写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2013年5月アーカイブ

28日の夜に鹿児島から戻ってからゆっくりと休む間もなく、6月1日が搬入・飾りつけの銀座での個展の準備に大わらわの日々を送っている。昨日もプリントの最終チェツクやサインとエデションNOの署名、額縁の確認、写真作品のタイトル制作、パーティの準備、画廊との打ち合わせなどなど都内を駆け回った。

その合間を縫って林義勝写真展「ふるさと賛歌ー未来に伝えたい情景」(31日まで・J=POWER本社1Fロビー)や福田俊司写真展「アムール虎の世界」(31日まで・ギャラリーアートグラフ)なで見て廻った。両会場とも本人がいて少し話すことができてよかった。

2月の頭からインドに取材へ行ったまま音信普通だった菱山君が突然約3ヶ月ぶりに帰ってきたので銀座で会った。元気そうなので安心はしたが、やはり大変だったらしい。5月に入ってからは毎日インドは45~6度の暑さで、それも冷房のない宿だったので眠れず死ぬ思いをしたという。朦朧としていて財布も盗まれた・・・・・・・。でも無事に帰国できたのだし、写真も3テラのデータ分撮ったというから最低4-5万カットにはなるという。この中に10点良いのがあればいいね~と励まし、乾杯をした。菱山くんは「やはり日本のビールは旨いですね~」と言いながらしみじみと味わっていた・・・・・・・・。

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僕が長年通っている銀座ライオン7丁目店。店内は歴史を感じさせる雰囲気が漂っている・・・・・・・。

5月25日早朝から鹿児島へ向かった。奄美以来、約2ヶ月ぶりである。今回の旅も写真家・村上光明君の奄美群島日本復帰60周年記念写真集『神々の島 奄美』の出版記念パーティが主な目的だった。発起人の5人のなかに名を連ねているので行かないわけにはいかなかった。それに友人たちとも会いたいと思った。正直、僕の銀座での個展の飾り付けが6月1日と迫っているだけに多少の葛藤はあった・・・・・・・。

チベットから戻ったばかりで髪も髭も伸び放題。何とかパーティの前に床屋へと思って前日に家の近所を探したのだが何故かお休み。あきらめてそのままで鹿児島入りしたのである。空港に迎えに来てくれたのは、村上君の弟子筋にあたる北山毅夫妻。二人とも県美術協会展に入選するほどの腕前だ。まず向かったのは村上君の事務所。奥様と娘さんが出迎えてくれた(下の写真)

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昨年10月以降伸ばしたままになっていた髪と髭。しかし近所に床屋さんはないという。村上君が通っている美容院があるからそこにしたらどうですか。近いですし・・・・・・。という北山君らの奨めに「美容院などあんまりいったことないし高そうだし・・・・・・・」と渋っていたらさっさと予約をしてしまった。そしてその結果が下の写真の通り・・・・・・・・。

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長い髭は三つ編みにされた・・・・・・・。
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じ~ゃん!☆ 新生小松の誕生~!!☆☆
MIUこと眞月美雨ちゃんがいる美容ギャラリーだ。彼女は鹿児島のその業界では知られた存在だという。それに写真もうまい。「先生ただ短くしたのでは面白くないから私にまかせて~」というので「うん、いいよ」と僕はノリで言ってしまった・・・・・・。

人生60年で初めての経験。新たなことに挑戦するということは面白いと思った。鏡の中にいままでの僕でない僕がいるのだもの・・・・・・・。やはり鹿児島の地は革新的なことが好きな土地だ。新しいことに果敢に挑戦する気風がある。僕もこれを機会に新たな人生に挑戦しようと思った。MIUちゃんありがとう・・・・・・・☆ (以上9点の写真は鹿児島の写真家:北山毅君と奥様が2人でドキュメントしてくれたもの)

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写真家;北山毅夫妻。3人で鹿児島市内の繁華街・天文館へ行って薩摩料理を肴に芋焼酎を飲んだ。
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村上君をはじめ友人の奄美の久野さん、今給黎さんが県美展のパーティを終えて合流した。
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お店のアルバイトの女性と。
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奄美大島で知り合ったエステサロンのオーナー園中恭子さんと天文館の路地でばったりと会ったと北山君が誘って合流。こうして薩摩の初夜は更けていったのである・・・・・・・。

