写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.727] 2014年7月17日 父・幸太郎の23回忌(命日7月13日)の法会を上州・伊香保温泉にて、母を囲み兄弟家族が集いささやかに執り行なった・・・・・。

7月15日朝から故里の上州へ向かった。この日、父・幸太郎の23回忌の法会を家族・兄弟が集まってすることになっていた。母は86歳となり、元気で旅をすることも段々にできなくなってくるだろうと、実家に集まった後、お墓参りをすませてから伊香保温泉へ行った。神主さんも住職さんも呼ばず、母を囲んで兄弟家族だけの水入らずで慎ましやかにやる計画だった。その方が親父も喜ぶだろうと思った・・・・・・・。

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僕は母が一人暮らしをするようになってからは、年に5~6回は田舎に帰省するようにしている。そのときには必ず各駅停車で行く。ぼんやりと車窓からの風景を眺めたり、車内の人々を見たり、本を読んだり、駅弁を肴に一杯のんで眠ったり・・・・・・・。これが心地良いのである。(高崎線の車内)
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右側には赤城山、左側には榛名山、正面には谷川岳をはじめとした上越国境の山々が連なる・・・・・・。写真は赤城山、一句詠む。    梅雨晴れの赤城の空に人想ふ  風写
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偶然車中で、友人の勝田政子さん(右)の娘・幸代ちゃんに会った。昨年、大病をした勝田さんの顔が見たくて家まで一緒に行った・・・・・・。前回、見舞いに来たときよりも一段と元気になっていたので安心した・・・・・・。
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うどんは群馬の「さとのそら」、蕎麦は地粉の「豊秋そば」を使用するこだわりの手打ちの店。てんぷらも地元の夏野菜だ・・・・・・・。
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ちょうど昼時だったので、親父が死ぬ前にうどんが食べたいといって来た「雷亭」へ行った。汁が口の中に沁みて痛いからと、うどんの麺だけを美味しそうに食べていたと言う。23年前の親父を想いながら食べた・・・・・・・。
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実家の庭は夏野。色とりどりの花が咲き乱れていた。三男・小松勝三の嫁・美香に佇ってもらって撮った・・・・・・。
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次男・小松修二・宇基子夫妻も合流し、三男・小松勝三・美香夫妻と母・あや子と・・・・・・。
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僕も入ってパチリ~!☆ 三人兄弟がこうして元気に母といられるのはありがたいことだ・・・・・・。  合掌
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小松家代々の墓は、東京の多磨霊園にあるが、親父が亡くなった時に母が気軽に墓参できないと実家の近くに作った。そして祖父や父の兄弟などの遺骨を多磨墓地から移したのである。現在の多磨墓地の墓には親父の分骨が納めてある。現在の墓の周りは、こんにゃく畑と水仙の畑が広がっている・・・・・・・。
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夏草が茂っていたので、みんなで墓の周りの掃除をした・・・・・・・。
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掃除を終えてみんなでお参りをすませて記念写真を撮った・・・・・・・・・(2014年7月15日)  父の命日は1992年7月13日だった・・・・・・。
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日が榛名山へ傾きかけた頃、石段の町として知られる上州・伊香保温泉へ着いた。旅館の部屋から見た温泉街。この日の宿泊先は、「金太夫」。林芙美子の代表作『浮雲』のなかに実名で登場する伊香保の老舗旅館だ。実は数年前までは次男の修二が板長をしていたこともあってよく使っていた・・・・・・。
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夕食の前に、テーブルに僕が持ってきた親父の若かりし頃の写真を飾った。それに親父の事も書いている勝三の著書『小松勝三の日日是好日』も。そして担いできたシャンパンと好きだったビールも置いた・・・・・・。
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弟たちの嫁に囲まれて写真に納まる母、86歳。右、修二の嫁・宇基子、左は勝三の嫁・美香。いつもいろいろと気をつかってもらって、感謝している。 ありがとう・・・・・・・。
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みんなで記念写真。そういえば親父も入って家族みんなで撮った写真はないなあ~・・・・・・。
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次男・修二が結婚の保証人にもなった弟子がいま、この宿の板長を勤めている。僕らのために刺身の船盛りをご馳走してくれた。鱧の湯引き、金目代のお作り、バフンうに、ホッキ貝など美味であった・・・・・・・。
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次兄・修二が用意した群馬特産の琵琶湖鱒と山女を掛け合わせて開発した「銀ひかり」(左)と大岩魚のお作り。この刺身は今までに食べた事がなかったが、鮭などよりも味にこくがあり、深みがあった。歯ごたえも色合いも良かった。弟が厚く切るように指示したという・・・・・・・。
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母は山育ちのせいか、一切の生物は口にできない。焼き魚なら食べるが・・・・・・。この日も野菜を中心に美味しいと言って食べていた。
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人生50年にして処女出版をした三男の勝三。この日は彼にとってもめでたい日であった・・・・・・・。
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この出版は、僕が兄にとして手伝った。刊行までには、具体的な作業に入ってから約6ヶ月かかった。編集・構成、写真から印刷・製本に至るまで協力したのである。良い本ができて僕もうれしい・・・・・・・。
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仕事を終えた後、少し遅れて出席してくれた小松修二・宇基子夫妻の息子・宗徳君。もう31歳になるというが、良く来てくれたね・・・・・・・。  ありがとう~!☆
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部屋に戻ってからも延々と飲み会は続いた。母は早く床に就き、僕は疲れが溜まっていたのでマッサージをしてもらった・・・・・・・。
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父母にとっては、孫となる宗徳君が出席してくれたことは、とてもうれしかったのにちがいない・・・・・・。
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翌朝、宗徳君は仕事のために早く帰ったが、みんなで宿の部屋で母を囲んで記念写真を撮った・・・・・・。
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榛名湖と榛名富士。典型的なカルデラである・・・・・・。榛名山の最高峰は外輪山の掃部ヶ岳(かもんがだけ)1449m。榛名湖は、「山の淋しい湖に ひとり来たのも悲しい心・・・・・・」ではじまる『湖畔の宿』のモデルとなった地として知られている。この歌は、作詞:佐藤惣之助、作曲:阿部良一、歌:高峰三枝子で大ヒットした曲だ。戦中は、特攻隊の慰問のときには必ず唄い、若き隊員たちが涙を流しながら聞き翌朝、基地を飛び立っていったと言う悲しいエピソードを高峰は語っている・・・・・・・。 現在、湖畔にこの歌の碑が建立されている。

