写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2020年8月アーカイブ

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8月25日午後から、写真弘社で、写真家・眞月美雨写真展『Cross the valley 渋谷スクランブル交差点』のプリントチェクの最終確認をした。右から営業担当の山口修二さん、取締専務の澁井誠さん、写真家・眞月美雨さん、プリント担当の穴吹幸平さん。

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写真弘社へ来る前に、竹内敏信作品展「汚染海域ー伊勢湾・1972年」(JCII PHOTO SALON/8月30日まで)、a'ギャラリー・アートグラフ、キャノンギャラリーなど巡った・・・。

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8月30日(日)午後。コロナ禍と極暑の日々の異常気象が続いた8月最後の日曜日。家の前からの夏雲を撮る・・・。

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 今日、8月30日午後の渋谷スクランブル交差点を自身で撮影して「YouTube 眞月美雨写真展プロモーション☆」を発信している。ぜひ、ご覧いただくとともに、写真展会場にお越しください。お待ちしております~!♡☆  https://www.youtube.com/watch?v=3Z6hGW2M58o

 

 

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『写真家の心 詩人の眼』の表紙と裏表紙。帯の表裏。A5版サイズ、上製本、280ページ。写真掲載44点。定価:2500円(+税) 装幀:宗利淳一

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https://dot.asahi.com/dot/photoarticle/2020082400016.html

☆上記のアドレスをクリックするとアサヒカメラ(電子版)の8月25日付の最新版の記事が見れます。僕とは35年以上前に会っているベテラン編集部員の米倉昭仁さんが、2時間を超えるインタビューをした熱い思いを書いています。写真も本文中に掲載された写真を4点使用しています。ぜひに多くの友人、知人、写真仲間のみなさんに声をかけていただければ幸いです・・・ 合掌

 

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左から塩崎亨さん、中村咲さん、橋都とみ子さん。3人とも僕が主宰する写真研究塾「風」のメンバーだ。1日目、8月14日は午前11時から午後5時までおこなった・・・。

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午後6時からはホテルの12Fのレストランで夕食と懇親が8時前まで続いた。

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午後8時からは花火の打ち上げを部屋のベランダから見た。今年初めての花火だった。その後はのんびりと持ち寄った酒やつまみをやりながら交流をした。気が付いたら午前1時を回っていた・・・。咲さんも最後まで付き会っていた。翌日15日は10時から12時までホテルのロビーにある喫茶室で写真の勉強会をして解散をした。

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 8月16日、お盆の送り火の日。夕方から家の近くの40年程前から通っている焼き肉屋と言ってもホルモン焼き屋へ久しぶりに出かけた。僕の新刊『写真家の心 詩人の眼』の発行記念と、発送作業を写真家の眞月美雨さんが手伝ってくれたのでお疲れさま会を合わせてささやかにおこなったのである・・・・。

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今回で35回目を迎えた「日本の海洋画展」は、会派の枠を超えて現代画壇で活躍する画家44人が出品している。8月7日、毎年発行している同海洋画展の画集の撮影を協力してもらっている写真家の塩崎亨君と眞月美雨さんとで会場を訪れた。主催者の全日本海員福祉センターのスタッフの人たちと。

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縦位置なのに横にしかできず、見ずらくてごめんなさい~!☆

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池袋芸術劇場近くの老舗の居酒屋で3人で打ち合わせの後、軽く一杯やって帰った・・・。コロナ感染対策がしっかりと取られていたのには驚いた。

写真家・眞月美雨さんは、2017年9月に銀座ニコンサロンと10月に大阪ニコンサロンで開催した個展「桃源郷 The latest paradise on earth.」以来の銀座での個展だ。今回の撮りおろし作品は、2017年5月から撮影を開始し、新型コロナウイルスが感染が広まり、今年4月「緊急事態宣言」が発令された後にも感染予防には細心の注意を払いながら撮影を続けたものだ。2万点を優に超えるカットの中から厳選した45点、プラチナシルバープリントのモノクロ作品を展示する。

彼女は渋谷スクランブル交差点に何を見たのか、そして何を感じたのか。わずか半年余りで激変した光景とは・・・。 あなたも銀座の写真展会場で、渋谷スクランブル交差点の中に身を置き、その喧噪さ、空気感を体感してみてください~!♡☆

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(DMデザイン:塩崎亨)

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渋谷センター街には、仙台で作られた七夕の飾り物がかけられ、コロナ感染をお祓いする催しが行われていた。8月2日(日)午後1時30分頃、渋谷スクランブル交差点方面を望む。

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同人の眞月美雨さん(左端)は、9月4日から10日まで、銀座アートグラフで個展が決まっているので最終的な展示作品のセレクトや展示方法など詰めた。この3年間2万カットを超える撮影をしてきた中から200点余りを持ってきた。その中から45点を決定した。

