写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2013年10月アーカイブ

創立5周年を記念した写真研究会「風」第3回写真展まで後、2日と迫った昨日、銀座でよく飲んでいた頃からの友人のMから突然「相談したいことがあるので会えますか・・・・・・」電話があった。この日は家で写真展の展示構成を考えようと空けていたので時間はあったので1年ぶりに逢うことにした。昼の1時に池袋で待ち合わせ、彼女が女性友達とよく行くという串揚げ屋へまずは入った。

昼から飲むことはあまりしないのだが、彼女はその気らしく最初から「飲み放題」をオーダーした。まあいいかと思い、飲みながら彼女の話を聞いた。2時間ばかり話したのでMさんは「あ~スッキリとした」言い、場所を変えてもう少し飲みましょうと言う事になった。3時過ぎからやっている飲み屋はそうはないのだが、最近僕が気に入って行ってるやきとり屋へ。ここでしばし飲んだ。

彼女は母親の夕餉の支度をしなければいけないので早めに帰るといいつつももう一軒という事に。3軒目はこれまた行き付けの老舗沖縄料理の店「おもろ」。創業は昭和23年だから、今年で65年目を迎える池袋界隈にある居酒屋では一番古い方だろう。この店で泡盛を数杯飲んでようやく重い腰を上げて別れた・・・・・・・。5時間半程飲んでいたのでさすがに少し酔いがまわってるらしかった。それにしても彼女は強い・・・・・・。最近は海釣りにのめりこんでいてよく船で出かけるという。釣りの会も作り会長に収まっているので今度魚を持ってきてくれる約束をした。その後、僕は独りで最寄り駅のいつもの居酒屋「三福」へ顔を出してから帰路へ。家に着いたらすぐに睡魔が襲ってきて午後8時過ぎには床へ。気がついたのは今朝の8時半。久しぶりに4軒ハシゴした夜はぐっすりと眠ったのだった・・・・・・・・。

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一軒目の店。串揚げの店で若い女性や子どもたちに人気がある。お客のなかで僕が最高齢のようだった。
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2軒目の店。創業57年のやきとり屋「三福」。僕の家の近くの店と同じ名前だ。ナンコツ焼きとなか豆腐が絶品だ。
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3軒目の創業65年になる「おもろ」。おもろ煮というこの店のオリジナルな豚の尻尾の煮付けが旨い。
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4軒目は「居酒屋三福」。レバのレア焼きがお奨め。

「作家意識を持った写真家の育成」を第一の目的にかかげて結成した写真研究会「風」は、今年で創立5周年を迎えた。それを記念して開かれる「風」第3回写真展はいよいよ後、4日後と迫った。この間、ギャラリーシリウスの山下館長との打ち合わせや展示・構成についてフレームマンとの打ち合わせなどメンバー有志が立ち会っておこなってきた。そして24日午後から最終となる写真弘社でのプリントチェツクをおこなった・・・・・・・。

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(デザイン;塩崎亨  書;小松風写)
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10月31日(木)の午後6時から会場においてオープニングパーティが開かれる。11月2日(土)、4日(祝日)の午後2時から5時までは、出品写真家によるギャラリーリレートークが行われる。僕も2日の4時~5時と4日の4時~5時はギャラリートークを行う予定だ。一部の会員を除いたメンバーがそれぞれ自分の作品を中心に熱く参加者のみなさんと語り合う。 どちらも参加費は無料ですので、ご参加をお待ちしています。

