写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.730] 2014年7月24日 武州野のたたずまいを残していた”まむしの森”が破壊されてしまった・・・・。「どろんこ保育園」の蓮祭、山中順子写真展「神秘の島 奄美の世界ー100歳の女神」&橋本真智子「奄美大島紬・泥染作品展」の最終日に行く・・・・。

”まむしの森”の上に住んでいる友人の由紀ちゃんから朝、突然電話が入った。「おじさ~ん、まむしの森が、伐採されてしまった・・・・・・」後は声にならない。30歳を過ぎているというのに、まるで子どものように泣きじゃくるだけ・・・・・・・。しばらく彼女の泣き声を聞いていて、少し収まってからゆっくりと話を聞いた。数日前から急に伐採が始まったという。まむしの森は、実は僕の家の前なので、本来だったらすぐに気づいてもよかったのだが、ここ2~3年の間に、住宅が家の前に建ち並び、森が見えなくなってしまったのだ。

1週間前までは、夏草におおわれた森がそのままにあったのに・・・・・・・。由紀ちゃんの話すには、住処が突然なくなってしまった鳥たちがたくさん森があった空を飛んでいることや蛇たちが道に逃げ出してきていることなど涙声で話すのだった。この辺りでは今では唯一本格的な武州野の面影をたたえている森林地帯だった。樹齢100年ははるかに超える木々が何十本もあった。植物、昆虫、鳥、小動物などこの森にはたくさんの種類の動植物が生きていたのだ。

その森を一方的に破壊し、ここの20数棟の住宅を建設するという計画が降って湧いたのが今年の春先だった。いま住んでいる人たちの前には10メートルの壁を築き、その上に2階屋の住宅を建てるというものだった。由紀ちゃんに誘われて僕も不動産屋の説明会に参加して、意見を言ったこともある。知り合いの市議会議員にも参加してもらったりもした。住民はこぞって反対していたのだが・・・・・・・・。

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この辺りに残る唯一の自然の宝庫だった”まむしの森”の無残な姿・・・・・・・。(2014年7月20日)
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武州野の雰囲気を残していた丘陵地帯を造成して何で住宅街など作るのだろうか・・・・・・。何万年もかかって出来た自然の森を金銭のためなら、何の躊躇もなく破壊してしまう人間の愚かさをつくづく悲しく思う・・・・・・・。
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家から自転車で10分程の所にある「どろんこ保育園」の蓮祭に始めて行った。この保育園はユニークな保育理念を掲げている。「にんげん力」を育てるということを最大のスローガンにしているのだ。保育目標は、①センス、オブ、ワンダー ②人対人 コミニュケーションの二つを目標にしている。①では、自然の中でできるだけあらゆるものに触れ、様々ななものを発見し、生死なども学ぶとしている。②では、園外ですれ違った全ての人とあいさつをすることをはじめ、銭湯に入ったり、商店街ツアーなど地域の人たちとの交流を重視している。面白い保育園だと思った・・・・・・・。(写真は蓮祭で歌う保護者たちのコンサート)

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ヒマラヤ、インドで12年間暮らしている由紀ちゃん。近所の友人の娘さんで、僕の写真集『雲上の神々』に刺激を受け、10代の時にネパールヒマラヤに行ったのがきっかけで、その後、向こうで暮らすことになった。いまは、インドが暑いので帰国している所だ。でもそろそろ日本での暮らしに戻そうと思っているという・・・・・・・・・・。彼女が作っている衣装やバック。アジアの少数民族の衣装に施されている刺繍などをアレンジして独特な衣装を制作している・・・・・・・。

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久しぶりに会った元気ママの雪乃ちゃん(左)とそのお友たち。彼女はこの「どろんこ保育園」の運営にも深く係わっているという。3人の子どもたちもこの園で育っている・・・・・・。
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この間、鹿児島の友人たちから送られて来た美味な薩摩芋焼酎。右から「金峰 桜井」(桜井酒造)、「なついろむそう・いるかラベル」(さつま無双)、「花蝶木虫」(白石酒造)。
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先輩写真家・丹野章さんと銀座にいたので、「近くで奄美の写真展をやっていますが、今日が最終日ですので行きませんか・・・・・」と聞くと、興味があるので行くと言うので一緒に出かけた。夏大島紬を着て出迎えてくれた染色・服装デザイナーの橋本真智子さん。
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写真家・中山順子さんと丹野章さん。順子ちゃんの写真集『奄美100歳 母なるシマ、生命の島』を見る丹野さん。丹野さんが初めて奄美群島の取材に行った年に、山中さんが生まれたということが判り、2人で盛り上がっていた・・・・・・・。
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この日も若い人たちが手伝いに来ていたさ~!!
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僕も一緒に記念写真を撮った。山中さんは、「最後の日に丹野さんと出会えたこと、そして小松さんと知り合えたことは、本当に刺激的だったし、大いに勉強になった・・・・・」と喜びを語っていた。僕も彼女から大いにパワーをもらった。 ありがとう~!☆
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僕のカメラのSDカードの残りが後4枚しかなかったが、写真家・丹野章の肖像を撮った。4カットの内3カットをアップしておく・・・・・・・。丹野章さんは、ご存知とは思うが、日本の写真著作権を確立させた立役者であり、1950年代から1960年代の日本の写真表現を牽引した「VIVO」の中心的なメンバーだった。ここには当時、新進気鋭の写真家・東松照明、細江英公、奈良原一高、川田喜久治、佐藤明の6人がいた。丹野さんは現在、公益社団法人日本写真家協会名誉会員、協同組合日本写真家ユニオン顧問、日本舞台写真家協会名誉会員などを務めている・・・・・・。

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僕のパナマハットを被って、「フーテンの寅さん」こと渥美清のスタイルを真似てカメラの前に立った。後、3週間足らずで満89歳になる丹野さん。そんなにはとても見えない若々しさがある・・・・・・。ちなみに先日23回忌をした親父と同じ歳だ・・・・・・・。
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最後のカットは、真正面から対峙して撮影した。僕が「遺影になるように撮ろう」と冗談を言うと丹野さんは、右手の親指を立てて「イエ~ィ」とカメラの前で笑った・・・・・・・。

 

★こころから感謝申しあげます。 ありがとうございました・・・・・★

☆岡山・Tさん  岡山名産 「ピオーネぶどう」箱詰め    ☆埼玉・Yさん  薩摩焼酎「黒麹白波」

☆鹿児島・Kさん  本格芋焼酎「黒甕・長期貯蔵」    合掌     全日本お布施党  党首

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