また並木すみ江同人は、この間集中して約1か月間撮影した青梅市に伝わる「膳和倉」建立の中から、百数十点の作品を持ってきた。記録写真集を制作する計画が進んでいるという。写真集の骨子やイメージについて話し合った。

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この日の例会は「風」始まって以来の参加者が僕をふくめて3人、後から1人が来るという最低の人数だった。事前に参加者が少ないことはわかっていたので中止という選択もあったが、数か月前から決まっており、会場費も支払い済みだった。何よりも参加するというメンバーいる限り例え1人でもやるというのが僕のスタンスである。

来れない会員たちには、2人は場所を都内でなく埼玉の森林公園に変更して別な日にすることになった。また、もう1人はオンラインを使っての例会とすることになった。地方の会員についても何か手当てを考えたいと思っている。

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渋谷勤労福祉会館の前にオープンしたパルコにできたピカチューのブロンズ像とともに。

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2020年8月2日(日)午後5時頃の渋谷センター街。渋谷駅方面を望む。

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「風」の例会後の懇親会の常店は、「三平酒寮・渋谷店」。現在は3F、4Fはほとんど使用していないが、2Fは昔のままだ。考えてみれば、僕は1972年ころから通っている。そのたたずまいは48年前とほとんど変わらない。店長にその話をすると「僕はまだ生まれていませんでした・・・」。

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塩崎亨同人、「風」事務局長が写真学校の授業を終えて合流。4人と少なかったが、話は大いに盛り上がって愉快だった。気が付いたら約4時間いたが、その間一人のお客さんもなかった・・・。店長曰く「誰もいなくなると寂しいから帰らないでいてください~!」コロナ禍の影響は深刻である。

◆極暑、お見舞い申し上げます~!♡☆ 全国のみなさまのあたたかいお心遣いに、深く感謝し上げます・・・・。  合掌                       日本お布施党 党首

☆岡山・Hさま 岡山名産 白桃の箱詰め  ☆埼玉・Tさま トマト、ゴーヤー、ナス、インゲン豆など手作り夏野菜   ☆東京・Kさま 山陰・日本海の干物詰め合わせ、博多・紀久屋の数の子、明太子の松前4色セット                 ♡本当に、ありがとうございました。

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僕が写真に興味を持ち始めたころ。父・幸太郎、母・あや子、弟の修二と。上州の実家で(1963年)。父は68歳で病死、母は現在92歳で施設に入居し元気に暮らしている。

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日本リアリズム写真集団(JRP)の新宿区四谷三丁目の事務所開きに、当時日本写真家協会会長をしていた渡辺義雄さんが来賓で見えた。出迎えをする田村茂JRP理事長(左)。2人は戦前からの親しく何度も共同の暗室や事務所を銀座などに構えている。(撮影:1974年)

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当時JRPの事務局長をし、写真家協会の理事も務めていた丹野章さんと歓談をする渡辺さん。丹野さんが若い~!♡☆ まだ当時21歳だった僕に「小松君が今日の記録を撮りなさい~!」と突然、写真評論家の伊藤知己先生から言われ、頭が真っ白になったが、チャンスと思い引き受けた。

土門拳先生を真正面から撮ろうとしてカメラを構えたら突然、不自由な腕を上げて僕に何か叫んだ。僕は何か失礼なことをしたかと一瞬氷ついた。先生の指先がカメラの方だったのでよく見てみたら、なんとレンズキャツプが付いたままであった。僕が慌ててキャツプを外してペコっと頭を下げて、再びカメラを向けると優しい眼で笑ってくれた・・・。後に土門先生の名言に「名作を撮るにはまず、レンズキャップを外せ」というのがあることを知った。以来僕はレンズキャプをしたことがない。

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来賓のあいさつをする渡辺JPS会長。左から写真家・土門拳さん、アートディレクターの太田英茂さんと。太田さんは戦前から知る人ぞ知る人。資生堂の広報担当していた時には、まだ無名だった木村伊兵衛さんの写真をポスターに使い一世を風靡した立役者でもある。晩年は信州で静かに暮らし、お亡くなりなった時には、小さな教会で厳かに野辺送りをしたと奥様から手紙をもらった・・・・。

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右から2人目が本の泉社の編集担当の田近裕之さん。新日本印刷の工場のスタッフと共に。

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表紙、表紙カバー、帯の刷り出し。

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本文と表紙周りをまとめたもの。上製本なので束は23mmになる。サイズは縦220mm、横160mmのA5判。写真は48点、僕が詠んだ俳句、短歌も散りばめられている。 装幀:宗利淳一

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◆「1984~2020 孤高の写真家、37年間の軌跡」が正しく、配布したチラシの記述が誤りでした。このチラシは訂正したもの。

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