写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.692] 2014年4月17日 独特の文化・風習が今も息づく「空白地帯」天府の国から雲南秘境ーイ族の世界・大涼山を訪ねる旅・・・・・・(第4日~7日目)

旅の4日目となる4月5日は、長江の上流・金沙江の岸壁に広がる金陽県を朝9時に出発した。昨夜は午後8時過ぎに着いたのでどんな地形の街かわからなかったが、夜が明けてるとその全貌が見えてきた。深い渓谷の両側にへばりつく様にある町であった。この日は、昨日来た道を戻り、かって涼山イ族自治州の州都だった昭覚を通って現在の州都・西昌へ。標高3000メートル級の峠をいくつか越え、約310キロメートルの道程を走破した・・・・・・・・。

翌5日目は、清清しい朝のなかを1400mの高原の街・西昌を出発し、会東を通り、紀元前111年には、すで会理県として存在していたという資料が残る歴史の古い街・会理まで360キロメートル走った。中国の奥地にもかかわらず、明、清時代の建物などが残っており中国歴史文化名城として登録されている。現在残る古城の北門城楼は、1398年創建のものである。

6日目となる4月7日は、四川省最南端、雲南省との境町・大女兆。南シルクロードの経由地点としても知られている古くから栄えた町だ。早くから漢族文化やインド仏教文化などを取りれた歴史ある町である。北京にある故宮と同時代に創建された寺院・徳豊寺がある。また近郊の村には、1368年創建の孔子廟があった。途中、金沙江が増水していたために、フェリーで渡れず、山道を遠回りするルートを通ったために、400キロメートルを超える道程となった。ちなみにフェリーの足止めはこの日で、5日目だとダンプカーの若い運転手はヤケクソ気味に語っていた・・・・・・。

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金陽の町からの眺め。渓谷の下を流れるのは金沙江だが、霧の中で見る事ができなかった。小雨そぼ降る中、桐の花と菜の花が咲いていた・・・・・・・。
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急な斜面に縦横に作られた道があり、その上に集落がある(金陽)。
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昭覚への道。政府の政策で規格化された家が建ちなんだ集落が増えた。山奥にまるで日本の建売住宅のような村が出現した感じがした・・・・・・・。
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この日は夜半からの雨で、舗装されていない道はグチャグチャだった・・・・・・・。
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大型の荷物を満載にしたトラックが、道路をふさいで泥濘にはまっていた。このトラックが動き出すまでに約2時間ここで待たされた・・・・・・・・。
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昭覚で遅い昼食を取り、3000メートル近い峠を越えて西昌の街が一望できる所まで来たときにはすでに、夕暮れ時であった。三国時代に蜀に反旗をひるがえした少数民族の孟獲は、現在の西昌周辺を治めていた豪族だった。「南征」に出た諸葛孔明は、「深く不毛の地に入れり・・・・・」と感慨を記しているが、彼もこの風景を見ていたかもしれない・・・・・・・。

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汚れた僕らの車を街に入る前に洗車した・・・・・・。料金は20元だから日本円で約340円。
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5日目は、西昌から会理までの金沙江に沿って走る360キロメートルの道程だ。若山牧水の歌「幾山河越えさりゆかば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」を思いおこす・・・・・・・。途中のイ族の村でのバザールで。
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近郊の村から買い物に来ていた家族・・・・・・。
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肉、野菜、魚などの食料品から、衣類、日常雑貨品までなんでもそろっていた・・・・・・・。
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イ族独特の華やかな刺繍をほどこしてあるちゃんちゃんこをしていた若い母親・・・・・・・。
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道端で赤ちゃんに乳をやる若い母親。 写真を撮っていた僕を見てにっこりと笑った・・・・・。
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小銭を賭けたビリヤードゲームに夢中なる子どもたち。参加していない小さなこどもの瞳も真剣だった・・・・。

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町外れの広場では、牛や馬や山羊の市も開かれていた。四方は4000メートル級の山々に囲まれている。
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急斜面を耕している。その中ほどに集落がある典型的な光景・・・・・・・。
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この村も急斜面を段々畑として耕作していた・・・・・・・。
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長江上流の金沙江の豊かな流れ。両岸には町や耕作地が広がる。山の斜面の至る所には桑の木が植えられていた。シルクが高く売れるので政府は養蚕を奨励しているらしい。

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ガイドとして協力してくれた友達の蒋志女亭さんが、たくさんの桑の実を摘んできた。僕らの田舎では、「ドドメ」と呼んでいた。甘いものがない時代だったので季節になると子どもたちは一日中木によじ登って食べたものだ。上州は養蚕が盛んな国だったので、どこでも食べ放題だった。しかし、シャツやズボン、帽子までが紫色に染まってしまうのでよく母に叱られた・・・・・・・。

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会理古城の場内。明・清代の古い家並みが続いていておもしろかった・・・・・・。
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御鼓楼から見た北街路方面。
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御鼓楼から見た南街路方面。
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小さな路地にも近郊の村々から野菜や果物を売りにきた農民があふれていた。
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正面に聳えるのは、北門城楼。
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街の商店一軒一軒に生活の匂いが色濃く沁みこんでいて、いつまでも佇んでいたい心境にかられた・・・・。
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会理古城には、観光客などは一人もいなかった。日々の日常生活がそのままに見える僕の好きな町となった・・・・・・・。(ここまでの写真は全て会理で)
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大女兆近い村で。西日が傾きかけていたので光が美しかった・・・・・・・。
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村の前にはため池があって辺では農作業をしていた・・・・・・・。
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脱穀を終えた藁束に写った僕の影。2014年4月7日の旅の自写像。

 

 

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