写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.711] 2014年6月3日 1年ぶりに初夏の鹿児島へ。写真研究会「風」の新メンバー、写真仲間、芋・黒糖焼酎、薩摩料理、島唄、そして桜島・・・・・と逢う旅(第2回)

鹿児島に来て4日目となる5月28日は、午前中に今年「風」のメンバーとなった写真家・北山毅君がホテルに迎えにきてくれた。この日は彼が空いているというので、北山君が現在撮り進めている錦江湾の漁村を回ることになっていた。昼食は鹿児島の特産、黒豚のヒレカツをご馳走になった。十数年ぶりだったが美味しかった。

食事後、名勝仙巌園、尚古集成館、薩摩切子の工場などに行って見た。近代日本の発祥の地・薩摩の歴史や島津藩の資料に触れて一層、鹿児島の風土を深く見つめたいと思ったのである。午後4時に仕事を終えたもう一人の「風」会員の眞月美雨さんが合流して、北山君が取材をしている櫻島の2つの漁港へフェリーで向かった。これは「風」の鹿児島出張撮影会みたいなものだね・・・・・・・・・。

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おもに大砲などを製造していたという島津藩の反射炉の土台。
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撮影:北山毅
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近代的な反射炉の隣にあった海・山神の祠。
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示現流は薩摩藩独特の剣術の一派。僕も子ども頃から剣道をしていたが、まったく基本がことなる。久しぶりに素振りをしてみた。ちなみに僕は10代で剣道3段の腕前だった・・・・・・・・・。  撮影:北山毅
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島津斉彬が1851年に始めたという薩摩切子。1863年の薩英戦争で工場が焼け、明治維新の動乱の中で薩摩切子の優れた技は途絶えてしまった。その100年後の1985年に島津家と鹿児島県が中心となって薩摩切子の復元事業が始まったのだ。現在は鹿児島県伝統的工芸品の指定を受けて、若い世代の技術者が育っている・・・・・・・・。
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斜陽にくっきりと映える桜島と錦江湾。前日までのひどい黄砂がこの日は舞っていなかった・・・・・・。
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突然、フェリーが右に舵を切り始めたので、何かと思ったら桜島の前方を横切る潜水艦が見えた・・・。28ミリレンズですのでごめんなさい・・・・・。
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潜水艦が通った跡の海面はいつまでも音がするぐらい泡だっていた・・・・・・・。
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カメラを構える美雨さん。 この日もモノクロのフイルムで撮影していた・・・・・・・。
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最初に行ったのは、北山君が通っている桜島の小さな漁港。
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漁港の後ろには集落がひっそりとあった・・・・・・。
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とんびの啼く声だけが辺りに響いていた・・・・・・。
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美雨さんと北山君。錦江湾に望む漁港はあくまでモチーフ。それを写すことによって何をテーマとし、伝えたいのか、ここを考察しないと写真は深まっていかない・・・・・・・・。
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まだまだ若い2人。夢を持ちつづけて鹿児島いや、日本を代表する写真家として育って欲しい・・・・・・・。
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撮影:北山毅
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2つ目の漁港も静かだった。ぼらがボ~オッと昼寝をしていた・・・・・・。
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入り江で、のんびりと釣りをする地元の人が2人いた・・・・・・。
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北山君と2人で白浜温泉の共同湯へ入った。右の横腹がず~と痛かったのでどうしても入りたかったのだ。桜島特産のびわが売っていたので土産に買ってきた。信じられないくらいに安いよ・・・・・・・。
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湯上りに見上げたら、目の前に櫻島が聳えていた・・・・・・・。
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錦江湾を行き来するフェリー。韓国で沈没したフェリーのことが頭をよぎった・・・・・・。
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夕日に染まっていく海面・・・・・・・。
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デッキの恋人たち・・・・・・。
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僕も夕日に染まっていく・・・・・・。   撮影:眞月美雨
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船のガラスに写った光景・・・・・・・。
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堤防と赤い灯台と釣り人・・・・・・・。
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鹿児島での最後の夜は、美雨さんが通っている英語学校の美紀先生が手作りの料理をたくさん作って招待してくれた・・・・・・・・。  感謝~!☆
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僕も美紀先生と・・・・・・。 彼女が持っている「フォトコン」6月号には、僕の作品「日本文学風土記ー宮澤賢治」が8ページグラビアで掲載されているのでプレゼントした・・・・・・・。
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鹿児島での最後の夜は、前日も村上君たちと行った「奄美郷土料理 群倉」へ行った。群倉と書いて「ぼれぐら」と奄美言葉では読む。高床式の倉がたくさん集まっていることの意味だという。
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ここでたまたま隣合わせた人が、奄美大島の名瀬市民謡協会の会長を昨年まで4年間務めていたという日置幸男さん。僕が昨年奄美に行った時に通った「かずみ」の女将さんのことなど共通の話題で大いに盛り上がったのだ。そうしたら店の女将・市枝さんが三線を出してきて「先生一曲やってくださいな~」ということになり、日置さんは僕らのために何曲も解説を交えながら歌ってくれた・・・・・・・。

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愛する人との別れを唄った哀愁漂う島唄、みんなで陽気に踊りたくなる「ワイド節」に代表される元気な島唄など唄ってもらいとても豊かで贅沢な時間だった。そして鹿児島の最後の夜にふさわしい出逢いだった。今度かならず奄美で共に飲みましょうと固い約束をして別れたのである・・・・・・・。
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もう一人お客さんがいた。システムエンジニアをしている後藤啓太青年。もちろんこの日はじめて会った。彼は、初の鹿児島にこの日ついて、この「群倉」に一人でぶらりと入ったのだそうだ。聞けば「全国の都道府県をそれぞれ1週間づつ約1年間かけてまわっています。昼はホテルで仕事をして夜はこうして旨い料理と酒を飲むんですよ・・・」と言うではないか。

ムムム・・・・・お主、若いのにやるな!!と思った。では君も一緒に飲もうよと言うことになった。僕と同じ黒糖酒「長雲」、「龍宮」、「高倉」の30度、「里の曙」の40度と空けた。酒は強い。肴もはじめての人には、なかなか口にあわない山羊刺し、山羊汁など平気で食していた。後藤君の実家は愛媛の造り酒屋だという。しかも料理も好きでさまざまなイベント企画をしているというのだ。今時おもいろい若者だと思った。彼との再会も約束した・・・・。美雨さんと記念写真を撮る。

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僕は三線奏者の日置さんと「群倉」の女将・市枝さんと。別れまぎわに僕の大好きな黒糖酒「長雲」を女将は土産にもたせてくれた。鹿児島の最後の愉快な夜をみなさん。 「アリガサァマリヨ-タ」(ありがとうございました)・・・・・・・。
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5月29日、いよいよ帰京の日。この日も鹿児島は気持ちの良い晴天だった。錦江湾にのぞむ市内の公園にサーカス小屋が建っていて、テントの中から軽快な音楽が流れていた・・・・・・・。
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昼食を取りに入った店の前では子どもたちが楽しそうに水遊びをしていた・・・・・・・。
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仕事が休みと空港まで見送りをしてくれた北山多代子さんと美雨さん。
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これが最後と僕は刺身の5点盛と黒豚のしょうが焼き、貝汁、それに東京ではまず飲めない芋焼酎の「村尾」をいただいた・・・・・・・・。 うれしそうでしょう~!☆
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多代子さんと記念写真。6月には北山君と一緒に上京するというので、また会いましょうと約束をした・・・・・・・。(鹿児島の旅はお・わ・り~!☆!)

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