2017年2月アーカイブ
2月19日、20日に静岡県熱海市において、僕が主宰する写真研究会「風」の合宿がおこなわれた。毎年、この時期に行なわれていて、1年間の各自の創作活動のまとめという意味もある。この合宿は、「風」になってから9回目、その前の写真研究会時代を含めると20回を超える。同人、会員以外の人も参加でき、今回も4人の写真家が参加した。
会のメンバーは、同人6人、会員4人が参加した。持って来た写真は多い人では400点、少ない人でも100点前後で、合計すると3,000点は超えている。それを2日間、7時間余りをかけて、すべての写真を見て、合評するのだから結構ハードである。いわゆる”写真漬け”の2日間だ。さらに飲み、食い、語る・・・。それも写真談議一本である。僕も久しぶりに、午前3時まで語り明かしてしまった・・・。 写真を中心に2日間の”「風」合宿in熱海”のレポートをする。
2日目の合評は朝9時から12時までの3時間。7人の大量の作品が次々に並べられた・・・。
料理はご覧の通り、盛沢山でお腹がいっぱいに。みんな満足して帰路についたが、ここからが大変だった。春の暴風雨に見舞われて列車の中に3時間余り閉じ込められた。挙句の果ては新幹線でようやく東京まで戻れた。僕が家路に着いたのは午後8時を回っていたのである。みなさん本当にお疲れさまでした・・・。 合掌
喜界島・手久津久の巨大ガジュマル
喜界島・百之台国定公園 展望台(標高203mの隆起サンゴの高台)から太平洋を望む
18日、奄美が生んだ島唄名人・中村瑞希さんが東京・渋谷の眞月美雨さんのアトリエにヘア・メイクに来た。この日、帝国ホテルでのライブに出演するために鹿児島から上京したのである。瑞希さんは、ヘア・メイクについては美雨さんに全て任せているという。彼女のPR写真も美雨さんが撮影している。中村瑞希さんは、2003年、第24回奄美民謡大賞受賞、同年民謡民舞全国大会で準優勝、2005年の同全国大会では日本一の栄冠に輝いている。僕も一度、鹿児島で彼女の島唄を聞きながら一緒に飲んだことがある。 魅力的な奄美の女性である・・・・。 がんばってね~!☆
春めく日 夜光貝の匙 触れてゐる 風写
早いもので立春も過ぎ、2月も半ばになろうとしている。7日に9日ぶりに外出をしてからまた、この6日間家に籠りっぱなしだ。夜遅くゴミ出しに行くぐらいで一歩も家から出ないのだから身体にはあまりよくないであろう。でも、食事は家にある食材を利用してしっかりと作り、食べている。
気候はまだまだ寒いので夜はほとんどが鍋料理となる。日によって味付けを変えないと飽きてしまうので醤油(関東と西国では全く味が異なる)ベース、塩(ヒマラヤ、アンデス、チベット、隠岐、沖縄、奄美・喜界島、土佐など)仕立て、味噌(赤味噌、白味噌、合せ味噌など地方によっても味が違う)、胡麻(喜界島産が良い)、豆乳、中華風仕立てなどその日の気分によって変える。鍋の中身は白菜、キャベツ、もやし、水菜、ジャガイモ、サツマイモ、きくらげ、大根、玉ねぎ、長ネギ、ニンニクなどこれも在庫を見ながら日替わりにする。そこに豆腐、鶏肉、豚肉、牡蠣、アサリ、イワシ団子、ウインナー、卵、昆布、餃子などなど。蕎麦を入れる時もある。安く上がって、たっぷりと楽しめ、体も芯まで温まるからやはりこの季節は鍋が王道であろう・・・。
ではそれ以外の時間は何をしているかと言えば、27年間におよぶ中国大陸を取材・撮影したポジフイルムを眺めている。1本、1本、1カット、1カットづつだから結構な時間がかかる。せいぜい頑張っても一日に100本(3、600カット)見ると目の底が疲れてくる。まだまだ当分終わりそうもない。しかし、自分の若い頃に撮った写真を見ることは楽しいものだ。新しい発見もある。独りワクワクした日々を送っているのである・・・・。
