写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

文学の最近のブログ記事

 

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雪しまく蕾のごとき尼と逢ふ   凍河原水瓶重く少女の背    小松風写

新しい年を迎えましたが、元旦早々能登半島を中心とした北陸地方を襲った大地震が発生しました。お屠蘇を傾け、おせち料理を満喫していた正月気分はいっぺんに吹き飛んでしまったことでしょう。押し寄せる津波、何度も繰り返される大きな余震、「原発銀座」といわれる土地だけに、福島原発事故の不安がよぎる眠れない新年の夜がようやく明けました。しかし、2日も一日中、大きな余震が続いているのが現状です・・・。

昨年は、皆様には何かとお世話様になりました。心から深くお礼を申し上げます。 古稀を過ぎて心身に不安はありますが、歳相応のやり方で精いっぱい精進したいと思っています。皆様のご自愛を切に祈りつつ、新しい年もくれぐれもよろしくお願い申し上げます。
合掌

◆昨年暮れのみなさまのお心使いに対しての御礼をいたしたく、新春ではありますが、ここに記しておきます。  合掌                                      日本お布施党  党首
☆鹿児島・Sさま 活車えび一箱  ☆埼玉・Tさま 泡盛古酒「残波」  ☆埼玉・Iさま 自家製ゆず沢庵、手作り冬野菜など  ☆埼玉・T&Iさま 尾張 松風屋 自然からの贈り物詰め合わせ  ☆こころから感謝いたします 合掌

 

 

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かっては石炭積出量日本一を誇った若松港と隣接する若松駅、当時の面影が残るホームが現存する。その目の前に火野葦平資料館がある。

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火野葦平資料館に展示されている葦平の当時の書斎。河童が好きだった葦平らしく河童の置きものもあった。先年、アフガニスタンで銃撃されて亡くなった日本人医師の中村哲さんは、葦平の妻の妹さんの子ども。書斎の一隅に小さな遺影と花が添えられていた。

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火野葦平旧居「河伯洞」。昭和15年に父金五郎が竣工した当時のままので残っている。大きな板を使った一階の廊下。

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葦平の小説『花と龍』にも登場する金毘羅神社の境内。ここからの眺めは、洞海湾を中心とする北九州市を眼下に一望できる。

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葦平の父・玉井金次郎が仕切っていた玉井組事務所があった直ぐ近くに、弁財天上陸場(ごんぞう小屋)がある。当時の面影を残すふ頭の一部。

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小説『細雪』の舞台となった兵庫県芦屋市にある芦屋市谷崎潤一郎記念館。遺族から寄贈された多数の資料が展示・収蔵されている。

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『細雪』のなかに登場する芦屋川の清流。

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谷崎潤一郎が森田松子と暮らした旧居(後に詩人の富田砕花旧居)跡。谷崎が書斎として使っていた離れが残っている。

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いまでも庭にある谷崎が好んだ灯篭。

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谷崎潤一郎が松子と暮らした「倚松庵」の応接間・食堂から庭を望む。谷崎は昭和11年から18年11月まで、関西移住のなかでは一番長く住んでいた家である。

 

 

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立秋などは等の昔に過ぎたのに、毎日が酷暑、極暑の日々・・・。家の前の畑のスイカは暑さと降水量の少なさにほぼ全滅。みな割れてしまったのだ。(8月下旬の午後4時過ぎ)

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僕と同じ歳の隣人は、サラリーマンを辞めてから農家に前の土地を借りて農業はじめた。最近は本格的な農民になりつつある。暑さが少しは収まった夕暮れ時に畑に出て作業をしていた。(8月下旬)

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8月17日、東京芸術劇場で開かれている第38回日本海洋画展へ行った。今後、8月28日~9月3日まで、兵庫県民会館アートギャラリー。9月14日~19日まで、福岡アジア美術館において巡回展が行われる。 現代日本画壇の海洋画を一堂に集めた見ごたえある絵画展です。ぜひご覧ください(無料)

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スタッフと記念写真~!♡☆ 毎年発行している全作品が納められた画集(目録)撮影を僕が担当している。

