写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2013年9月アーカイブ

 

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季刊「Realitas(レアリタス)」の第5号と第6号の表紙。
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第5号の巻頭グラビア「極彩色の風を見た男」より。
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第5号のグラビアより。
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この写真からは全て、レアリタス第6号の巻頭グラビア「見果てぬ夢よ、風よ、雲よ」より。
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3~4ページ
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5~6ページ
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「レアリタス」は株式会社日立製作所の社内誌として発行されているので、一般の書店などでは販売されていない。残念ながらみなさんに手にとってご覧いただけないのが残念だ。今年の5月に探検家・矢島保冶郎の長女である矢島仲子さん(80歳)と共にチベットへ行った。その目的は保冶郎の妻、テンパ・ノブラーさんのご子孫たちとの会見であった。その顛末記を書いている・・・・・・・・・。

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「暮らしの手帖」の編集長などをしていた友人が中心になっておこなっている演劇集団「いたわさ」の第8回公演を六本木にある麻布区民センターホールへ観にいった。4年ぶりぐらいになるだろうか、久しぶりの「いたわさ」の芝居はピリリと山椒がきいて風刺もさえていて楽しかった。チェーホフの短編の名作から「しいッ」、「たばこの害について」、「創立記念祭」の3本の上演だった・・・・・・・・。

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友人のSさんと六本木で打ち合わせがあったので、芝居に誘ったらうまく時間が空いていて一緒に鑑賞した。終了後、駅近くの古いラーメン屋に飛び込んで遅い夕食を取り、とりあえず生ビールで乾杯をした。次の日から僕が上州へ行くので、餃子とビールで軽く。残念ながら、これでさよならをしたのでした・・・・・・。

 

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(12月号、最後の審査をする・・・・・・・。 撮影:坂本太志副編集長)

25日、台風20号が日本列島の太平洋上の沖合いを北上しているなか、「フォトコン」の12月号の組写真の部の最後の審査のために、同編集部のある八丁堀へ向かった。月1回の審査だったからこの1年間、12回足を運んだことになる。単なる月例のコンテスト審査でなく、「写真道場」のようなつもりで、応募者も審査する僕自身もお互いに切磋琢磨していこうとよびかけ、実践してきたこの1年間であった。

しかし、その現実はどうであっただろうか、正直、眼に見えるような成果はなかったような気がする。僕の思いだけが空回りしていたのか、なかなか手ごたえのある作品や作者が登場してこなかった。途中、疲労だけを感じる時もあった・・・・・・・。一体に僕は何をしているのだろうかと・・・・・・・・・。しかし、終盤の3回ぐらいからは、少し少し、作品に変化が現れてきてホッとしたものである。

荒野に鍬を入れ種まきをしたということだろうか。これから育み、花を咲かせ、実り、そして収穫をする・・・・・・。そんな期待を持って次にバトンを引き継ぐしかない。僕自身としても改めて写真を組んで見せることの難しさを学ばされた。全国の応募者のみなさんの力作を前にずいぶんと勉強にもなった。この場をお借りしてこころからのお礼を述べたい。 ありがとうございました。  また、何時の日か、何処かでお会いしましょう。   合掌


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審査が終わってから打ち上げをする予定だったが、編集部の面々はそれぞれパーティやら取材やらで忙しく延期とした。僕は独りで、家の近所のインドから一時帰国している由紀ちゃんがバイトをしているマタギ料理の店へ行って、次にこの一年間、通わせてもらった居酒屋「北海道」へ。先日、TBSのBS番組「吉田類の酒場放浪記」で放映された店だ。今回でしばらく来れなくなる旨を大将にあいさつに行った。

最寄駅に着いたのがまだ、午後9時前だったので居酒屋「三福」へ寄った。カウンターに独りで呑んでいたのは、学生時代にこの店でバイトをしていたSさん。職場も正式な社員として採用が決まったという。7~8キロダイエットをしてスマートになったのでずいぶんと大人らしくなった。久しぶりにいろんなことを話しながら飲んだ。僕は1年間の「フォトコン」の審査を思い返しながら・・・・・・・。  一緒に写っているのは「三福」の若大将のマー君です~!☆

 