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写真弘社で担当の神谷君とともにプリントを一点一点チェツクする「風」のメンバー。右から鈴木渉さん、並木すみ江さん、僕、そして鈴木孝雄さん。仕上がりは上々だった・・・・・・・・。
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2時間ほどかけて最終的なチェツクは終了。神谷君が常連の安くて旨いという神田の店を紹介してもらってご苦労さん会をした。中国人アルバイトの女性が下の写真を撮ってくれた・・・・・・・。
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生ビールをはじめほとんどの酒が280円、つまみは100円代から。刺身はほとんどが280円と確かに激安だった。午後6時過ぎるとサラリーマンのお客で店内はあっという間にいっぱいになってしまった・・・・・・・。
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ベテランの店員の女性が外までわざわざ送りに出てくれた。記念に提灯の前でパチリ。「何故指を3本にしているの」と聞くと30歳になったからだという。僕などは両手を使わなければ間に合わない歳になってしまった。どうしたらいいのだろう・・・・・・・・。
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並木さんとは中央線で一本で帰れる神田で別れた。男3人組は、みな池袋経由なので山の手線へ。久しぶりに池袋の「JUN]へ行こうかということになりもう一杯飲んで帰ることになった。
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お客さんと一緒にピンクレディーの振り付けを踊るママさんで~す。
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僕が池袋の東口に事務所を持っていた頃、近くで店を開いていた時からだから、もう30年の付き合いになる順子ママ。あの頃は徹夜で暗室作業をしたので、夜食によくおにぎりを作ってもらったなあ~。でも3軒店を変えて30年間続いた「JUN]も今年限りで閉めるという。今後は着物の着付け教室などをしながら好きなことをしていくと、少し寂しそうに語った・・・・・・・・。 お子さんたちもみなりっぱに巣立ったし長い間、ご苦労さまでした・・・・・・・。

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鈴木孝雄さんは僕と何度か来たが、いまではすっかり僕以上の常連客に。渉さんとはミュージックラウンジ「JUN」に来るのははじめて。彼の歌声もはじめて聞いた・・・・・・・。

昨日は、「霜降」。二十四節気のひとつで、陽暦の10月23~24日頃のことを言う。霜が降り始める季節のことだ。その23日の午後、埼玉県ふじみ市において写真集団・上福岡の10月例会がおこなわれた。8月に第31回目の写真集団の展覧展を開催したばかりだったが、この日も多くの作品が持ち寄られて3時間半におよぶ活発な合評がおこなわれた。その後、1時間は「組み写真」について考える講座をおこなった。4~5人が都合で欠席をしたが16人の会員が参加して、台風の影響を受けているどんよりとした厚い雲空を吹き飛ばすかのような熱気で会は進められた。作品の多さに少々くたびれた~と思うほどのうれしい悲鳴をあげている僕でした・・・・・・・。

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熱心にひとつひとつの作品を見つめる会員たち。この中から各自がいいと思う作品を6点選び、何故その作品を選んだのか理由をのべるということも行っているのでより真剣さが増すのである。
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例会終了後、希望者でいつもの居酒屋で反省会。この日は6人が参加した。久しぶりに京都から戻って参加したKさんも参加。みんなで「おかえりなさ~い!☆!」の乾杯をした・・・・・・・・。

 

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同写真展の案内ハガキ  写真:山崎政幸

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右手前が写真家のバク斉藤さん。カンボジアのアンコールワットの写真では世界的に知られている。
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19日、東京・神楽坂にある東京理科大学の理窓会俱楽部において、NPO法人チベット高原初等教育・建設基金会が主催し、チベット山岳写真協会が共催する「チベットへのいざない~第5回ゲーサンメド公募写真展」の審査会がおこなわれた。審査は僕と写真家のバク斉藤さんと基金会の理事長で写真家でもある烏里烏沙君の3人でおこなわれた。立会人として同基金会の理事である大岩さん、紀田さん、会員である山岳写真家協会の川井元会長が参加。それに京都から来ている学生の愛ちゃんが協力してくれて、厳正な審査がおこなわれた。約3時間の審査の末、全国から50点の作品が選ばれた。入選となった作品は、12月6日から12日まで、フレームマン・ギンザ・サロンにおいて展示される。ちなみに僕も審査員として作品を展示することとなった・・・・・・・・。

 

