写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.842] 2015年8月8日  ドキュメント~!★!★ 「2015.8.7 写真家 丹野章さんの葬送式・火葬」(日本聖公会東京教区 月島聖公会)。明日、8月9日はアメリカによって広島に続き長崎に原爆が投下された日・・・・。

 

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今日8月8日は、丹野章さんの90歳の誕生日だった。この写真は2014年の夏、銀座で89歳になった記念に撮影したもの。「俺の人生はフーテンの寅さんみたいな気楽な旅の連続だったなあ~」と笑いながら僕の帽子をかぶってカメラの前に立った。上着を脱いで肩にかけて、寅さんのポーズも撮った・・・・。 合掌
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8月5日午前0時2分、都内にある東海大学付属八王寺病院で、急性肺炎のために亡くなった丹野章さんの葬送式が7日午前11時30分から中央区月島聖公会でしめやかに近親者のみでおこなわれた。限られた人だけのお見送りだったので、葬送式、火葬、「納棺の祈り」・「帰宅後の祈り」のドキュメントをここに紹介する・・・・・。

「丹野章さんを偲び、お別れ会」は ★9月16日午後6時30分~9時 ★東京・アルカディア市ヶ谷 でおこなわれる。 ★発起人 細江英公(写真家・VIVOメンバー)、川田喜久治(写真家・VIVOメンバー)、田沼武能(写真家・日本写真著作権協会会長)、熊切圭介(写真家・公益社団法人日本写真家協会会長)、英伸三(写真家・日本リアリズム写真集団代表委員)、佐藤浩視(写真家・協同組合日本写真家ユニオン理事長)、石川文洋(報道カメラマン)、小松健一(写真家・世話人)の8人だ。 ★大勢の方たちのご出席をお願いします!!

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8月6日から僕の電話は鳴りっ放し。丹野さんの訃報を知らせる記事の事実確認のためだ。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、しんぶん赤旗など新聞各紙をはじめ、共同通信社、時事通信社が全国配信してくれたので、地方新聞各紙にも載った・・・・・・・。
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丹野章さんの長男・丹野真佐志さんが遺族を代表してあいさつに立った・・・・・・。
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僕は、賛美歌を数十年ぶりに合唱した・・・・・・。
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前日の70年前に広島に原爆が落とされた8月6日に、全国の書店で一斉に発売となったばかりの『決定版 広島原爆写真集』、『決定版 長崎原爆写真集』(勉誠出版・監修:「反核・写真運動」・編集:小松健一 新藤健一)の2冊を丹野さんに見てもらうために祭壇に届けた・・・。
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丹野さんの家族。奥様の典子さん(左端)をはじめ長男、次男、長女とその家族たち。
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最後の別れをする・・・・・・。 典子さんの手と次男・多可志君の手。
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手前、田沼武能日本写真著作権協会会長、熊切圭介公益社団法人日本写真家協会会長が多忙にもかかわらず、駆けつけてくれた。熊切さんは、日大芸術学部の学生の時から丹野さんの助手を務めていた。丹野章さんの一番弟子である。
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右手前でカメラを構えて撮影しているのは、田沼武能さん。途中から写真家魂に火が点いたのか、バチバチと撮りまくっていた・・・・・。
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参列者がご遺体を花で埋めていく・・・・・・・。
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前日、お知らせをして相談したら、家族葬であってもどうしても参加したいという強い要望があったので葬送式の場所など連絡をした。 熊切さんは、丹野さんの顔をいつまでも見続けていた・・・・・・・。
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安らかにお眠りください・・・・・・。長い間、日本の写真界のために尽力いただき、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。丹野さんの意思を僕らが引き継いで行きますとあらためて誓った・・・・。合掌
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出棺をする・・・・・・・・・。
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霊柩車へ丹野さんのご遺体を乗せる典子さん・・・・・・・・。
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僕も火葬場である桐ヶ谷斎場へマイクロバスで向かう・・・・・・・。
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火葬場で、「納棺の祈り」を参列者でおこなう・・・・・・・。
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「写真は絶対に撮らないでください!!」と何度も注意されるも、僕は丹野さんの最後を見届けるためにと目立たないように撮り続けた・・・・・。
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遺骨となるまで休憩室で過ごす・・・・・・。長女の亜来子さんと奥様・典子さんの妹さんと。
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わずか2時間余りで、遺骨となってしまった丹野さん・・・・・・・。  合掌
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僕はどうしても丹野さんの遺骨が欲しいので奥様に言ったら、好きなだけ持っていってっください。と言うのでひとつ頂いてきた。家の親父たちの位牌を置いてある場所に、丹野さんの写真とともに置いた・・・・。
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丹野さんにとってはお孫さんにあたる長男・真佐志君の娘さん(右)筑波大学の3年生と、長女・亜来子ちゃんの中学3年の娘さん。
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息子たちに抱かれて自宅へ向かう丹野さんの遺骨・・・・。
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東京ベイブリッジも渡った・・・・・・・。 ここから丹野さんの家が見えた・・・・・・・。
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「帰宅後の祈り」をすませててから会食をした。 祈りの最後の言葉は「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、わたしたちとともにありますように。アーメン」であった・・・・・・・。
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最後に親族を代表して丹野章さんの次男・多可志君(左)がお礼のあいさつをした・・・・・・・。
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丹野さんの手帳に挟まっていた写真をこの日の遺影にした。裏には撮影した日付けが書かれてあったが、それは愛する典子さんの昨年の誕生日だった・・・・・・・。これを見つけた典子さんが僕に、遺影にしたいのですが、というので僕も賛成したのである・・・・・・。

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