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朝、目覚めて窓を解き放つと子どもたちの元気のいい歓声が飛び込んでくる。オルガンのメロディーも。近くに幼稚園があるのだ。 些細なことではあるが、平和だな~と噛み締めることがある・・・・・・・。自宅前の電線に切り刻まれた仲秋の名月。
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銀座にあるライカギャラリーで開かれている川田さんの写真展はライカのモノクロ専用のデジタルカメラでの撮影だそうだが、そのプリントの仕上げは息をのむほどに美しかった・・・・・・・。
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銀座ニコンサロンでの瀬戸さんの個展。福島を撮っているのだが・・・・・・・・。
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大手出版の編集部長と3時間程の打ち合わせの後、僕が20数年前に通っていたなつかしい淡路町の飲み屋へ行ってみた。部長もよく来ているという。 どじょうの丸煮などが美味であった・・・・・・・。
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その帰り、地元の友人たちに捕まってしまった。左端のRちゃんの婚約者は大阪の人(左から2人目)。 お幸せにね・・・・・・・・・。
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日本の写真家と中国の写真家37人が参加している合同作品集を作っている。この日、午後3時から出版社の人と烏里君と僕の3人で2時間程打ち合わせをした。夕方から写真家のバク・斉藤さん(左)が合流して明後日から1ヶ月ほどチベットへ取材に入る烏里君のささやかな歓送会とバクちゃんが今度、カンボジアで大きな展覧会を開催するでその前祝を兼ねた会をした・・・・・・・・。

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10月31日から11月6日まで新宿御苑前のギャラリーシリウスで開かれる創立5周年を記念した「風」写真展に向けて最後の例会が都内において開かれた。僕を含めて8人が参加し、熱気ある例会となった。
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例会終了後、いつもの居酒屋へ。塩崎君が写真学校の授業のため遅れて合流した・・・・・・・・・。
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男性と女性のメンバーのそれぞれにおいて長老となる森、並木同人で~す!!☆
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世界各地の紛争地帯をはじめ、事件があるところ必ずカメラを片手に現れるという”不肖・宮嶋”こと、写真家の宮嶋茂樹さん。写真は激しいものばかりだが、礼儀を重んじる仁の人である・・・・・・・・。

この日、写真雑誌月刊「キャパ」編集長の石田さんと打ち合わせをした後、写真家の丹野章さんと会って10月10日から始まる丹野さんの個展のことなど話し、久しぶりに銀座で一杯やった・・・・・・・・。

 

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「写真集団・上福岡」の9月例会の合評。先月は写真展だったので、2ヶ月ぶりの例会だった。終了後、有志でいつもの焼き鳥屋へ行ってしばし写真論議に花を咲かせた・・・・・・・。来年卒寿を迎える2代目会長の柴田格一さん(右端)は、お元気に毎回出席する。長年撮り続けてきた「樹」を卒寿を記念して来年当たりに写真展をやろうと言うこととなった・・・・・・・・。

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仲秋は、陰暦の8月の異称。いわゆる秋の半ば、という意味である。この季節の月は特に大気も済んでいて美しいということで、古来から日本人は、仲秋の名月と言って、ススキを飾り、団子を供えてお月見をしてきた。僕らの田舎では、この夜、子どもたちは長い竹ざおの先に魚を突くヤスなどをくくりつけて、家々の縁側に飾ってある団子を狙って回り歩いた。金持ちの家は、団子だけでなく、饅頭やお菓子も供えてあったので、特に力を入れて狙ったものである。番をしている親父さんなどに見つかったものなら「こ~ら~!!」と怒鳴られたが、それ以上は追求されなかった。暗黙の内に、仲秋の名月の夜は、いわゆる供え物を盗んでも良いと言うことになっていたのである・・・・・・・・。

ちなみに今日、9月19日は俳句・短歌の革新をおこない、中興の祖となった俳人・歌人の正岡子規が明治35年(1902年)に亡くなった日だ。明後日の21日は、詩人の宮澤賢治が昭和8年(1933年)に亡くなっている。二人とも30代の若さだった・・・・・・・・。
昨日は台風一過の後だったので、綺麗な月の夜だった。今夜も仲秋の名月にふさわしい満月が望めることだろう。お供えにと、きんつばを買ってきたので、今夜はお月様にお供えをしたあと、いただこう~と・・・・・・・・。
上の写真は、玄関前に広がる畑の隅に咲いた野菊の一種だろうか・・・・・・。今朝撮影した。



 

