写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.356] 2011年9月9日 『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』(新潮社)の刊行の報告のため2月末以来の盛岡へ。石川啄木記念館、焼き走り溶岩流など巡り、夜はエッセイストの澤口たまみさんと打ち上げ~☆!! そして今日は、僕の地元の仲間たちが韓国料理のサムゲタンとマッコリをやる会に呼んでくれた・・・・・。

9月7日、新潮社のO編集者とこの2年間かけて7月25日ようやく発売となった『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』の各方面への報告と著者の澤口たまみさんとの打ち上げのために岩手県盛岡市を訪れた。僕にとってはあの東日本大震災前の2月末いらいであった・・・・・・・・・。

 

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盛岡市玉山区渋民からみた姫神山。40年近く通っているがこれほど美しく姫神山が見えたのははじめてかもしれない。黄金の稲穂はたわわに実っていた。
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石川啄木記念館を訪ねたが、あいにく山本玲子学芸員は仙台に出張、館長も留守であった。はじめて来たOさんを少し館内を案内した。展示は愛されて百年企画展第2部「啄木を愛した作家たち」をしていた。11月30日までやっている。与謝野晶子・鉄幹、野村胡堂、立原道造、井上ひさし、渡辺淳一などそれぞれの作家の視点から啄木像に迫っているユニークな企画展示である。北上川畔に建つ啄木の「やはらかに柳あをめる北上の・・・・」の歌碑の公園へも行ってみた。僕は40年程前の冬に独りでこの歌碑を訪れている。青春の想い出がいっぱい詰まった土地である。
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この日も岩手山は、僕らをあたたかく、雄大に迎え入れてくれた。感謝するばかりである・・・・・。合掌
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賢治の詩「溶岩流」の舞台となった焼き走り溶岩流に、高校生たちが来ていた。1731年の噴火の際にできたものだが、いまだ草木も生えない。10メートルの深さでこの石が堆積しているのが原因だという。国の特別天然記念物に指定されている。
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Oさんは「ほんとうに賢治の書いたように鳥のいっぴきさえ見ないですね・・・・」と感嘆の声を上げていた。
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焼き走り溶岩流の一角にできた温泉に浸かる。湯船からは正面に霊峰・岩手冨士の雄姿が見渡せる・・・・・。
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ゆっくりと温泉に浸かったOさんは気持ちよさそうな顔をして「わたし温泉大好き~。ビールが早く飲みたい~」と叫んでいた・・・・・。
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ホテルにチェクインした後、いよいよ今日の最大の目的である澤口たまみさんと合流して打ち上げだ。場所はいつものモリーオの田舎料理「どん兵衛」。『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』を前においてOさん待望の生ビールで乾杯~☆
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宮古漁港から上がったばかりの秋刀魚の刺身、青森の大間の鮪、ホヤなどどれも美味であった。半年振りの大将の佐々木さんが腕をふるって次々に旨い料理を出してくれた。
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9時過ぎに朝日新聞盛岡総局のT記者が駆けつけてくれた。Oさんとは20数年前、同じ出版社にいて先輩・後輩の間柄だった。Oさんは僕の担当編集者だったので、大学卒業して間もない2人とよく連れ立って神楽坂界隈を深夜まで飲み歩いたものである。それぞれ歩む道は異なっても、こうして出合って飲めることは本当にうれしい限りだ。T君は11日投票の岩手県知事選と県議選の取材のため忙しいのに合間をぬって駆けつけてくれたのだ。ありがとう・・・・・・・。
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今回の本の僕との共著の澤口たまみさんと記念写真。T君が撮る。実は20年程前に僕は彼女を「トランベール」という雑誌で取材し、撮影もしている。いまは2人のお母さん。でもとても可愛いが、当時は・・・・・・・。この間、写真を整理していたら賢治が生前に出した『注文の多い料理店』の発行所だった光源社の庭で撮影した彼女の写真が出てきたのだ。ちょつと僕が気取り過ぎているね・・・・・・・。
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「どん兵衛」の大将と女将を囲んで。
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2軒目は、T記者のお薦めのバーへ。まるで曲芸のように瓶などを空中に投げ回してカクテルなどを作って出すイケメンのバーテンダーがいる店で女性の2人には、えらく受けていたのだ。3軒目は僕の好きな南部蕎麦屋で蕎麦湯割りに盛で締めた。時計を見たら午前3時を過ぎていた。疲れましたな・・・・・・・。みな若いさ~。
明日、早朝から三陸海岸の宮古を中心に独りで廻ってこようと思っている・・・・・・。おやすみなさい~☆


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岩手から戻った翌日の9日、地元の「三福きずな寄席」の世話人たちを中心に韓国料理のサムゲタンとマッコリを飲む会に誘ってくれた。山本建設の社長と奥さんを中心にみなお仲間。僕はあんまりこうした地域の人との付き合いをいままでしてこなかったのだが「、きずな寄席」をはじめてからきずなの輪が広がり始めている。数人を除いて知らない人ばかりだったが、とても愉快な宴会だった。僕はこの日は6時から居酒屋・三福で写真集を出した瀬下太刀男さんと2人でささやかな祝う会をしていたのだ。
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参加した女性たちを連写!!寄席の司会をしてくれるRちゃんを除いて知らないひとばかり。でもすぐお友達になってしまったのだ。
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これが朝鮮人参たっぷりのサムゲタン。手のモデルをしていたというネールアーティストのSさんの美しい御手に登場してもらった。
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山本建設の浩社長と地元の小学校からの同級生。右奥が孝子奥様でござ~い。
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2軒目はまた居酒屋・三福に戻った。農業で野菜を作っているというご夫婦。
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Rちゃんと僕の小学校、中学校の同級生のYちゃん。彼女はお孫さんが2人いる”おばあちゃん”なのだが、今は「三福きずな寄席」の世話人兼応援団長をやってくれている。40数年ぶりにこうして同じ町で会って一緒に飲み、語るのは何か不思議な感じがするのだ・・・・・・・。

 

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