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2009年7月12日 民族のたましいを学び、俳句の友をおくった日

昨日11日は、8日ぶりに公の場所へ出かけた。久しぶりの大都会は、梅雨の晴れ間とあってなんとなく人びとは、のんびりしているような感じを受けた。日本の将来を決める前哨戦とも言われている東京都議会議員選挙の最終日とは、思えないほど静かであった。先ず最初に向かったのは、「第5回 チベットの歴史と文化学習会」。親しい友人の作家、渡辺一枝さんの報告「今、チベットの人々は」を聞くためだ。久しぶりにお元気な姿も拝見して、元気をもらいたいとも思っていた。彼女は年に何度かは、チベットを取材し続けて久しいが、この4月、5月にもチベット奥深くの村村や人々を訪ね歩いてきている。そのリアルタイムの生々しい報告であった。とりわけ文化とは、仏像や寺院などの物質だけでなく、人々の心のなかにある精神が大切で、これはどんな圧政を加えられても、またどんなに蹂躙されようとも決して消えるものではないと言う事を、今回の旅なかで、12歳の少年から学んだというエピソードは胸に沁みた。会場を埋めた100人以上の人にも驚いたが、さらに若い人、それも女性の姿が多かったのはうれしかった。一枝さんたちの思いをこういう世代の人々が引き継いでくれるのかと思うと頼もしくもあったのである。僕も一写真家としてチベットは、これからもずーと見続けようと思っている。


チベットの話をする時は、必ずチベット民族の婦人が着る服装になる渡辺一枝さん。子どもの頃からあだ名を「チベット」とつけられていたという一枝さんの一つ一つの言葉に、こころからチベットの人々と深い思いでつながっていることを感じた。(2009.7.11)

チベットの話をする時は、必ずチベット民族の婦人が着る服装になる渡辺一枝さん。子どもの頃からあだ名を「チベット」とつけられていたという一枝さんの一つ一つの言葉に、こころからチベットの人々と深い思いでつながっていることを感じた。(2009.7.11)

次に向かったのは、日比谷公園。俳句と写真のコラボレーション「一滴・創立9周年記念展」の最終日であったからである。会場はたくさんの人々で熱気があった。新聞などで報道されたこともあって大勢の方々が来場してくれた。はじめての試みとしては大成功であったろう。運営にあたってくれた岡井代表をはじめ、同人のみなさん本当にご苦労さまでした。上野広小路亭の寄席に出演する前に、時間をさいて立川志遊師匠も寄ってくれた。ありがとう。搬出を済ませてから、いよいよ今日の本番ともいうべき、新宿のぼるがでおこなわれる「故・高島征夫さんを偲ぶ会」へ参加した。7日付けのブログにも書いたが、彼の死はあまりにも突然であった。参加した同人や俳句仲間、兄の周一さんたちにしても皆同じで、どう受け止めたらいいのか、わからないというのが本音であろう。僕もただ黙して遺影の前で、彼が好きだった酒を、あおるしかなかった。死の2日前にも句会のあと、このぼるがへ仲間と来て、楽しそうに俳句談義をしていたという。先師・高島茂の遺言を守り続けてきて10年たったが、190号をもって、俳句誌「獐のろ)」と結社「獐の会」は廃刊、解散となることを参列者全員で確認した。思えば104号から征夫さんが発行してきた。大変なご苦労だったと思う。死の2日前の句会で詠んだ高島征夫の辞世の句は、次の二句である。 征夫さん。やすらかにおやすみください。   合掌

辣韭の白さかがやき恙なし

あぢさゐやおもひのはてのとどかざる  征夫

僕が敬愛する先輩写真家・細江英公さんともパチリ。
僕が敬愛する先輩写真家・細江英公さんともパチリ。


僕の作品の前で、上野広小路亭の寄席に立つ前にわざわざ寄ってくれた立川志遊師匠と記念写真です。

僕の作品の前で、上野広小路亭の寄席に立つ前にわざわざ寄ってくれた立川志遊師匠と記念写真。


俳句結社「獐」主宰、故高島征夫さんを偲ぶ会が故人ゆかりの場所、新宿「ぼるが」でしめやかにおこなわれた。

俳句結社「獐」主宰、故高島征夫さんを偲ぶ会が故人ゆかりの場所、新宿「ぼるが」でしめやかにおこなわれた。


  

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