5月26日は朝、9時から写真講座を村上光明スタジオで開いた。奄美大島からの参加者が多かったが、鹿児島のベテランアマチュアの人たちも参加した。村上君の司会進行で進められた。はじめに僕が50分ほど写真表現について話、その後は各自が持ち寄った作品をもとに合評となった・・・・・・・。
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(撮影:久野末勝さん)
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26日は昨日にも増して鹿児島市内は櫻島の噴火による火山灰が舞った。肉眼でも確認できるほど。車のフロントガラスなどはすぐに真っ白になった・・・・・・・。

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パーティ会場となる城山観光ホテルの庭から見る鹿児島市内と錦江湾と桜島。しかし火山灰のため眺望はよくない。
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城山観光ホテル・飛天の間。午後6時のからの開演を静かに待つ・・・・・・・・。
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原口泉志学館大学教授・県立図書館館長の記念講演「魅せられて奄美」から会は始まった。講演終了後、村上君の次女の櫻ちゃんから花束。そして図書館に飾る肖像写真を村上君からプレゼントした。
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発起人の一人としてあいさつに立つ僕。会場は150人を超える鹿児島の各界を代表する人々が参列していた・・・・・・・・。 (撮影:北山毅  *パーティの時の写真で僕が写っている写真の多くの撮影は北山毅君)
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チベットから持ってきたカタを村上君に捧げた・・・・・・・。
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「島の宝」といわれている中村瑞希さん(右)と川畑さおりさん。中村さんは日本民謡大賞受賞、川畑さんは日本民謡ヤングフェステバルで全国グランプリ受賞と2人の日本一の島唄者の夢の競演である。
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著名なフラワーデザイナーから幻の薔薇をプレゼントされる村上君。
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十数年ぶりに会った鹿児島の写真家・熊副穣さんと。
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奄美でお世話になった久野夫妻と原口先生と僕を変えたMIUと・・・・・・・・。
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中村瑞希さんと席が隣同士だった。やさしい人で料理を皿によそってくれるし、お酒もだまって注いでくれた・・・・・・・。最近、結婚したというが旦那さまになった人が羨ましいぞ~!!
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2点もアップしてしまいます~☆ 記念に・・・・・・。ちょと若く見える僕でした。
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テレビ局や新聞の取材に忙しい村上君。翌日の地元テレビ局のニュースにこのパーティのことが流れていた。
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写真集『ヒマラヤ湖巡礼』にサインする僕・・・・・。
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超~決めて参加したMIU。さすがに目立ったな~。
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この日、最大のイベントとなった大島紬のファションショー。その一番手は村上君の娘・櫻ちゃんです。25人の大島紬を着た美しい女性たちが次々と登場したので会場は最高潮に盛り上がった・・・・・・・。
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2番手は村上君の長女。結婚して娘さんがいる。この大島紬の企画は「奄美観光大使」の村上君の大きな仕事となった・・・・・・・。
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天文館で会ったゆきこさんです。後でその写真が出てきます。
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久野夫妻。大島紬が決まっているね・・・・・・・。
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大トリは、きの和装学宛理事長。原口先生がエスコートした。
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85歳の村上君のお母さんと奥様と。母親は「親孝行な息子だ・・・・・・」と言葉少なに語った・・・・・・。
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母親に花束を捧げる息子・光明・・・・・・・・。その姿を見守る愛妻・・・・・・・。
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舞台に大島紬美人の揃い踏み。圧巻であった・・・・・・。 (撮影:北山毅)
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写真集を出版した鹿児島学術出版社社長の前田さん。「写真家・小松を超える写真家に村上光明はなるぞ~」などと意気盛んに叫んでいた・・・・・・・。
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少年期から空手を教えてもらってきた村上君の空手の師匠も演壇にたって祝辞をのべた・・・・・・・。村上君はいまだ師範として空手の指導もしている。若き日には日本一になったこともある有段者だ。
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川畑さおりちゃん。いまJACの機内で流れる「永遠の碧(あお)」を歌って人気が上昇中だ。そのCDを僕に「一枚しかないですので・・・・・・」とこっそりとプレゼントしてくれた。帰ってから書斎で毎日聴いている・・・・・・・・。6月3日から8日まで銀座・画廊るたんで開催する僕の個展会場にこの曲を流そうと思っている・・・・・・・・。

