写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.853] 2015年9月20日 「丹野章さんを偲び・お別れをする会」(9月16日/東京・アルカディア市ヶ谷)が多くの参会者によってしめやかに執り行なわれた・・・。トークイベント「丹野章の作画精神をめぐって」(禅フォトギャラリー/ゲスト:小松健一&小出彩子)が19日が開かれた~!☆

 

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「丹野章さんを偲び・お別れをする会」の祭壇。遺影は昨年8月、丹野さんが89歳になった記念に銀座で僕が撮影したもの。丹野さんは「僕の一生は、フ~ウテンの寅さんと一緒。旅から旅への人生だったな・・・・・」と言って僕のパナマ帽子を被った・・・・・・。
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偲ぶ会の発起人左から川田喜久治さん、田沼武能さん、細江英公さん。そして日本写真界最長老の芳賀日出男さん。
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9月16日、午後6時15分から献花がはじまった・・・・・・・。
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開会のあいさつは、発起人で公益社団法人日本写真家協会会長の熊切圭介さん。熊切さんは、日大芸術学部の学生の時から約3年間、丹野さんのアシスタントを務めた。言わば写真家・丹野章の一番弟子である。
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弔辞を最初におこなってくれたのは、発起人で日本写真著作権協会会長の田沼武能さん。著作権運動を写真家協会などでともにした思い出などを語った・・・・・・。
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2人目に弔辞を捧げたのは、発起人で、「VIVO」のメンバーである写真家・細江英公さん。「VIVO]時代のさまざまなエピソードしみじみと語った。「若くて好きなことを言っていた僕らの意見に対して、一番年長だった丹野さんが最後はみんなが納得できるようにいつもまとめてくれた。いま、僕らがあるのはあなたのお陰です。ありがとう・・・・・・」という言葉は印象的だった。

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献杯の発声は発起人で、「VIVO」のメンバー、写真家の川田喜久治さん。「VIVO]時代の丹野さんはカッコよくて憧れていたが、その気持ちは死ぬまで続いた」と胸の内を明かした・・・・・・・。川田さん、細江さんにとっては、丹野さんは、8歳年上の先輩だった。
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丹野章さんの長男・丹野真佐志君が、発起人の人たちにあいさつをする(左端)。その隣は熊切圭介さん。
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丹野さんの口癖は「小松君は必ず僕よりも早く死ぬから、僕が葬儀委員長を務めるんだ・・・・・・・」丹野さん最後に約束を違えましたね・・・・・・。
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右から真佐志君の奥様、娘さんと丹野章さんの長女・亜来子さんの娘さん。大学生と中学生だ。
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丹野さんとは長い親交のあった京都の僧侶であり、写真家の大橋紀雄さんと写真家の田頭とみいさん。
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僕の前のご婦人は、「VIVO」のメンバーである奈良原一高さんの奥様・恵子さん。この日は、やはり「VIVO」メンバーであった東松照明さんの夫人・泰子さんもわざわざ沖縄から駆けつけてくれた・・・・。
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丹野章さんは、1982年に発足した「反核・写真運動」の5人の発起人であり、最後まで運営委員をしていた。7月23日には、東京・文京シビックセンターで開催していた「原爆投下70年ー広島・長崎写真展」には、入院先の病院から駆けつけてくれる程の力の入れようだった。この夏刊行した『決定版 広島原爆写真集』、『決定版 長崎原爆写真集』の編者を僕としたフォトジャナーリストの新藤健一さんと。

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司会・進行の大任は発起人でもある僕が仰せつかった。 馴れないことはとりわけ疲れた・・・・・・・。
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丹野さんの思い出を語る公益社団法人日本写真家協会(JPS)名誉会員・芳賀日出男さん。御歳94歳。車椅子から立ち上がって「僕らの写真作品が孫たちへつなげられるようになったのは、写真著作権法の改正に尽力した丹野さんのお陰だ。日本の写真家を代表してありがとうとお礼を言いたい~!!」と大きな声で語った。隣で支えるのは、同協会副会長の松本徳彦さん。

