写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.576] 2013年5月17日 今から100年前、日本とチベットを結んだ恋を実らせた矢島・テンパ両家の歴史的再会の現場に立ち会ったチベットの旅から無事生還した・・・・・・。

 

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成都を飛び発って約1時間ほどすると眼下には、真っ白に雪をかぶったヒマラヤの峰々が広がった・・・・・・・。
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(この旅のメインカメラ、ニコンD800、レンズはシグマ24-60mmF2,8 EX DGの初撮り)

5月8日早朝5時前に家を出てチベットへ向かった。東京ー北京ー成都経由でチベット自治区の都・ラサへ着いたのは9日の午後。今回の旅の最大の目的は、① 100年前に実った日本とチベットを結んだ”恋の両家”である矢島家とテンパ家の歴史的再会を実現し、その現場に立ち会うこと。 ② 探検家・矢島保冶郎とその妻テンパ・ノブラーが暮らした場所や係わりのあった土地などを辿ること。 ③ 過酷で美しい自然の中に生きるチベット族の生活や文化・宗教などに直接触れ、交流を深めることである。

今回の旅には矢島保冶郎の長女・矢島仲子さんが80歳の高齢を押して参加してくれたのをはじめ、保冶郎が生まれ育った故郷・上州から4人が参加してくれた。内、一人は保冶郎が”世界無銭探検旅行”に出発するときにサポートした地元の新聞「上毛新聞」のKさん。さらに浄土宗の京都・西方寺住職であり、写真家の大橋紀雄さん、岡山の写真家であり登山家の高田紀美子さんとその友人のMさん。東京の元編集者で俳人の81歳の最長年者のKさんの8人が同行。それに僕と、写真家で探検家、そしてこの旅のコーディネェーターをしてくれた烏里烏沙君の総勢10人のメンバーであった。

僕は20数年来、ヒマラヤ、チベット、アンデスなど高地の取材を続けてきたが、今回ほど長期間に渡って苦しい高山病に悩まされたのは初めての体験であった。結局はチベット滞在中の全日程を苦しむことになった。他の人たちも1~2日は軽い高山病の症状は出ていたが、メンバーの中では烏里君についで2番目に若い僕が一番重い病状であった。標高約600メートルの成都へ戻ってきて飲んだビールの何と旨かったことか・・・・・・・。自宅に戻ったのは17日の深夜2時前。短い取材期間であったが、いろいろと面白いこと、新たにわかったことなどあった。今後、数回に分けてリポートしていきたいと思っている。

とにかく死にそうには何度かなったが、何とか生還できたことを報告し、12日ぶりのブログをアップしたことをお知らせいたします~!☆☆☆   合掌

 

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