16日、伊豆大島をはじめ関東地方に大きな災害をもたらした台風26号が日本列島を襲ったこの日から18日までの3日間は、僕にとっても信じられないまるで夢のような出来事がおきていた・・・・・・。一つは、小さい子どもの頃から良く知っていた香川県高松市の愛ちゃんがいま、通っている京都の大学から台風と共に上京してきたことだ。彼女は僕の写真の弟子の娘さんで高校時代に突然発症した大病と数年にわたる闘病の結果、みごと克服して、希望していた同志社大学へ入学した。今回の上京は就職活動の一環としてきたのだという。その初日に僕を訪ねて来てくれたのである・・・・・・・・・。

二つ目のこの奇蹟的な再会はひと言では説明しにくい。大体26年前に偶然に青森県の津軽半島の最北端・竜飛崎で出会った少女と何故、いま、会うのか・・・・・・。「それは今でしょう~」と言った所で、何故?、どうして?、理解できないと!?・・・・・・言われるに決まっている。もちろんこの26年間、お互いに音信不通であり、彼女の氏名も住所もわからず、実家があった所は、以前に行ったときに見たら引っ越していたのだ・・・・・・・。それが本当に奇跡的に会えた!☆とにかく会えたのである。当時4歳だった少女は、美しい女性へと成長を遂げていた・・・・・・・・・。僕はまるでわが子に再会できたようなうれしさでいっぱいの2日間だった・・・・・・・・・。

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16日の早朝、京都を発ち台風の影響で2時間程遅れたようだが無事東京には昼前には着いて、まず銀座で個展をしている丹野章さんを訪ねたという。その後、僕の家の近くまで来てくれたので夕飯を食べた。お肉が食べたいというので良く行くホルモン屋さんへ行ってみた。若いから気持ちがいいほどよく食べた・・・・・・・・。
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夕食後、もう一軒近くの居酒屋「三福」へ行った。昨年一緒に中国の西南地方のイ族の村々を旅した烏里君が前日チベットから戻ったばかりなのに、「愛ちゃんが来ているよ」と言うと飛んできてくれた。再会の乾杯~!☆
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愛ちゃんには2歳下の妹の優ちゃんという妹がいる。彼女は大阪教育大学で書の勉強に励んでいて、先日も半月ばかり韓国へ学びに行ってきたと便りとお土産を送ってきてくれた。 優しい姉妹である・・・・・・・・・。
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26年ぶりの再会をはたした蘭子ちゃん。僕はずーと「嵐子」と思い続けていた。大学を卒業してから5年ほど務めていた保育園へ行ってかっての同僚たちと会った後の午後に僕と待ち合わせたのだった。そして再び26年ぶりに僕のカメラの前に立った・・・・・・・・。
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眉毛や大きな瞳に昔の面影が残っていた・・・・・・・。彼女は僕のことはほとんど覚えていなかった・・・・・・。
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創業57年の老舗やきとり屋さんへ入ってまずは、奇跡の再会を祝して乾杯した・・・・・・。
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でも、僕を遠くからみた瞬間にすぐわかったという。かすかに覚えているシーンもあるとも言っていた。
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話をするのも26年ぶり。当時は4歳の子どもだから何を話したかは覚えていない。一緒にいたお祖母さんや家に行ってお母さんとも話したことは覚えている。でもすぐに打ち解けて、長い四半世紀にわたる歳月は氷解した・・・・・・・。
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当初、16日に上京するはずだったが台風26号の影響で東北新幹線が大幅に乱れていたので一日伸ばしたのだ。17日の夜は琉球民謡・三線と琉球料理のライブへ行った。津軽三味線の聖地といわれる土地で生まれ育った蘭子ちゃんは、琉球の三線に興味を引かれていたようだ・・・・・・・。
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この日のライブは草薙貴美さん。彼女は東京の人だが石垣の竹富島に10年間暮らし、三線を学び、2007年八重山古典音楽安宣流協和会で最高賞を受賞している。
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先日、みやらびでばったり会い島酒を飲みながら彼女の歌声と三線の音色を聴いた・・・・・・・・。
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沖縄の八重山諸島の文化と「本州の袋小路」と作家の太宰治が書いた青森の竜飛崎の人とのツーショット。
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ついでのどさくさにまぎれて僕も記念写真を・・・・・・・。
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蘭子ちゃんは翌18日の午後4時の新幹線で帰るというので、それまでの時間、行ってみたいという下町のスカイツリーを見に浅草へ行った。隅田川は前日までの台風のためか茶褐色だった・・・・・・・・。スマホで撮影する蘭子ちゃん。
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お上りさん気分で記念写真。
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久しぶりに神谷バーの「デンキブラン」を飲む。創業1880(明治13)年だからいまから133年前。永井荷風、川端康成、萩原朔太郎、石川啄木、谷崎潤一郎、高見順、坂口安吾、壇一雄、三浦哲郎などの文人たちが愛したこのバーを僕は好きで浅草を訪ねた際は必ず寄っている・・・・・・・。
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朝ごはんを食べていないという彼女は本格的な食事をしていた。僕はデンキブランをちびりちびりやりながらその姿を眺めていた・・・・・・・。そうしたら3杯も飲んでしまったのだ。
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浅草ときたらお決まりの雷門の浅草寺さまのお参り。仲見世通りは相も変わらず外国人観光客ばかり。
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タイミングよく龍の舞いの奉納が行われていた。ばっちりといいポジションで撮影できた。僕のカメラはシグマdp1xだからレンズは28ミリの単体だけ。もう少し近づけばよかったかもね。
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隅田川の浅草から浜松町の日の出桟橋行きの水上バスがあったので飛び乗った。これで行くとちょうど東京駅に着くのが3時45分頃になるのだ。帰りの新幹線にうまい具会いに接続していた。
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僕を彼女が撮ってくれた。周りは奥多磨町の小学生たちでいっぱいだった。
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隅田川にかかる橋の中でも、最も美しいと言われている清洲橋とスカイツリーの光景。生涯忘れられないシーンとなるだろう・・・・・・・・。

