写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.1188] 2019年8月17日 10年ぶりに「琉球ーOKINAWA」を巡る旅~点描!☆!☆ 30年間取材を続けてきた沖縄のいまの現実を、どうしても身動きができる内にまとめなければならないと思った。長きにわたり余りにも日本人は、沖縄の人々の心を踏み躙ってきた・・・。僕は自責の念に駆られながら、祈りをこめながらシャッターをこれからも切り続けていく・・・合掌

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2019年7月16日~26日まで、久しぶりに沖縄を訪ねた。詳しいことはブログで先に2回に分けて報告しているのでそれを参照してください。 10年ぶりの沖縄は隔世の感があった。それでも毎年2~3回は島を訪れ、何百日も滞在していた沖縄、その記憶を思い返しながら巡った旅であった。今回の旅は撮影に余り重きをおいていなく、多くの友人、知人との再会を大切にした・・・。

だから撮影したカットは1000点余りと少なかった。その中から撮影日時順にランダムに並べた。ちょうど60点ある。縦位置が少ないのはうまく処理ができずに全て横位置の画面になってしまうためである。ご容赦ください。 台風は過ぎても残暑が続きます。くれぐれもご自愛ください。 合掌

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上の写真は、沖縄本島最南端に近い喜屋武岬。先の沖縄戦で犠牲になった1万柱以上を祀ってある「平和の塔」が岸壁の上に建つ。喜屋武のある糸満市(町)は、沖縄戦での戦没者は8、287人。当時の町の全人口の約40パーセントの方々が亡くなっている・・・。

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喜屋武岬の近くにある国の史跡に指定されている具志川城跡で。

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ひめゆりの塔と資料館

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一家全滅の世帯が多い糸満市米須のさとうきび畑・・・。近くに魂魄の塔がある。この塔には周辺にそのままになっていた遺骨3万5千余を住民が葬り祀ったものだ。

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沖縄師範健児の塔のある周辺。健児の塔に来る手前の道を海岸線に降りるとしらゆり部隊が自決した終焉の地がある・・・。

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宜野湾市の市街地のど真ん中にある米軍普天間飛行場を日米軍の激戦が行われた嘉数高地から見る。

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嘉手納町の多くの面積を占領する米軍嘉手納基地。手前は地主農民の無許可耕作地。台風を前に日常の爆音は轟いていなかった・・・。

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最近は泡盛のCMですっかり有名になった残波岬灯台と残波岬。

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ユネスコの世界文化遺産に登録されている座喜味城址。

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読谷村にあるやちむんの里。

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素朴な島だった古宇利島は、中国人たちのリゾート地に変わり果てていた・・・。瀬底島も然り。

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ユネスコの世界文化遺産に登録されている今帰仁城址。

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本部半島のやんばるの森で。

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今帰仁城址。

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芭蕉布のふるさとである大宜味村・喜如嘉で。

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沖縄の祖国復帰運動の原点でもある国頭村・辺戸岬。正面に見える島影は奄美群島の与論島。

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東村・高井のオスプレイ専用のヘリパット(基地)入り口。24時間体制で警備をする国内警備会社にこの高井だけで一日の日当1、700万円を政府は支払っている。やんばるの森の中で大声で敬礼をしたり奇声をあげて威嚇したりする様は異様に見えた・・・。この光景はここだけに非ず、名護の塩川でも辺野古でも同様であった・・・。

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ジュゴンが生息する美ら海の埋め立てを強行し続ける辺野古。僕が来ていたころは有刺鉄線で区切っていただけだからいくらでも基地内に入って撮影できたのだが、いまは頑強な柵ができていた。僕が沖縄滞在中に、辺野古に生息していたジュゴンが一頭死んでいたのがニュースで流れていた・・・。

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毎日カヌーで、辺野古新基地反対の抗議行動を続けている・・・。

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名護湾の夕暮れ・・・。

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平和の礎にお参りに来た家族。

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平和記念公園内にある平和記念資料館。

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ユネスコの世界文化遺産に登録されている南城市・斎場御嶽で。

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この御嶽から正面に久高島が見える。

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那覇市内の真宗 大谷派・真教寺境内に建つ、石川啄木歌碑。「新しき明日の来るを信ずという 自分の言葉に 嘘はなけれど」という歌集『一握の砂』のなかに納められた一首が、啄木が好きだった明朝体の文字で刻まれている・・・。

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