日本写真界の長老の一人、丹野章さんの10月におこなわれる個展の展示・構成のお手伝いをした。前回、品川のキャノンギャラリーSでおこなった丹野さんの写真の半生を飾った写真展の時にも展示・構成を担当したが今回もサポートした。大先輩の作品を生で見ることは、何よりも自分自身の勉強になるからである。3時間程かけてほぼ作品のセレクトと展示構成は終わった。後の詰めは会場で搬入飾り付けの時におこなうこととした・・・・・・・・・・。

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作品を前に展示構成を思考する丹野さん。1966年~1986年までの高島炭鉱を撮影したもの。一部に同じ時代の筑豊も数点入れた。炭鉱のあった北海道・札幌市で11月7日~19日。福岡市で12月5日~12月17日までの巡回展が決まっているが、本人は長崎市と撮影した高島で開催したいと思っている・・・・・・・・・。

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東京・晴海の丹野さん事務所で。長い間、オーストラリアへ行っていた娘さんと数十年ぶりに会った・・・・・・。
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中学生のお孫さんもダンスの練習から戻ってきて顔をだした(真ん中)。編集作業が終わってから、夕飯をご馳走になり一杯のんだ・・・・・・・・・。
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丹野さんの事務所前の運河からの眺め。以前に何度か泊まったこともあった。東京湾の花火が部屋から綺麗に見えた記憶がある。十年ぶりぐらいの再訪だったので周辺は変わってしまい到着するのに苦労した・・・・・・・・・。
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早く最寄駅に到着したので、酒屋の立ち飲み居酒屋へ行って独り飲みなおした。22時を過ぎるといつも僕が客の中では最高齢者。立ち飲みだけれども気を使って椅子を用意してくれる。途中、「居酒屋・三福」の若大将のまあ~君が合流した。
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まあ~君と立ち飲み屋「ゆたか」の津軽美人の女将。
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日本列島中、大きな被害をもたらした台風18号が抜けた16日の夕方。家の玄関前から美しい夕暮れを撮る・・・・・・・・・。幸いに家の周辺は被害はなかった。 みなさん大丈夫でしたか・・・・・・・・・。   合掌

一昨日の9月11日であの甚大な被害をもたらした東日本大震災が発生してから2年半となった。現在、この震災で亡くなった方は15、883人、行方不明者は2,654人だ。原発の放射能漏れで帰宅できない福島をはじめ、岩手、宮城の3県での避難生活者は約290、000人にも及んでいる。福島原発の放射能を大量に含んだ汚染水は日々漏れ出し海に垂れ流されている。コントロールできているどころの騒ぎではなく、根本的な対応策すら見出せていないのが現状である。

放射能に含まれているプルトニウムひとつ取っても生物に多大な悪影響を与えるだけでなく、その半減期は2万4千年以上といわれている。とてつもない時間である。邪馬台国の卑弥呼の時代でも、たかだか1700~800年前、それが一体、日本のどこにあったのかも判然としていないのが現実だ。2万数千年後の地球にどうして責任が持てるというのだろうか・・・・・・・・・。 オリンピック2020年東京招致が決まったからといって浮かれている場合でありますまい。現実を直視し、早急に原発の廃炉に向けた作業を、国の総力を上げてとりくまなければ成らないのではないだろうか!!

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友人の水谷章人さんのスポーツ報道写真展が品川にあるキャノンギャラリーSで始まった。初日の12日はオープニングパーティが開かれたので、約2週間ぶりに都内に出かけた。同時開催として銀座キャノンギャラリーでもスポーツ報道写真展「光華」が9月18日まで開催されている。
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主賓のあいさつと乾杯の音頭は日本写真界の長老・93歳になる芳賀日出男さんがおこなった(右)左は水谷さん。藤本四八写真文化賞の第1回受賞者が芳賀さん、第2回が僕で、第3回が水谷さんという縁もあるので親しい間柄である。
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お祝いに駆けつけた新日本プロレスのレスラーの人たちと水谷さん。
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93歳の芳賀さんとしばらく話をした。いろいろと思い出話はつきなかった・・・・・・・・。
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カメラ雑誌「キャパ」編集部の鬼沢編集者と芳賀さん。
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締めのあいさつをする公益社団法人日本写真家協会副会長の熊切圭介さんと写真家の立木義和さんと水谷さん(真ん中)。
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会場で聞き入る参加した人たち・・・・・・・。
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「日本写真年鑑」編集長、公益社団法人日本写真協会理事の河野和典さんと話があったので池袋の琉球料理の店へ行って飲んだ。彼とは「日本カメラ」編集長時代からの古い付き合いである・・・・・・・。
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先日、丹野章さんの米寿を祝う会でお世話になったばかりの「みやらび」の女将の功子さんとチイママの佐千代さんに囲まれて幸せそうな河野さんでした・・・・・・・・・。