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今から26年前1988(昭和63)年に青森県津軽半島竜飛崎で撮影した少女が蘭子ちゃんだった。左の写真は家の前で。奥の青い屋根は小説家の太宰治や写真家の浜谷浩が宿泊した奥谷旅館。左の本は、『太宰治と旅する津軽』(新潮社)、右は『詩人たちの旅 青春 愛 故郷』(マガジンハウス)。その他にも『作家の風景ー文学館を巡る』(白石書店)、『文学館抒情の旅』(京都書院)、『日本文学風土記 東日本編』(イーブックス・イニシアチブ・ジャパン)、『文学の風景をゆく』(PHP研究所)をはじめ多くの雑誌にも蘭子ちゃんを掲載させてもらった。この写真は人気があり、欲しいという人も多かった・・・・・・・。君との出逢いに心から感謝する。ありがとう~☆!☆!☆!   合掌

 

 

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2013年10月13日撮影
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2013年9月16日撮影

昨日辺りから朝夕はすっかり秋めいてきた。本来はもう晩秋に入りかけている季節なのに、日本列島は30度を越す日が2日続いていたのだ。11日、12日の夜はパンツ一枚でタオルケットで寝ていたのに、一昨日からは、それでは寒く何度も目が覚め、毛布2枚をかけてようやく眠れたのだ。この夏からは気象台始まって以来の珍事が多発しているという。一体、美しい四季折々の風景と細やかな感性を育んだ日本はどうなってしまうのだろうか。

それは台風の多さにも現れている。上の夕焼けの写真は、一ヶ月ほど前の台風16号が過ぎ去った夕方、家の前から撮影したものだ。そして最初の写真は昨日13日に撮ったもの。正確にまだ一ヶ月たっていない。それなのに明日から本格的に影響を与えるであろう台風26号がやってくる直前の家の前の風景である。つまり3日に1つ台風が発生している計算だ。日本列島を取り巻く海水の温度が異常に高くなっていることも強大な暴風雨をともなった台風になっている要因だという。