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木村惠一JPS名誉会員。日大芸術学部の後輩として、JPSの後輩として丹野さんからさまざまな事を学んだと語ってくれた・・・・・・。
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齊藤康一JPS名誉会員も丹野さんとのエピソードを語った・・・・・・・。
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祭壇には丹野さんの著書、愛用したカメラをはじめ、お酒、クリスタル製品、など嗜好品。そして若かりし時代のポートレートなどが飾られていた。
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遺族を代表して、長男・真佐志君、次男・多可志君(マイクを待っている)、最後に典子夫人もあいさつをした・・・・・・・。
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「偲ぶ会」への出席者は、のべ200人を超えた。予想をうわまわって大盛会となった・・・。 感謝~!☆
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会場には、丹野章さんの代表作:バレエ、サーカス、音楽家、沖縄の作品20点が展示された。
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閉会のあいさつは、発起人で報道カメラマンの石川文洋さんがした。文洋さんは、数日前にベトナムから帰国したばかり。丹野さんの人柄など遺族に語りかけるように話した・・・・・・。
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丹野さん。安らかにお眠りください・・・・・。 そしてご冥福を心よりお祈りします・・・・・。 合掌

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記録写真、受付、書籍販売、会計など当日手伝ってくれたスタッフと遺族を囲んで、簡単なご苦労さん会を会場近くの居酒屋でおこなった・・・・・・・。右から写真家・眞月美雨さん、画家・美崎太洋さん、写真家・冒険家の烏里烏沙君、写真家ユニオン草創期から丹野さんと一緒に活動して来た写真家・宅島正二さん、大学の客員研究員の遠藤英湖さん。

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名古屋から来てくれた写真家・平元盛親君(左)、写真家・菱山忠浩、塩崎亨の両君。
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発起人を代表して僕と協同組合日本写真家ユニオン理事長の佐藤浩視君(左端)が参加した。右端から、真佐志君の三男・沙音志君。長崎から来てくれた写真家・山崎政幸君、「風通信」編集長・鈴木渉さん。
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丹野さんの長男・真佐志君と。奄美大島の黒糖酒「喜界島」を持ってご機嫌でした・・・・・。
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最後にみんなで、記念撮影。 岡山から参加してくれた写真家の高田昭雄さんは少し前に、帰ってしまった・・・・・・。 (撮影:塩崎亨)
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真佐志君の三男・沙音志君と写真家・眞月美雨さん。 写真展「昭和のこどもーどんな時にも笑顔があった!」(フジフィルムスクエア/9月30日まで)と同会場で11月2日まで開催している「Margaret Bourke- White」展を見に行った。「昭和のこども」の方には、木村伊兵衛、土門拳をはじめ、芳賀日出男さん、田沼武能さん、熊切圭介さん、齊藤康一さんたち19人が出品していた。

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丹野章「昭和馬曲団」オリジナルプリント写真展が9月12日~19日まで、六本木・禅フォトギャラリーで開かれていた。
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写真研究会「風」メンバーの写真家・眞月美雨さんと・・・・・・。
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丹野章さんの著書も販売されていた。

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9月19日、15:00から、禅フォトギャラリーでトークイベント「丹野章の作画精神をめぐって」をゲストに僕と執筆家の小出彩子さん(左)でおこなわれた。
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狭い会場は、多くの参加者でいっぱいに・・・・・・。中央は、著名なデザイナーの宗利淳一さん。
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典子夫人の飛び入り参加で、会場は大いに湧いた・・・・・・・。
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典子夫人をはじめ、参加した家族と親しい関係者とギャラリースタッフのアマンダラさん(中央)。台湾から来た丹野さんの写真の生徒さん(左端)もいた・・・・・・。

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