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勝三夫婦は仕事のため伊香保で別れた。勝三はこれから栃木の宇都宮まで出張だという。修二夫婦は休みを取ったということで、榛名湖周りで実家まで車で送ってくれた・・・・・・。
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静かな榛名湖畔で・・・・・・・。
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榛名山の外輪山のひとつ烏帽子岳。昔、元服した男子がかぶる袋形の帽子に似ていることからこの名前が付いた。僕らの子どもの頃は小学3年生になると5月5日に家から榛名湖までの山道を歩いて往復しなければいけないという決まりがあった。片道4里だったから往復32キロメートルほどあった。悪路で標高差約700メートルの山道をまだ10歳前後の子どもが握り飯だけを持って行ったのだから、今思えば相当ハードだ。

帰りはいつも真っ暗な山道を走って帰った記憶がある。先輩たちが「お化けだ~」などと脅かすので、岩に足をひっかけて転び、膝を何度も擦りむいたものだ。中学校の林間学校もこの榛名湖畔。毎日毎日カッターボートを漕ぐ訓練をし、掌に出来た血豆をよくつぶした思いでもある。20歳の成人式の行事もここでやった・・・・・・・。とにかく僕にとっては思い出の多い場所なのである・・・・・・・。

 

★こころから感謝します~!☆ ありがとうございました・・・・・・・。

☆鹿児島・Mさん 沼津「和助」無添加干物セット ☆東京・Kセンターさん 桂新堂・せんべい詰め合わせ

☆鹿児島・Mさん 薩摩芋焼酎・「夏さつまむそう」        合掌    全日本お布施党  党首

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