これからが特に東日本では、本格的な稲や秋の味覚である果物などの収穫のシーズンである。農民たちの丸一年間の苦労が一瞬にして泡と消えてしまうことなように祈るばかりである・・・・・・・・。稲はもちろんこれから初冬にかけて旬を迎える野菜は、きのこ、さつまいも、じゃがいも、さといも、長いも、にんじん、ごぼう、れんこんなどなど。果物もたくさんある・・・・・・・・。秋の味覚といえば代表的な庶民の味だったさんまがいまだ三陸沖で獲れない。北海道の釧路沖約500キロメートルあたりが現在の魚場となっているという。当然のように値段は高い。安売りのスーパーなどでも小さいもので一尾100~200円以上はしている。飲み屋では高い所で、さんまの塩焼きが1尾1500円、安い店でも600~700円はするので、とても庶民の味とはいえないのが現状だ。貧乏写真家の口にはまだまだ入らないのだ~☆・・・・・・・・。

 

9日、10日と連続して都内にでた。9日は丹野章さんの個展の展示構成のためだ。写真家の菱山忠浩君が手伝いに来てくれた。10日は、中谷吉隆さんの写真展のオープニングパーティと丹野章さんのオープニングパーティに出席するためだ。最近、あまり人と会ったり、しゃべったりする機会が少ないのでこう続けて多くの人と会い、話すと正直くたびれる・・・・・・・・・。でも楽しい会であった・・・・・・・・・。

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ライティングには凝った。まるで鑑賞者自らが地底に潜って、炭鉱労働者の現場を見ているようなリアりィティある照明を作り上げた。
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飾り付けが終わって。キャノンサロン、フレームマン、写真弘社の人たちと丹野さんと僕・・・・・・・・。
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手伝いに来てくれた菱山君と丹野さんと。飾り付けが終わった後、近くの居酒屋で一杯やった・・・・・・。
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A全の大きなサイズを中心した展示構成は迫力が出て成功だったと丹野さんと語る僕・・・・・・・・。
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麹町にあるJCIIフォトサロンで開かれている中谷さんの代表作のひとつ「道東」の写真展のオープニングパーティに参加した。写真展会場での中谷さん。
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写真展会場。見ごたえのあるいい作品展だった。午後6時から始まったパーティには、大勢の写真家や俳人たちが参加していた・・・・・・・・。

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銀座キャノンサロンでは午後7時から丹野章さんの写真展のオープニングパーティが始まった。中谷さんのパーティから駆けつけてきた僕が急遽、司会をやるはめとなり、さっそく一緒に廻ってきた公益社団法人日本写真家協会会長の田沼武能さんにお祝いのあいさつをお願いした・・・・・・・・。

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日本写真界の最長老でもある芳賀日出男さん(94歳)も駆けつけてくれて乾杯の音頭をとってくれた・・・・・。2人あわせれば192歳というとんでもない数字となる・・・・・・・・。それにしてもこの若さ~!☆
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左から写真家・木之下晃さん、丹野さん、写真家・浜口タカシさん、日本写真家協会専務理事の松本徳彦さん。みな丹野さんの後輩にあたる・・・・・・・。
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先週までキャノンギャラリーで個展をしていた沼田早苗さんと日本写真家ユニオンのNさんと僕・・・・・・。
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大病を克服してこの日、煮物を作って持ってきててくれた奥様の典子さんはお元気な姿を見せてくれた。二人を撮ろうと大勢のカメラマンが集まった。
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丹野さんの第1号のアシスタントを務めた熊切圭介さんと丹野さんの奥様の典子さん。
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協同組合日本写真家ユニオンの岩尾専務理事と会員のメンバーと。

