記念すべき1000回目を迎えたこのブログが、一番最初にアップされたのは、今から約8年前の2009年4月26日だった。第1回目のタイトルは「鷗外も啄木も使った相馬屋の原稿用紙」。その日から4月中は毎日更新している。第2回目「川田公子のみやらび太鼓と熊野からす」、第3回目となる28日は「風薫る日にオフィシャルサイト開設!!」、第4回目は「太宰治の終焉の地、三鷹を巡る」、そして4月30日の第5回目は「映画『レッドクリフ』を観て」であった。
第100回記念日は、2009年12月29日、その年の暮れも押し迫った日であった。第300回は、2011年4月29日、第500回記念は、2012年10月11日、第700回は、2014年5月2日となっている。そして1,000回目の節目となる記念の日が今日、2017年1月22日。大寒の翌日、幕末から明治の歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥が没した日でもある。「殺し屋のやうな月出て黙阿弥忌 中火臣」という句もある・・・・。
何の気もなく始めたブログがまさかこんなにも長く続くとは思ってもいなかった。8年間で1000回ということは3日弱に1回は書いてきたという計算になる。文字数も膨大なものになるだろう。こうなるともう8年間の僕の生きてきた証、記録、日記みたいな感じがして何故か愛おしい気持ちにもなってくる。
書き続けてこられた大きな要因は何と言ってもアクセスをしてくれる読者の人たちがいるという励ましである。2009年4月のアクセス数はたった89回だった。それが1000回を超えたのは、11か月後の2010年3月で1484回。そして2000回をキープするようになったのは2013年5月以降だ。2014年11月以降は3000回に迫っている。世界約60ヶ国の人々が、年間約30,000回のアクセスをしてくれているのである・・・・。ただ、ただ、感謝以外にない~☆ 今後も歳相応のペースで書き続けていきたいと思っている。ぜひ、お付き合いください。 合掌
◆写真は1000回特別記念として、ここ数年の間にチベットで撮影したいくつかの作品と僕の肖像写真をアップしました・・・・。
(撮影:山崎政幸)