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2009年7月7日 七夕に、星となった友たちへ祈りを捧ぐ

今日、7月7日は七夕さま。星祭の行事だ。五色の短冊に願い事をしるし、竹に結ぶのが、七夕竹。それを川や海に流すのことを七夕送りという。太宰の故郷・津軽でこの時期おこなわれる「ねぶた」は、この変形であったこととは、知らなかった。ともあれ、梅雨晴れとなってよかった。今夜は一年ぶりに天の川をはさんで、牽牛星と織女星の逢瀬が実現できることを祈りたい。7月3日から、僕の誕生日も含めて、今日まで家に篭って原稿を書いていてようやく脱稿した。そうして今朝、出版社の人が取りに来たので渡したのである。太宰治とその写真を撮った田村茂のことを400字詰め原稿用紙約35枚ほど。まだ、第一稿なのでこれから推敲しなければならないが、とりあえず一山越えて、気分は今日の天気のように晴れやかである。

この数日間に、哀しい知らせもあった。ひとつは、僕の俳句の先師であった高島茂さんの息子さんで、現在、俳句誌「獐(のろ)」の主宰をしていた高島征夫さんの死の知らせである。彼とは、同世代でもあり、俳句の仲間として切磋琢磨してきた。同人にも先師から一緒に推挙されもした。最近は鎌倉で、独りで暮らしながら選句や俳句誌の編集をしていた。先月も俳句を12句と鎌倉に太宰の取材で行った事など書いてFAXをだしたばかりだった。その中の一句に、「芥子菜の土手に哀しさもてあます」 という句が偶然に入っていたが、この句は何か今回のことを予期していたものではない。この3月の末に、ヒマラヤで高山病にかかった日本人トレッカーをシェルパと抱えながら下山する途中に亡くなったネパールの親友プナム・プラダーン君に捧げた句である。彼のことについては、いずれじっくり書くつもりであるが、今はまだ、書けないでいる。僕の気持ちがいまだ立ち直れないのだ。末の弟夫妻がわが子のように愛しんできた猫のチビが亡くなったという知らせも届いた。いのちあるもの、いずれはなくなるのは宿命ではあるが、そこに立ち会うのも哀しいものではある。・・・・合掌。

「征夫さんを偲ぶ会」は、先師が築き、現在、兄がそれを守っている新宿の「ぼるが」において、7月11日に行われる。俳句仲間も大勢参加することだろう。やはりここの場所があなたには一番ふさわしいよ。久しぶりに征夫さんゆっくりと俳句論を語り、そうして飲みませう。    みなさんもお互いに自愛しませうね。それにはこころのストレスを蓄積しないことが一番ですよ。これは僕の実感ですぞ~。

子どものいない弟夫妻にとってチビは、我が子同然でいつも抱いて寝ていた。亡くなった朝も嫁の胸のなかで眠るようにしずかであったという。9年といういのちを全うした。合掌
どものいない弟夫妻にとってチビは、我が子同然でいつも抱いて寝ていた。亡くなった朝も嫁の胸のなかで眠るようにしずかであったという。9年といういのちを全うした。合掌

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