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第2回目の2人の島唄者の”夢の競演ライブ”は、会場も巻き込んで大変な盛り上がりをみせた・・・・・・・。
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島太鼓は久野さんが叩いた・・・・・・・。彼の太鼓も名人芸である。
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万歳三唱で3時間におよぶパーティは幕を閉じた・・・・・・・。 (撮影:北山毅)
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会場を移して二次会の宴がはじまった。大島紬から洋服に着替えた川畑さおりちゃんも可愛いね(右端)。そういえば何故、僕が女性に囲まれているの・・・・・・・!?。
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園中姉さんとさおりちゃん。
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村上君を支え続けたご家族。ご苦労様でした・・・・・・・。しかし、村上君自身はこれからが本当の勝負所。気合を入れなおして踏ん張れ~!!
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さらに会場を移して3次会に突入。仲のいい写真家・今給黎祐三さん。僕のパナマ帽をかぶって軽快にダンスのステップを踏んでいた。
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そして僕が泊まっているホテルの近くの居酒屋へ。朝方近かったらしいが詳しくは覚えていない・・・・・・・。

5月27日は、村上君と今給黎さんと3人で櫻島へ取材と温泉に浸かりに出かけた。この日は鹿児島地方は入梅宣言をした日で錦江湾はめずらしく波頭たつほど時化ていた。向こうに見えるのは大隅半島。
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(撮影:今給黎祐三)
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作家・林芙美子の文学碑。代表作『放浪起』の一節が刻んである。後ろは桜島の南岳、中岳。
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まだ数軒の人々は暮らしているが噴火時の火山弾がひどい村。多くの人が鹿児島に集団移転している。
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大正時代の大噴火の灰で埋まってしまった鳥居。
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島の農家はびわの収穫で大わらわの時期だった。おおつぶで甘みがあり美味しかった。
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錦江湾と鹿児島市を望む桜島の温泉。鉄分の強い湯だった・・・・・・・。
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15分足らずの船旅。鹿児島市と桜島を往復している。風の強い中、甲板に立つ高校生たち・・・・・・・・。

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噂の天文館のゆきこさんです。漢字を聞かなかったのごめんなさい。実は村上君の写真の生徒さんだった。この夜、彼女のお奨めで、全身マッサージを受けた。サウナ入場は彼女が招待してくれたのだ。本当に生き返ったような気持ちの良さ。ありがとう~☆!この夜はお蔭様でぐっすりと眠れましたよ・・・・・・・。

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どうしても行こうと親父3人で鹿児島名物・しろくまを食べに。レギュラーサイズを3人で食べたがこれが驚きの旨さ。僕はビールを飲みながら肴にしたのだ・・・・・・・。
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(撮影:村上光明)
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ようやく出会えたきびなごの刺身。塩焼きやから揚げは食べたのだが、やはり鹿児島に来たらこれを食べなくてはね・・・・・・・・。
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鹿児島最後の夜、ということで村上君と今給黎さんが付き合ってくれた。僕は今夜は一人寂しく飲むのかなと思っていたが、ありがたい。彼らは車の運転があるので飲まず僕一人で飲んだ。魚の旨い料理屋へ行った。星かつおや首折れさばなどが旨かった。ほんとうに3日間楽しい時をありがとう。感謝~・・・・・・・・。 合掌  (撮影:村上光明)

5月28日、帰京する日は朝から本格的に雨が降っていた。空港までの送りは出迎えてくれた北村君が仕事で疲れているのを押して来てくれた。ありがとう・・・・・・。空港に向かう途中、今彼がここ数年間取材を続けているという漁村を訪ねた。それが下の写真。それに彼お奨めのラーメンも食べた。あっさりした美味しいラーメンだった。飛行機はほぼ定刻に鹿児島空港を飛び立った・・・・・・・・。
鹿児島の焼酎、肴、そして自然と友人たち、こころからありがとうと厚い雲に覆われた眼下に向かって手を合わせたたのであった・・・・・・・。 合掌

