写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2021年10月アーカイブ

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公文君の写真展を見るのは久しぶりだった。今回は昨年出版した同名の写真集からの作品を展示したもの。プリントを売るのが目的のギャラリーだという。キャビネ版カラーで8.8000円の価格が付いていた。僕が最初に見たネパールを撮影した頃とは、彼の写真表現が大分異なるように感じた。

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写真甲子園というコンテストで3年連続グランプリを受賞しているという女性と公文君。ギャラリーの前で。

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僕の息子よりも若い公文君だが、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いである。僕の写真集『雲上の神々ームスタン・ドルパ』(青冬社)を見て感動してネパールの旅をはじめたと言っていた若い頃が懐かしい・・・。

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来よう来ようと思っていたが、遠方でコロナ禍もあり、なかなか足が向かなかったが、いよいよ終盤に近くなったので思い切って出かけたのだ。会場が閉まる30分前だったが入場者はひっきりなしであった。ギャラリーE&Mで。

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質問する人に一つ一つ丁寧に応える桑原史成さん(右端)、右から奥さま、ギャラリーのオーナーであり写真家の竹内英介さん。 

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史成さんご夫婦の写真を撮った。いつも史成さんは照れ屋なので、カメラを向けると表情が緩んでしまう。それで僕は「史成さん真面目な顔して~!」と言いながらシャツターを切ったのだ。少しはましなポートレートが撮れたかな・・・。奥さまは相変わらず、いつもお美しい。

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史成さんと初めて会ったのは、僕が20代前半の頃。もう50年近くになる。1974年5月に創設した現代写真研究所の一期生ととして僕は本科2年生に入所した(同期には写真家の藤田庄一、森住卓などがいた)。2年間は若き日の樋口健二さんと竹内敏信さんに担当のカウンセラーとして面倒を見てもらっていた。その上のクラスの研究科の担当カウンセラーが英伸三さんだった。桑原さんは英さんとは、写真学校が同期で歳も同じと言うこともあり、仲が良くて何かと言うと来ていたのだ。その頃の2人は、ドキュメンタリーのバリバリの若手売れっ子写真家だった。僕らの憧れでもあった・・・。

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今回の写真展を観て、つくづくと史成さんが口にしている「写真の命は記録性だ」と言う言葉がいかに大切かを感じさせられた。実は僕も30代後半の頃、史成さんの水俣の写真に刺激されて水俣へ何度か通った。5~6回だろうか。時には患者さんも訪問して取材させてもらった。だが、美しい水俣の風景だけを集めて「よみがえれ故郷・不知火の海」をテーマとした写真スケッチ集『水俣ーこころの風景』を5、000部制作した。

そこには「水俣病」のことは一字も入れなかったが、僕のこころのなかでは、もちろんそのことは大きなテーマとしてあった。しかし、商店街のおばちゃんに「あんたらが水俣の海は汚い、水俣は病気の町だとみんなに知らせたんだ」と言われた時には返す言葉がなかった。また居酒屋でチッソで働く労働者たちが肩身の小さい思いで呑んでいることを知った。そして決定的だったのは「大阪に嫁に行った娘が、もう水俣からと書いたミカンもなにも送らんでくれ~」と言われたと農家のお母さんに涙声で言われたことだった・・・。

水俣の歴史は古く、太古の昔から人々はこの土地で暮らし、不知火の海は豊穣だった。温暖な気候で、ゆったりとして眠りたくなるような風光明媚な土地である。僕はそこだけを撮影し、15点の写真に絞った。友人の詩も入れた。誰もが胸を張って水俣は良いとこじゃろと言えるような「写真はがき」を作ろうと思ったのだ。どうせ売れないだろうと自腹で作ったものの印刷代の支払いなど不安だったが、いざ、刊行するとラジオ番組に出演したり、新聞や週刊誌も取材し、紹介してくれた。地元でも「水俣病」の運動に賛成する人も、反対する人も、中立の人ともみな、喜んで買ってくれた。熊本の弁護士会の先生たちも大量に購入してくれた・・・。そしで気が付けば5、000部はあっという間に売り切れてしまっていた。僕の手元には今はもう無い・・・。

