写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2014年4月アーカイブ

 

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高知県香南市夜須町で栽培されている「夜須のフルーツトマト」という銘柄のトマトと出会ってから、僕のトマトという野菜にたする概念が変わった。真紅の深い色合い、歯ごたえのある食感と香り、フルーツを思わせる風味のある糖度の高さ・・・・・・・。その一つ一つに驚かされた。このトマトの箱のなかに同封されていた手紙には「夜須のトマトは太陽と大地の愛情を全身に受けて真っ赤に実りました。また、生産者はその愛情を逃がさぬようつきっきりで育て情熱を育んでいるのです。夜須のトマトはあなたに愛情と情熱をお届けします。」と記されている・・・・・・・・。

僕が夫婦で脱サラをして、トマト作りに賭けた若い農民と出逢ったのは、いまから4年前の2010年の夏だった。詩人・宮澤賢治の取材で一週間ほど岩手県花巻市を中心に取材へ入っていた時であった。花巻温泉のさらに奥の山間に長い歴史をもつ台温泉というひなびた温泉がある。そのなかの一宿の風呂場で偶然に出逢ったのである。彼は夕食を奥さんと一緒に食べることになっていたにも係わらずあんまりにも遅いので、仲居さんが倒れているのではと心配して男湯へ覗きに来た程だった・・・・・・・・。

つまり僕と風呂場で出逢い意気投合して、時間が経つのを忘れて2人で話に夢中になってしまったのである・・・・・・・・。その時のエピソードについては当時の僕のブログに詳しく書いているのでここでは書かないが、その後、「ぜひ、僕らが作ったトマトを食べてみてください」と送ってきた。僕は一口食べていっぺんに惚れ込んでしまい以来、自称「夜須のトマト東京宣伝部長」を買って出ているのだ。

★申し込みは★  福永正誠道  serow623@ma.pikara.ne.jp  (小松健一のブログを見たと言ってください。お楽しみサービスがあるかも・・・・・・)

その若い農民の名は、福永誠道ご夫妻。一年のうち約10ヶ月間はトマトとともにいつも一緒に寝起きしている。一歩も外出は出来ないという。その後、僕が土佐に行った折に2度会い、共に酒を飲み交わした。また、僕の故郷・上州へも来てくれて、3日間上州路を走った。その間、実家に泊まってくれた。この夫妻はライダーでもあるのだ。トマトの出荷が全て終わり、翌年の苗を植えるまでの期間、毎年1ヶ月間ほど全国各地を2人でバイクの旅を続けているのだ。”さすらいの農民夫婦ライダー”である。 今年の夏はどのあたりの土地の風を切って走っているのやら・・・・・・・。

とにかく福永さん。今年も愛情と情熱いっぱいの美味しい夜須のトマトをありがとう~!☆!☆!☆ 合掌

第2回目となる憲法を考える写真人の会が主催するセミナー「”国家秘密”と表現の自由」が26日午後2時から、都内の日本カメラ財団でおこなわれた。参加者は土曜日の午後にもかかわらず、40人を超えた・・・・・・・。

司会・進行役はよびかけ人の松本徳彦さん。最初によびかけ人を代表して田沼武能さんがあいさつ。続いて事務局を担当している僕が会の結成の趣旨ならび、この間の活動経過などを説明した。そして福岡から来ていただいた講師・西山太吉さんの講演に入った・・・・・・・。

西山さんの話は、まず日米同盟を中核にした戦後の歴史認識を明確に知ること。その内容が変貌していったプロセスを掴むことの重要性から始まった・・・・・・・。講演は多岐にわたったが、そのひとつひとつはジャーナリストらしく鋭く且つ、具体的で説得力があった。予定していた時間を大幅にうわ回る約2時間の熱のこもった話となった。その後、参加者からの「日中関係の今後のあり方」などの質問に、丁寧に答えてもらっい午後4時20分に終了した・・・・・・。

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西山さんは、日本が安倍政権の下に、現在すざましい変貌を遂げていることを国民が認識していない。それは国家による情報操作、国家統制にあるが、主権者である国民が無関心であることも問題だ。まず、この厳しい現実をしっかり認識したうえで我々は生きていかなければならないと警告した・・・・・・・。

どう日米同盟が変わっていったのか、その歴史的な背景について語り、1972年の沖縄返還時における日米の密約の内容やその後の米軍への「おもいやり予算」のからくり、憲法9条の事実上の空洞化、9条を取り返す運動を。自衛隊の海外派兵への策動実態、イラク・アフガン戦争の総括をしない日本政府の無責任さ、安倍首相の歴史認識と危ない国家観、米国の中国にたいする本音などを事実に基づいて語った。

そして権力が集中するときは必ず秘密保護が強まること、メディアが巨大な権力に対して批判しなければ、民主主義は崩壊する。情報は戦時中の大本営発表と同じになる。すべてが秘密保護の名の下にみな秘密となる。情報公開法は事実上なくなる。日本は闇の世界、永久秘密国家となる。我々は「知る権利」とよく言うが、この権利は自動的には得られないものであることをしっかりと認識しなければならない。そうでないと主権在民が侵食されて行く道筋を歩むことになる・・・・・・・・。
ここでは書ききれない深い内容の話であった。襟を正されたような気になったのは僕だけではないだろう・・・・・。

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約2時間におよぶ話に熱がこもる講師のジャーナリスト・西山太吉さん。
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この日のセミナーで裏方として動いてくれた人でささやかなご苦労さま会をした。宮崎の芥川仁さんは飛行機の時間があるために帰った。この場で加藤雅昭、木村正博、菱山忠浩氏の3人がの新たに「憲法を考える写真人の会」の賛同・よびかけ人になってくれた。
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よびかけ人代表のひとり丹野章さんも参加。数日前にインド取材から約6ヶ月ぶりに帰国した菱山忠浩君(写真の真ん中)も参加してくれた。この後、僕と菱山君と池袋の旨い焼き鳥屋「三福」で、菱山君のささやかな帰国祝いをした。2人でそうとう呑んだらしく最寄り駅までの記憶は定かではない・・・・・・・。
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ぼ~っとした頭で、最寄り駅前の酒屋がしている立ち飲み屋に寄った。そしたら居酒屋「三福」の若大将ことマサ君が婚約者と飲んでいた。数ヶ月前から彼女は土曜日にはいつも実家のある千葉から店の手伝いに来ている。二人のツーシヨットを初撮りした。マサ君のうれしそうな顔。しかし、一番喜んでいるのは「三福」の大将と女将さんだ・・・・・・。
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店に来ていた若い仲間たちもみな喜んで記念写真を撮った・・・・・・。この写真は、たしかカウンターにいた女将さんが撮ったのだが、上手いな~!☆
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この時間になるとこの立ち飲み「みのる」では、いつも一番の年寄は僕と決まっている。いろいろな職業の人たちが集まってきて呑んでいるが、みな年寄には親切にしてくれるのでうれしいやら、悲しいやら複雑な心境である・・・・・・・・・・。

