小晦日まで3日、いよいよ2018年はあとわずかとなりました。みなさまのご自愛を祈りつつ、幸大かれの新年を迎えられることを心より願っております・・・。 合掌 日本お布施党 党首
岡山・Hさま 倉敷花桜ハム ソーセージ、ベーコンどっさりの詰め合わせ 埼玉・Tさま 筑前煮 埼玉・Fさま 土門拳記念館発行のカレンダー、国宝仏のカレンダー 東京・Iさま 大山行男・富士山カレンダー 東京・Sさま 特製オリジナルカレンダー ◆みなさまありがとうございました~!♡☆
11日間ぶりに四川省の省都・成都市へ戻った。僕が初めて成都を訪れた時には、人口はまだ300万足らずであった。しかし、現在は1.300万人を超える大都市となっている。この旅の締めくくりの夜もまた、美酒・美食・美女を求めて”オジン集団”は、蜀の都でもあった成都の夜を彷徨するのであった・・・・。
烏里烏沙君にも揮毫を頼んだ。彼も酔った勢いで書いていた・・・。烏沙君は、四川芸術大学の油科を卒業した元画家。日本へ留学してからも和光大学の大学院でデザインも学んでいる。
我が友、茂木君は寿司屋で大いに飲み、食べて、はしゃぎ過ぎたのでその場でノックダウン~!☆!☆結局はチベットの舞踊には来なかった。ホテルへ帰って彼の部屋を覗くと寝かしつけたままの姿勢で靴を履いたままだった。きっとこの旅の愉快だったこと、美女たちのことなど夢に見ているのであろう・・・。
明日は茂木君一人で、早朝の飛行機便で帰国することになっていた。ホテルの出発は6時だと思いながら小さな声で「おやすみ・・・」と言いながらシャツターを切った。 (おわり~☆ 駄文とつまらない写真を飽きながらも、目を通していただきありがとうございました) 合掌
ラサでは、茂木陽一君をはじめとしたポタラ宮殿などを取材する6人と、チョンガ寺周辺を1人で取材する僕と、様々な打ち合わせなどに忙殺されて飛び回っていた烏里烏沙君との3つに分かれて行動した。
烏里君は絶対にポタラ宮へは行かないし、僕もすでに何度か入場しているので、入場料8000円も払ってまで入りたくないと思った。そこで烏里君は日本語ができる女性のガイドを探して頼んだのだ。その女性がわずか半日あまりでオジン集団を虜にして、アイドルになってしまった「陽子ちゃん」(左から2人目、その隣の二人は彼女の友だち)なのである~!☆!☆
ラサの長い夜は、この屋台での宴で、ようやく幕を閉じたのだった・・・・。
明日はいよいよ、この旅の最後の夜。劉備玄徳や諸葛亮など三国志の英傑たちが活躍した蜀の都だった成都である・・・・。 (つづく)
6月に行ったチベットへの旅の[番外編]を遅くなりましたがお届けします。今回の旅は、僕と写真家の烏里烏沙君の他に、高校時代の同級生である釣師・茂木陽一君とその友人3人と、僕の知人である写真家2人の計6人が同行した。総勢8人、男ばかりの12日間のドタバタ珍道中であった。
兎にも角にも毎日、昼間からよく呑み、そしてよく食べた。一番若いのは50歳の烏里君。後は60歳代、72歳、76歳が1人づづといういわばオジン集団であるにもかかわらず・・・。心配していた高山病には、ほぼ全員がなったが比較的軽いもので安心した。この番外編~美酒・美食・美女~については前編、後編の2回に分けてお届けする。撮影は全て「シグマDP1」である・・・。合掌
2日目から日本中国友好写真協会のメンバーである写真家の劉海君(中央の帽子)が合流した。この後、チベットの南部にあるシガッエまで一緒に行動した。彼は僕らと別れた後も、カイラス山やウイグル自治区など約15、000kmを単独の車で取材を続けるという。安全を祈る・・・。
部屋で独りでやりながら、愛機のシグマDP1で自写撮りをした・・・・。
いま、中国で最も人気がある「ゴロウエキ」を持つ、烏里君。日本円で2万円以上はする。シガッエ(3850m)の夜、携帯電話を忘れ、運良く見つかったTさんが、ご迷惑をかけたのでと奢ってくれたのだ。明日からはいよいよチベットの都・ラサへ・・・・。 (つづく)
2015年4月、約9000人の犠牲者を出したネパール大地震。その直後に報道写真家・石川梵は被災地に向かった。ヒマラヤの奥地の震源地・ゴルカ郡ラブラック村の現地に立った石川が見たものは・・・・。
悲惨な大地震の被害を乗り越えて、強く生きて行く、家族と人々の絆を感じるあたたかな日常生活。忘れていた人間本来の生き方がそこにはあった・・・・。 約1年間かけて村人たちの日々を丁寧に取材した叙事詩的物語である・・・・。
良い映画を観た帰り道、おつまみとビール、酎ハイを買って、家の近くの毎年夜桜を見に来ている公園で今年も夜桜が拝めた~。月も・・・・。ありがたいことです。 合掌