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チベットから戻ってゆっくりと旅を振り返る間もなくバタバタの毎日を送っている。まず、6月下旬に刊行予定の本の文章の初校が出て、それを大幅に書き直しをした。「フォトコン」の7月号の原稿の初校も見直して返した。これで丸2日間は取られた。18日は下の写真の通り、「写真集団・上福岡」の例会。NPO法人の総会は欠席させてもらったが、20日はニコンへ機材を返しにいって、午後からは「フォトコン」8月号の月例コンテストの審査。翌22日はチベットの旅のことで烏里君に昼からインタビュー。その後、写真弘社神田本社へ、オリジナルプリント展の打ち合わせ。そしてフレームマンの社長とオリジナルプリント展と7月の朝霞での写真展の打ち合わせをした。その足でギャラリーシリウスへ作品を取りに行き、夜は個展を開催中の森田君を囲んで一杯やった・・・・・・・。

23日はフレームマンが家に作品と額を取りに来るのでその準備をし、全作品を渡した。午後からは病院へ。その間、こまごました用件が次々と・・・・・・。やもう得ずJPSの総会は体調も良くないし、欠席にさせてもらう。この間、約200通ばかりの宛名を書き、手紙をつけて、6月3日からの個展と7月8日から始まる個展の案内状を出した。これがけっこう大変だった・・・・・・・・。てなことでもう24日になってしまった・・・・・・・。一段落したらチベットへの旅の紀行は必ずアップしますので今しばらくおまちください・・・・・・・・。

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「風」のメンバーを中心に森田君を囲んで祝う会の予定だったが、みな都合が悪いらしく誰も来ない。声をかけておいたJPSの国際委員会・常務理事のバク齊藤さんと烏里君が会議終了後に駆けつけてくれた。写真真ん中が森田君。新宿で4人で飲んだ後、烏里君は翌日5時出発でチベットのカイラスへ約1ヶ月間の取材へ行くので帰り、バク齊藤さんも家が成田と遠いので帰宅。森田君が泊まっている池袋へ行って二人で一杯飲んで帰った・・・・・・・・。写真展はこの後、地元名古屋でも開催される。

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5月18日午後から「写真集団・上福岡」の5月例会が開かれた。第31回目となる展覧会も川越駅前のデパート・アトレで8月1日から5日までに決定した。今年、個展をやる竹川会員をはじめ、みな最後の追い込みで合評にも熱がこもっていた・・・・・・。この日合評の前に総会が開かれて今後のことを検討したという。現在、会員は21名で過去最高だ。僕は創立以来、実は総会には出たことがない。会員のみなさんにすべてお任せなのだ。これが30年以上もこの集団が続いてきた秘訣なのかもしれない・・・・・・・・。

 

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成都を飛び発って約1時間ほどすると眼下には、真っ白に雪をかぶったヒマラヤの峰々が広がった・・・・・・・。
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(この旅のメインカメラ、ニコンD800、レンズはシグマ24-60mmF2,8 EX DGの初撮り)

5月8日早朝5時前に家を出てチベットへ向かった。東京ー北京ー成都経由でチベット自治区の都・ラサへ着いたのは9日の午後。今回の旅の最大の目的は、① 100年前に実った日本とチベットを結んだ”恋の両家”である矢島家とテンパ家の歴史的再会を実現し、その現場に立ち会うこと。 ② 探検家・矢島保冶郎とその妻テンパ・ノブラーが暮らした場所や係わりのあった土地などを辿ること。 ③ 過酷で美しい自然の中に生きるチベット族の生活や文化・宗教などに直接触れ、交流を深めることである。