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日本海洋画展とマリナーズ・アイ展の事務局を担当している飯田さん(左)と写真家の眞月美雨さん。

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8月18日、皆川靖写真展「房総逍遥 Ⅱ 安房・上総丘陵の四季風光」(ポートレートギャラリー/8月17日~23日)を見る。写真展DMと同時出版した同名の写真集(日本写真企画刊・3300円 税込)。皆川さんは千葉県を中心に写真活動をしている。現在、千葉県写真美術会副会長など。

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近所の居酒屋でブラリと呑む。大学院生のHさんと芝居や表現について語り合う・・・。

写真家・眞月美雨さんとは、9月28日から10月4日まで新宿御苑前のアイデムフォトギャラリー・シリウスで開かれる、「風」創立15周年記念展に出品する作品などの事など語り合った・・・。
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少々ご機嫌な僕でした・・・。近年は呑むと直ぐに眠たくなるので、あまり外では呑まない・・・。

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こんなことが実際にあるのか、というぐらい偶然の再会であった。この日、僕は創業70周年となる池袋の沖縄料理の店・みやらびへ久しぶりに顔を出した。友人の画家・美崎大洋さんを誘ったが生憎、体調が悪いらしく断られたので独りで店に入った。珍しく混んでいたのでカウンターへ腰かけてオリオンビールを呑み始めた。そこへ店の幸ちゃんが電話を持って、いま、重松さんから電話でこれから沖縄そばを食べにくるという。しかし、この日は汁が一切なく、麺類は出来ませんと伝えたという。重松さんは諦めて電話を切ろうとしたときに、いま写真家の小松さんが来ましたと告げると、えっ小松さん、懐かしいからちょと顔を出す。と言うのだ。(左から重松さん、琉球舞踊家の陽子さん、僕)

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あの忙しい売れっ子作家の重松清さんが、来ないでしょうと半信半疑でいると5分足らずで本当に顔を出したのである。銀座にこれから呑みに行くのでほんのちょとだけですと言ってまずは12年ぶりとなる再会に乾杯をした。東日本大震災直後の2011年7月25日、新潮社から刊行された『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』のサハリン・ウラジオストック取材やそのあとの打ち上げ以来だったのである。重松さんと陽子ネェネェ~。

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2年前までは沖縄藝術大学で、島唄や三線などを学んでいた美海ちゃん。みやらびの女将となるべく、いま修業中。功子現3代目女将の孫にあたるのだ。重松さん、何卒ごひいきに・・・。

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左から功子女将、重松さん、陽子ネェネェ~、そして僕・・・。展示された写真は、この店の2代目女将の夫だった写真家・石川文洋さんの作品。右から2点目は僕の作品。功子さんの舞台をを撮影したものだ。もうかれこれ40数年通っている店だ。

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みやらびには、昭和の文壇作家をはじめ、画家、俳優など文化人が揮毫した色紙が100枚以上ある。飾ってあるのはその一部だ。佐藤春夫、檀一雄、新田次郎、山下清、山田五十鈴などなど。基本的には鬼籍入った方々を展示しているが、特例に重松さんの色紙は飾ってある。ファンが多いそうだ。
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サハリン取材は毎日が愉快だったと思い出話は弾んだ。毎夜、毎夜呑み歩いた。同行した編集者も呼んで会をやろうと盛り上がったのだ。12年も会っていなかったとは思えなかった。僕の母が亡くなったことをはじめ、近況など詳しく知っているのに驚いていると、僕のブログに目を通しているという。「えっ!!」と声をあげると「僕は小松さんのブログを世界で一番読んでいる読者だと思うよ・・・」と言うのだ。僕はとてもうれしかった。書いてきてよかったと思った。まもなく初めて2500回になるが、時々何のためにこんなことをしているのか、と疑問におもったこともあった。でも、重松さんの一言でこれからも続けていこうと決意をしたのである・・・。 合掌

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家の前の駐車場から夏雲を望む(2023年8月15日)。

 

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1月10日、今月末に長崎に移転するという千代田路子さんの新たな旅立ちを励ますささやかな会を行った。千代田さんと親しい写真家の眞月美雨さんが参加してくれた。

