2日の深夜、中国・雲南省から帰国して、翌日は以前から予約していた歯科病院へ行き、4日は朝から都内へ出かけるという目まぐるしい一日だった・・・・・・・。
VIVOの同人3人と奈良原一高さんの奥様、VIVO時代に暗室助手をしていた写真家・桜井秀さん。この写真も歴史的なものとなるだろう。今から20数年前に、VIVOの6人が勢揃いした写真を僕は撮っている。VIVOのメンバー全員揃った写真はほとんど撮られていない。当然、世の中には出ていないので貴重な記録となる。
家を出てから約10時間後、ようやく森田君の写真展のオープニングパーティが始まった。お祝いのあいさつをする公益社団法人日本写真家協会名誉会員、協同組合日本写真家ユニオン顧問の丹野章さん。丹野さんは森田君のお父さんとも旧知の仲だったエピソードを語った。僕も彼とは30年以上前からの知り合いである。
銀座での2次会も終え、自宅の最寄駅へ着いたのは午前0時を回っていた。駐輪所の暗闇で突然、声をかけられてびっくりしたら、知り合いのMさんだった。今が仕事帰りだという。お腹が空いているというので近くの居酒屋で軽く付きあった。ゆっくりと話をするのは始めてだった。彼女の話によれば、8年前に主人を亡くしてから女で一人で、現在高校生の息子を育ててきたという。見かけよらずにしっかりしているのだなと思った。僕が見ていた彼女はいつも少し酔っていて誰にでもニコ二コしている姿だった・・・・・・。話の最中、携帯がかかってきて今から友達と呑みに行くという。すでに午前2時半だ。僕は「息子さんが心配するから寝ている内に帰りなさいよ・・・・」と言うと「は~い!」と元気な返事をして街の中へ消えていったMちゃんでした・・・・・・・。