今回の旅には矢島保冶郎の長女・矢島仲子さんが80歳の高齢を押して参加してくれたのをはじめ、保冶郎が生まれ育った故郷・上州から4人が参加してくれた。内、一人は保冶郎が”世界無銭探検旅行”に出発するときにサポートした地元の新聞「上毛新聞」のKさん。さらに浄土宗の京都・西方寺住職であり、写真家の大橋紀雄さん、岡山の写真家であり登山家の高田紀美子さんとその友人のMさん。東京の元編集者で俳人の81歳の最長年者のKさんの8人が同行。それに僕と、写真家で探検家、そしてこの旅のコーディネェーターをしてくれた烏里烏沙君の総勢10人のメンバーであった。

僕は20数年来、ヒマラヤ、チベット、アンデスなど高地の取材を続けてきたが、今回ほど長期間に渡って苦しい高山病に悩まされたのは初めての体験であった。結局はチベット滞在中の全日程を苦しむことになった。他の人たちも1~2日は軽い高山病の症状は出ていたが、メンバーの中では烏里君についで2番目に若い僕が一番重い病状であった。標高約600メートルの成都へ戻ってきて飲んだビールの何と旨かったことか・・・・・・・。自宅に戻ったのは17日の深夜2時前。短い取材期間であったが、いろいろと面白いこと、新たにわかったことなどあった。今後、数回に分けてリポートしていきたいと思っている。

とにかく死にそうには何度かなったが、何とか生還できたことを報告し、12日ぶりのブログをアップしたことをお知らせいたします~!☆☆☆   合掌

 

 

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雑誌の原稿渡しや写真弘社へのフィルムの現像出し、ニコンイメージングジャパンとの打ち合わせなどの用事があったので銀座へ出かけた。それにどうしても見ておきたい写真展があった。第32回土門拳賞を受賞した亀山亮君の写真展「AFRIKA WAR JOURNAL」である。はじめて本人と話をしたが、僕は彼が若い頃、写真学校へ行っている時代から注目していたので知っていた。この間、彼の表現は飛躍的に進歩したとこの写真展を見て思った。同名の写真集も見ごたえがある。戦争の本質を鋭い感性で抉り出している。現在、八丈島に暮らしているという亀山君のライフスタイルにも共感を持った。久しぶりに土門拳賞にふさわしい作品に会えてうれしかった。そして今後の彼の活躍に期待したい。そして僕もまだまだがんばらねばと思った。帰り際に固い握手を交わした・・・・・・・・。

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学生時代からよく知っていた友人から突然手紙が来た。内容は講演などのチラシのプロフィールに使う写真を撮影して欲しいということだった。彼女は大学を卒業した後、劇団「民藝」に入って長い間俳優として活躍していた。名優・滝沢修さんの秘ぞっ子として舞台で主役を張るなど民藝の若手を代表する俳優だった。その後、劇団を立ち上げて、戯曲も書いていた。戯曲集『星逢い』も出版している。その表紙カバーや中のグラビアを撮ったのは僕だ。

彼女の舞台の多くを撮影していた。僕が会長を務めていた「ラテンアメリカ交流グループ」のメンバーでもあり、さまざまなイベントにも協力してもらった。ジャナーリスト、編集者、写真家などが中心になって彼女のファンクラブができて、芝居を見た後、彼女を囲んでの飲み会は楽しかった思い出で詰っている・・・・・・。そんな彼女が今から十数年前に突然、演劇をやめてみんなの前から姿を消したのだった。その後、彼女は出産をし、一人で子どもを育てながら税理士などの試験を受験し、多くの資格を取得したのだ。

僕は大方のことは本人から聞いていたので、ただ遠くから見守っているだけだった。ここ10年程は年賀状のやりとりだけだったのである。それが今、お子さんは中学2年生となり、彼女の仕事も順調に進み始めているという。10数年ぶりに僕のカメラの前に立った彼女は昔とちっとも変わっていなかった。ただ俳優時代より、眼が優しくなっていた。「目力が少しなくなったね・・・・」と言うと「だって私はいま、一番しあわせですから・・・・」と微笑んだ。彼女をづーと見てきた一人として、「しあわせ・・・・」という言葉を彼女の口から聞いてこれほどうれしいことはないと思った・・・・・・・・。  合掌
(この写真はシグマDP1でテスト撮影したもの。本番はニコンD800で撮影している)

