写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.920] 2016年5月10日  ”母の日”の故郷・上州は五月晴れ・・・・。『愛ー旅立ち 松枝秀雄 てる子写真集』(ぶどうぱん社刊)の入稿のために朝日印刷工業(株)へ行き最終的な打ち合わせをした~!☆

春のお彼岸には、故郷の墓参へ行けなかったので母の日だという5月8日に、88歳の母が暮らす上州吾妻へ出かけた。いま、NHKの大河ドラマ「真田丸」の舞台である岩櫃城の真向かいが実家のある村である。岩櫃城の出城、内出城の二の丸跡に我が家がある・・・・。

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「北へ向かふ車窓に赤城山ひろがれば母の国なり深く呼吸(いき)する」この拙い歌は僕がまだ10代の時、帰郷の折に詠んだものだ。当時、詩人・石川啄木に心酔していたので、短歌も色濃く影響を受けているのがわかる・・・。その赤城山(1828m)。高崎駅から吾妻線の列車で行くと右手に赤城山、左側に榛名山、正面に谷川岳を中心とした上越国境の山並みが広がる・・・・。

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赤城山三景・・・。

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左の車窓からは榛名山(1449m)が広がる・・・・。

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渋川駅ホームで。この駅からバスに乗り換えて、伊香保温泉や榛名山、榛名湖へ行く。

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赤城、榛名の両山とも複式火山だが、山の形は異なる・・・・。

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僕らが子供頃は、左側の川の色が青くなっている辺りを「長ん渕」と呼んだ。深さ5メートルばかりの暗い淵と高さ4メートルぐらいの大きな岩があって、その岩から深い淵をめがけて飛び降りるのが、一人前の男(少年)になった証だった・・・・。

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僕の実家へ行くのには、吾妻川に架かる田辺橋(たんべばし)をどうしても渡らなければならない。その橋の上から見た吾妻川。歌人・土屋文明が東京・青山を空襲で焼け出されて疎開の地として僕の田舎でもある川戸へ越してきたのが1945(昭和20)年5月のこと。文明も同じ新緑の吾妻川の光景を眼に焼き付けたことだろう。文明の短歌に「友二人われをおくりて夕川を田辺わたればわが川戸村」という歌がある・・・・。

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実家の庭で。母が丹精こめて世話をしている花々が美しかった・・・・。

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アーティストの眞月美雨さんと母・・・・。奇遇だが二人とも誕生日が一緒だ~!☆☆

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2000数百点からセレクトした91点の写真をプリントしてみた・・・・。

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前橋にある朝日印刷工業(株)DiPS.Aの営業の藤井賢司さん(右)と制作部デザイナーの米山将弘君と最終的な打ち合わせをした。(5月9日)

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午前中から初めて、終わったのは午後4時を回っていた。

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すばらしい写真集になるようにと、お互いの奮闘を誓って記念写真を撮った・・・・。刊行は今月下旬頃を予定している~!☆

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