写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.452] 2012年5月23日 ”上州の探検家・矢島保治郎の足跡を辿るーチベット6010キロメートルの旅” (弟3回) 山南地区、ロー、ローカルツェ、ギャンツェ、カンマル・・・・・・。

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チベットの山嶺が雲の間から見えてきた・・・・・・・。  2012年4月28日午前中、成都からラサへ向かう上空より撮影。

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今朝は5月5日。朝から快晴、日本では「こどもの日」だ。今日からまったく気候風土がことなる中央チベットから西チベット方面へコースを取る。僕の部屋から撮影。チベット南東部へ来てから6日目。

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途中、約100年の歴史を持つ、名刹ラマリン寺へ寄る。1966年に文化大革命により破壊されたが1987年に再建された。地元の人たちがたくさん出て、寺の周りの掃除などをしていた・・・・・・・。

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チベットを貫流する大河・ヤルザンポ川にそってさかのぼる。川向こうにあるウー・ツァン村はダライ・ラマ13世の生誕の地だ。菜の花が風に揺られていた。矢島保治郎と深い信頼関係で結ばれていた法王の出身地だと思うと感慨深いものがあった・・・・・・・・・。

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舗装されていない道が延々と続く。この日は486キロメートル走った。夕日が迫る標高4910メートルの布丹拉山にようやく到着した。午後8時を廻っていた・・・・・・・。

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以上の5点の写真は、布丹拉山 (4910m)で撮影。タルチョーに夕日が当たり、風にはためく・・・・・・・。周りには標高6000メートル級の雪山・・・・・・・。タルチョー(祈祷旗)だけでも絵になる光景である。 

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烏里君が撮影してくれた。遥か茶褐色の大地に沈んでいく太陽を受けてカメラを構える僕で~す!!☆

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宿に着いたのは夜10時を廻っていた。遅くなったので予定を変更してツェタンに泊まる。ホテルがなく捜し歩いていたら1時間ほどたってしまった。遅い夕食をとった食堂で。四川省から出稼ぎに来ている女性。

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以上の5点の写真は、ツェタンから南に12キロほど行った小高い山の上に建つユブム・ラガン。標高は3750mほどであった。チベットで最初に建てられた宮殿としてしられている。紀元前一世紀前後にこの地を治め、チベット初代王となったにャティ・ツァンポが建てた宮殿だと言う。町を一望できる見晴らしの言い場所だ。途中、巡礼者と一休みする。旅の最中何度も「あんたはどこのチベット人か?」と聞かれたことか・・・・・・。

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僕らは最初にも書いたが、この取材を示実現するにあたり、チベットの人民軍、公安局、外事局、旅遊局の許可を取得していたにもかかわらず、何十回も検問で止められた。この日は特にひどく、数キロおきに検問に引っ掛かった。パスポートを提出せられて本人確認をさせられた。前の定期バスの乗客も一人ひとり降ろされて身分証明書を提示させられていた・・・・・・・・。

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夕暮れの峠で出合った少女たち。4000メートルから4500mの所を走っているので、何処が峠かはっきりと判別できない。丘のようだったりして、5000メートルといっても500メートル程の違いであり、あまり峠という感じがしないのである。

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矢島保治郎が都合3回通ったヤムド湖。矢島も「美しい湖・・・・・・・」と記しているこの湖は本当に美しかった。夕暮れ時の午後9時過ぎに湖畔に行って撮った。また満天の星空も撮りたくて真っ暗になるまでねばったが、ちょうど満月の日であり、月明かりのため思ったほどの大銀河は見れなかった・・・・・・・・。湖の対岸の雪山の連邦は標高7200メートル以上のリンジンカンザだ。

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大きな氷河あった峠だったが、名前は忘れてしまった・・・・・・・。トイレタイムに寄ったことだけは覚えている。

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峠を下るとまたエメラルドブルーの湖が広がっていた。この湖も矢島は3度見ている。最後は妻のノブラーと子どもの意志信を伴って湖の辺の道を歩いた・・・・・・・・。

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タルッエンドの町で夕食を取ったレストランのチベットの娘さん。全員おしゃれな征服を着ていた。

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タルッエンドからダージリン、今はインド領となっているがその国境に向かって30キロメートルほど行ったカンマルの風景。早朝出かけたので公安の検問を突破してきたが、ここの検問所で外国人は追い返されることとなった。烏里君とチベット人運転手のジュンペイと僕と山崎君とガイドのローサンとの2組に分かれることにした。烏里君たちは、矢島が通った道をトモまで進み、国境近くまで行くことにした。明日の午後まで別行動となった。 

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矢島の妻・ノブラーの現在のファミリーの父方の実家であるハツラ荘園。300年以上続く王族の血筋を継ぐ貴族の家。現在の当主は、ダライ・ラマ14世とともに亡命しているという。ガイドのローサン君の家も遠い親戚にあたる。ちょうど改修中で6月まで中には入れないと張り紙がしてあった。ギャンゼとシガッエの周辺は、ヤルッザンポ川とその支流で土地が良く肥えており西蔵一の豊かな土地であるため、昔から栄えていた。

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14世紀に建てられたギャンツェ・ゾンは現在、改修中であった。この山城でチベット軍とイギリス軍との間に戦いがくり広げられたのが1904年のこと。矢島が入蔵するわずか7年前のことである。この町のどこからでも見えるシンボル的な存在だ。

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ギャンツェ・ゾンから見る町と白居寺(左側)。

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城下町となるギャンツェの古い町並。どこからも正面にツォン山の山頂に築かれているギャンツェ城を見ることができる。

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生活感漂う街で道端でチャン(チベットのどぶろくみたいな酒)をツァンパ(大麦を炒って粉にしたもの)をつまみに飲んでいた。僕にのめのめと勧めるのでいただいた。ネパールでもよく飲んでいるので懐かしかった。ツァンパもいただいた・・・・・・・。

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白居寺ことパンコル・チョーデンは、1418年にギャンツェ王らによって創建された古刹。本堂の阿弥陀如来像。最初の写真はパンコル・チョルテン。8階13層で高さは34メートルもある仏塔だ。

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ひたすら五対投地をくり返す女性の巡礼者(白居寺で) 

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白居寺でガイドのローサン君の学校の同級生だという女性に会った。彼女も英悟のガイドをしていると言う。笑顔をさわやかな女性だった。その後、シュガッェのセラ寺でもバッタリ会った・・・・・・・。 

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白居寺の境内の木陰で一休みしていたら地元の子どもが来たので、一緒に記念写真を撮った・・・・・・・。

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