写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.565] 2013年4月12日 村上光明写真展「黒潮街道シリーズ”神々の島 奄美”」、奄美群島復帰60周年記念・同写真集刊行を祝う奄美大島への旅(第3回)

いよいよ奄美大島の旅の報告も今回で最後となる。こうして写真で振りかって見るとなんだか毎晩ただひたすらに黒糖酒を飲み続けていたような気がする・・・・・・・・。実は奄美大島は今回が初めての訪問であった。今回はその大島の北部地方のみ。奄美群島には、人が住んでいる島はあと7島ある。喜界島、加計呂麻島、与路島、請島、徳之島、沖永良部島、与論島だ。沖縄の島々は周っているのに、奄美群島は皆無だった。機会があればぜひ、巡ってみたい島々である・・・・・・・・。

僕は40数年間、日本各地を旅してきたが、まだまだ訪ねていない土地があるものだな~と最近つくづくと思っている。昨秋行った山陰の松江、出雲地方も初めてであった。今回の奄美にしろ、松枝・出雲にしても、とても印象深い風土だった。僕のライフワークのひとつである「日本文学風土記」は、まだまだ知らない土地を取材しなければならないとあらためて思ったのである・・・・・・・・・。

SDIM6831-001.JPG
奄美の最後は「ワイド節」で盛り上がるの慣わしらしい。出席者全員が大きな輪になって踊りだした。市長も教育長も副市長も新婚時代、朝霞に住んでいたという市議会議長もそして原口先生も主役の村上君も踊っていた・・・・・・。
SDIM6834-001.JPG
今回大変お世話になったニッコールクラブの久野さんは島太鼓の奏者でもある。
SDIM6829-001.JPG
横浜から遊びに来ていた久野さんのお孫さんも、一村記念美術館の職員で、絵本作家である藤谷優美子さんも踊る・・・・・・・・。こうして開宴から3時間を過ぎた午後9時過ぎにようやく村上君の写真展を祝う会は幕を閉じた。僕の写真集なども受付けの隅におかしてもらっていたが全部で50冊ほどが売れてしまった。島の人たちは優しいな~・・・・・・・。  合掌
SDIM6851-001.JPG
二次会はすでにバッチリと用意されていた。写真関係者を中心に、書家、画家など奄美を代表する人々と鹿児島からの参加者たち大勢が参加してさらに盛り上がりを見せていた・・・・・・。
SDIM6855-001.JPG
村上君のカラオケを聞くのは初めてでだったが、甘い声でなかなかの上手さであった・・・・・・・。
SDIM6859-001.JPG
午前0時頃に、二次会は終了したが、さらに鹿児島からの原口先生ご一行様は三次会へ繰り出すというので付き合う。一村記念美術館で働きながら絵本作家として活躍している地元の藤谷さんがみんなを先導してまたしてもカラオケ店へ行ったのだ~!!
SDIM6868-001.JPG
僕と同じ年の園中さんの彼氏は、ジュリーになった気分で歌いまくっていた・・・・・・・。
SDIM6870-001.JPG
全国に着物の着付けのお弟子さんが8000人いるという着物の着付け学園の副学長さんと原口先生。
SDIM6871-001.JPG
原口先生のパワフルさには頭が下がる思いがした・・・・・・・。みんな店に置いてある仮装をして盛り上がっているのだ~!!
SDIM6878-001.JPG
最後の締めもやはり歌が大好きな原口先生の歌声で・・・・・・・・・。村上君は奄美の黒うさぎになりきっていた・・・・・・・・。
SDIM6880-001.JPG
”盛り上がり部長”を務めた藤谷さんも終始、元気印であった。もちろん彼女はメンバーの中ではとりわけ若いのだがよく、おじさん、おばさんとともに深夜遅くまで付き合ってくれたと感謝している・・・・・・。ありがとうね~☆☆
SDIM6882-001.JPG
ホテルに戻ったのは午前2時を廻っていた。部屋で一人一杯やりながら自写像を撮る。しかし女性陣たちはさらに午前3時過ぎまで奄美の夜の街を飲み歩いていたという猛者もいたという話を翌朝きいたのだ・・・・・・・・。
SDIM6888-001.JPG
4月1日。奄美に来て5日目。田中一村記念美術館へ。この日も朝から村上君は地元のテレビ局の取材などで忙しかった。県内よりも県外や海外の人たちがたくさん入るのがこの美術館の特徴である。
SDIM6890-001.JPG
鹿児島からのツアー参加者が午後の便で帰るので、空港まで見送りに。その途中、海辺のレストランで昼食を取った。どこも奄美地方の地元料理である・・・・・・・。
SDIM6902-001.JPG
レストラン前に広がる浜辺。アダンやソテツなどを見るとどうしても田中一村の絵の構図がイメージしてしまうのには閉口した・・・・・・・。6日間も美術館に通い続けているのだからいた仕方が無いのだろうか・・・・・・・。
SDIM6909-001.JPG
地元の子供たちが海に入って遊んでいた・・・・・・・。
SDIM6933-001.JPG
奄美大島の最北端・笠利崎。これも一村にイメージが・・・・・・・・。
20130403_70457214-001.JPG
奄美での最後の夜の晩餐は、写真家の久野さんの家に招かれた。奥さまと久野さんの手作りの料理は、奄美の料理とは違ってホッとした。お孫さんたちも一緒に食べた・・・・・・。(撮影:久野末勝)
SDIM0030-001.JPG
久野さんは一級建築士、太い木材をふんだんに使った家は、まるで別荘のよう。窓やベランダからは龍郷湾が一望できる。音楽家の奥さまが指揮する奄美市合唱団の人たちが練習できる別棟も備えている夢のような暮らしだ・・・・・・・・・。  本当に奄美滞在中はお世話になりました・・・・・・・。  合掌
SDIM0041-001.JPG