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久しぶりに田沼武能さんとのツーショット・・・・・・。最近何でもVサインをしている僕でした。文化功労者と一緒の撮影なのに失礼だったかな・・・・・・・。ど~もすみませんでした!
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締めのあいさつの一人は、報道写真家として名高い浜口タカシさん。
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そして日本写真家協会副会長の熊切圭介さん。アシスタントをした青春時代の思い出を赤裸々に語って会場は爆笑の渦だった。約60年前のことである・・・・・・・・・。
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日大藝術学部の後輩にあたる写真家の塚原琢哉さん。二次会のあいさつをしてくれた・・・・・・・・。
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まだ飲み足らない、まだ話したりないという人が集って近くの居酒屋で2次会をした。20数人が来てくれておどろいたのだ~!!
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日本中国写真藝術協会理事長の佐藤成範さんも日大の後輩。二周り違いの牛年ということが判明。塚原さんは一回り違いの12歳年下ということがわかって盛り上がっていた。
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ペルーアンデスから戻ったばかりのEさんと2次会をすべて仕切ってくれた写真家の島田冴子さんと写真評論家の妹尾三郎さんと。3次会には米寿を過ぎた丹野さんをはじめ10人が残り、終電ぎりぎりまで写真談義に花を咲かせていた・・・・・・・・。ふう~疲れたな~・・・・・・・。  合掌

ここ数日間、少数民族のイ族の暮らす風土や生活・文化などの原稿書きのため、家に篭りっ放しだったので、気分転換も兼ねて出かけた。9月に家の近所のバレエスタジオで手作りのバザールを一緒にした地元のパワフルお母さんの雪乃ちゃんから連絡があったのではじめて、朝霞アートマルシェという行事に行ってみたのだ。若い人たちが中心になって実行委員会を作って企画運営をしているという。この期間をつうじて、東武東上線・朝霞駅周辺で絵画、写真展、手作りのショツプ、ライブ、トークショー、ワークショップ、カフェなどが行われていて活気があったらしい。若者たちによるアート的な町興しの取り組みといえよう・・・・・・・・。

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手作りのショップが並ぶ広場を歩いていたら、何人かの人たちから「夏の図書館でやっていた写真展みましたよ~」と声をかけられてびっくりしたり、ちょつぴりうれしくもあった・・・・・・・。
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雪乃ちゃんと写真家の麻奈美ちゃん(右)。彼女は聾唖者というハンディを抱えているが、いつも元気いっぱいで僕は会う度に励まされている・・・・・・・・。
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二人のお子さんがいるお母さんとは思えない雪乃ちゃんのパワフルさに、いつも圧倒されている僕でした・・・・・・・・。
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麻奈美ちゃんの彼も写真家でいま、新進気鋭の写真家として注目されている。赤々社から昨年、写真集を出版した・・・・・・・・・。
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81歳という雪乃ちゃんの元気なお祖母さん(左)と、友達たちと店の前で・・・・・・・・。この日もエスニックな服装やアクセサリーや品物は、飛ぶように売れていた・・・・・・・・。

午後4時頃までいてから一人で池袋へ出た。ビックカメラに用事があったこともあったが、前から気になっていたやきとり屋へ寄りたかったのだ。創業57年となる老舗だ。定番のやきとりとなか豆腐煮込みなど食べてみたが、さすが57年の年季がはいっているだけあって旨かった。値段も安く、ボリュームがあった。これだから毎日いつもサラリーマンなどで満席のはずだと納得した。 今度またゆっくりと来ようと思ったのである・・・・・・・・。

中学校の同窓会が終わった後、今回の幹事長を務めた後藤君夫妻が実家まで送ってくれた。後藤君の奥さんも僕らの同級生なのだ。同級生同士で結婚したのはもう一組ある。仲のよかった証だろうか・・・・・・・。今年のお盆と八幡様の秋祭りに帰ってこれなかったので、母の顔を見るために一泊することにしていたのだ。翌30日の午後に三男の小松勝三夫婦が迎えに来てくれることになっていた。彼らは前日から信州の志賀高原温泉郷へ行っていたので、その帰りでもある。その足で、祖父母や父が眠る墓に参った。何時の頃からだろうか、帰省した時には必ず墓参するようにしているのだ・・・・・・・・・。夜は次男の小松修二夫婦も合流して兄弟水入らずでのんびりと語り、飲んだ。兄弟みんなでこうした旨い酒があと何年飲めるだろうかと、時々思う今日この頃ではある・・・・・・・・・・。

