写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.2330] 2021年10月7日 米軍統治下の沖縄で、唯一苛烈な弾圧を恐れず不屈に闘った沖縄民衆のヒーロー・瀬長亀次郎さんの命日(10月5日)に、ドキュメンタリー映画「アメリカが最も恐れた沖縄の男ー瀬長亀次郎の一生涯」を観た・・・。

昨日、10月5日は「アメリカが最も恐れた沖縄の男」瀬長亀次郎さんの20回目の命日だった。2001年の10月5日に94歳で惜しまれて亡くなった。この日に僕はドキュメンタリー映画「アメリカが最も恐れた沖縄の男ー瀬長亀次郎の一生涯」(監督:佐古忠彦)を観た。追悼をこめて泡盛を独り傾けながら・・・。 米軍統治下の沖縄で唯一苛烈な弾圧を恐れずに、民衆の立場に立って「米軍にNO~!!」を叫び、不屈の精神で立ち向かい続けた御万人のヒーローの生涯を克明に追った秀作のドキュメンタリーだった。

来年、2022年5月15日が沖縄が本土に復帰した日だ。実は50年前のこの日、僕は富士重工の直営販売店に勤めていて、お客さんに納品する車を運転をしていた。ラジオから流れる初代沖縄県知事になった屋良朝苗さんの演説を聞いていた。前日遅くまで起きていたために、目的地まであとわずかという地点で居眠り事故を起こしてしまった。幸いなことに国道の左側の石垣に追突しながら登り上げ一回転して、屋根が潰れて平になるほどの衝撃を受けたが、対向車や人はいなく、少し手前にあった商店にも突っ込まずに済んだのだ。

車がスバル1100だったために、気が付いたら僕は床に横たわっていて、かすり傷も負わなかった。前輪駆動だったために床が平だったことが大けがにならずに済んだのだ。何とか後部に移り、割れていたフロントガラスから外に這い出ることができた。すぐに商店の電話を借りて会社に連絡、レッカー車を頼んだ。僕はその間、国道の交通整理をしていた。集まった人たちは「運転していた人は死んだか大怪我だろうね・・・」と口々に言っていた。急いできたレッカー車に引っ繰り返してもらい、そのまま牽引してもらった。結局は警察沙汰にもならず、ことは済んだが、会社が病院へ行き精密検査をした方が良いと言うことで行ったらそのまま入院。確か1週間ほどいたが何も治療をしないので、さっさと退院してきた。その後、他の大きな病院で再検査をしたが何も異常はなかった。僕の苦く忘れられない沖縄の本土復帰の日のエピソードではある・・・・。

あれから50年の歳月が流れた。僕はこのうちの約40年間、沖縄に通い取材を続けてきた。いまその記録をまとめようと思っている。本の出版と同時に沖縄の那覇、名護と東京、大阪、そして故郷の上州・前橋で写真展の巡回展を予定している。いま、作品を少しづつではあるが探し始め、ネガの整理もしつつある。今回、1980年代に昼飯に入った那覇の食堂で、偶然に出会った瀬長亀次郎さんを撮った写真が出て来た。僕が「撮らしてもらってもいいですか」と聞いたらニッコリ笑っていいよと言ってくれた。でもカメラを覗いたらもう「不屈の男」の顔になっていた。見つかった作品の何点かをここに紹介する~!♡☆

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☆中央で右手を上げている人が瀬長亀次郎さんです。

ここに紹介した写真は、僕が最近購入したスマホで、プリント作品を複写したもの。大きくと思い、みな横位置にして撮影したら、どうしてもひっくり返しの写真になってしまいました。すみません。縦位置の写真は通常通りですが、横位置の写真はすみませんが、体を横にして見てください。よろしくお願いします・・・。 合掌

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