写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2009年6月16日 津軽の風土には、高橋竹山の調べがよく合う

梅雨満月金網の島ひかりそむ   風写

ここ一週間ばかり、約30年程撮り続けてきた太宰治に関する写真の整理をしてきた。僕が20代の頃、初めて訪れた津軽の竜飛岬のモノクロフイルムなど、その数は約400本ぐらいになっていた。石川啄木や宮沢賢治、森鴎外などは、著書も何冊かあるので撮影本数は多いが、太宰をここまで撮っているとは思っていなかった。これを全て見直し、セレクトしなおしたのである。モノクロはあらためて40枚ほどプリントした。ポジフイルムは、400点ばかり切り出した。若かりし頃、旅したことなど想い返しながら・・・・・・。

その間ずーとCDで音楽を聴いていたのだが、それが津軽が生んだ津軽三味線の名人・高橋竹山である。竹山は、陸奥湾に面した東津軽郡平内町小湊の農家に生まれた。太宰とは1歳年下で明治43年のそれも2日ちがいの6月17日が誕生日である。彼が奏でる哀愁のこもった「津軽じょんがら節」や「津軽よされ節」などを聴きながら、津軽の太宰が生まれ育った風土の写真をひたすら見続けたのだった。実は、高橋竹山は、僕は日比谷公会堂で撮影している。すぐ目の前でだ。フリーになりたての頃、日本の音楽家たちを3~4年間追いかけたことがある。邦楽、クラシック、ジャズなどあらゆるジャンルの音楽家たちを撮らせてもらった。作曲家の芥川也寸志さんにはずいぶんと可愛がっていただいた記憶がある。コンサートや打ち上げでは、先輩写真家の木下晃さんともよく一緒になったものだ。・・・・・・つまり、竹山の津軽三味線の調べを聴きながら津軽の写真をセレクトするのはとても心地よく、はかどったと言いたかったのである。

k0001
2009年2月、津軽取材、浅虫温泉で。浅虫温泉は、太宰治にとっては、忘れられない土地である。太宰は、中学時代の4年間、青森で下宿生活を送っている。その時の思い出を『津軽』に次のように書いている。「母と病後の末の姉が湯治をしている借家に寝泊りし、青森の中学へ通いながら受験勉強をした・・・・」。また、版画家の棟方志功ゆかりの地、とくにこの椿館は棟方の定宿として知られていて、有名な作品も宿中に飾られている。僕たちに付いてくれた仲居さんは、弘前の人だがつい数ヶ月前までは、僕の故郷・上州の伊香保温泉で働いていたとのことで、話がはずんだ。雪の降るなかいつまでも見送ってくれた。(photo:K編集者)

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。