この雑誌を編集企画、取材もしている編集者のY君がVol.16号の「編集後記」に書いた文章を紹介させていただきたい。彼が若い頃に、まだ編集プロダクションの会社にいたとき何度か地方に雑誌の取材に行ったことがあった。その時に田舎が僕と同郷の上州だということで親近感を持った。俳句もたしなむ文学青年でもあった・・・・。
人生に彩りや豊かな時間をもたらす「協創」という考え方もある。
今号の巻頭グラビアからReaIitas誌ではおなじみの写真家・小松健一さんの連載が始まる。現在、30年に及ぶライワークとしての「中国大陸」の集大成に向けて、四川省、貴州省、雲南省のシャングリラ地方などを繰り返し訪れては、取材撮影をしている。
小松さんとは、長いおつきあいになるが、最初に彼を知ったのは写真ではなく、「朝日歌壇」という、朝日新聞掲載の短歌投稿欄であったと思う。そこで小松健一さんの名前を初めて目にし、繊細でありながら、芯の感じられる言葉世界にひきこまれた。
海なりが夜どうし障子ふるわせる貧しき漁村の屋根低き部屋
彼のナイーブな内なる志向と社会への広い問題意識は、写真のみならず言葉の表現にも表れている。俳句にも長年親しんできた。「風写」の俳号で「無頼とは愛しきものよ桜桃忌」と詠めば、ヒマラヤ行では「秋桜砂塵の村の昼深し」と詠む。太宰治、宮澤賢治、石川啄木・・・日本の近代文学の原風景を求める旅は今も続く。
「協創」という言葉は、ビジネス用語に用いられるが、人と人の出会い、人とさまざまのモノや出来事との出会いにも応用できるのではないだろうか。複数の事象が響き合い、深め合い、そこから生まれる新しい価値は、人が生きて行く時間を彩り豊かなものにしてくれる。小松さんの生き方をみて、ふと思った。
島唄者・川畑さおりさんの経歴については、ネットなどで詳しくみていただければと思うが、ここでは簡単に彼女のプロフィールを紹介する。
2010年、民謡民舞全国大会・内閣総理大臣杯優秀賞受賞、2012年、日本民謡ヤングフェスティバル全国大会グランプリ受賞、2013年、高円宮殿下記念表彰、2016年、鹿児島県知事・鹿児島県芸術文化奨励賞受賞など。上げて行けば切りがないほど数々の賞を受賞しているのである。まぎれもなく川畑さおりは、喜界島が生んだ奄美島唄者の”珠玉”であろう。これからさらに精進を重ねて”喜界島の風と香り”をまとったアーティストとして大成することを心より期待している・・・。
この日は先日、里村強志田中一村記念美術館次長と話したことを元に、学芸専門員の花山潤治さんに3人で話し合った企画内容を提案した。それは簡単に言うと写真展「彜人と奄美人ー山の民と海の民(仮)」(撮影:小松健一、烏里烏沙、久野末勝、武部守俊)を2018年夏ごろに開催する。
関連した催しとして、島唄&写真のコラボライブ、写真教室、撮影会、作家のギャラリートーク、島外からのツアーなどについても話をした。 この企画が成功すれば、奄美群島の写真創作活動がまた大きく動くに違いないと確信するものである・・・・。 合掌
厳正な審査の結果、奄美市美術展覧会賞、奄美市長賞、奄美市議会長賞、奄美市教育長賞など15作品が入賞し、23作品が入選した。他に委嘱作家賞が1点選ばれた。後列左は今年度審査員の中尾正子さん、僕の右隣りも審査員の久野末勝さん。
久保井博彦実行委員長、(左端)をはじめ、すべて美術部門の画家たち。
僕とは一回りほど歳が離れているらしいが、とても馬が合う”親友”である・・・。