写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.563] 2013年4月3日 村上光明写真展「黒潮街道シリーズ”神々の島 奄美”」(3月31日~4月21日・鹿児島県奄美パーク 田中一村記念美術館)、奄美群島復帰60周年記念 村上光明写真集『神々の島 奄美』(鹿児島学術文化出版)刊行を祝って奄美大島への旅(第1回)

1週間ぶりのブログの更新です~☆ 生きていましたよ~!☆

3月28日の朝から昨夜まで、鹿児島県の奄美大島へ6日間出かけていた。鹿児島在住の写真家・村上光明君の奄美群島復帰60周年を記念した写真展の開催と写真集の刊行を祝っての旅だった。村上君とは彼がまだアマチュア写真家時代の頃からの付き合いで、かれこれ20年ほどになる。ずーと彼の写真家としての成長を見守ってきた一人として、また公益社団法人日本写真家協会の入会にあたって僕が推薦人の一人であることの責任もあり、彼の大きな飛躍の場であるこの機会にどうしても行って少しでも協力し、祝うことができればという思いがあったのである・・・・・・・。

日程は6日間と短かったが、写真展の展示構成、地元の写真家たちのための写真講座、鹿児島からの団体ツアーの受け入れ、写真展のオープニング式典、オープニングパティー、などなどスケジュールは盛りだくさんで正直忙しかった。1回ではとても収まりきれないので3回に分けてこれから報告していきたいと思う。奄美の自然、風土、伝統、食文化などを紹介していきたい。特に僕にとっては、画家の田中一村、小説家の島尾敏雄、明治維新の立役者である西郷吉之助の3人がそれぞれの時代に、奄美に愛着を持ち、暮らした息吹に触れられたのは何ともうれしかった。これからの創作活動に少しでも影響を与えることができれば望外のしあわせである・・・・・・・・。

奄美の神々と癒される自然、やさしき奄美の人々、島唄の調べと黒糖酒に、心からの感謝をおくりたい。ありがとうございました・・・・・・・・・。  合掌

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3月28日の朝、家を出て最寄り駅から羽田空港行きの高速バスに乗ったが、首都高速道路が大渋滞で通常時間より大幅に送れ、空港に着いたのは出発ぎりぎりの20分前だった。何とか間に合ったものの飛行機は30分遅れとなり拍子抜けした。村上君からは電話が入り、彼が乗る予定だった鹿児島発の便が欠行になったので次の便で来るということであった。僕の方が早く着いたので、出迎えてくれた奄美の写真家・久野末勝さんが近くのあやまる岬へ連れて行ってくれた。この日は黄砂の影響か、晴れているのにもかかわらず、美しい奄美の海の眺望はできなかった・・・。

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遅い昼食を取ったレストランの窓辺から見たアダンと白浜。
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レストラン前の浜辺。
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この日は、写真展会場となる田中一村記念美術館へ行き、学芸担当者と打ち合わせをしたり、会場の企画展示室などを見せてもらった。ホテルに戻る途中、ドラックストアーの駐車場へ止まっている所へバックしてきた車に衝突され、警察の現場検証などで開放されたのが午後9時、僕は疲れていたので一足早くホテルに戻らしてもらったが、村上君が戻ったのは9時を廻っていた。その後2人で”島唄の聖地”と呼ばれている居酒屋「かずみ」へ行った。初日からいろいろとあったが、これで厄払いはできたと乾杯をした。村上君と島唄の名人としてその名が知られているママである西かずみさん。

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この店では自由に三線を引き島唄を歌うことができる。今は有名になった元ちとせ、中孝介などが毎日のように来て歌っていたという。この日は島唄で奄美一になった学生の里歩寿さんとやはり島唄を歌う母親の美加さんが来ていて、物悲しい調べを聴かせてくれた・・・・・・・・。
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母親には見えない里美加さん。後ろのポスターは、村上光明写真展のもの。市内の至る所にこのポスターが貼られていた。
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お客さんが引けても島唄を歌い続ける里親子。近く島唄の大会があるらしく、そのために大阪の大学から戻ってきているのだという。
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居酒屋「かずみ」の看板娘である恵子さん。ママのかずみさんの長女であり、一児のお母さんでもある。僕が飲みたいと思う銘柄の黒糖酒をぴたっと出してくれる気が合う女性だった。初日は癖の在る酒を中心に6種類ばかり飲んだ。「長雲」という麹の香りがぷ~んと匂う酒が僕は一番美味しかった・・・・・・・。 こうして奄美大島の初夜は更けていったのである・・・・・・・・・。

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奄美大島2日目の3月29日は、朝から写真展会場の鹿児島県奄美パークの中にある田中一村記念美術館へ展示構成のために向かった。一村記念美術館は池を取り囲むような回廊形式になっており、奄美地方に古代から伝わる高床式の蔵、高倉をイメージした建築となっている。山形の酒田にある写真家の土門拳記念館と似ている所がある美しい建築物だと思った・・・・・・・。

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写真展会場となる企画展示室には、午前9時には島内をはじめ、加計呂麻島からなどたくさんの写真仲間が駆けつけてくれた。特に、僕の友人でもある写真家・菅洋志さんの肝いりで作ったというニッコールクラブ奄美群島支部のメンバーの人たちには、大変お世話になった。 心からの感謝~!☆  合掌

