写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.735] 2014年8月7日 昨日、6日は広島に世界で始めて原子爆弾が投下され、多数の被爆者が亡くなった原爆忌・・・・。武蔵野市民学校主催「小さなシネ・フォーラム~フクシマを知る~記録映画『A2-B-C』(イアン・トーマス・アッシュ監督作品)」を観て、同監督とのディスカッションに参加した。

今日は、暦の上では立秋。俳人・飯田蛇笏の句に「秋たつや川瀬にまじる風の音」というのがあるが、昨今の立秋の頃は、正に極暑、炎暑、酷暑、猛暑、蒸暑、湿暑、熱暑・・・・・・・。どんな言葉を用いても表現できないような異常気象が日本では続いている。日本古来からの歳時記の概念を変えなければならないような気候である。

昨日、8月6日はヒロシマ忌、明後日の8月9日はナガサキ忌・・・・・・・・。  合掌

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今も広島の街を走る市電。原爆投下で壊滅的な被害を受けたにもかかわらず、3日後の8月9日には、市内を走り始めて多くの広島市民を励ました・・・・・・。
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(僕が初めて広島を1人で訪れたのは16歳の時だった。上州の山の中から来た少年にとって、原爆病で若くして死んだ詩人・峠三吉の「ちちをかせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ・・・・・・」と訴えるこの詩との出会いは強烈だった・・・・・・。平和公園内に建つ峠三吉詩碑の前で)

現在、被爆健康手帳を保有している被爆者は全国で192、719人となった。前の年から9060人が亡くなり、初めて20万人を割った。被爆者の平均年齢は78,9歳だという。一刻も早く被爆者の緊急援護はもちろんであるが、あの悲惨な原爆を体験した人がいなくなってしまうという現実を直視して、しっかりとした記録を後世に継承していく手立てを講じる必要があると痛感する。 「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた原爆慰霊碑の下に収められている広島での原爆死没者の数はこの1年で5507人増え、合計292、325人となった・・・・・・・・。

安倍晋三自民・公明党政権になってから一気にキナ臭くなってきた日本を取り巻く情勢だが、絶対にあななたちの犠牲は無にはしない「戦争をしない平和の祖国」を守ることを一人の日本人として心に誓い・・・・・・。  合掌

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武蔵野市民学校が主催する「小さなシネ・フォーラム」の夜の部が6日18:30~から”にいざほっとぷらざ”でおこなわれた。昼の部も50人を超える参加者だったが、夜の部はさらに参加者が増え、100人近くいたと思われる。同市民学校の代表・兼岡さんが開会のあいさつに立つ。
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上映会終了後、50人を超える参加者が残り、アメリカ人のイアン・トーマス・アッシュ監督を囲んでのディスカッションがおこなわれた。同監督は日本在住13年の38歳。3.11震災の翌月の2011年4月から原発警戒区域周辺の20~30キロ圏内で暮らす人々を記録した映画「グレーゾーンの中」で米国ロードアイランド国際映画祭の新人監督賞と観客賞を受賞。今回の映画は2012年9月から翌年1月まで毎月1週間取材してまとめたもの。

映画のタイトルのA2は、甲状腺で20ミリ以下ののう胞(腫瘍の一種)または5ミリ以下のしこりがあること。Bは、それ以上の大きなものがある症状をいう。Cは、すぐに二次検査が必要な状態を指す。福島原発の放射能漏れ事故がおきて一年半が過ぎ、福島の子どもたちに多くの甲状腺異常が検査で判明した事実を知り、危機感を覚えて、第2作目のこの映画に挑戦したのだと言う。 カメラの前に立ってフクシマの今をありのままに語る若い母親や子どもたちの勇気に感動を覚えた。それにアメリカ人の若い監督の過酷な取材にも・・・・・・・。

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ディスカッションが終えた後、喉が渇いたので居酒屋三福へ行ったら地元の若い仲間たちが飲んでいた。李ルセ・真理子夫妻(正面奥)たちは、映画会・ディスカッションにも参加していた。手前右は三福の若大将のまさ君。店を閉めてからも深夜まで呑みながらの談話は盛り上がっていた・・・・・・・。

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