ようやく今回の旅の報告も最終回を迎えた。長い間、お付き合いいただき感謝しています。ありがとうございました。・・・・・・・・。  合掌

さて、当初の予定では今回の旅は、僕とコーディネイターの地元・イ族出身の烏里烏沙君を含めて4~5人で行くつもりだった。それが蓋をあけてみたら何と・・・・・・。僕らを含めると10人。現地成都で合流するドライバーとガイドを含めると総勢12人という大所帯の旅となった・・・・・・・。

それもさらに驚くべきことは、僕もふくめての参加者の平均年齢が75歳という自民・公明政権に言わせれば”超後期高齢者”集団である。5月で満89歳になる女性を筆頭に81歳男性、79歳、78歳の男性、女性がうじゃうじゃ・・・・・。僕と 僕よりも若~い参加者で何とか平均年齢を引き下げたものの圧倒的な”老人パワー”にただただ圧倒され続けた旅であった・・・・・・。まだまだ精進が足らないと自己反省を深めた旅でもあった・・・・・・。

以下にアップした写真は、そのほとんどはシグマDP1で撮影したものだが、一部ペンタックスーK3で撮ったものもある。 ほぼ旅の日程を追って並べている。 食事風景、記念写真、現地で出逢った人たちなどなど枚数は100枚ほどになってしまったが、これも旅の記録と思って載せた。ご容赦くださいませ・・・・・・・・。