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昼食はみんなで楽しく語らいながら・・・・・・・・。
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僕は奄美名物「油そーめん」というものをいただいた。魚介類と野菜の具がたくさん入っており美味であった。沖縄のそーめんチャンプルに少し似ても入るが味がまったく違った・・・・・・・。
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午後4時前までには何とか展示構成を大方終わりにした。会場を奄美文化センターへと移して僕と村上君とで「写真講座」を開いた。地元の写真家たちの要望があり急遽の開催だったが、ニッコールクラブの人たちを中心に20数名の参加者があった。

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始めに僕が40分ほど写真の創作についての講義をしてから合評に入った。2つのテーブルに並べきれないほどの作品群とそのレベルの高さに驚かされた。同時に奄美の人たちの写真に対する情熱の高さにも驚いた・・・(撮影:久野末勝)。

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合評の終了後、参加者で記念写真を撮る・・・・・・・。
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夜は昨夜と同じ島唄居酒屋「かずみ」へ行く。僕はどこの土地でも気に入った店があればそこにしかいかない。そこで出会った染色家の橋本真智子さん。橋本さんは奄美の伝統的な染色方法である泥染めと藍染の作品を制作しているアーティストである。1974年から高田賢三さんのスタッフとしてパリで活躍。その後、東京・パリで9回の個展を開催している。(島太鼓を演奏する橋本さんと友人の山下さん)
☆<奄美の地・血・智> 奄美大島からの発信・・・・展 VoI.9   ・5月2日~7日 12;00~20:00
・アートギャラリー道玄坂  TEL03-5728-2101

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この日、「かずみ」に飛び入りで入ってきたスイスから来た青年。いい加減な僕らの英語と橋本さんの流暢なフランス語でのコミニュケーションだったが、青年は、奄美の夜とみなさんのことは生涯わすれないと僕ら一人ひとりと固い握手をして分かれた。愉快な出会いであった・・・・・・・・。

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里歩寿さんの出した島唄のCDを持つ母親の美加さんと・・・・・・・。
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里歩寿ちゃんは大学一年生の19歳。2010年、高校2年の17歳で奄美民謡大賞を受賞。1996年、元ちとせが最年少の高校3年生で受賞して以来、誰もが破ることができなかった最年少記録を塗り替えた島唄の旗手。僕は結局、彼女の島唄を島の酒・黒糖酒を傾けながら三日三晩聴いたことになる。何と贅沢な時の流れだったろうか・・・・・・・・。  実はこのブログも彼女が受賞したときに歌った「喜徳なべ加那節」を聴きながら書いているのである・・・・・・・・。

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奄美群島日本復帰60周年記念 村上光明写真集『神々の島 奄美』を持つ村上君を囲んで。この日、名瀬港に荷が上がったばかりの所に、僕と村上君で取ってきたばかりだった。
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「かずみ」の女将である島唄名人・西かずみさんと長女の恵子さんと息子さん。
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ふ~っ。やっと3日目になった。30日の朝、もう一度、会場の一村記念美術館へ行って、学芸担当の堀脇さんとライティングとキャプションのチェクをしてようやく展示構成は完了した。ほんとうに堀脇さんご苦労様でした。記念に写真を撮ってもらった・・・・・・。

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鹿児島からこの写真展のオープニングセレモニーとオープニングパティーに参加するためのツアーが組まれており25人が参加しているという。その人たちを空港に出迎えに行くことになった。途中、海が綺麗だったので浜に寄って撮影した。

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村上君が何枚か記念に撮影してくれた。沖縄の海を思い出すような青さだ。  (撮影:村上光明)
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僕らも地元の写真家・久野さん家族とともに横断幕を持って迎えにでたが、周りは各学校の先生が新しく就任してくる時期らしく、大勢の生徒や先生たちでロービーは華やかだった。こうした光景は都会では見ることはできない。

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奄美の方言で書いた横断幕を持つ村上君。
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空港ロービーで村上君と僕とバスの運転手さん。  (撮影:久野末勝)
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こんなに海が美しい日はそうはないので、昼食前に先ほど、僕らが行った浜へみんなを案内した・・・・・・。
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うらやましいなあ~とため息をつきつつシャツターを切る・・・・・・・。
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浜に群生するアダン。
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昼食は奄美大島を代表する郷土料理 「鶏飯」(けいはん)。江戸時代、薩摩の役人をもてなすために作られたことから「殿様料理」とも呼ばれていた。鶏肉、錦糸卵、しいたけ、パパイヤの漬物、タンカンの干皮などの具を熱い御飯にのせて、地鶏スープをたっぷりとかけてたべるもの。鍋のなかにスープが入っている。僕は1回たべればもういいと思った・・・・・・・。

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創建されてから今年で104年を迎える瀬留カトリック教会献堂はちょうど復活祭の準備をしていた。ご近所の信者のみなさんの手作りの料理を振舞ってもらった。どれもが美味しかったがとくにこの写真の小麦粉で作った餅が美味しく僕は3個も食べてしまったのだ・・・・・・・。

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1908(明治41)年以来からのこの教会の歴代の司祭の写真。この瀬留カトリック教会がある龍郷町だけでも7つの教会があるように奄美大島全体でも非常に教会が多い。この教会の神父様から『瀬留カトリック教会献堂100周年記念誌』というカラー版の分厚い本をいただいた。それを編集し写真を撮ったのが僕の知人でもある写真家の島尾伸三さんだという。彼の父である小説家の島尾敏雄さんは20年ほどこの奄美に住んでいたが、名瀬市内である。そこの辺のことを聞くと信者のおばさんたちは、「お母さんがこの村で療養生活をしていたのよ」ということであった。不思議な出会いを感じた・・・・・・・。

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祭壇に祀られている聖母マリア様像・・・・・・・・。

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