写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.657] 2014年1月5日 初春に、母の待つ故郷・上州へ。初詣、父方、母方の墓参、そして親しい友のお見舞いと・・・・・・・。

2014年の旅初めは、86歳となる母が待つ故郷・上州へ出かけた。これはもう僕が上京して以来、40数年間ほぼ続けてきた恒例の行事みたいなものである。  「北へ向かう車窓に赤城山広がれば母の国なり深く呼吸(いき)する」 この拙い歌は、僕が10代で上京し、挫折した後はじめて田舎へ帰る列車の中で詠んだ短歌である・・・・・・・・・・。中学時代から愛読していた石川啄木の歌を模倣したような歌ではあるが、青春の哀愁が感じられていま読んでも胸の中にツーンと来るものがある・・・・・・・・・。

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利根川の流れに沿って左の車窓に広がるのは、榛名山。晴れた日には浅間山も遠謀できる・・・・・・・・。
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正面は、谷川岳をはじめとした上越の山々。右に広がるのは、国定忠治でも知られた赤城山の姿である・・・。
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母の暮らす実家から歩いて5分ほどの所に、この地域の鎮守様である川戸神社がある。この地域の豪族であった吾妻太郎が戦いに破れて斬首された時に、その首が数百メートル飛んでこの地の大きな木の幹にかぶりついたという伝説が残っている。それを祀ったので、首の宮神社となり、その地域は首の宮といわれていたそうだ。現在は、上の宮と改められ、神社の名前も川戸神社となった。しかし僕らの子どもの頃は、上の宮神社とも呼ばれていたのである・・・・・・・・・。

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1日の夕方着いて、三男の小松勝三・美香夫婦と合流。翌2日の朝、母と勝三とで初詣に川戸神社へ出かけた。これも毎年の恒例である・・・・・・・・。
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毎年、ここでお札を求め一年間、僕の仕事場に鎮座していただいているのだ・・・・・・・・。母と本澱の前で初写真・・・・・・・・。
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弟は、昨年50歳の大台に乗った。その記録として17年間書き溜めてきた文章をまとめて、出版する予定だという・・・・・・・・。
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母の実家の墓へ。伯父さん、伯母さん、祖母、従弟などが入っている・・・・・・・・・。
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母のすぐ上の伯父さん。昭和17年6月5日。24歳の若さで中国で戦死した。陸軍軍曹だった・・・・・・。合掌

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母が20年ほど前に建立した小松家の墓は、町の墓苑にある。ここには父をはじめ、祖父母、父の兄弟たちが埋葬されている。代々の墓は、東京の多磨墓地にあるのだがこちらには父の遺骨か分納されているだけだ。数年墓に行ってないので暖かくなったら詣でようと思っている・・・・・・・。

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墓の前から裏山を撮影した・・・・・・・。
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弟の勝三を通じて知り合った20年来の友が突然、昨年9月10万人にひとりという脳の難病で倒れたというので、念願のお見舞いに出かけた。彼女は仕事はもちろん料理や裁縫などなんでもこなすスーパー主婦である。写真も本格的にやっていた。そのKさんが作ってくれた手作りピザ。美味しかった・・・・・・・・。

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お土産にとゆずで作ったジャムと高原花豆の煮付け。それに僕のぼろぼろの筆入れを見て、やはり自分でつくった筆入れをプレゼントしてくれた。これからはずーと愛用するからね。 ありがとう~!☆
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Kさんと二人の娘さんと・・・・・・・。 早く病気が快復しますように心から願っています・・・・・・・・。
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Kさんの旦那さんと娘のSちゃん。家族ぐるみの付き合いだ・・・・・・・・。
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3日は、母の友人のKさんが年始のあいさつに来てくれた。何度か会ってはいるが、こうしてゆっくりと酒をのみながら話すのははじめて。楽しい一時を過ごせた。Kさんは今年で満81歳になるというが、車の運転はするは、やることなすjことに機敏だ。まだ歳にはみえない若々しさがある・・・・・・。

みなさん。本年もお互いに心身にはくれぐれも気をつけて、悔いのない日々をおくりましょう・・・・。合掌

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