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撮影を済ました後、この前、奄美大島で知り合った橋本真智子さんの奄美の泥染めと藍染の展覧会へAさんを誘って出かけた。奄美に橋本さんと一緒に来ていた山下さんもいて再会を喜んだ。橋本さんが持っているのは僕をイメージして染めてくれたというストール。また泥染めで作った特大Tシャツもプレゼントされ、うれしかった・・・・・・。ありがとう~!☆☆☆
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ギャラリーのスタッフの人たちと・・・・・・。
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僕が奄美の黒糖酒のなかでも絶品と賞賛した「長雲」をさっそく山下さんが持って来てくれてAさんにも飲んでもらった。「おいしい~」だって・・・・・・・。
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奄美大島の酒造メーカー各社から協賛してもらったという黒糖酒がギャラリーの入口前にずらり~。ここに椅子もあり自由に飲めるのがよかったなあ・・・・・・・。
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橋本さんは、1300年の歴史を持ち、世界三大織物のひとつである大島紬の伝統の灯を消さないよう自分なりに引き継いで行きたいと語る。彼女の活動は奄美の自然の色で染め上げ、高田賢三さんのもとで身につけたファションセンスで表現した作品をパリと東京ですでに9回の展示会をしている・・・・・・・。
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ギャラリー道玄坂の隣のイタリアンの店がワインが美味しいと山下さんが薦めるでAさんと先に行ってることにした。彼女は昔は日本酒が大好きだったが、子どもを生んでからは造醸酒をやめて蒸留酒にしているが、大好きなワインだけは飲んでいるとのこと。こうして彼女と飲むのは15年ぶりくらいだろう。まさかまた一緒に飲める日が来るなんて思いもつかなかった・・・・・・・。次々と思い出話とこの10数年間の話が出て、僕はほとんど聞き役にまわっていた。本当に彼女はしあわせそうなので僕も何だかうれしくなxてしまった・・・・・・・。

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ギャラリーに戻り、また黒糖酒をしばしやった後、まだ少し早いということで駅前近くの居酒屋へ入った。やはり彼女は昔ながらに酒は強かった。ここでは税理士という立場から僕の写真家としての経営方法や営業活動の弱点を指摘され、ご指導を仰いだ。「相変わらず小松さんはしっかりしたマネージャーを付けないと駄目だわねぇ~」と叱られた。

ちなみに、この日の全ての飲み代は彼女に奢ってもらいました。これは今までで初めてのこと。さすが税理士さんともなるとちがうんだな~と痛感した次第です・・・・・・・・・。ご馳走様でした。そしてありがとう・・・・・・。合掌

 

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[新宿のマリリンモンロー] 1976(size268mmx179mm)         photo;kenichi komatsu
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早いもので2013年の今年も、もう5月に入ってしまった。今日5月1日は、メーデー。一昔前までは労働者の祭典として大いに賑わったものだ。水原秋櫻子の有名な句に「踏みしだく芝の青さや労働際」があるが当時の時代背景を彷彿とさせる。日本全国の町や村の広場に赤旗をたなびかせて、自分たちの要求を書いた横断幕やプラカードなどを掲げて「♪♪ 晴れた5月の青空に・・・・・・」と歌声が響かせていたものだ。デモ行進を終えた後、仲間たちと飲むビールの旨さがまたたまらないのである。そんな光景ももう久しく見なくなった・・・・・。「メーデー」は死語となりつつあるのだろうか・・・・・・・。

6月3日(月)~8日(土)まで、銀座の画廊るたんで開かれる「小松健一 オリジナルプリント展ー上州・東京・沖縄・チリ・ヒマラヤー」のDMが出来上がった。この写真展は、僕が10代の頃に撮影した故郷・上州、1970年代に暮らした東京、1980~90年代に取材を重ねた沖縄とチリ。そして僕の代表作ともなったヒマラヤまで。40年以上にわたる写真活動の中からモノクロームのビンテージプリント作品を中心に約30点を展示・販売する予定だ。DMが必要な方はご一報いただければお送りいたします。(デザイン:塩崎亨)
☆ビンテージプリントとは、撮影した時期に作者自身がプリントした作品のこと。

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[自写像] 1973
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[首都高速道路] 1974

 

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