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4月2日、成田発成都行き全日空NH947便は、成都に現地時間で22時10分に到着。市内のホテルへ着いたのは24時近かった。雲南省の昆明から今回使う車を持って来た運転手たちと深夜の屋台で夕食をとりながら打ち合わせをした・・・・・・・・。
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4月3日。今日の目的地の雷波までの道は険しい山岳路であった・・・・・・・。
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切り立つような崖の谷間を縫うように道路は進む・・・・・・・。
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7年ほど前から何度か会っている蒋志女亭さん。本来は山岳ガイドが専門だが今回、高齢者が多いために急遽ガイドとしてお願いした。烏里君とは親しい友人である。
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今回の旅では、大きなカギを握る2人。記念に写真を撮る・・・・・・・・。
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4月3日。途中の町の食堂で昼食。
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4月3日。雷波県の環境管理局長、公安局長、森林管理局長などが僕ら一行を歓迎してくれた・・・・・・。
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4月4日。この日の目的地、金陽県へ行く途中の村の食堂で昼食。
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4月4日、金陽県の夜も県の厚生局長、広報部長、金陽県写真家協会会長、校長先生などが、僕ら一行を歓迎して夕食会を催してくれた。乾杯をする人々・・・・・・・。
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金陽県厚生局長と・・・・・・・・。
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右から蒋さん、岡山から参加した写真家の三好さん、高田さんと東京から参加した画家の藤森さん。
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金陽県の青年と藤森さん。
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烏里君と金陽県の人たちと・・・・・・・。
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金陽県写真家協会会長と厚生局長と僕・・・・・・・・。昨年僕が監修をして刊行した日本中国写真家共同作品集「イ族」の表紙写真は彼(真ん中)が撮影したものだということがわかって改めて乾杯をした・・・・・・・。
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蒋さんとは1年ぶりの再会だった・・・・・・・。
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4月5日。渓谷の町の金陽は朝から小雨が降っていた。ホテル近くの町の食堂で朝食を取る・・・・・・・・。
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4月5日。途中の道が悪路だったために、午後3時を回ってしまったが、ようやく昼食にありつけた。かって涼山イ族自治州の州都だった昭覚で。イ族の男女はみなこの手刺しのマントを羽織っていた・・・・・・・。
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町の小さな食堂で切り麺を食べた・・・・・・・・。
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僕らにマントを売ってうはうはの市場の親子・・・・・・・・。
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マントを買ったのは僕と上條さん。何故か僕のが500元で彼のは400元。いったい100元の違いは何処から来るのか。理解に苦しんだ。500元は日本円で約10、000円となる。でも一生使えるものだから安い買い物をしたと思っている・・・・・・・。 右から日本風景写真家協会の安井さん、NPOチベット高原初等教育建設基金会の甲野さん、僕、チベット基金会の上條さん、俳人の笠原さん。
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4月5日。西昌市のホテルでこの日が誕生日の藤森さんと2日前に誕生日を迎えた上條さんの2人の誕生パーティをささやかながらおこなった・・・・・・・・。ちなみに上條さんは78回目の誕生日である。
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急遽、蒋さんが町のケーキ屋さんへ行って注文して来てくれた誕生ケーキ。
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上手に切り分けるのも蒋さんのお仕事・・・・・・・・。心配そうに見つめるドライバーの胡波君と烏里君です。
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この夜、ホテルで経営している「足湯」へ行った。中村さんと笠原さんがどうしても行きたいというので・・・・・・。気持ちよさそうに寝息をたてる中村さん。
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僕の大きな足を一生懸命に揉んでくれたイ族の女性。カメラを向けたらピースサインをして応えた・・・・・・。
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90分で80元(日本円で約1300円)。足を漢方が入っている桶の中でゆっくりと洗い揉むだけでなく、全身も揉みほぐしてくれる。
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火を使って筒のようなものを吸盤にして足の裏などに吸いつけて行く・・・・・・・。
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終了後、記念に一枚写真を撮ってあげた。 写真を見て彼女はとても喜んでくれた・・・・・・・。
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一緒に中村さんと笠原さんを担当した女性たちと3人で。 まだあどけなさが残っていたので、10代の女子かもしれない・・・・・・・。
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中村さんを担当してくれた女子と・・・・・・。
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笠原さんを担当(左)してくれた女子と・・・・・・・・。笠原さんも中国へ来るといつも「足湯」へ行くが、僕も疲れがとれるのでよく行く。この旅でも5~6回は行った。何と言っても日本と比較すると安いのが魅力だ。
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4月6日。この日の宿泊地・会理へ向かう途中のイ族の町で昼食を取った。
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桑畑のなかで・・・・・・・・。
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桑の実をたくさん取って来た蒋さん。
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烏里君が撮ってくれた・・・・・・・。
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会理の町へ出て夕食を取った・・・・・・・。
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まだ飲み足らない人は、ホテル近くの屋台へ行って白酒で焼き鳥を・・・・・・。
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今回の旅の約3000キロメートルを一人で運転する胡波君。優秀なドライバーだ。可愛い娘さんの写真を胸にいつも仕舞っている。
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のんべぇ~軍団の面々・・・・。笠原さんは81歳にもかかわらず毎日昼からビールを飲んでいた・・・・。
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4月6日。この日の宿泊地・会理へ向かう途中の村で昼食。写真の順番が狂ってしまいました・・・・・・・。
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4月7日。この季節、この辺りのどこの村々でもサクランボを売っていた・・・・・・・。素朴な味で美味かった。
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イ族の風情のあった村「新村」の女性と・・・・・・・。
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は~い!烏里ちゃんと蒋ちゃんも・・・・・・・。
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山々では、八重桜の花が満開だった・・・・・・・。
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この日の宿泊地・大女兆へ向かう途中で、木陰の下で昼食を取った・・・・・・・。
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この店で作ったというオリジナル白酒が旨かったので、烏里君と昼間からしたたか飲むはめになってしまった・・・・・・・・。心地良い春風が酒盃をさらにすすめたのである・・・・・・・・。
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烏里君と呑んでいる写真を撮ってくれたこの旅の最長老の中村さん。その好奇心旺盛な、しなやかな感性と行動力。世界のどこにでも出かけてしまうパワーに圧倒された。この旅に参加する直前までアラスカにオーロラを撮影に行っていたという・・・・・・・。彼女から学ぶことの多かった日々であった・・・・・・・。  合掌
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長江の上流・金沙江の増水によって、フェリーで車が渡れなかったの大きく回り込む山越えの道を通ったため、大女兆へは遅く着いた。そのために珍しく夕食はホテルで取った。基本的にホテルの食事は不味くて高いから僕の旅ではなるたけ取らないようにしているのだ・・・・・・。
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その夜は、烏里君と笠原さんと3人で「足湯」へ行った。この火攻め攻撃は上手い人は安心だけれどでも初心者はちと怖い。案の定、僕は足の甲の部分を軽い火傷をしてしまった。男性は足爪切り専門の人。耳かき専門の人などもいる・・・・・・・。
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4月8日。ようやく旅の後半戦となる雲南省大理へ夕刻に着いた。僕は10数年ぶりの4度目の訪問だ・・・・・・。
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日本を発って1週間。日本食が懐かしくなったと思い、寿司やうどんなどのメニューがある飲み屋へ行った。この店は古くから観光客には知られた店だった・・・・・・・。
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みんな、おかゆやてんぷら、巻きすし、カツどんなどそれぞれが好きなものを注文した。しかし、味は・・・・・・。
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以前にも訪れたことがある藍染をしている村へ行った。しかし、辺りの雰囲気はまったく異なり、観光用一色に変貌していた・・・・・・・。そこのお母さんと娘さんと・・・・・・・。
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ジ海の湖畔の食堂で獲り立ての海老のから揚げを食べた・・・・・・・。
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4月9日。蒼山を一周するようなコースは山岳道路そのもの。途中の村で昼食。店の前で工事をしていた。
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田舎の食堂は、案外旨いものが多い・・・・・・・。
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夜は大理に戻って泊まる。昨日に続き僕は、中村さんと宿の中にある「足湯」へ。昨日揉んでくれた女性たちとこの夜、揉んでくれた聾話者の青年。彼は暇な時には、お姉さんたちの肩も一生懸命に揉んでいた・・・・・・・。
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大理最後の夜・・・・・・・。酒場がさまになる蒋ちゃんでした・・・・・・・。
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笠原さんと烏里君が最後の晩だから飲みに行きましょうよ。と誘うので僕は1時間半ほど遅れて合流した・・・。
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4月10日。大理から楚雄へ向かう。その途中にあるイ族回族自治県・巍山県へ寄る・・・・・・・。
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啄木郎村へ向かう途中の大蒼鎮の食堂で昼食。
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雲南省での最後の宿泊地となる楚雄市は、深夜11時半過ぎに着く。遅い食事は午前0時を回っていた。ホテル近くに出ていた屋台で・・・・・・・。
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屋台のメニューは焼き物が中心だ・・・・・・。
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4月11日。楚雄イ族自治州の中心である楚雄市の郊外の山村を朝から訪ねる。盆河村で。
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村ではサクランボがたわわになっていた。自由に食べてもいいと言うので100個ぐらいは食べたかな・・・・・・。
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この村の食堂で昼食。
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博物館の階段はイ族の文様に彩られていた・・・・・・・。
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午後は楚雄市内へ戻って、州立の歴史民族博物館へ行って見た。りっぱな建物で、内容も非常にわかりやすく展示されていた。案内の女性と・・・・・・・。
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楚雄最後となるこの夜は、ドライバーの胡君とガイドの蒋ちゃんのごくろうさま会をした。市内の古い町並みが残る旧市街で夕食を取った。池の向こうの舞台ではイ族の唄や舞踊がおこなわれる・・・・・・・・。
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豪勢なイ族料理も盛りだくさん運ばれてきた・・・・・・・・。
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この3人が今回の旅のスタッフ。ここまでは何とか無事に着くことができた。本当に、ご苦労さまでした(シンクーラー)・・・・・。
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旧市街で逢ったイ族の民族衣装に身をまとった若い女性・・・・・。 ちょつと付け睫毛がすごすぎない・・・・・。
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雲南最後の夜もまたまたお元気印の笠原さんは夜の巷へと繰り出した・・・・・・・。
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終盤になって少し体調を崩した岡山の姫たちも最後の夜会には参加した・・・・・・・・。
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無論、僕も一緒に繰りだしたのであ~る・・・・・・・・・。川べりのバーみたいな店。
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4月12日。楚雄から昆明へ。昼飯は雲南省・昆明市名物のつけめんそばを食べた・・・・・・・。
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土産が買いたいと言う人のために、お茶市場へ。
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そしてこれが本当に雲南省最後の食事。何種類ものきのこのしゃぶしゃぶだ。この料理は昆明独自の名物料理である。 全員無事に昆明へ到着できたことに心から感謝をこめて乾杯をした・・・・・・・。
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4月13日。昆明発21時5分の国内線で成都へは22時半に着いた。しかし、市内のホテルに着いたのは午前0時を少し回っていた。でも、約束どおり四川大学教授で油画家の趙武さんは、ロビーで待っていてくれた。
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趙さんは、烏里君の四川芸術大学の油科時代の同級生。僕が四半世紀にわたって中国全土を67、000キロメートル走破して取材して来た「三国志巡礼」を中国で開催したいと長年思っていたので、その実現のために相談にのってもらおうと紹介してもらったのだ。
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趙さんとはすぐ打ち解けて話は具体化に向けて進んだ。深夜の2時頃まで話し合った。彼からは具体的な写真展の開催会場や日程、主催者、費用に関することなど提案があった。まだ正式な確認ということにはなっていないので、ここでは詳細は書かないが、とにかく僕が長年にわたって望んできた中国のみなさんへ恩返しの意味も含めて写真展を開催してぜひ、多くの人に見て欲しいという願いは一歩前進した。ハードだったこの旅の最後にうれしいプレゼントをもらったようで本当にうれしかった・・・・・・・・・。
神々に、ただただ感謝したい・・・・・・・・。   合掌