ギャンツェにある1418年創建のバルコン・チョーデ(白居寺)。本堂に描かれる砂曼陀羅。
ラサの西280Kmにあるシガツェは、標高3900mのチベット第2の街だ。1477年創建のタルシンポ寺の仏塔。
<チベットカム山岳研究会企画No.170608> ~心の旅、未知の旅~
◆ 旅行期間:2017年6月8日(木)~19日(月)12日間
◆ 旅行費用:518.000円(*参加人数によって費用は変わります)
◆ 募集人数:8名(*少人数でも実施します)
◆ 募集締切:2017年3月31日(金)まで
☆ 企画:チベットカム山岳研究会 NPO法人チベット高原初等教育・建設基金会
☆ お申込み・問い合わせ:NPO法人チベット高原初等教育・建設基金会事務所
〒176-0012東京都練馬区豊玉北6-23-11-504
☎&FAX:03-5912-1233 e-mail:wusa@gesamedo.or.jp
http://www.gesanmedo.or/jp
(詳しい内容について知りたい方には、パンフを送ります。また説明会も行います)
※この企画は、NPO法人チベット高原初等教育・建設基金会(ゲーサンメド)の会員によるクラブ行事として実施しており、旅行社が主催したり手配をするものではありません。行先はいづれも通常のツアーでは、ほとんどが行ってない未知の領域です。
僕はもとより、『茂木陽一 世界を釣る』の著者で、世界100ヶ国、300回の遠征記録を持ち、国内の離島の海はほとんど制覇している希代の釣師・茂木陽一さんが参加。旅の中でヤルツァンポ河などで4回釣りの計画を立てています。それに現地生まれで地元の地理に詳しい彜族出身の探検家であり、写真家でもある烏里烏沙君も同行します。すでに6人の参加が決まっています。
ぜひ、みなさん、一緒に愉快な旅を楽しみましょう~!☆!☆ 合掌
ネパールの友人、プリスビー・シュレスタ君と会うのは6年ぶりぐらいになるだろうか。彼は今年で50歳になるというからかれこれ30年近い付き合いとなる。まだ大学生の頃だった気がするが、倅の淳平たちと西ネパールへ一緒にバスの旅をしたことがあった。プリスビーの日本人の奥さんはその頃、まだ高校生で、休みを利用してカトマンズに遊びに来ていた。いまや4人のお母さん、オーガニック、自然食を中心とした人気のレストランも経営している・・・・。
プリスビーは、現在、旅行社を中心に、ホテルやロッジなどを経営しながら、紅茶、コーヒー、蜂蜜などのネパール・ヒマラヤにこだわった製品開発にもこだわっている。今回の来日は、旅行の営業が主であるが、僕にはネパールでの日本人写真家たちによる撮りおろしの写真展の開催を相談に来た。ネパールの美しさ、すばらしさをネパールの人たちに再認識してもらう場にするとともに、外国人観光客にも訴えたいという。会場のことや期日などについても検討することとなった。今秋か、来年の春には実現しようということになった・・・・・。
その後、2月7日~8日の写真研究会「風」の合宿の場所となる飯田橋のホテルを下見。そして夕食を取る店を探した。仕事を終えて同じ「風」の仲間の美雨さんも駆けつけて写真展の前祝いの乾杯をした・・・・。
上州・雨の桑畑(1968)240X290mm シルバーアートプリント(作者サイン・シリアルナンバー入り)
6月8日からその大半は、家にこもり原稿書きをしていた。前日までは、第26回「マリナーズ・アイ」展の総評と入賞作品の作品評を約8000字ほど書き上げていた。その後、格闘していた原稿は何かと言うと『決定版 広島原爆写真集』、『決定版 長崎原爆写真集』(監修:「反核・写真運動」 勉誠出版刊)に載せる写真のキャプションだ。写真枚数は2冊合わせて850点を超える。この作業は正直大変だった。それでも何とか19日には、ほぼ全てが終わり編集部に手渡すことが出来たのである・・・・・・。 やった~!!!! という心境だ。
まだ、まだ編集作業は残っているが、一番大きな山場は越える事ができた。7月20日に刊行予定だ。同時に23日から26日まで東京・文京シビックセンターで写真展も開催される・・・。ご期待ください~!☆
6月20日10時から12時まで。朝霞市立図書館で、「戦後70年 琉球そしてOKINAWAを知るために」というタイトルでスライドを見せながら話をして沖縄の現実を考えてもらうという企画に協力した。前日は塩崎君たちと遅くまで飲んでいたので朝早くからの話はしんどかったが、大勢の市民の皆さんが参加してくれたのでがんばってやりました・・・・・・。 は~い!☆!☆