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ようやく、リコーイメージングスクエア東京で開催している中谷吉隆フォト俳句作品展「回り舞台」に来れた。まずは中谷さん(左)と会場にいた前キャノンマーケティング(株)プロフェッショナル担当の川名廣義さんをパチリ~!☆

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永井荷風こそが「フォト俳句のさきがけである」と来場者に荷風の著書を紹介しながら熱心に説明する中谷さん。会場に置いてある「中谷吉隆(俳号・龍子)のフォト俳句~写真と俳句のコラボレーションの楽しみ~」が蘊蓄があり興味深く読める。ぜひ、ご一読を・・・。

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作品は80数点並んでいる。その中の3点を紹介(横になってしまいすみません)。俳句と写真はもちろん、書も本人が手掛けている。額や和紙の選定、デザインなどもふくめて全て手作りだという。

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帰ろうとしたら「小松ちゃん、ちょつと待って俺もユージン・スミスを撮っているんだ。見てよ」と数枚の写真を鞄の中から取り出し見せてくれた・・・。

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最初の一枚目は、ユージンス・ミスとアイリーン夫妻に土門拳さんと当時、JPSの会長だった渡辺義雄さんだ。1974年の撮影。僕がこれは麹町の土門さんの家ですねというと「行ったことあるの?そうだよ。ユージンが土門さんに会いたいと言うので、渡辺会長がお連れしたんだ。土門さんが左手で4本指を立てているのは、俺は4回倒れても生き返っているんだと話している・・・」僕も土門さんの事務所兼自宅には何度かお邪魔していた。それにしても貴重な写真だ。中谷さんは当時JPSの広報担当でもしていたのか?それとも東京新聞の写真部員として、このビックチャンスに立ち会ったのか?

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もう一枚は、ユージンス・ミスとアイリーン夫妻に吉岡功さん(右)。この写真は沖縄復帰闘争のさなか、1971年11月に起きたゼネスト取材中、火炎瓶によって警察官が亡くなるという痛ましい事件がおきた。その現場に居合わせた吉岡さんが撮影した写真が、その後、「殺人及び公務執行妨害」の容疑をかけられて、家宅捜索をされ、そのネガを押収されるという事件がおきた。これを知った沖縄をはじめ、全国の写真家、作家、メディアなどが「表現の自由を奪うな!」と立ち上がったのだ。民事訴訟の証人として写真家の立場から証言台に立ったのがユージン・スミスだった。この写真も貴重な記録である・・・。

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石川武志写真展会場(縦位置になってすみません)

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写真家・石川武志さん。渋みのあるいい顔になったと思う・・・。

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中谷さんにユージンスミスの貴重な写真を見せてもらった後、石川武志写真展「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」を観た。彼がユージンの助手として水俣で同居していた1971年~1974年の約3年間に撮影した作品31点である。プリントもオリジナルゼラチンシルバープリントで美しい。会場はひっきりなしの鑑賞者でいっぱいだった。公益財団法人日本写真家協会副会長、日本旅行写真家協会会長の山口勝廣さんと。

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僕にも入ってというので。 山口さんとはJPS理事になる前からだから、すでに40年ほどの付き合いなる。そもそもJPSの入会時のぼくの推薦・保証人の一人が山口さんで、もう一人が土門拳、藤本四八、渡辺義雄さんたちと盟友だった田村茂先生だった。石川さんとの付き合いもかれこれ30年は経つ。お互いによい歳になったものだとつくづく思う。こころよりご自愛を祈るばかりだ・・・・。     合掌

昨日、10月5日は「アメリカが最も恐れた沖縄の男」瀬長亀次郎さんの20回目の命日だった。2001年の10月5日に94歳で惜しまれて亡くなった。この日に僕はドキュメンタリー映画「アメリカが最も恐れた沖縄の男ー瀬長亀次郎の一生涯」(監督:佐古忠彦)を観た。追悼をこめて泡盛を独り傾けながら・・・。 米軍統治下の沖縄で唯一苛烈な弾圧を恐れずに、民衆の立場に立って「米軍にNO~!!」を叫び、不屈の精神で立ち向かい続けた御万人のヒーローの生涯を克明に追った秀作のドキュメンタリーだった。