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千代田さんが好きだというイタリアンのレストランで、ワインで乾杯した~!♡☆

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利用している最寄り駅が同じなので、近くの店のランチタイムを利用した。2時間半ほどこれからの写真活動のことをはじめ、本人曰く「冒険旅」のような新天地での抱負など聞き、話し合った。僕と千代田さんとの付き合いは、タムロン時代からだからもう20年は経つ。4年間ほど写真研究塾「風」の同人として活躍した時期もあった・・・。

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1月12日、品川にあるキャノンギャラリーSへ行った。船尾修さんの写真展を見に行ったのだ。

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写真を親切に撮影してくれたキャノンマーケティングのMさん。お礼に写真を撮った。ありがとう☆

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品川のキャノンギャラリーSオープンギャラリーで開催していた山田悠大写真展「JAPAN ISM」、2022年度「フォトコン月例コンテスト入賞作品選抜展」を見た。両展とも2月14日まで。

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その足で、銀座にあるソニーイメージングギャラリーへと回る。いま、超活躍中の山口規子さんの銀塩オリジナルプリントの作品展を見るためだ。左から写真家・清水哲朗さん、(株)ニコンイメージングジャパン代表取締役社長の上村公人さん、山口規子さん、そして僕・・・。たまたま会場で会ったので、記念写真を撮った。

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会場にはひっきりなしに入場者が入っていた。

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清水君と規子さん。相性がいいのかな・・・。清水君は今月後半から極寒のモンゴルへまた取材に行くという。新進気鋭の写真家としていま期待されている一人だ。

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2002年に東欧を中心に一人で1か月間取材した作品。全てモノクロームフィルムで撮影したものを銀塩バラ板印画紙で、自らプリントした37点を展示している。 機材はローライコードとライカM6。

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規子さんと僕。公益財団法人日本写真家協会の常務理事を務めながら、写真家として創作活動を続けている彼女の姿勢には共感するものがある。がんばってほしいと願わずにはいられない・・・。

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会場を出ると外はすっかりと日が暮れていた・・・。冬至は過ぎたもののまだ日が落ちるのは早い。

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銀座三越前のライオン君も新型コロナウイルス感染対策か、しっかりとマスクをしていた。

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帰りは無性にホルモン焼きが食べたくなったので、最寄り駅前で40年以上通っている店に顔をだした。写真家の眞月美雨さんも合流した。

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七輪で炭を熾して焼くのがいい。付け汁も50年間付け足してきたもの、先代の在日のおばーちゃんの味が残っている。

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ホルモン焼きにはホッピーが良く似合う。民衆の味だ・・・。久しぶりにたくさん食べた~!!

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1月13日は「写真集団・上福岡」の例会があった。写真を撮り忘れてしまった・・・。

そして14日は「一滴(しずく)俳句会」同人で、昨年亡くなられた豊田瑞穂さんを偲び、彼女が所属していた祐正社が書展を開催されたので、同人有志で見に行った。正面が瑞穂さんのお姉さんと妹さん。その後ろの二人が瑞穂さんの長男と長女。左端が祐正社代表の白石東苑さん。

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会場風景。作品はすべて豊田さんの歌集『吐魯番の空』に収められた歌をテーマにしている。

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豊田さんが在りし日に僕の「三国志の風景」の作品に彼女が書を寄せてくれたもの。右は立川志遊の真打昇進披露落語会の案内状に豊田さんが揮毫してくれたもの。また、上州の草津温泉などの観光地で売っている羊羹の文字を書いてもらったこともあった。知り合いの社長に頼まれたのだ。

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僕をふくめて10人が参加した。いまは退会した福島(佐川盟子さん)、埼玉(小平春草さん)の遠方から参加してくれた。

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書道展を見たあと、小雨が降る中、2キロほど離れた所にある江戸川区の真福寺へ墓参に出かけた。墓の正面にあるのは豊田さん出身の地元の中学校、ここで教鞭もとったという。