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そして4月13日の夜、無事帰宅できた・・・・・・・。僕の仕事場は相も変わらずぐちゃぐちゃだったが、やはり一番ほっとできる場所である・・・・・・・・。ちなみに、成都で別れた烏里君を除き、参加者全員が無事、成田空港へ帰国できた。そして、それぞれ固い握手をして別れた。本当にご苦労さまでした・・・・・・・。  合掌

この旅もいよいよ終わりに近づいた。今回の他に最終回として一緒に旅をした仲間のこと、食事のこと、現地でであった人たちのことなどを紹介したいと思っている・・・・・・・。

日本を発って8日目は、南シルクロードの中継点の町として古くから栄えた町・大女兆を朝、出発。当初の予定では、楚雄までいくことになっていたが、大理へ行く事に変更した。それは、大理から楚雄までの道が工事などもあって大渋滞が予想されるとわかったからだ。12日に大理から昆明まで走ると飛行機のフライト時間に間に合わなくなる恐れがある。それでコースを変えて12日の日は、できるだけ昆明空港に近い所から出発したいと考えた。この日は、昆明に出てから四川省の省都・成都へ行かなければならないのだ。

大女兆は、胡桃の産地で胡桃を使ったお菓子などのお土産がたくさんあった。大理までの道程は320キロメートル余り。僕にとっては10数年ぶり、4度目の大理の街だった。大理は白族自治州の中心都市。標高は約2000メートル。東にジ海という大きな湖があり、西に4000メートル級の山並みが連なる蒼山がすぐそこに迫っている。大理古城は、四方12キロメートルの城壁に囲まれていて、東西南北にはそれぞれ城門があり、場内には白族の歴史ある建物も数多く残っている民族的な風情のある町だ・・・・・・。

この美しい高原の街は、西洋人からは「東洋のスイス」と呼ばれ、中国人からは「西南の敦煌」と呼ばれている。僕はかってこの町が気に入って、ジ海に浮かぶ金稜島に土地を買ってここを終の棲家にしたいと思ったほどであった。とにかく時間がゆったりと流れていたのである・・・・・・・・。それがどうであろうか、今回行ってみてそのあまりにもの変貌にはただ眼を見張るばかりであった。古城を囲む新しい町には、高層ビル群が立ち並び、場内は観光化されたみやげ物屋ばかりの町に変わっていた。10数年前のあのパリの下町の路地裏のような雰囲気が漂っていた町は完全に消えていた・・・・・・・。僕はシャツターを押す気にはまったくなれなかった・・・・・・・・。

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大女兆県光禄古鎮で。
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大理古城への途中、美しいイ族の村があったので止まって撮影をした。古いたたずまいの村であったが村の名前は「新村」と書いてあった。この旅のコーディネートをしたイ族出身の写真家・烏里烏沙君を入れて撮影。
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村の入口には大きな樹があった・・・・・・・・。
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こうした路地が幾重にも走っていて、村に入ると迷路のようになっていた・・・・・・・。
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村の入口にあった案内所の女性たち。家の壁に動物や踊っている女など様々な画を描くのはイ族の独特な風習である。
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昼餉の時間になったので、野良仕事を終えて主婦が帰ってきた・・・・・・・。
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昼餉の支度が始まったのだろう。家々からは煙が立ち上りはじめた・・・・・・・・。
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僕らが野外で昼飯を食べた村で・・・・・・・。
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大理古城で唯一撮った写真。ガイド役として旅の全日程をサポートしてくれた蒋志女亭さん(31歳)。彼女は本来、山岳ガイドだ。烏里君の友人として6年ほど前から何度か成都で会っているので、信頼できる女性とは思っていた。今回の旅でもやはり大活躍、参加したみんなも大いに感謝していた・・・・。ありがとうね~!☆
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9日目は、朝早くから大理古城を出て、麗江古城に程近くの蒼山麓にある沙渓古鎮へ。そこで出会った猫ちゃんでした・・・・・・・・。
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蒼山の峠を幾つも越えて一回りしたようなコースをとったので、走行距離は320キロメートルを超えた・・・・・。
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大理に戻ってきた時には、蒼山に日が暮れるところであった・・・・・・・・。

