・・・・。これが中国の北京かと正直ため息をつく・・・・・・・・。

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最後はギターの流しのお兄ちゃんを呼んで生で歌ってもらった。中国最後の夜だからと午前3時頃まで飲んでいたような記憶があるが定かではない。無論もう高山病に苦しまなくてもよくなった山崎君も付き合ったのは言うまでも無い・・・・・・・・・。

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最後の日は、タクシーで北京市内を廻ってみた。何故かイトウヨウカ堂に入って、吉野屋の牛丼で朝飯とした。宿泊していたチベット自治区政府の北京事務所が運営しているチベットホテルで、経理を担当している劉さんに昼食をごちそうになった。彼女はこのホテルの役員をしている。「このホテルのなかにも直営の旅行社があって今年はヨーロッパなどから多くのチベット旅行の申請を出したが一本のツアーも許可されていないのです。何故あなた方は入れたのですか?」と不思議そうに聞くのだった。僕の方が逆に、 「チベット政府直轄の旅行社が申請しているのに何故許可が下りないのですか」と訪ねると「解りません・・・・・・・」と微笑むのだった・・・・・・・・・・・。

これで長い長い「矢島保治郎の足跡を辿るーチベット6010キロメートルの旅」はお終い。お付き合いいただきありがとうございました・・・・・・・・。  合掌

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