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お世話になりました、安らかにお眠りください・・・。共にした中国奥地の少数民族を訪ねる旅は楽しかったですね。忘れられない豊田さんとの思い出です・・・ 合掌

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最後に板見耕人「一滴俳句会」代表がお焼香をした・・・。

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久しぶりに会った佐川盟子さん(右)。現在は福島を中心に俳句活動をしているという。

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岩田溢平同人が仕事のため墓参のあと帰ったが、他は全員が残り、豊田瑞穂さんを偲び献杯をした。楽しい2時間余りはあっという間に過ぎてしまった。 雨のなかお互いの自愛と再会を誓って、それぞれの帰路に分かれたのである・・・ 合掌

 

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今週はめずらしく3日間連続で外出した。あまりこうしたことは無いので疲れた・・・。20日はもう257回目となる「一滴句会」に参加。選者の中原道夫さんも参加して句会の後、3年ぶりの忘年懇親会を開いた。今年亡くなられた豊田瑞穂さんを偲んで献杯をした。久しぶりに会計を担当している栗原けいこさんが元気なお姿で見えられほっとした。僕もふくめてだが、みな歳を重ねた・・・。

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「アサヒカメラ」元編集長でジャーナリストの岩田溢平さん、写真家の木下修、京セラの元部長をしていた青木青眠さん。

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前回から入会した土田社会さん(左奥)。本職はシャンソン歌手。来年2月5日、神楽坂ポン・ボヤージュでソロコンサートを開く。手前は写真家で女流棋士でもある笠原亜紀さん。

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2年ぶりくらいに参加した栗原けいこさん(左奥)。元フォトコンテスト編集長で「一滴会」の代表を現在している板見耕人さん(手前)その隣は前リコーイメージングの池永一生さん。

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づけ刺身を撮る俳人の中原道夫さん。中原さんの隣は、青野はつ音さん。

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新橋駅前のビルにあるよく行く店の前で記念写真を撮る。僕もふくめて13人の出席で久しぶりに盛り上がった。創立より代表だった岡井耀毅さんがお元気でいた頃を彷彿とさせる楽しかった師走の夜だった・・・。

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257回「一滴句会」中原道夫選で小松風写の俳句が3句入選した。(写真は銀座・並木通りにある資生堂本社)

・高野山しまきの中に鎮もれり  風写  ・仏名会来し方を問ふ燭の前  風写  ・寒行や尼僧    の香に擦れ違ふ  風写

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3年ぶりに銀座のクラブに顔をだした。米寿を迎えた女将もお元気にコロナ禍を乗り越えてお店をオープンしていた。うれしかった・・・。

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地元銀座界隈で老舗の質屋さんの主、宝海さん。90歳前だがお元気だ・・・。

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俳人・中原道夫さんは何をしてもプロ級の腕前。もちろん歌をうたっても上手い・・・。

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この店のちいママ・まりちゃんは、宝海さんのお気に入り。

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リコーイメージングスクエアを長年担当していた写真プロデューサーの池永一生さん。

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写真家の木下修さん。矢沢永吉のヒット曲を熱唱したのには驚いた・・・。

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左から元モデルで歌手だった片桐うららさん、中原道夫先生に、小松風写でした。中原さんとはすでに30年余の付き合いになる・・・。

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21日、「写真集団・上福岡」12月例会。第40回記念写真展が2023年2月22日~26日まで富士見市民文化会館 キラリ☆ふじみで開催が決定している。

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写真展の案内状(DM)も出来上がり、いよいよ本番に向けての最終段へ突入した。DMを持つ一瀬邦子事務局長。

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例会が終了後、ささやかな忘年懇親会を近くで開いた。

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望年会が終わったあと、僕は独りで最寄り駅前の蕎麦屋へ。この蕎麦屋は開店以来の僕が常連の店。この日、約一年ぶりに日本酒を一杯呑んだ。地元埼玉の酒「神亀」だ。なかなか美味い酒ではあったが、さすがに酔いが回った・・・。

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写真家・西野嘉憲さん。沖縄の石垣に現在は暮らしている。石垣島の漁師と奥飛騨地方の熊を追う猟師たちを追った迫真のドキュメンタリー作品だ。