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ジ海の湖畔にいた恋人たち・・・・・・・。
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僕は湖畔沿いの漁港や漁師の家を訪ねたかったのだが・・・・・・・。残念ながら時間が足りなかった。この湖で帆船で獲る海老が美味なのでみんなにも食べさせたたかった。夕食を湖畔沿いの店で食べた時に、その海老のから揚げがあったので注文した。みんな美味しいといってあっという間に一皿平らげてしまった・・・・・・。
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いよいよ旅も10日目。この日は大理からイ族自治州の中心の町・楚雄市へ。その途中で、雲南省におけるイ族が一番早く住み着いたと言われている巍山県へ行く。この県はイ族回族自治県である。町の中心にある北門城楼は1390年に創建された由緒ある門である。
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城門を中心に東西南北に古い町並が広がっていた・・・・・・・・。
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城門の前で佇む人・・・・・・・・。
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艶やかな献血車が古城の町に不釣合いだった・・・・・・・。
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県の旅遊局を訪ねたら、青年が自分で撮影した写真を見せてくれた。そのイ族の村は遠いのかと聞くと、ここから20キロメートルほど山間部に入った所だと教えてくれた・・・・・・・。
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巍山県大蒼鎮の啄木郎村というのが僕らが目指した村の名前だった。日本式にいえば「啄木村」だ。こんな中国・雲南省の山奥で、石川啄木の名前に出会えるとは、何か不思議な気がした・・・・・・・・。
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この村の女性たちはみな普段着として艶やかなイ族の民族衣装を着て仕事をしていた・・・・・・・。
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村の道で少女と出遭う・・・・・・・・。
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啄木郎村の全景。山奥にしては大きな村だった・・・・・・・。
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どの家も四方を建物が囲み、真ん中に農作業などをする広場がある。村は新築ラッシュのようで多くの家々が工事をしていた・・・・・・・。
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町までの道はきれいに整備されて舗装されていた。こうした三輪車が日常生活品などを運んでやってくる。村の女性たちに、カメラを向けるとちょつぴり恥ずかしそうだった・・・・・・・。
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この前まで啄木郎村の長を務めていたという小父さんとその家。彼が親切に村を案内してくれた。この日夕方からお葬式があるので見ていくかとすすめてくれたが、今日中に楚雄に着けなくなるので残念ではあったが諦めた・・・・・・・・・。
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村の老人に「何故、啄木村なのか、日本の有名な詩人に啄木という人いるのだが・・・・・・」と訪ねたが、昔からの地名、詳しい事はわからないということであった・・・・・・・。この村には数日泊りがけでまた来たいと思った。
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昨日は案の定、道が工事や事故で大渋滞をしていて楚雄に着く予定を大幅にうわまわって午後11時40分にホテルに到着した。夕飯も食べていなかったので午前0時を廻ってから近くの屋台で食べた・・・・・・・。翌11日目は、朝早くから楚雄市郊外の山間部にある盆河村を訪ねた。この村への道は途中からは舗装もされてなく、道幅も車一台がやっという狭さだった。ひとつハンドルをまちがえれば数十メートルはある崖下へ転落するようなスリル満天のコースであった・・・・・・・。

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この日は往復で150キロメートルの道程だった。しかし、そんな山深い村でも山間部の斜面を耕して大麦や芋、野菜などを植えていた。収穫を前にした大麦が谷間をわたる風に揺れていた・・・・・・・。
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バナナ畑のなかに甘い匂いを放つ黄色い花が咲いていた・・・・・・・・。
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母親と兄弟夫婦で暮らしているという家族。遠い日本から来た僕らを家の中に迎え入れてくれた・・・・・・・・。
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この村で両親と暮らすイケメン青年。父親に似ていると思った。僕がカメラを向けると少しはにかんだ・・・・。
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午後には、楚雄市内へ戻って、楚雄イ族自治州博物館へ行く。写真は発見された古代のイ文字。現在使われているイ文字に非常に近い。この地は、ラマ人化石と元謀人の化石が発掘されていて長い歴史・文化を持った所で人類発祥の地のひとつと言われている。地形は周りに三の高い山が聳え立つ雄大な地勢を構成していることから「千里イ山」と称されている・・・・・・・。

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美しい文様が描かれているイ族の衣装。 楚雄市は現在、人口245万人余。イ族、漢族、リス族、ミャオ族、タイ族、回族、白族、ハニ族、チワン族などの民族が居住している。そのうちイ族が約67万人、総人口の26パーセント余りを占めている。
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雲南省最後の夜となる4月11日の夕食は、ドライバーの胡波君とガイドの蒋さんのご苦労さん会を兼ねてということで、市内にある族古鎮へ行って、イ族料理に舌鼓ながらイ族舞踊を見た・・・・・・・。
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イ族舞踊を舞う娘たちの姿が池に映っていた・・・・・・・・。
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ホテルまでの道の両側は、食べ物や日常雑貨、土産などの夜店がづらりと並んでいて祭りのよう。みな、そぞろ歩きに来ていた・・・・・・・・。
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12日、雲南省・昆明の夕日。この日の午後に昆明市内に入り、茶市場などを回ったあと、四川省の成都へ向かうために昆明空港へ。空港へ到着したときに、大きな太陽がまさに山へ沈むときであった・・・・・。合掌

13日の夜、帰国してからこの間、都内の写真展を10ほど廻った。昨年急に亡くなった親しかった写真仲間の管洋志さんの遺作展となる「一瞬のアジア」には、彼か精魂をかけて取り組んできたものだから、どうしても行かなくては思っていた。奥様が会場にいたので、しばらく話した。この7月に彼が愛した奄美大島・加呂間島へ散骨に行くとのことであった・・・・・・・。

その他に古い友人の宅島正二さんが若き時代、故郷を撮った作品「軍艦島1974」も見た。石榑ゆうこさんの「八ッ場 in our mind」(キャノンギャラリー銀座。今後名古屋、仙台の同ギャラリーで巡回)にも顔を出した。撮影地が僕の故郷であるだけでなく、彼女は写真家の猪俣重喜さんのお弟子さんである。前から猪俣さんに「彼女のこれからの指導をよろしく頼む」と言われていたこともあったからだ・・・・・・。

