僕が目に異変を感じ始めたのは、いまから10年ほど前のこと。糖尿病が悪化して、ヒマラヤ取材から2ヶ月ぶりに帰国して病院へ行くと右足指を切断しなければならなくなる。すぐに入院しなさいと当時住んでいた練馬区の総合病院へ緊急入院となった。幸いに指は切らずに済んだが、1ヶ月間の入院生活を終えてこの際、目の方は大丈夫かと見てもらった。そしたら「ひどい、手がつけられないので他の病院へ行ってくれ」という。僕は怒った。何のために1ヶ月間も入院していたのかと・・・・・・・。
眼低出血がそうとう進んでいるので、何とかしなければといろいろな病院を紹介をしてもらった。そして何軒か回ってようやく、僕が何とかしましょうと引き受けてくれたのが、この10年間づーと僕の目を診察し、今回の手術をしてくれた警察病院のI先生に紹介状を書いてくれたH先生だった。10年前にH先生の手により、レーザで出血している目の中の毛細血管の部分を焼くという治療を10数回したのだった・・・・・・・。
その頃から1.5だった僕の目は徐々に視界が悪くなり、目が霞んだり、まぶしかったり、暗い場所では物が見えづらくなって行った。何度も転んだり、階段から足を踏み外して落ちたりして怪我もするようになっていった。だから夜の車の運転などは注意してなるべくしないようもにしていた。それが極端にひどくなったのは昨年の秋頃からだった。夕方頃からは本当に見えづらくなっていたし、逆光ではまったく見えなくなっていた。交通事故に合いそうになったり、田舎に帰った時に、道から落下したりして怪我をした。もうこれは限界だと思い今回の手術を受けることとしたのである。その6日間の顛末記を「写真日記」として記録しておこうと撮影したので、以下にアップする・・・・・・・・・。
そして最後は、僕の愛用の仕事机。もう20年以上使用しているものだ。その上はご覧のように物であふれかえっていて最近、原稿用紙を広げるスペースがなくなってきている。でもここで書くのが一番はかどるのである・・・・・・・・・。
長い長い僕の”カメラ日記”に、最後までお付き合いいただいて心から感謝~!☆!☆!☆ 合掌