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池袋・東京芸術劇場で出版のことで打ち合わせをした千葉の銚子から来たアッサン水谷さん(左)。イスラム教徒になり400日余り取材をした「サハラ放浪」(仮題)を来春出版予定だ。西野君、僕。

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西野君は大阪富田林市の出身だという。第4回笹本恒子写真賞受賞者の渋谷敦志君にしても今回の西野君にしても一番油の乗っている年齢。写真のテーマ性も大きいし、表現もストレートでよろしい。今後に期待する新進気鋭の注目の写真家である。

☆いよいよ2022年もあとわずか、みなさまにおかれましては師走の寒波のなか、お元気にお過ごしのことと察しています。心のこもったお歳暮が届きました。ありがとうございます・・・ 合掌

日本お布施党  党首

☆埼玉・Nさま 秩父のウイスキー・イチローズモルト&グレンワールドブレンデットウイスキー2本 自宅庭で採れたゆずたくさん   ☆東京・Nさま 芋焼酎・黒霧島1本  ☆鹿児島・Sさま 天草の活き車エビ420グラム(13尾)  ◆本当に感謝申し上げます

 

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10月25日の句会は、2か月ぶりの体面によるリアル句会であった。講師である中原道夫さんが出席しない句会は、コロナ禍の時通りオンライン句会でおこない、講師が参加するときには、以前の通り新橋で句会をするとことに、この夏からなった。参加者は投句のみの人とも含めて13人だった。

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俳人・「銀化」主宰の中原道夫さん。「一滴」句会の講師を頼んでからもう10年ほどになる。投句を一つ一つ絶妙な語り口で講評していく。この日の朝、新潟から来たと言う。超忙しい俳人である。

<小松風写 句>

ウクライナ戦地の釣瓶落としかな (入選・2点)  うそ寒やユーミンの曲つけしまま (3点)      メルカリや歓喜不平の虫の音  (2点)

◆相変わらずの駄句ぞろいでお恥ずかしい限りではあるが、一応記録として記しておく。

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突出し

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この料理は、僕らが頼んだのではありませんので・・・。隣の席の人たち、ちょと撮らしてもらったのである。ごめんなさい~!

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会場近くのよく行く小料理屋で、希望者8人が参加して懇親会をした。記念写真を撮る前に元アサヒカメラ編集長の岩田溢平さんが用事で帰った。右から会代表の板見耕人さん、4人目が中原道夫さん、僕の隣がこの日入会した大村社会さん。以前、僕が同人をしていた「獐」の会員だった。

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一次会が終わったあと、中原先生と3人でもう一軒ということで駅前のバーに入った。最寄り駅に着いたらまだ9時過ぎだったので、いつもの鮨屋で軽くつまんで帰宅した。この日は珍しく三軒のハシゴ酒だった。家に帰ってから寝酒をしたのは言うまでもない・・・。

 

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神戸市元町南京街の夜。隣の長田区の山陽電機鉄道本社ビル前には椎名麟三の文学碑がある。椎名はかって山陽電鉄に勤めていた。その時の体験が代表作『美しい女』を生んでいる。碑文には「考えてみれば人間の自由が僕の一生の課題であるらしい」と刻まれている。

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神戸を代表する風景のひとつ日本三大中華街(南京街)

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神戸港

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神戸港・メリケンパーク。阪神淡路大震災の遺構として一部が遺してある。

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黄昏る播州平野・姫路市街。山陽新幹線が走り抜ける

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民族学者の柳田國男は兵庫県神崎郡福崎町西田原に1875(明治8)年に生まれる。柳田が「私の家は日本一小さい」と言った生家。県指定重要文化財として1972(昭和47)年に指定されて西田原に現存している。

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家は間口5間、奥行き4間。土間、3畳間と4畳半の座敷、4畳半の納戸、3畳の台所という「田の字型」民家。日本民家の原初形態、江戸期の農家の代表的な形態である。

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河童の河太郎と河次郎の物語が語り継がれている柳田國男の生家前の池。

