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[no.483] 2012年8月25日 中国西南地区 イ族の歴史と文化を訪ねる2400キロメートルの旅・・・・・・濾古湖、石綿、成都、上海(弟4回)

第4回目となるこの旅の報告もこれが最終回となる。撮影したデータが消滅してしまうというハプニングもあって、みなさんにいろいろな映像をご覧いただけなかったのは残念でならない。僕の不注意が招いたことだからどうしょうもない。しかし、この消去してしまったデータも復元できるというので、業者に送ってみた。あんまり費用がかからなければ回復してもらうつもりだ。まだまだアップしていない写真もこれから折に触れて紹介していきますので楽しみにしていてくださいね~☆!!

 

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12日の深夜遅くまで西昌市内のあちこちで繰り広げられた松明祭りの余韻を残したまま僕らはそれぞれバイクに乗ってホテルまで戻ってきた。そして翌朝早く5日間滞在をした涼山自治州の州都・西昌から南へ約280キロメートル入った雲南省との省境となる濾古湖へと向かった。途中3500メートルを越す峠をいくつか越えて午後にようやく着いた。

濾古湖は標高2690メートルの原生林におおわれた神秘的な地にあった。周囲は4~5000メートルの山々である。原住民はモソ族、言語はモソ語だ。モソ語で濾古湖は「山奥にある湖」という意味である。現在約3万人いると言われているが、同じモソ族でも雲南省側に住んでいるモソ族は白族に属しており、四川省側はモンゴル族という矛盾がある。かれらの生活様式や仏教を信仰し、体形からもモンゴル族系とみる方が正当だと思われる・・・・・・・・。

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この地に暮らすモソ族は約1500年の歴史を持っている。彼らの最大の特徴は、完全な母系社会を保っていると言うことだ。中国で現存する唯一の地であり、「人類最後の母系社会・・・・」とも言われている。僕が20数年前に行ったヒマラヤのムスタン地方などにも母系社会は残っていたが、今はほとんど見られなくなっている。モソ族の一家の主は、年長の女性であり、財産のすべては母から娘へと引き継がれていく。母親の血縁をきずなとして守っているのである。

結婚しても男性は女性と一緒に暮らさず、昼は母親のいる実家で暮らし、夜だけ妻の家に行き、朝になるとまた実家に戻るという「通い婚」である。モソ族の女性はみな大きくたくましかった。また性格も非常におおらかで男が浮気をしょうが、まったく意に介さないという。冗談ではあろうが、僕のお腹の大きいのを見て、「そのお腹の子供は私が育てるから生んで・・・・・・」と若い村の娘たちに言われたときには笑いを通り越して一種の感動さえ感じたのである・・・・・・・・・。

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濾古湖は非常に透明度がたかく、肉眼でも11メートルしたの底まで見通せる。深いところは約94メートルあり、中国でも三番目に深い湖だ。朝になると湖畔一面に白い花が咲く。波にゆられて彷徨う姿はなんとも美しい光景であった。その植物の葉も食べられる。前夜に酒の肴に食べてみたがまるで昆布を食べているような食感であった・・・・・・・・。島は5つあるが、うち2つは雲南省側となっている。僕らも夕立の来る気配のする湖に漕ぎ出し、ひとつの島に渡ってみた・・・・・・・・・。

旅の終わりはいつも物悲しいもであるが、烏里君の青春時代の思い出のある大渡河の河畔の町・石綿で一泊し、15日は成都へ11日ぶりに戻った。夕食まで少し時間があったので、諸葛孔明を祀ってある武候伺、劉備が埋葬されている恵陵、漢昭烈廟、それに古い成都の町などを僕が案内した。最後の夕食会は、烏里君の叔母さんをはじめ、兄弟や親戚が大勢集まり大いに盛り上がった。その後、みんなでチベット舞踊と歌の舞台を見に行った。さらに僕は友人のドライバーたちとまた飲みに繰り出したのである・・・・・・・。

翌日はゆっくりとしてお土産などを買い空港に。そこで雲南省の昆明に向かう烏里君と別れて、僕らは上海空港へ向かった。上海で2時間ほどつぶして成田へ。午後9時20分に全員無事帰国することができた。その後、ハプニングもあつたが、それもいまとなっては愉快な思い出となった。この間、撮影した涼山自治州の写真は、来年2月に東京・中国文化センターで開かれる写真展に8人全員が出品することになった・・・・・・。


 

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