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実家の庭から見上げる眞田昌幸が支配していた内出城の二の丸跡。城郭の跡や空堀の跡などがはっきりと残っている。
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近所のおばさんたちがお茶を飲みに来た。僕もよく知っているおばさんたちなので懐かしかった・・・・・・。
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志賀温泉をハシゴしてきたという勝三の嫁さんの美香と母と。庭先で記念写真を・・・・・・・・。
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今度は三男・勝三と母と僕・・・・・・・・。勝三は母の背中をくすぐって笑わせていた・・・・・・・。
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弟の小松勝三と嫁の美香と母・・・・・・・・。
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近所の庭に柿がたわわになっていたので、少しもいでもらった。
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小粒だけれども中は真っ黒の砂糖で旨かった。久しぶりにもぎたての柿をほおばった・・・・・・・・。
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前の田んぼは稲刈りが終わり、籾殻を燃やしていた。このなかに芋をほおりこんでいて、子どもたちが焼けるのを楽しみにしていた。僕らが子どもの頃は、稲の穂先を拾い、この上に乗せて置くとパチンパチンと跳ねて焼ける、それを食べるのが楽しみであった。おやつなんて何もなかった貧しい時代だったから・・・・・・・・・。

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弟たちが暮らす渋川市にある創作料理の店で。家の近くなこともありよく通っている店だという。僕は初めてだった。女将は東京の下町の人だった。苗字が僕の上さんの旧制と同じだったのも何かの縁だろうか・・・・・・。
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店を出た後、またすぐ近くで通っている店があるというので、寄った。左が次男の小松修二夫妻。手前が宮崎県出身の嫁さんの宇基子・・・・・・・・。
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その店のママさんと常連さん。偶然に生まれが僕と同じ岡山県ということで盛り上がった。単身赴任で来ていたが会社を退社してもこの街が気に入り、家族が待つ愛知の家には帰らずに独りでのんびりと暮らしているのだそうだ。それもまた人生のひとつの選択なのかも知れない・・・・・・・・。

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男三人の兄弟。母はどれだけ苦労したことか・・・・・・・。三人三様それぞれの道を歩いてきた。しかし、みな50歳を超えて人生の終盤の道程にさしかかる年代になった。こうした再会いの機会をひとつひとつ大切にしていきたいと思っている・・・・・・・・。みな元気に、旨い酒をいつまでも飲みたいものだな・・・・・・・・・。

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飲む前に近くの温泉に勝三と浸かってきたが、美香は3日間温泉に浸かりぱなしだったので肌がつるつるに。度アップにも十分耐えうる若若しいお肌になっているよ・・・・・・・・・。 兄弟たちよ~!ありがとう~!!!☆☆☆

9月28日、29日の両日、約2年半ぶりに原町中学校の昭和43年度卒業生たちにより同窓会が故郷である川原湯温泉で開かれた。前回は修学旅行のコースだった鎌倉・江ノ島で行われたのだ。僕らは今年還暦を迎えた人生の節目の年でもあった。集まったのは36人。卒業生は総勢99人。内すでに亡くなった同級生は5人、行方がわからず連絡が取れない人が5人いるから89人中、36名の参加は40パーセントを超える参加率だ。幼稚園、小学校、中学校と一緒だったこともあり、みな気心がしれている。僕の家の近所、同じ部落だけでも8人の同級生がいた。そのうち遠い親戚が3人。みな子どもの頃から兄弟姉妹同然に育ってきたのである・・・・。