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柳田國男と松岡家記念館。松岡家の5兄弟を顕彰した記念館の一室。6男の柳田をはじめ、それぞれの兄弟が各分野で活躍し英才であった。

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『古寺巡礼』や『風土』などの著書で知られる哲学者・和辻哲郎は1989(明治22)年に兵庫県神崎郡砥堀村仁豊野の医家の次男として生まれた。幼少期の頃、和辻が村の子どもたちとよく遊んだ市川の流れ。左側の山は甲山。

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作家の椎名麟三は、兵庫県飾磨郡曾左村之内書写村に1911(大正元)年に生まれた。現在の姫路市書写東坂。西国三十三霊場の第二十七番札所・園教寺が山腹にある書写山の山麓の村であった。園教寺の摩尼殿へ向かう塀。

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樹齢約700年の巨大杉。樹高35m、幹回り8.4mほどある御神木と参道。

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室町時代に創建された食堂(じきどう)。現在は1階は写経道場となっている。国指定重要文化財。

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室町中期に創建された大講堂。園教寺の本堂にあたる。本尊の釈迦三尊像が安置されている。国指定重要文化財。

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庭の左側に常行堂があり、三つの堂がコの字型になっている。それぞれが国指定重要文化財である。

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大講堂の正面。この地はトムクルーズが主演した映画「ラストサムライ」や「関ケ原」、大河ドラマ「軍司官兵衛」などをはじめ多くの映画・ドラマのロケ地となっている場所でもある。

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うっそうとした樹木に覆われる参道。

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崖側の参道からの眺め。

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岩山の中腹に建つ舞台造りの摩尼殿から。京都の清水寺と同じ造りだ。国指定重要文化財。

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書写山園教寺の境内にある椎名麟三文学碑。この地に生まれ、深く故郷を愛したことによるもの。書は親交のあった岡本太郎による。

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書写山から山麓の書写東坂方面を望む。

 

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8月23日、新橋において第253回「一滴(しずく)句会」のリアル句会が3年ぶりに行われた。新型コロナウイルス感染拡大で、ここしばらくはネット上での句会だった。この間に創立同人だった人が亡くなったり、創立同人で会の中心的な人たちが病気などで退会したり、ずいぶんと様変わりしていた・・・。それでも俳人の中原道夫講師をふくめて11人が参加し、投句だけの参加は2人、合わせて13人だった。 以下の僕の2句が中原道夫選の入選句として選ばれた。

・泡盛干す二〇二二年五月十五日  風写    ・パナマ帽被る沖縄復帰の日  風写

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句会終了後、有志8人で本当に久しぶりに呑み会へ繰り出した。最初に今年お亡くなりになった同人・豊田瑞穂さんを偲んで献杯をした・・・。

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以前にはよく通った魚が旨い新橋駅前の飲み屋街にある居酒屋へ行った。

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俳句甲子園の審査で前日、松山から戻ったばかりの俳人・中原道夫さんと同人の片桐うららさん。

僕が「一滴」句会の選者としてお願いしてから、かれこれ10年以上が過ぎた。長い間、指導を仰いできたことになる。思い返せば俳人の伊丹三樹彦さんからはじまり、松井牧歌さん、正木ゆう子さん、池田澄子さんと引き継いできた。創立より代表としてこの会を牽引してきた岡井輝生さんもすでにいない・・・。 合掌

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記念文学館のロビー。

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写真展のチラシの表裏。

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会場風景。日本中の名詩ゆかりの地を10数年にわたり訪ね、詩人の鋭い眼と感性で切り撮った写真と紀行文が展示されている。また実際に伊藤さんが使用したカメラ、撮影したネガフィルムなども展示してあり興味深い。

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会場入り口のロビーに設けられた僕の著書コーナー。上下や縦横反対など上手く画像処理が出来なく見苦しくてすみません(写真は全て記念館の提供)。

