写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2020年11月アーカイブ

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偶然にも内田耕作さんの次男の方が(中央)がいて父親から来たという絵葉書を見せてもらった。僕が30年以上前からお世話になったシグマの内田さんは、彼のお兄さんだと言っていた。

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内田さんの作品をじっくり見たのは初めてだった。昭和初期から活躍していた山岳写真家の先達だ。日本山岳写真協会の創設に尽力。その後、深谷久弥、尾崎喜八、櫛田孫一らと共に山岳写真などの普及に係わってきた。作品は自然の造形美を追求したもので戦前から戦後にかけて、これだけ洗練された映像感覚をもった写真家がいたことに、正直驚いた・・・。写真は彼が愛用していたカメラ機材。

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市ヶ谷駅の総武線ホームで。

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12月3日~9日まで、新宿御苑前のアイデムフォトギャラリーシリウスで開催する写真研究塾「風」会員の橋都とみ子さんの写真展の作品プリントの最終チェックを11月21日午後、写真弘社で行った。全倍5点、全紙50点と見応えのある写真展になる。ぜひ、ご覧ください~!♡☆ 右が橋都とみ子さん、左は(株)写真弘社専務取締役の澁井誠さん。柳澤卓司社長もあいさつに来てくれた。

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東京・丸の内ビル街に彩られるイルミネーション。

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お互いに名前と活動や作品は知っていたが、直接会うのは初めてだった。1時間程いろいろと話したが、想像していたとおりの人だった。写真家として筋の通した生き方をしていて共感を持った。11月25日から2021年2月13日まで、gallery bauhausで開催される井津建郎写真展「ETERNAL LIGHT永遠の光」インドで撮影した作品展でも、また会えたら合いましょうと言って別れた・・・。

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早いもので、2020年もあとわずかとなりました。本来なら56年ぶりに開催されるはずだった東京オリンピックも世界中を震撼させたコロナ禍のなかで延期となった。しかし、師走も正月も確かに巡ってくる。そして日本に昔からあるお歳暮という習慣。貧乏写真家の僕としては、この良き、ありがたき風習のために年末、年始を何とか越せることができるのだ・・・。

全国のこころ優しいみなさまのあたたかいお気持ちに、深く感謝申し上げます。  合掌

                                   日本お布施党 党首

☆Nさま(埼玉)会津みしらず柿一箱  ☆Yさま(長崎)呼子の朝市日干しセット  ☆Hさま(長野)銘菓 座光寺もなか   ☆Tさま(埼玉)大根、白菜、八頭芋など冬野菜  ☆Iさま(埼玉)豆腐、揚げ出し、納豆、厚揚げなど豆腐セット    心からありがとうございました・・・。 

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2006年に木之下さんは、日本写真協会賞作家賞を受賞している。この時、僕も年度賞を受賞した。功労賞として東松照明さん、奈良原一高さんがともに受賞した。僕がフリー写真家になりたての1980年代初めは、取材先のコンサート会場ではいつも木之下さんと一緒だった。作曲家の芥川也寸志さんたちに連れられていつも打ち上げには参加した。そんな時にもあまり酒は飲めない木之下さんも必ずカメラを持って傍にいた・・・。

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残念ながらお会いできなかったが、またの機会に~!♡☆いろいろと話したいことがあるのだ・・・。12月7日まで東京・丸の内にあるFUJIFILM imaging Plaza Gallerydeで、井津建郎写真展「抏州 忘れられた大地」、gallery banhausで「ETERNAL LIGHT」(2021年2月13日まで)を同時開催している。

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朝日新聞写真部出身で現在は(公益)日本写真家協会会員の八重樫信之さんは会場にいたのでハンセン病などのことについて語った・・・。

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千代田さんを囲んで。(株)タムロンの人たちと写真家・眞月美雨さん。この写真展に合わせて同名の手作り限定の版型の違う美しい写真集を2種類作成した。いま、彼女は造本にはまっているという。ぜひ、ご覧ください~!♡☆

