写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.2331] 2021年10月10日 中谷吉隆フォト俳句作品展「回り舞台」、石川武志写真展「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」(リコーイメージングスクエア東京/25日まで)をじっくりと観る。リコーイメージングスクエア(株)との打ち合わせも出来た・・・。

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ようやく、リコーイメージングスクエア東京で開催している中谷吉隆フォト俳句作品展「回り舞台」に来れた。まずは中谷さん(左)と会場にいた前キャノンマーケティング(株)プロフェッショナル担当の川名廣義さんをパチリ~!☆

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永井荷風こそが「フォト俳句のさきがけである」と来場者に荷風の著書を紹介しながら熱心に説明する中谷さん。会場に置いてある「中谷吉隆(俳号・龍子)のフォト俳句~写真と俳句のコラボレーションの楽しみ~」が蘊蓄があり興味深く読める。ぜひ、ご一読を・・・。

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作品は80数点並んでいる。その中の3点を紹介(横になってしまいすみません)。俳句と写真はもちろん、書も本人が手掛けている。額や和紙の選定、デザインなどもふくめて全て手作りだという。

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帰ろうとしたら「小松ちゃん、ちょつと待って俺もユージン・スミスを撮っているんだ。見てよ」と数枚の写真を鞄の中から取り出し見せてくれた・・・。

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最初の一枚目は、ユージンス・ミスとアイリーン夫妻に土門拳さんと当時、JPSの会長だった渡辺義雄さんだ。1974年の撮影。僕がこれは麹町の土門さんの家ですねというと「行ったことあるの?そうだよ。ユージンが土門さんに会いたいと言うので、渡辺会長がお連れしたんだ。土門さんが左手で4本指を立てているのは、俺は4回倒れても生き返っているんだと話している・・・」僕も土門さんの事務所兼自宅には何度かお邪魔していた。それにしても貴重な写真だ。中谷さんは当時JPSの広報担当でもしていたのか?それとも東京新聞の写真部員として、このビックチャンスに立ち会ったのか?

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もう一枚は、ユージンス・ミスとアイリーン夫妻に吉岡功さん(右)。この写真は沖縄復帰闘争のさなか、1971年11月に起きたゼネスト取材中、火炎瓶によって警察官が亡くなるという痛ましい事件がおきた。その現場に居合わせた吉岡さんが撮影した写真が、その後、「殺人及び公務執行妨害」の容疑をかけられて、家宅捜索をされ、そのネガを押収されるという事件がおきた。これを知った沖縄をはじめ、全国の写真家、作家、メディアなどが「表現の自由を奪うな!」と立ち上がったのだ。民事訴訟の証人として写真家の立場から証言台に立ったのがユージン・スミスだった。この写真も貴重な記録である・・・。

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石川武志写真展会場(縦位置になってすみません)

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写真家・石川武志さん。渋みのあるいい顔になったと思う・・・。

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中谷さんにユージンスミスの貴重な写真を見せてもらった後、石川武志写真展「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」を観た。彼がユージンの助手として水俣で同居していた1971年~1974年の約3年間に撮影した作品31点である。プリントもオリジナルゼラチンシルバープリントで美しい。会場はひっきりなしの鑑賞者でいっぱいだった。公益財団法人日本写真家協会副会長、日本旅行写真家協会会長の山口勝廣さんと。

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僕にも入ってというので。 山口さんとはJPS理事になる前からだから、すでに40年ほどの付き合いなる。そもそもJPSの入会時のぼくの推薦・保証人の一人が山口さんで、もう一人が土門拳、藤本四八、渡辺義雄さんたちと盟友だった田村茂先生だった。石川さんとの付き合いもかれこれ30年は経つ。お互いによい歳になったものだとつくづく思う。こころよりご自愛を祈るばかりだ・・・・。     合掌

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