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2月5日(土)午後2時から、群馬県にも新型コロナウイルス感染の蔓延防止重点措置が発生されている中、僕の記念講演会が開かれた。参加者は殆んどいないだろうと思っていたが、60人を超える人が参加してくれた。遠く横浜から伊藤信吉さんの長子・憲吉さんとお孫さんにあたる娘さんも参加してくれてうれしかった。僕が手間が悪いので予定の時間を30分もオーバーしてしまい失礼した。でも最後まで一人も席を立たずに聞いてくれたことには深く感謝したい・・・。 合掌

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◆小松健一講演「写真家の心 詩人の眼ー伊藤信吉さんのこと」がYouTubeで見られます。https://tsuluos.jp/single.cgi?id=2456 か「群馬県立土屋文明記念館 小松健一」でも直ぐに出てきます。伊藤さんとの出会いや思いでの他に、ヒマラヤ、沖縄で撮影した作品とその時のエピソードなども語っています。約2時間。ぜひ、ご覧ください~!♡☆

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当日、出席予約をしていたにも係わらず、多くの方々がコロナ禍のなかで参加出来なかった。その人たちのためにもと館の計らいでYouTubeで放映することになった。ぜひ、見てください。話はダラダラですが、内容は面白いですよ。画像も信吉さんの故郷・上州をはじめヒマラヤなどたくさん見ることができます・・・。

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同展覧会の図録・パンフレット(A4サイズ26ページ)の表紙と本文ページを紹介。詩人であり評論家の伊藤信吉を知るうえで興味深い内容にまとめられている。

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伊藤さんの撮影した写真の一部。、彼は生前に新宿などで何度か写真展を開催している。僕によく「写真家の濱谷浩さんが、伊藤さんの写真は良いよと褒めてくれてね・・・」とうれしそうに言っていた。僕との約束は、伊藤さんの撮影したネガを見直し、新たに写真展を開くこと。もう一つは二人で樺太(現サハリン)に撮影取材に行くことであった・・・。

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同写真展のチラシの表・裏面。他にB全版のポスターもある。

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伊藤さんは、1906(明治39)年生まれ。亡くなったのが96歳なので、現在ご存命だとすれば116歳となる。考えてみると僕とは47歳離れていることになる。そんな僕が20代の頃から付き合ってくれたのだから、信じられない・・・。

伊藤さんの周りには、萩原朔太郎、高村光太郎、室生犀星、草野心平、小林多喜二、中野重治、堀辰雄、島崎藤村、三好達治、小林秀雄、川端康成、亀井勝一郎、柳田国男、宮本百合子などなど昭和文壇を彩った作家たちが綺羅星のようにいたのだから。同郷のよしみと言うことだけで、僕みたいな青二才と40年余りをお付き合いしてくれたのだから改めて感謝したい。 

会えば文学の話や写真の話、時には酒席に場を移して。カラオケや鮨屋にも連れて行ってもらった。また、僕の赤坂プリンスホテルでの出版記念パーティにも参加してくれた。だからこの講演の話が同館からあった時には、二つ返事で引き受けた。伊藤さんに少しでも恩返しをすることが出来ればと思ったのである・・・。   合掌

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僕が主宰する写真研究塾「風」の元同人であり、第10回飯田市藤本四八写真賞の受賞者である名古屋市在住の写真家・平元盛親君が、年始代わりに送って来てくれた書画である。本人にも許可を得てここに紹介する。彼は写真はもちろんだが、近年はこうした画と書を組み合わせた作品を精力的に描いている。僕もSNS上で数点の作品を見てその感性に驚いたことがあった。すぐさまその感想を平元君に電話で告げると、毎日毎日、約10作品程度は書き続けているという精進ぶりであった・・・。

それにしても来年は古希を迎える我身にせよ、ずいぶんと歳を重ねたものだとつくづく平元君が描いてくれたこの画を見て思った。普段ほとんど鏡など見ない生活だから自分の顔立ちなど気にしたことは無い。何となく昔のままだと勝手に思い込んでいるのだ。しかし、目の下の隈、シミ、小皺など確実に老けているのである。気持ちだけは30代と思い込んではいるものの、やはり来る歳波には抗えそうもないと平元画伯の絵画をみてつくづくと悟った次第。 ありがとうね・・・。 合掌

 

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