この時期、授賞式などが多い。16日が第33回土門拳賞授賞式、17日が第39回木村伊兵衛写真賞授賞式、銀座・ライカギャラリーレセプション、18日が林忠彦賞授賞式、22日が国際写真サロン授賞式、5月11日が第9回飯田市藤本四八写真文化賞授賞式などなど。どれもパーティがあるのでみな出ていたら大変なのだ。土門拳賞は、親しい友人で先輩の桑原史成さんが受賞したので出席したが、後は遠慮することとした。

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写真集団「上福岡」の第32回目となる写真展は6月11日~15日、川越駅東口前にあるデパートアトレ6Fで開催が決まっている。14日(土)午後3時から4時30分まで会場において僕の作品合評をおこなう。参加費は無料なのでぜひ、ご参加ください。今年の個展は現在、一番の早くからの会員である島貫雅子(左端)。20年以上わたってモノクロフィルムで撮り続けてきた川越の街と人々の生活の写真、半切20点を展示する。見ごたえのある作品である。

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写真展まで後、2ヶ月を切っているのでみんなの作品にも力が入る・・・・・・・。
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神田錦町にある学士会館でおこなわれた第33回土門拳賞授賞式。
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桑原史成さんが今までに出版した主な著書が会場に並べられていた・・・・・・・。
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右から選考委員の一人、写真家・大石芳野さん、毎日新聞社東京本社編集編成局長・小川一さん、桑原史成さん、土門拳先生の娘さんの池田真魚さん、ニッコールクラブ会長・西岡隆男さん。
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お孫さんを抱いて受賞を喜ぶ史成さん。今回の受賞理由は、水俣病の公式発見から4年後の1960年から2013年まで熊本の水俣市に通い続け、半世紀にわたり丹念に、そして広くこの国の「水俣事件」をモノクロ写真で記録し続けたこと。そしてジャーナリスティクで、距離感を保った一貫した姿勢によるドキュメント写真で、私的な写真があふれる日本の写真界に刺激と重みを与えた点が高く評価された・・・・・・・。

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会場で土門拳先生の娘さんの真魚さんと話す松本徳彦公益社団法人日本写真家協会専務理事。
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受賞した桑原史成さん。 彼は今回の受賞に対して「暗く重い現世の”生き地獄”にカメラを向けてきたが、いつも傍観者という負い目があった。このたびの写真の記録を評価されてのことではあるが、喜び共におぞましい気もしないでもない・・・・・・」と語っている。
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会場では懐かしい写真仲間、久々に会った友人などたくさんの人々と会ったが、会が終了後、北海道に在住している写真家の水越武さんと2人で飲みに行った。彼が最近はじめて編集者に連れられてきたという店に行ったらなんと僕も20数年前にシンガーソングライターの横井久美子さんと来て以来、何度か通った神田神保町にある「萱」という店だった。そこで知り合った能を舞う人、公益財団法人の経理・総務室室長などと水越さん。カウンターの中は、女将さんと店員さんですですです・・・・・。

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その店で知り合った一人がぜひ、池袋の沖縄料理の店、「みやらび」へ行きたいというので案内した。写真は琉球舞踊家の佐知代さん。
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前々日、作家の重松清さんが来店して、僕の体調を心配していたと聞いた。店の琉球舞踊家の陽子ちゃんが重松さからのメモを預かっていると僕に渡してくれた。 そこには「 小松健一さま 目、よかったね! また呑もうね!! 重松清 」と彼の直筆で書かれてあった・・・・・。ありがたいことだ・・・・・。 合掌

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昨日19日も5つの写真展を巡った後、友人の陶芸家・高橋芳宣さんの「華やぐ器・高橋芳宣展」へ行った。毎年、伊勢丹新宿店で開催しているものだ。彼とも20年来の友でいままでにも2人のコラボ展などもして来た。この12月13日~23日には、僕の写真と芳宣さんの陶芸と書家と七宝焼き作家との4人でコラボ展を前橋のノイエス朝日でやることになっている・・・・・・・。
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消費税が8パーセントに値上げされた直後の展示会だったので、大きな影響があると伊勢丹の担当者はこぼしていたが、僕が会場にいる間だだけで11点売れていた。いままでの実績は250~300万円程だという。何とか今年の売り上げ実績も例年並みになれば・・・・・・・と芳宣さんは言っていた。
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以前にも一度呑んだことがある東京に在住の陶芸家・藤田和廣さんと芳宣さん。僕の歌舞伎町の隠れ家・「三日月」へ案内した・・・・・・・・。
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芳宣さんが突然、「鯨がたべたい~!」と叫ぶのでもう一軒行く事にした。近くにあるこれまた先代の時代から通っていた「樽一」。ここの代表的な料理はくじら料理だ。実は僕は、金がないにもかかわらず毎回、芳宣の作品を買っているのだ。無論、小品で値段が張らないものばかりではあるが・・・・・・・。この日も気に入った蕎麦チョコをひとつ求めた。そうしたら何とその気持ちがうれしいとこの日の飲み代はすべて陶芸家が奢ってくれたのである・・・・・・。  合掌

憲法を考える写真人の会(よびかけ人代表:田沼武能、芳賀日出男、田中光常、岡井耀毅、丹野章)は、今年1月に開いた第1回セミナーでは、言論法、人権法、ジャーナリズム論が専門の専修大学教授で、日本ペンクラブ言論表現委員会委員長の山田健太さんを招いて、憲法について学んだ・・・・・・・・。

昨年の国会での「特定秘密保護法」の強行採決に続き、自民・公明両党は、今度は戦争がいつ、いかなる時にでもできる国へと道をひらく「集団的自衛権」行使の憲法解釈の変更を強行しょうとしている。そうした中で開かれる今回のセミナーは、1972年沖縄返還時の日米間の密約について国民に広く知らしめた当時、毎日新聞政治部記者であった西山太吉さんを招いて「国家秘密」と表現の自由について学ぶ。

