写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.2348] 2022年1月29日 株式会社 東京印書館・営業部の佐々木政美さんが1月20日、突然に黄泉の国へと旅立たれた。残念至極でならない。僕の代表作である『ヒマラヤ古寺巡礼』、『民族曼陀羅 中國大陸』をはじめ、ぶどうぱん社刊の殆んどを担当してきた。この20年余りよく呑み、語り、出版界や社会を憂えた”同志”に心からの哀悼の意を捧げます・・・ 合掌

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1月20日の午後、僕の携帯電話に何度も電話が入っていた。記憶のない番号だったが急用かも知れないと思い僕からかけてみた。そうしたら(株)東京印書館の取締役・統括プリンティング・ディレクターである高栁昇さんだった。「先生、新年早々お知らせしずらい話なのですが、実は今日の昼過ぎに佐々木が亡くなりました。先ほど奥さまから知らせがあったのです。佐々木が公私ともにお世話なったていた方々にだけ、こうして私が直接連絡を差し上げた次第です・・・」という一報が入った・・・。

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会社のロビー前に掲げてある力強い揮毫の看板。

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それから数日たってまた高栁さんから電話が入った。葬儀はすでに近親者のみで済ませ、会社も知らなかったとのこと。ご家族が現状を鑑みて、みなさんに万が一でもご迷惑をかけてはいけないと、どこにも知らせずに22日に済ませていたという。僕はコロナ禍の中でも佐々木さんのお通夜や葬儀に出ようと決めていたのだが、ご家族のやもう得ない判断だと思った。その時に、今週中までですが会社のロビーにささやかですが祭壇座を設けますが、くれぐれもご無理をなさらずにとのことだった。

僕は翌27日に佐々木さんが好きだった日本酒、芋焼酎、ウイスキーに白いトルコキキョウの花を買って祭壇に詣でた。僕が行くと高栁取締役をはじめ、各部のスタッフ4人が迎えてくれてしばし、佐々木さんの人柄などの話が弾んだ。高栁さんの「僕はこんなに落ち込んだことはここ10数年ないですよ。本当に辛いし、虚しいです・・・」といった言葉が胸に刺さった。彼と佐々木さんは同じ中央大学出身。高栁さんが法科で佐々木さんが文系、歳は同じだが佐々木さんが早生まれなので学年は1つ違っていた。僕から見ても絶妙のコンビでいい味をだしていたと思っていた・・・。

翌28日も参拝に行った。前日、写真を撮るのを忘れていたこともあり、もう一度お別れを言いたかったのである。だから誰にも言わずにお線香をあげていると後ろから「先生、ご苦労様です・・・」と言う声がした。振り返って見ると(株)東京印書館の社長・下中直人さんだった。佐々木さんの仕事ぶりなどについてしばらく立ち話をしたあと別れた・・・。

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天地がひっくり返るほど虚しい~!!。昨年10月31日に発行した山崎政幸写真集『記憶の島ー故郷・高島』を最後まで担当してくれたのも佐々木さんだし、現在進行中の沖縄本土復帰50年を機に刊行する僕の『琉球 OKINAWA』もずっと以前から佐々木さんと温めて来た企画だった。彼が発行を何よりも楽しみにしてくれていたのである。その他にもチリの写真集など彼は企画をしていてくれた。「もう自分の先はそう長くはないので、やりたい仕事以外はしない」が佐々木さんの口癖だった。彼は僕よりも4~5歳年下だが、写真家の森山大道さん、須田一政さんなど多くの写真家たちからも信頼され、愛されていた。

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小松健一『民族曼陀羅 中國大陸』(みずき書林刊)の出版を祝う会で。右一番手前が佐々木さん。その次が高栁さん、後列左から4人目が下中社長。文化勲章受賞者の田沼武能さん、一昨年亡くなった公益財団法人日本写真家協会前会長の熊切圭介さん、写真家の江成常夫さん、藤森武さんらの顔をも見える・・・。(2018年7月30日 沖縄料理の店・「みやらび」で撮影)

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