来年、2022年5月15日が沖縄が本土に復帰した日だ。実は50年前のこの日、僕は富士重工の直営販売店に勤めていて、お客さんに納品する車を運転をしていた。ラジオから流れる初代沖縄県知事になった屋良朝苗さんの演説を聞いていた。前日遅くまで起きていたために、目的地まであとわずかという地点で居眠り事故を起こしてしまった。幸いなことに国道の左側の石垣に追突しながら登り上げ一回転して、屋根が潰れて平になるほどの衝撃を受けたが、対向車や人はいなく、少し手前にあった商店にも突っ込まずに済んだのだ。

車がスバル1100だったために、気が付いたら僕は床に横たわっていて、かすり傷も負わなかった。前輪駆動だったために床が平だったことが大けがにならずに済んだのだ。何とか後部に移り、割れていたフロントガラスから外に這い出ることができた。すぐに商店の電話を借りて会社に連絡、レッカー車を頼んだ。僕はその間、国道の交通整理をしていた。集まった人たちは「運転していた人は死んだか大怪我だろうね・・・」と口々に言っていた。急いできたレッカー車に引っ繰り返してもらい、そのまま牽引してもらった。結局は警察沙汰にもならず、ことは済んだが、会社が病院へ行き精密検査をした方が良いと言うことで行ったらそのまま入院。確か1週間ほどいたが何も治療をしないので、さっさと退院してきた。その後、他の大きな病院で再検査をしたが何も異常はなかった。僕の苦く忘れられない沖縄の本土復帰の日のエピソードではある・・・・。

あれから50年の歳月が流れた。僕はこのうちの約40年間、沖縄に通い取材を続けてきた。いまその記録をまとめようと思っている。本の出版と同時に沖縄の那覇、名護と東京、大阪、そして故郷の上州・前橋で写真展の巡回展を予定している。いま、作品を少しづつではあるが探し始め、ネガの整理もしつつある。今回、1980年代に昼飯に入った那覇の食堂で、偶然に出会った瀬長亀次郎さんを撮った写真が出て来た。僕が「撮らしてもらってもいいですか」と聞いたらニッコリ笑っていいよと言ってくれた。でもカメラを覗いたらもう「不屈の男」の顔になっていた。見つかった作品の何点かをここに紹介する~!♡☆

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☆中央で右手を上げている人が瀬長亀次郎さんです。

ここに紹介した写真は、僕が最近購入したスマホで、プリント作品を複写したもの。大きくと思い、みな横位置にして撮影したら、どうしてもひっくり返しの写真になってしまいました。すみません。縦位置の写真は通常通りですが、横位置の写真はすみませんが、体を横にして見てください。よろしくお願いします・・・。 合掌

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「海岸線は生物の臨界線である」という桜井さんは、環境汚染という人間の愚行にたいして、黙々と浄化作用を繰り返している日本の海岸を20数年間撮り続けている・・・。

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東松照明、奈良原一高、細江英公、丹野章、川田喜久治、佐藤明の6人で結成した「VIVO」の暗室を担当していただけあり、さすがにプリントは美しい。

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東京の露地裏に咲く一本櫻を撮った足立君江さん(中央)。左右の2人は会期中、受付など手伝ってくれるという親しい友人だ。

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石川さんによれば、この写真の舞台「カルカッタ」はインドの原風景で、自分の写真の原点だという。彼は10月7日~10月25日まで、リコーイメージングスクエア東京において、石川武志写真展「MINAMATAーユージン・スミスへのオマージュ」を開催する。彼とは古い付き合いでもある。

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インドの北東部の高原に暮らしている民族、アパタニ族の暮らしと信仰を克明に記録した展覧会。同写真集も同時に発売された。A4判(216ページ、オールカラー、上製本)定価4、400円(税込)光村推古書院刊 ☆ぜひお手に取ってご覧ください。一見の価値あり~!♡☆