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川原湯温泉へ向かうJR吾妻線の車窓からの風景。
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すでに稲刈りが始まっていた。黄金色のこの風景を見ると故郷に帰ってきたなあ~と感慨深くなる。僕はこうした風景を車窓からぼんやり眺めるのが好きだからいつも各駅停車でのんびりと帰省している・・・・・・・。
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西日が傾いた午後4時半頃に川原湯温泉駅に着いた。駅舎の真上に巨大なコンクリートの橋脚がそそり立っていた。あの素朴な温泉入口の光景とはほど遠い景色がそこにはあった・・・・・・・・。時の流れを感じざるを得なかった・・・・・・・・。
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柔道家の加納治五郎の別荘跡地から建設中の湖面1号線の橋を望む。
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同窓会の会場となる旅館「やまきぼし」の庭から暮れ行く吾妻谷を見た。美しい故郷の夕景であった・・・・・・・。
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旧温泉街で800年の歴史をもつ源泉を使って営業している旅館は、「やまきぼし」と「丸木館」の二つだけになってしまった。やまきぼしの主人は最後の最後までがんばって営業を続けたいと言っていたが、丸木館は来年2月より休業が決まっている。かって数十軒の温泉旅館が軒を連ね、飲食店やお土産屋、ゲームセンターなどひしきめきあって活気があった頃の川原湯温泉街が懐かしく思い浮かんだ・・・・・・・・。 写真は作家・嵐山光三郎が命名したというやまきぼしの露天風呂「崖湯」だ。

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今回の同窓会の幹事長を務めた後藤君(前列右から3人目)。
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幹事の粋な計らいで、還暦を祝って赤いタオルが配られ、みなそれを巻いて記念写真を撮った・・・・・・。
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宴会は午後6時過ぎから始まった。豪華景品が全員に当たるビンゴーゲームや現金で1万8千円がもらえるじゃんけん大会など15人の幹事さんたちがユニークな指向をこらしてくれた。ありがとう~!☆
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午後8時過ぎから会場を移して二次会が始まった・・・・・・。
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会社員、教員、牧畜家、官僚、大工、写真家、看護士、会社役員、主婦、整体士・・・・・・・現在は様々な職業についているけれどもみな幼な馴染みだ。すぐに打ち解けあえるから不思議だ・・・・・・・・。
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朝、4時には帰った人、逆に夕べ遅く駆けつけてきた人などあったが、残っていた人だけで旅館の前での記念写真。その後、22人が参加してまもなく湖底に沈んでしまう「関東耶馬渓」こと赤妻渓谷へ散策に行くことになった・・・・・・・・・。
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鹿飛橋から見た吾妻川。
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以前はこの鹿飛橋の上に、「野猿茶屋」という店があり、そこの女将が俳人で夏女という俳号を持っていた。訪れたという若山牧水の話をよくしてくれた。吾妻渓谷を詠んだ牧水の歌もたくさん残っている・・・・・・・。
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40年ぶりぐらいの散策だった。峪側の路はずいぶんと整備されてはいたが、けっこうハードだった。
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大木の広葉樹林が広がっていた。まだ紅葉には早かったが11月頃には見頃を迎える・・・・・・・・。
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新しく建設された不動大橋から水没する下流方面を望む。国道145号線、JR吾妻線も同じ運命だ・・・・・・・。今年も例年同様田んぼには黄金の稲がたわわに実っているのが物悲しい・・・・・・・・。
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上流の長野原、草津、万座方面を望む。
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地元、原町に戻ってから少し遅い昼食を取った・・・・・・。
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僕の実家から100メートルばかりの所に家があるKちゃん(右)。お孫さんが5人いるという・・・・・・・。横浜から車を運転してきたというTさんと。
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昼食には20人が参加した。最後に残った同級生たちと岩櫃城温泉を背景に記念写真を撮った・・・・・・・。以前にここで僕の写真展を開催して3000人が入った。そしてこの前の東日本大震災の直後には数百人の被災者がここで暮らしていたのである・・・・・・・・。



 

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