西山さんは、いわゆる「西山事件」によってその後、不当に逮捕・起訴され、2009年に沖縄密約情報公開訴訟で勝利するまで長い闘いを続けて来た。それらは作家・山崎豊子さんの長編小説『運命の人』(主人公のモデルは西山さん)にも詳しく描がかれている。

ぜひ、たくさんの知人・友人をお誘いの上、西山太吉さんの真実の声をお聞きください。(入場は無料。但し定員は70人。誰でも自由に参加できます)

★会場のJCIIビルは、千代田区一番町25 TEL03-3263-7111

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(朝日新聞 2014年1月25日付)より。

西山太吉さんは、昨年国会で与党自民・公明両党により強行採決された特定秘密保護法は、「マスコミは情報へのアプローチができなくなり、国民には真実の情報が伝えられなくなる。権力の乱用と情報公開法の空洞化を招き、ジャーナリズムの息の根が止められる」として警告を発している・・・・・・・・。

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(沖縄タイムス 2010年4月10日付)より。

[西山太吉さんのプロフィール]

慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻終了後、毎日新聞社で政治部記者として活動。2013年、特定秘密保護法案を審議する参議院国家安全保障特別委員会で参考人として意見陳述をする。主な著書に『沖縄密約ー「情報犯罪」と日米同盟』(岩波新書)、『機密を開示せよー裁かれる沖縄密約』(岩波書店)など多数。

旅の4日目となる4月5日は、長江の上流・金沙江の岸壁に広がる金陽県を朝9時に出発した。昨夜は午後8時過ぎに着いたのでどんな地形の街かわからなかったが、夜が明けてるとその全貌が見えてきた。深い渓谷の両側にへばりつく様にある町であった。この日は、昨日来た道を戻り、かって涼山イ族自治州の州都だった昭覚を通って現在の州都・西昌へ。標高3000メートル級の峠をいくつか越え、約310キロメートルの道程を走破した・・・・・・・・。

翌5日目は、清清しい朝のなかを1400mの高原の街・西昌を出発し、会東を通り、紀元前111年には、すで会理県として存在していたという資料が残る歴史の古い街・会理まで360キロメートル走った。中国の奥地にもかかわらず、明、清時代の建物などが残っており中国歴史文化名城として登録されている。現在残る古城の北門城楼は、1398年創建のものである。

6日目となる4月7日は、四川省最南端、雲南省との境町・大女兆。南シルクロードの経由地点としても知られている古くから栄えた町だ。早くから漢族文化やインド仏教文化などを取りれた歴史ある町である。北京にある故宮と同時代に創建された寺院・徳豊寺がある。また近郊の村には、1368年創建の孔子廟があった。途中、金沙江が増水していたために、フェリーで渡れず、山道を遠回りするルートを通ったために、400キロメートルを超える道程となった。ちなみにフェリーの足止めはこの日で、5日目だとダンプカーの若い運転手はヤケクソ気味に語っていた・・・・・・。

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金陽の町からの眺め。渓谷の下を流れるのは金沙江だが、霧の中で見る事ができなかった。小雨そぼ降る中、桐の花と菜の花が咲いていた・・・・・・・。
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急な斜面に縦横に作られた道があり、その上に集落がある(金陽)。
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昭覚への道。政府の政策で規格化された家が建ちなんだ集落が増えた。山奥にまるで日本の建売住宅のような村が出現した感じがした・・・・・・・。
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この日は夜半からの雨で、舗装されていない道はグチャグチャだった・・・・・・・。
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大型の荷物を満載にしたトラックが、道路をふさいで泥濘にはまっていた。このトラックが動き出すまでに約2時間ここで待たされた・・・・・・・・。
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昭覚で遅い昼食を取り、3000メートル近い峠を越えて西昌の街が一望できる所まで来たときにはすでに、夕暮れ時であった。三国時代に蜀に反旗をひるがえした少数民族の孟獲は、現在の西昌周辺を治めていた豪族だった。「南征」に出た諸葛孔明は、「深く不毛の地に入れり・・・・・」と感慨を記しているが、彼もこの風景を見ていたかもしれない・・・・・・・。

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汚れた僕らの車を街に入る前に洗車した・・・・・・。料金は20元だから日本円で約340円。
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5日目は、西昌から会理までの金沙江に沿って走る360キロメートルの道程だ。若山牧水の歌「幾山河越えさりゆかば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」を思いおこす・・・・・・・。途中のイ族の村でのバザールで。
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近郊の村から買い物に来ていた家族・・・・・・。
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肉、野菜、魚などの食料品から、衣類、日常雑貨品までなんでもそろっていた・・・・・・・。
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イ族独特の華やかな刺繍をほどこしてあるちゃんちゃんこをしていた若い母親・・・・・・・。
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道端で赤ちゃんに乳をやる若い母親。 写真を撮っていた僕を見てにっこりと笑った・・・・・。
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小銭を賭けたビリヤードゲームに夢中なる子どもたち。参加していない小さなこどもの瞳も真剣だった・・・・。

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町外れの広場では、牛や馬や山羊の市も開かれていた。四方は4000メートル級の山々に囲まれている。
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急斜面を耕している。その中ほどに集落がある典型的な光景・・・・・・・。
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この村も急斜面を段々畑として耕作していた・・・・・・・。
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長江上流の金沙江の豊かな流れ。両岸には町や耕作地が広がる。山の斜面の至る所には桑の木が植えられていた。シルクが高く売れるので政府は養蚕を奨励しているらしい。

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ガイドとして協力してくれた友達の蒋志女亭さんが、たくさんの桑の実を摘んできた。僕らの田舎では、「ドドメ」と呼んでいた。甘いものがない時代だったので季節になると子どもたちは一日中木によじ登って食べたものだ。上州は養蚕が盛んな国だったので、どこでも食べ放題だった。しかし、シャツやズボン、帽子までが紫色に染まってしまうのでよく母に叱られた・・・・・・・。

