写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.770] 2014年11月11日  長編ドキュメンタリー映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」(監督:かさこ 制作・脚本:矢間秀次郎)上映会(主催:武蔵野市民学校)に参加した・・・・。あらい舞in東京ライブ(下北沢・Lown)に8年ぶりに行った・・・・。

11月8日、武蔵野市民学校・映画を○学ぶ会の主催する長編ドキュメンタリー映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」を見に行った。上映後、監督を囲むディスカッションにも参加した。この映画の監督を務めたのは、映画監督初デビューとなったかさこ君。彼は1年間で約8万枚の撮影をし、年間約90万字の執筆をこなし、ホームページのアクセス数は一日7000回を越えるという新進気鋭のカメラライターである。

僕とは10年ほど前に銀座で開いた写真展で知り合った。オープニングパーティに来てくれたのだ。以来、直接会ってはいなかったが、かさこ君が編集・執筆・撮影の全てをして刊行している「かさこマガジン」を送ってもらったりしていたので、彼の活躍ぶりは見ていた。しかし、まさか映画監督をするとは・・・・・・。かさこ君とチベットで偶然会って友達になったという写真家の菱山忠浩君にも声をかけて参加したのである・・・・・・。

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上映会は昼の部と夜の部の2回おこなわれて、合計で80人ほどの参加だったという。デスカッションには、監督の他に、この映画の製作・脚本を手がけた矢間秀次郎さんも参加して、何故、この映画を製作したのか、何故、監督にかさこ君を選んだのか、など熱弁をふるっていた。この映画の中心的なテーマは「原発事故が起きる数十年前、原発の危険性に気づき、原発マネーの誘惑を拒み、原発計画を追い出した自治体が日本に34ヵ所もあった・・・・・・」ということだ。

「故郷を、自然を、仕事を、そして家族を守りたい・・・・」と言う思いで、原発反対運動を成功させた人々を追い、丹念なインタビューの中から、人々の内面に隠された苦悩も浮かび上がらせているドキュメンタリー映画だ。この映画を通じて原発の恐ろしさは、放射能だけではなく、原発計画によって、村や町が、職場が、そして家族がばらばらになり、長い間続いてきた共同体そのものが崩壊してしまうことにあるということが理解できた。

★この日、恥ずかしながら僕のカメラにカードが入っていなくて上映会の様子は撮影できなかった。打ち上げに参加した画家の美崎太洋さんが、自分のカメラで撮影してデータを送ってくれたものをアップしたのだ。感謝~! 写真左が、かさこ監督。右から画家・太洋さん、僕、写真家・菱山君、かさこ監督の友人。

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かさこ監督と画家の美崎太洋さん。
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打ち上げは、いつも僕が行く居酒屋「三福」でおこなった。かさこ監督は出された料理が旨いと喜んでいた。
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何故か、僕を太洋さんがパチリ。そしたら監督も自身のカメラを出して撮影。「僕のブログで三国志巡禮の写真展のこと紹介しますよ・・・・」と言ってくれた・・・・・。 ありがとう~!☆
★ブログ  「つぶやきかさこ」  http://kasakoblog.exblog.jp/
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11月10日、下北沢にある「Lown」でおこなわれるあらい舞さんのライブへ行った。彼女の生の歌声を聞くのは、僕が京都の富士フォトギャラリーで写真展「ヒマラヤ古寺巡礼」を開催したときに、写真と俳句と音楽のコラボレーションをしたとき以来だ・・・・・。
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あらい舞さんとは、1988年にフォト&エッセイ『夜明けまでピアノを弾いて』(あけび書房)を共著で発行した以来の付き合いだ。彼女はまだ20代の頃だった。その後、母親を病気で亡くし、結婚をし、子どもを2人生み育て、父親も看取ってから、また音楽活動を本格的に始めた。いまは年間、数十回のライブ・コンサートをこなしている。30年前の彼女からみると当然ながら、人間としての成熟さが増し、歌の合間の語りもコミカルでありながら深いものとなっており、聴衆の涙を誘っていた・・・・・・・・。

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沖縄から来た舞ちゃんの妹・荒井祐子さん(左)。彼女は現在、沖縄で暮らしている。もう22年が過ぎたと言う。祐子ちゃんの東京の友人たちと。その中に、公益社団法人日本広告写真家協会事務局の職員の人がいたのには驚いた・・・・・・・。
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フリーのヘア&メイクアーティスト兼スタイリストとして活躍している祐子ちゃん。東京にいた頃は、歌手の沢田研二や少年隊などの芸能人を中心に担当していたベテランのアーティストだ。僕との付き合いも、姉の舞ちゃんと一緒だからもう30年になる。沖縄取材の折などのときどき会ってはいたが、ここ10年ほどは会う機会がなかったので、本当に久しぶりの再会だった・・・・・・。

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ライブに飛び入り参加したカントリーシンガーのトミ藤田さん(左)とハーモニカのSさんと舞ちゃん。

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祐子ちゃんが撮ってくれた。下北沢の「ライブハウス・ラウン」で。

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トミ藤田さんは、日本を代表するカントリーシンガー。東京オリンピックが開かれた1964年に本場のアメリカへ渡り以来一貫して、カントリー音楽を続けている。かっては「東海の美空ひばり」と言われたこともあったという。75歳とは思えないその美声と迫力ある歌声には圧倒された。この日は、「ジャンバラカ」と「テネシーワルツ」をギターを演奏しながら歌った。

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ベースギターは、「ライブハウス・ラウン」の店主・吉田達二さん。河島英五のツアーメンバーとして舞ちゃんと全国を回っていた仲間だ。この日は30年ぶりに、2人で河島英五のヒットメドレーを歌ったて、会場は盛り上がっていた。
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11月11日は、千葉県佐倉市で、「あらい舞 ピアノ弾き語りライブ」をおこなった・・・・・・。
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祐子ちゃんと・・・・・・・。
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『夜明けまでピアノを弾いて』の装丁をしたデザイナーのコガワ・ミチヒロさんも駆けつけてくれた・・・・・。
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家族ぐるみの付き合いをしていた姉妹と・・・・・・・。
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2回目のステージが終わった後も残っていたメンバーで記念写真を撮った・・・・・。 お疲れさま~!☆

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