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公益財団法人日本写真家協会 会長の野町和嘉さんが会場にいたので、パチリ~!♡☆

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写真家の榎並悦子さんを囲んで、野町さんと僕と。ご両人とも40年ほど前からの知り合いではある・・・。

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「緊急事態宣言」とやらが解除され、台風一過で気持ちよい秋晴れが広がった10月2日、久しぶりの都内の写真展を巡った。この間、ずいぶんと不義理をしていたので、この日は新宿方面を回った。

最後に俳句仲間であり、写真界の先輩である中谷さんの展覧会を見て一日を終えようと急いで18:00前に会場に着いたら、何と閉まっていた。張り紙には17:30に閉館しましたと書いてあった。がっくり!!DMなどで確認したのだが、18:30までとなっていたのだ。しかし、コロナ禍の中、6月以降、営業時間を1時間短縮したのだという。また出直しだ。どっと疲れが出た・・・。

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9月30日、9時15分。印刷現場で写真集『記憶の島ー高島』の仕上がり状況を確認する高栁昇取締役と玉川工場長。

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僕が「OK~!」を出した刷り上がりを1ページごとに確認する。初日のこの日は、表紙カバー、カラーページ、見返し、本文2色ページと全部で9版の印刷を終えた・・・。

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一版づつ、納得の行くまで刷りを確認して最終的に、「OK~!」の僕のサインをするといよいよ本刷りが始まる。時には本刷りまでに500枚以上することもある。右下に僕のサインがある・・・。(左から高栁取締役、玉川工場長と僕)

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昼ご飯は、印刷立ち合いの校正室が隣同士だった写真家・長倉洋海さん、デザイナーの鈴木康彦さんと印書館の人たちと一緒に行った。

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先日、高栁さんが出演したNHKの番組「サラメシ」でも紹介された玉川工場近くの麺類の店が残念ながら定休日。僕も必ず行くお店だったが、長倉さんも好きな店だと言っていた。仕方がないので違う店に行ったのだ。僕が食べたのは、あさりのせいろご飯定食に盛り蕎麦。

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印書館の営業担当の鈴木さんと長倉さん。

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5~6年前から毎年制作しているというカレンダーの2022年版。世界の子どもたちと風景が中心の長倉作品で14ページに彩られている。好評で限定1000部。発送料込みで2200円だという。僕も撮影した国や地域があった(右から長倉さん、僕、鈴木さん)。

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2021年9月21日、自宅前からの夕暮れ。まだ少し武蔵野の面影が残る光景だ・・・。

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家の前から見上げる中秋の名月。満月になるのは8年ぶりとか。思わず手持ちで1カット撮った。

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現在開催中の薦める主な写真展などの案内状やチラシなど紹介した。

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9月25日、2か月ぶりの例会が開かれた。コロナ禍でもあり、会員の参加は少ないが、来年3月に開催される予定の第39回「写真集団・上福岡」写真展に向けての準備が始まっている・・・。

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「奄美大島紬」に魅せられ、消滅しつつある美しい布を守りたいとの想いから14年前から奄美大島に通いづづける。パリの高田賢三率いる[KENZO]のスタッフとして経験をはじめ、永きにわたってのファション業界の知識を基に、1300年の伝統的染色法の泥染め、藍染など研究・駆使してオリジナルな息吹を新しいファションに注ぎ込んでいる。国内外からの評価も高い。(右が真智子さん、左は「日々」のオーナー)。

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9月27日、さいたま市北浦和の展示会場で「僕はあなたとは何時、どこでお会いしたのでしょうか」と訊ねると、彼女は奄美に通いはじめて間もない頃、僕が常連としている酒場であったという。かれこれ10年以上の付き合いだ。その後もその奄美大島にある「かずみ」という奄美民謡の大家が女将をしている店で偶然に会っている。僕が愛用しているスカーフの幾つかも彼女の作品である・・・。

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