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会理古城の場内。明・清代の古い家並みが続いていておもしろかった・・・・・・。
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御鼓楼から見た北街路方面。
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御鼓楼から見た南街路方面。
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小さな路地にも近郊の村々から野菜や果物を売りにきた農民があふれていた。
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正面に聳えるのは、北門城楼。
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街の商店一軒一軒に生活の匂いが色濃く沁みこんでいて、いつまでも佇んでいたい心境にかられた・・・・。
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会理古城には、観光客などは一人もいなかった。日々の日常生活がそのままに見える僕の好きな町となった・・・・・・・。(ここまでの写真は全て会理で)
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大女兆近い村で。西日が傾きかけていたので光が美しかった・・・・・・・。
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村の前にはため池があって辺では農作業をしていた・・・・・・・。
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脱穀を終えた藁束に写った僕の影。2014年4月7日の旅の自写像。

 

 

東京の桜の花が満開になった4月2日。成田空港を中国成都に向けてANA・NH947便17:25発で定刻に離陸した。今回は12日間の旅である。目的は少数民族のイ族の文化や暮らしを撮影するためと、25年間追い続けた「三国志巡礼」を仕上げる最後の取材である。三国時代は蜀国の都であった成都に到着したのは、22:30分。市内のホテルに着いたのは午前0時を廻っていた・・・・・・。

今回撮影したカメラは、はじめて使用するリコーのペンタックスK-3である。それといつも愛用しているシグマDP1だ。風景やスナップは基本的にペンタックスK-3で、食事風景や記念写真はシグマDP1で撮った。成都から出発して12日間で車で走った全距離は約2900km。雲南省の省都・昆明から成都へは飛行機で戻った。2000メートルから3000メートルの山河と深い渓谷をひたすら走り続ける道程は、正に諸葛孔明が「南征」の際に記した「深く不毛の地に入れり」という感慨が実感できた旅であった・・・・・・・・。

まず、第1回目は、4月3日朝、成都を出発して、60年前まで他民族、漢族さえ入る事ができなかった長江の上流・金沙江の畔の町・雷波、金陽までのイ族の二つの村のバザールのスナップと風土を紹介する。成都から雷波まで340キロメートル。翌日4日の雷波から金陽までの距離は350キロメートルだった。但し日本の整備された高速道路とは異なり、山岳地帯の悪路の連続、工事中の道路も少なくなかった。だから移動時間は一日10時間以上もかかっている・・・・・・・。

日々の風景やスナップと、一緒に同行した仲間たちとの食事風景や記念写真などは、今回は分けて、以後数回にわたって紹介していこうと思っている。この取材で撮影した作品は、今年の11月に東京中国文化センターでおこなわれる僕の写真展と来年、新宿でおこなわれる写真展に展示される予定だ。また今秋、出版予定の『三国志巡礼』のなかにも掲載するつもりである。とにかく日本人はほとんど入っていない難所にもかかわらず全員無事に帰国できたことを神々に心から感謝したいと思っている。 ありがとうございました・・・・・・。  合掌

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完成すれば、山峡ダムに続いて中国第二位の巨大ダムとなる渓洛渡ダムの上流地域。道は工事用の長いトンネルの連続であった・・・・・・。
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ここまでの写真は、2014年4月3日の撮影。以上3点の写真は雷波へ向かう道。
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以上は雷波から金陽へ向かう途中のイ族の村で。
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このバザールが開かれていたのは美姑県のイ族の村。金陽へ向かう道からそれて美姑方面へ30キロ程入った。

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夕暮れに光る金陽への道。前方に見える雲海の下に流れる金沙江の岸壁に、へばりつくように金陽県はある。
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雷波方面から遡ってきた道・・・・・・・。
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ここまでの写真は、2014年4月4日の撮影。 この旅の無事を祈り合掌をした・・・・・・・。

今日は一般的に言えば「四月馬鹿」、「エープリールフール」の方が最近では一般的に使われるようになっているかもしれない。日本の季語では万愚節という。この方が素敵な感じがすると僕は思う・・・・・・・。ちっとも国民の大多数は「アベノミックス」とやらの恩恵には授かっておらないのに、消費税を値上げするという現政権の政策は「万愚」としか言うようがないと思うからである・・・・・・・。

昨日、用事があって最寄の駅周辺の街へ出てみて驚いた。100円ショツプでは100人以上がレジに並ぶという光景に出会うし、駅前の定期券売り場の前は長だの列だった。数日前から並んで購入する姿は眼にしていたがこれほどの人々が今日から8%に消費税が値上げされるということに反応していることに驚かざるをえない。

いままでの消費税の値上げには、国民たちの大きな反対運動が繰り広げられてきて、時の政権は手痛い仕打ちにあってきていたが、今回だけはそうした盛り上がりはほとんどと言ってなかった。マスコミの影響もあったろうが、総じてしかたない、という諦めムードが漂っている。しかし、来年は消費税10%となることが自民党、公明党、民主党の三党で取り決められているのだ。本当に国民はこのまま黙っているのだろうか・・・・・・・。

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2日前にPENTAX K3で撮影してみたが、今度は同じリコーから出しているPENTAX k5 ⅡSというカメラで家の周りの櫻を撮影してみた。以下の写真がそうだ。最初の一枚目は、前のカメラと同じ僕の仕事場の卓袱台からはじめた・・・・・・・・。
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家から歩いて5分ほどの所にある川べりの櫻。毎年この木の下で花見会をして来た。今年で10回目ほどになるだろうか。しかし、ご覧のようにすでに6部咲きほどになっていた。今年は葉桜の会となりそうだ・・・・・・・。
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この土手に茣蓙を敷いて、手作りの料理を持ち寄ってささやかに桜の花を愛でるのである・・・・・・・。
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この櫻はすでに満開に近くなっているようである・・・・・・・・。
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対岸にも桜並木はある。鴨の親子が気持ちよさそうに花見をしていた・・・・・・・・。
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散歩に来たワンちゃんたちも花の下でうれしそう・・・・・・・・。
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1ヶ月前は大雪で真っ白に雪化粧していたのに、知らない間に川の辺にも春は駆け足でやってきていた・・・・・・・。
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この櫻は、家からも見えるすぐ近くの児童公園にある一本の古木の櫻。毎年きれいな花を咲かしている。月の光に映える夜のこの櫻が僕は好きだ・・・・・・・。
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近所の子どもたちが桜の木の下で元気にボール遊びをしていた・・・・。(2014年3月31日撮影)

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