 

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今年で創立5周年を迎えた写真研究会「風」の第3回写真展が来月31日から11月6日まで、新宿御苑前にあるギャラリーシリウスで開催される。そのDMが出来上がった。この写真展は同研究会「風」の創立5周年を記念して開かれるものだ。同会は「作家意識を持った写真家の育成」を目的にして創設されたもの。

すでに何人かの写真家を世に送り出してはいるが、今回の11人の出品写真家も鹿児島、香川、岡山、愛知など地方の作家も含まれており、作品もそれぞれ個性的だ。地域にしっかりと根をおろした創作活動と、写真表現の新しい地平を切り開くために日々精進している写真家たちの作品にぜひ、ご期待ください・・・・・・・・。

(DMのデザインはメンバーの塩崎亨さん)

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9月10日、 朝夕はすっかりと秋の気配を感じるようになった。 自宅の玄関前の畑からの夕暮れ。近所のおばあちゃんも見に出ていて、はじめて言葉を交わした。この辺りは、一昔前までは武州・武蔵野の面影が残っていたのだが・・・・・・・。
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「風」の同人である写真家の塩崎亨君が打ち合わせのため家に来た。ちょうどお昼だったので、”讃岐の特製野菜サラダ・半熟卵かけうどん”を作って一緒に食べた。たっぷりの地元野菜が特徴。レタス、茄子、キュウリ、トマト、カイワレ大根、ピーマン、白ごまに半熟卵と豚ベーコンも入っている。タレも僕のオリジナル。讃岐うどんは、高松のSさんがこの夏、送ってきてくれたもの。だし醤油は名古屋のH君が毎年送ってきてくれるやはり讃岐のものだ。これをベースにアレンジしてオリジナルなタレを作ったのだ・・・・・・・・・。塩崎君は旨いを連発しながら二人前をペろりと平らげた・・・・・・・。

 

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小松健一撮影:「kininaru  koukei」

昨日から日本のマスメディアは、2020年にオリンピックが東京で開催できるかどうかで、ヒステリックになるほど騒ぎ立てていた。お陰で僕も結局は東京に決定する朝方まで付き合うこととなった。9月7日は小説家・泉鏡花が昭和14年に亡くなった日でもある。鏡花が尾崎紅葉の玄関番を務め、暮らしていた神楽坂上の横寺町にあった旧尾崎邸を取材したことがあった・・・・・・・。
どのテレビチャンネルを廻しても、オリンピック関連の番組ばかり、3日後には、「3.11」が発生してからちょうど2年半となる。世界のマスコミや人びとが不安を感じている福島原発の放射能を大量に含んだ汚染水漏れについても、確実な対策が打たれたわけではないのに・・・・・・・。東京招致が決まったからといって、そう手放しで喜んでばかりいられないのは明白である。これから本気で復興と原発の廃炉に向けた作業を開始しなければならないと思うのだが・・・・・・・・。

それにしても56年ぶりの2020年に東京でオリンピックが開催されることになったのは、スポーツを愛する者の一人としては、正直うれしい。前回の東京オリンピックが行われたのは今から49年前、1964年だった。敗戦から19年目、日本が復興した姿を世界に知らせる夢を持った祭典だった。当時、僕はまだ小学5年生だったが、いろいろな思い出がある。二つのことを記しておこう。

一つは、近所のお兄ちゃんで子どもの頃、良く遊んでもらった角田勝治さんがバスケットの代表として出場したということだ。僕の実家のすぐ上の家だった。「勝ちゃん」と僕らは呼んでいたが、兄弟はみな大きかった。むろんおじさんもおばさんも。勝ちゃんの弟に正ちゃんという人がいたが彼もバレーボールのオリンピック候補者だった。当時、田舎ではまだテレビがあまり普及されてなかったので、勝ちゃんの本家にあたる家にテレビがあったので、村中の人たちが集まって応援をした。またその様子が地元新聞に掲載されたりしたものだ。勝ちゃんは2メートル近く身長があり、日本選手団の中でも一番大きかった。列車の座席に座ったまま荷物棚から物が取れたというエピソードも残っている・・・・・・・・。

