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2009年6月21日 桜桃忌の墓碑にみた太宰の血の涙・・・・・。

武蔵野の太宰の旧居おぼろかな   小松風写

6月19日は、太宰治生誕100年の桜桃忌である。この日は午前中からK編集者と太宰が眠る三鷹市へ出かけた。駅を降りると何か雰囲気がいつもと違い一種、祭りへ向かう人々の熱気みたいなものを感じた。法要のある午後からは、いっそう混雑すると思い、まず墓のある禅林寺へ行ってみた。案の定、山門に入る前からすでに人人であった。太宰の墓の周辺はさらに混雑がひどく、まるで通勤ラッシュの電車状態で身動きがとれない。ようやく墓の前までたどり着いて、手を合わそうと墓をみて驚いた。献花や太宰が好きだった酒などはまあ、いっぱいあるのは予想ができたが、自分の書いた文章だの本、雑誌類などは、墓の中の太宰に読んで欲しいということか。極めつけは、さくらんぼを墓碑に押し込んでいることだ。いったいどういう神経をしているのだろうか。K編集者も「うんざりした・・・」と憤慨していたが、僕は太宰の涙のように見えた。それも血の涙である・・・・・・。それにしても太宰の墓の前にある森鴎外の墓をはじめ、辺りで眠る人々は、たまったものではない。ずけずけと入り込んでは来るし、墓を囲んである石の上にのって、携帯電話でパチリ、パチリとやっている・・・・・。草葉の陰から太宰もきっと苦笑していることだろう。

太宰治の墓のある禅林寺
太宰治の墓のある禅林寺

その後、太宰の旧居などゆかりの場所を巡ったが、どこに行っても「太宰マップ」を手にしたおば様、おじ様族ばかり。それもおのおの、太宰についての自説を大きな声でのべている。この19日、入水してから一週間の捜索によって太宰と山崎富栄の遺体が発見された玉川上水の場所へと行ってみた。さすがにここまでは、族の皆様は来ていなかった。その場所は井の頭公園のはずれで、玉川上水が大きく左へとカーブしている所である。あたりは深い夏草に覆われ、流れは澱んでゴミがずいぶんと溜まっていた。桜の巨木が傍らにあり、その当時のこともこの老木は、見続けてきた証人なのだろうと思った。


武蔵野の面影を残す井の頭公園の森

武蔵野の面影を残す井の頭公園の森

K編集者とは、井の頭公園で別れてから僕は一人でまた上水をさかのぼり、田村茂さんの撮影した太宰の写真で有名な陸橋へ行った。暑い中、一日歩き回った疲れもあったのだろう。その路上に座り込んでぼーと2時間ほどいた。ほとんど人は通らないが、小さな子供たちの遊び場になっていることがわかった。若いおかあさんたちもここなら安心と思うらしく、自転車などに乗ってやって来ていた。空が近い広々とした公園なんだなと思った。太宰が友人を連れてここに来ていた気持ちも少しはわかるような気がした。昼間はあんなに暑く良く晴れていたのに、夕日は厚い雲に覆われてまったく姿を現さない。もうだめだなとあきらめかけたその瞬間、真っ赤な太陽が雲間から顔を出してくれたのである。18時37分からわずか5分間だけ。太宰と田村先生が力を貸してくれたのだ。感謝しながらシャッターを切り続けた。日没後、太宰と田村さんが良く飲んだあたりの駅前の路地裏へ入って独りで、あらためて桜桃忌を偲んだ。もちろん大酒飲みの二人にならって、したたかに飲んだのは言うまでもない。

太宰が毎日のように通った井の頭公園で、本を読んでいる女性のうしろ姿が素敵だった。
太宰が毎日のように通った井の頭公園で、本を読んでいる女性のうしろ姿が素敵だった。

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