作家・島尾敏雄は1955(昭和30)年4月10日にミホ夫人の故郷・奄美大島へ移住してきた。以来この地に20年間暮らす。島尾敏雄文学碑は、かって島尾が館長を務めた鹿児島県立図書館奄美分館があった土地に建てられている。その敷地内には島尾が暮らした官舎が今も残っている。

SDIM0047-001.JPG

島尾敏雄は、この地で『名瀬だより』をはじめ、『日の移ろい』(谷崎潤一郎賞)、『死の棘』(日本文学大賞・芸術選奨賞)。随筆の『離島の幸福 離島の不幸』や『ヤポネシア序説』などを出版し、琉球弧の認識・概念を広く広めた・・・・・・・。 この殺風景な官舎が島尾の終の棲家となった。務めていた図書館はいまは地域の公民館として使われている・・・・・・・。

SDIM0062-001.JPG

東京へ帰る4月2日。午前中、島尾敏雄の旧居や文学碑を取材した後、田中一村記念美術館へ行くった。絵本作家の藤谷優美子さんがいたので彼女の本を一緒にいた今給黎さんと求めた。『しあわせになった花』(文芸社・1000円)。「きみはしあわせ?」とみんなに問いかける 大人も読める癒しの絵本である・・・・・・・。

SDIM0064-001.JPG
奄美大島の最後の食事は、島の人たちがこよなく愛する老夫婦がしている食堂へ行った。僕は島で採れる野菜をたっぷりといただいた・・・・・・。じっくりと煮込んだ豚の足も・・・・・・。
SDIM0067-001.JPG
島にいた6日間、本当にお世話になった左から今給黎さん、久野さん、それに村上君。本当に楽しく豊かな時間を ありがとう・・・・・・・。  合掌
IMG_0973-001.jpg
この写真から下の4点は、村上君が記念にとメールで送ってきてくれたもの。 (撮影:村上光明)
1-001.jpg
西郷吉之助が島の娘・愛加那と約3年間暮らした新婚の家。 (撮影:村上光明)
IMG_1429-001.jpg
村上光明写真展を祝う会で。 (この写真と下の写真は鹿児島の友人・今給黎さんが撮影してくれた)
IMG_1339-001.jpg

 

突然の指名だったので何を話したかよく覚えていないが、確か村上君がまだ若き頃、桜島を目の前に望む海岸で、僕に「どうしても写真家になりたい・・・・」と胸の内を語った時のことなどを語った気がする・・・・・・・・。後姿は村上君。

みなさん~!☆ 長い長い「奄美大島の旅の報告」に、お付き合いいただきましてありがとうございました。正直、僕も疲れました。もっと早くアップしょうと思っていたのですが、原稿の締め切りが詰まっていて深夜などにしか書けませんでした。ごめんなさい~! この間書いた仕事は次の雑誌などでご覧になれます。

「サンデー毎日」(4月23日発売・5月5日号)、カメラ雑誌「フォトコン」5月号、6月号、月刊誌「前衛」5月号、季刊誌「季論21」春号、JPSメルマガニュース67号,高田紀美子写真展「巡礼日記ー四国八十八ヶ所」(4月15日~21日・岡山市エネルギアプラザギャラリー)に寄せて などです。どこかで見ていただければうれしい~です☆☆☆

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。