もう一つは、東京オリンピックの開会式の時に、五輪の旗や国旗を先導した少年鼓笛隊があったことを覚えている人もいると思うが、その鼓笛隊を指導した人が我が田舎の学校にも来て、6年生と5年生の約200名で鼓笛隊がその人の指導の下に結成されたのだ。そして文字通りの猛練習。その全体を統括する主指揮者に僕が、任命されたのである。20名程の縦笛の小隊に分けられ、それぞれ副指揮がついた。その先頭には楽団があった。それら全体を指揮するという大役だった。太く重い指揮棒だったので何度も手にできた血豆がつぶれた記憶がある・・・・・・・。このことによる忘れられない思いではたくさん残っているがそれはまたいつの日かに・・・・・・・・・。


 

8月31日、都内の沖縄料理の店で、もう20数年来の友人で後輩でもある高田君と知子さんの結婚を肴にして大いに祝い、飲もうという会が、以前、高田君が勤めていたダイヤモンドプレス社の仲間を中心に集まった。高田君は大学を卒業した頃、神楽坂にあるバーのバーテンダーをしていたが、編集の仕事にも興味をもっいてダイモンドプレスの編集部にアルバイトとして入った。その当時、僕も同社の仕事をよくしていたので、高田君たちとは何度も神楽坂界隈を飲み歩いたものだ。 僕もまだ30代と若かった・・・・・・・・。

その後、彼は故郷の北海道・釧路へ帰って「釧路新聞」の記者となった。釧路時代も僕が取材に行くたびに世話になった。そして朝日新聞社への入社が決まり、上田支局、埼玉支局、盛岡支局など廻り、現在は東京本社のオピニオン編集部にいる。東日本大震災の時にはちょうど盛岡支局時代だったから大変な取材活動を経験した。僕も岩手で何度か会って、飲みながらいろいろな話を聞いたものだ・・・・・・・。

高田君は結婚はしないのかと思っていたのだが、知子さんという彼にはぴったりの伴侶と巡りあえて結婚したのは何ともうれしい限りである。僕の子どもでもないのだが何故か、息子が結婚したようなうれしさであるのには正直面食らっている・・・・・・・・・。 ともかく高田君、知子さん乾杯!! そしておめでとう~!☆!☆!☆

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新郎新婦。会場が暗くて綺麗に写らなくてごめんね~!
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少し明かるい場所で今一度ツーショツト・・・・・・・・。
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機内誌「コーラルウエイ」の編集長、編集者、フリーライター、それに沖縄から来た写真家の垂水健吾さん。
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高田君と知子さんを囲んで。元ダイヤモンドプレスの社長、フリーライター、デザイナー、教諭などの面々・・・・・。
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新婦の三和知子さんは、大阪の出身。大阪のN証券に勤めていたが、アパレル関係の仕事がしたく上京。衣料メーカーのTスタイルなどを経て、現在はS商会に勤務している。バリバリのキャリアウーマンだ。
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新潮社の編集者、区議会議員、主婦、編集プロダクション勤務などの面々・・・・・・。多くの人が25年ぶりぐらいの再会だ。懐かしい仲間だ・・・・・・・・。
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みんなに二人の馴れ初めを鋭く突っ込まれる高田君と知子さん。昨年の6月に知り合い、暮れから一緒に暮らし、今年の6月に入籍したという。スピード結婚である。
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時には爆笑、時には指笛と狭い会場は終始和やかだった・・・・・・・・・。
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2人を囲んで。僕も・・・・・・・。一昨年、高田君にも協力してもらった『宮澤賢治 雨ニモ負ケズという祈り』(新潮社刊)の編集者として共に取材をしたOさんも(右奥)
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島酒(泡盛)の一升瓶が次々と空いていく・・・・・・・・。みんないい気持ちで酔いが回ってきている・・・・・・・・。
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沖縄在住の写真家・垂水さんとも古い付き合い。彼がまだ東京にいた時からだ・・・・・・・・。
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新潮社選書編集部副編集長のI君と後から参加したライターのUさん。彼女とも25年ぶりの再会だった・・・・・。

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垂水さんはまるでウチナー(琉球人)のような雰囲気がある・・・・・・・・。
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まだまだ飲み明かすぞ~という”猛者組”で~す。 僕は早々と引き上げました。帰路、最寄り駅で地元の友人たちに捕まり、結局は午前様と相成りましたが・・・・・・・・・。

