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2009年8月27日 句語り盃干す秋の無頼かな・・・「獐(のろ)」第190号で廃刊

僕の俳句の先師、高島茂が創刊した俳句雑誌「獐(のろ)」が第190号でその歴史をとじることとなった。二代目主宰となった高島征夫さんがこの6月30日に急逝したことによるものだ。同人の一人として残念ではあるがいたしかたない。高島征夫主宰の追悼号となる190号に寄稿しょうと思い俳句作品8句と「征夫俳句の鑑賞」という短い文章を書いてみた。

あじさゐやおもひのはてのとどかざる   征夫

高島征夫主宰が急逝された二日前の2009年6月28日の句会で詠んだ句。これが辞世の句となってしまったが、先師である高島茂先生の遺句「八十の少年にして曼珠沙華」と何か思いが通ずるものを感じて不思議な気がした。思い返せば、征夫さんと僕は、いまから十年前の1999年3月15日に先師から朱文彰、中村吉次郎とともに4名で、のろの会の新同人として推挙されたのだった。その文章は「のろ」通巻第100号に載っている。当時の雑詠集には64名、同人の黄羊集には19名が投句しているからずいぶんと盛んな時代ではあった。先師に”ぼるが”のカウンター越しから「のろのこと頼むね」と笑顔で言われ、一瞬とまどった記憶がある。その後、わずか4ヶ月余りで師は突然に、僕らを置いたままで旅立たたれてしまったのだから、のろの主宰を継いだ征夫さんは、さぞや大変だったと思う。本当にご苦労さまでした。  合掌

「無頼とは愛しきもの」・・・・・・・小松風写

無頼とは愛しきものよ桜桃忌                  無頼漢といわれし炎暑の津軽ゆく

無頼ふたり山背風の荒れし津軽なり             奥秩父の無頼の墓の茂りかな

火取虫我れも等類無頼なり       (故郷上州にて) 秋澄みて郷里の処刑地無頼かな

無頼らの処刑の地なり白粉咲く    (高島征夫急逝す) 句語り盃干す秋の無頼かな


通巻第190号まで続いた俳句雑誌「のろ」の表紙

通巻第190号まで続いた俳句雑誌「獐(のろ)」の表紙

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