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新宿副都心の黄葉も色好き始めていた・・・。ニコンサロンからリコーイメージングスクエアへの街路樹(2020年11月9日)。

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銀座の外堀通りに面した場所にある吉井画廊。残念ながら山岸さんはいなかった・・・。

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「写真集団・上福岡」と写真研究塾「風」のメンバー有志が集まり、小江戸川越として知られる川越市で小さな旅の撮影会を行った(2020年11月10日)。

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この日、モデルをかって出てくれた大学生のHさん(左)から「写真集団・上福岡」の一瀬さん、長野県伊那谷から参加した写真研究塾「風」の橋都さん。撮影会終了後、お疲れさま会をした。

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写真研究塾「風」メンバーで、94歳6ヵ月となった中村咲さん。友人の堀口さんと。

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左から著書の中村咲さん、橋都とみ子さん、東京印書館の営業担当の佐々木さん、アートディレクターで執行役員の高栁さん(2020年11月11日)。

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お昼は工場近くのときがわ町の地粉うどん店で、ご馳走になった・・・。

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遠い信州・下伊那郡高森町から来た橋都とみ子(下の写真)さんのお疲れさま会を東京印書館の佐々木さん(右)も招いてささやかに行った。

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お店のスタッフと・・・。

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「写真集団・上福岡」の11月例会。来年3月3日~7日に富士見市民会館で、第38回「写真集団・上福岡」写真展が決まっているので展示作品の選考に力が入った。一瀬邦子さんの作品(2020年11月12日)。

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毎日新聞(11月5日付)の社会面に写真入り5段記事として掲載された。すでにデジタル版にも紹介されている。

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中国新聞(10月5日付)平和のページに写真入り5段記事として掲載された。

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長崎新聞(10月19日付)文化面に写真入りで4段分ほどの記事で掲載された。

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しんぶん赤旗(9月27日付)社会・総合面に写真入り4段の記事で掲載された。

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月刊CAPA(キャパ)11月号ニュースジャーナルのページに写真入りで3段の記事で紹介された。尚、ここには現物が手元にないので紹介できなかったが、日本ジャナ―リスト会議が発行している月刊ジャナ―リストの751号(10月25日付)に写真入り8段記事で紹介された。執筆したのは、「反核・写真運動」運営委員の新藤健一さん。次号にも連載すると予告している。

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新宿駅西口方面をニコンサロンがある新宿エルタワー28Fから望む。

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写真家の清野健人さんと写真家の眞月美雨さん。

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写真展会場で写真家・熊切大輔(公益社団法人日本写真家協会理事)さんと眞月美雨さん。僕は父親の熊切圭介(前日本写真家協会会長)さんの近況について詳しく聞いた・・・。

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東京都写真美術館で、生誕100年 石元泰博写真展「生命体としての都市」(11月23日まで)、故郷である高知県立美術館で、2021年1月16日~3月14日まで開催する。

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 僕は写真を本格的にするために上京した1972年以降、写真家・石元泰博にすごく影響を受けた。彼の処女作品集『ある日ある所』や『シカゴ シカゴ』を見て衝撃を受けたのである。もうその写真集が欲しくて欲しくて都内の古本屋を探し回った。そうしたら池袋にあった西武美術館のショプに『シカゴ シカゴ』が売っていたのだ。当時の僕の給料1か月分を超える12、000円だった。

清水の舞台から飛び降りる覚悟で買った。それからの1か月間はパン屋さんでただで貰ったパンの耳が主食だった。今だからもう時効だろうから告白するが、会社のカメラやストロボを質にいれて何とか食いつないだりもした。そのくらい石元泰博に惚れ込んでいたのである。

そんなことがあってから十数年たったある日に、石元さんに直接会って話をする機会があった。「田村茂の弟子です」と言うと「ほう田村さんはお元気ですか・・・」と懐かしそうな眼をした。僕がサインをくださいと言うと、「僕はアメリカ暮らしが長いので漢字は上手く書けないので、サインはしたことがない」と言いつつも書いてくれた。その字は誤字もあり確かに子どもが書いたような字ではあったが、僕にとっては宝物である・・・。

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