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決して早くはない結婚。でもだからこそ若いときにはない円熟した愛を育めるだろう。 お幸せに・・・・・。 合掌

9月1日、近所の友人の娘さんが中心となって、7月に引き続き開催した「THE ASIAN HANDS ”美事な手仕事 第2幕”に、ひょんなことから初参加した。場所は友人のバレースタジオ。今回の出品者は、友人の娘さんの由紀ちゃんがやっている「海と鳩ギャラリー」のエスニック衣装と竹かご、朝霞ローカルコネクションのタイダイ染めのワークショツプと衣類や日常雑貨、中谷陽子さんの紙漉きワークシュツプ、SHANT RIOTさんの天然石とシルバーのオリジナルジュエリー、フランス人のSATYA君の青空マジックショー、それに僕のオリジナル写真と著書、オリジナルTシャツなどだ。

僕にとっては初めての経験であったが、とても刺激的で楽しかった。みな20代、30代で元気溌剌である。年の半分以上は、ネパールやインドなどアジアの国々で暮らしているバイタリティーにあふれている。由紀ちゃん以外は初めて会った人ばかりだったがすぐに気心知れた友達となった。みな若いのにしっかりと生きているのがうれしかった。 若いエネルギーもたくさんもらって還暦男は夏バテ気味だったが元気が出たのである・・・・・・・・。

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由紀ちゃん(左)のオリジナルなエスニック衣装。ベトナムや中国の雲南省、貴州省などに暮らす少数民族の衣装などをアレンジした独特なもの。右端はろうあ者の写真家の盛山麻奈美さん。
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朝霞ローカルコネクションTDEを経営している27歳のSさん。お子さん2人を育てているハリキリお母さんでもある。
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ローカルコネクションTDEの店舗。アジアの衣類が飛ぶように売れていた。僕も楽しそうな雑貨をいっぱい買ってしまったのだ~。
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美しい和紙の手漉きが体験できるワークショツプは子どもたちには人気があった。作家の中谷さん。
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真剣な眼差しで・・・・・・・。
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オリジナルな和紙が完成! やった~☆
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僕が出店した店舗。盛山さんは僕の本を3冊持っていた。そしてこの日も3冊買ってくれた。ありがとう・・・・・・。
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オリジナル作品を見る・・・・・・・・。
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彼女の名前のSHANTI(シャンティ)はサンスクリット語で穏やかで平和な心の状態のことを言うのだそうだ。
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ネパールが長いので僕とも話が弾んだ。カトマンズの町の話など懐かしかった・・・・。彼女は、2003年より彫金を始めている。宝石の鑑定士の資格も持っているのだ。制作はネパール、インドでおこなっている。
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「元気の出るジュエリー」の前で。天然石と人や花や虫や動物たちがく彫られているシルバーが織りなす物語のあるジュエリーだ・・・・・・・・。
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SHANTIさんがはいているパンツは500円。Sさん(左)が着ている服は由紀ちゃんの制作だ。
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昼食は友人のバレリーナのYさんが冷麦を大量に茹でてくれた・・・・・・・・。ごちそう様でした。
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タイの独特な染物に挑戦。道端ではフランス人のサチャ君のマジックパフォーマンスがはじまっている・・・・・・・。
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近所の人たちも見物に・・・・・・。
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由紀ちゃんの手仕事。見えない背中にこだわった作品だ。またSさんに良く似合うね・・・・・・。
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最後に記念写真をパチリ~!☆ 後列左から2人目が30年来の友人のYさん。 みなさんご苦労さま。そしてありがとう・・・・・・・・。   合掌

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夕方、突然空が暗くなってきたので、急いであとかた付けをした。シャワーを浴びてあわてて池袋へ出かけた。驟雨には間一髪で間に合った。駅に着いたとたん土砂降りの雨となった・・・・・・・。
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僕はすっかり忘れていたが、この日は夕方から本格的な四川料理を食べて暑気払いをしょうという事になっていたのだ。写真家の烏里君から電話をもらって思い出したのだ。僕もふくめて写真家、画家、編集者、舞踊家6人の仲間が集まり四川料理を堪能した。その後、もう一軒、やきとり屋へ行って仕上げをして帰路にそれぞれがついたのである・・・・・・・・。

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