写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2013年4月アーカイブ

 

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4月28日、写真集団・上福岡の4月例会が行われた。法事や町内会の会議などのため8人ほどが欠席をしたが、出席した会員たちはたくさんの作品を持ちよって活気ある例会となった。今年の秋に第31回目となる写真展を開催するが、そのなかで個展を開催することが決まっている竹川会員は、毎回新作を20数点四つ切のプリントに伸ばして持ってくる。この間、彼の作品が大きく飛躍している。内容的にもだが、何よりも写真に対する姿勢そのものが変化したのである。彼が取り組んでいる「大都会の人間模様」を今後どう表現していくのか、非常に楽しみにしている・・・・・・・。

僕はこの日、少し時間があったので、「写真は発表してはじめて表現が完結する」ということと「組み写真と個展とのちがい」について作例を示しながら講義をした。会が終了した後、いつものように有志で近くの焼き鳥屋へ行って、ここでもまた3時間ほど熱い写真談義をしながら生ビールを干したのである・・・・・・・・。

 

 

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第38回木村伊兵衛写真賞受賞作品展を新宿のコニカミノルタプラザへ見に行った。菊地智子「IandI」と百々新「対岸」の2作品だ。それぞれ正攻法のドキュメンタリーでの表現で好感が持てた。作品の内容は現代に標準を当てたもので、ただ単にドキュメントという訳でなく人間の内面をしっかりと描いている。久しぶりの木村伊兵衛賞にふさわしい作品であった。会場は若い人たちであふれていた。

同時に開催していた高橋智史の「トンレサップー湖上の命」と瀬頭順平の「西海岸」の若い写真家の作品展も丹念にモティーフに迫っていて若若しい感性で表現していて気持ちが良かった。今年の土門拳賞受賞作品にしてもそうだが、ようやく写真が本来持っている大きな特性であるドキュメント性をいかんなく発揮した作品に光が当たりつつあるようである・・・・・・・・。

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近くにある柿伝ギャラリーで開催している「唐津隆大窯・中里太亀展」へ顔を出してみた。本人がいたので久しぶりの再会にパチリ~!!20数年前に、一度唐津の隆大窯を訪ねたことがある。その当時は彼は父親の跡を継いで陶芸をまだ始めたばかりであった。その後、親子展など何度か見にっていたが、こうして彼の個展を見るのははじめてであった。想像していた通りの作家となっていたのでうれしかった・・・・・・・。

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銀座の写真弘社に、5月締め切りの連載用の写真のデュープを出しに行った後、急いで行った「akiimuse solo concert ~虹に咲く花~」が開かれる南青山マンダラは、開演前からいっぱいのお客さんだった・・・・・・・。
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会場で会った僕の家の近所で、知り合いの大石朝子さんと義母さん。大石さんは新体操の全日本選手権代表だったアスリート。現在は後進の育成と地域で子どもたちに体操を指導している。彼女が中心となって昨秋制作したチャリティDVD「わけわけ体操」(1500円)は好評発売中。公式ホームページはhttp://wakewake9.jimdo/com/ 。 一度ぜひ、見てください。面白いですよ・・・・・・・。
そういえばアキさんを紹介してくれたのも彼女だった。1月の僕の新宿での個展にアキさんと来てくれた以来だったので、懐かしかった・・・・・・・・。

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第一部はアキさんのピアノの弾き語りを中心とした曲で構成されていた。
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第2部は衣装もがらりと変えて熱唱するアキミューズさん。写真家のアラキー曰く「アキの声歌は美しく哀しい、愛への祈り。」だが、その本質が伝わってくステージだった・・・・・・・・。
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アキさんのCD「akimuse」のプロデューサーで、ピアニスト・作曲家の安田美充央さんとコントラバスの名手・齊藤順さんのトリオでのステージは時には笑いもあり会場を和ませていた・・・・・・・。
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大きなアンコールの拍手に包まれながら歌い上げるアキさん・・・・・・・・。
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この日も前回のコンサート同様、PHP研究所の取締役・編集局総局長の小林成彦さんと行った。彼とは1987年に同社から刊行した僕の3冊目の著書『啄木・賢治 青春の北紀行』の担当編集者だった以来の付き合いだからかれこれ20年にはなる・・・・・・。2人で日本中を旅したこともある気心知れた友人である・・・・・・・・。

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翌日の26日、20数年前のKKベストセラーズの編集長時代から一緒に仕事をしてきた編集プロデューサーの松田祐造さんから数年ぶりに連絡があり、仕事の打ち合わせに高田馬場にある仕事場へ出かけた。還暦を過ぎ、持病をいくつか持っているとは言うが、金髪に染め上げた頭だけをみても彼は元気そのものだ。

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お互いにいくつもの病気持ち、明日はどうなるかわからないので一緒に記念写真を撮ろうよ~と言って事務所代表の三浦さんにシャツター切ってもらったのがこの写真。三浦さんいわく「まるでメキシコあたりのギャングの兄弟みたいですね」だって・・・・・・・・・。

 

4月23日、新橋において俳句同人誌「一滴」の第141回目となる句会が開かれた。僕は昨年暮れの忘年会の句会に参加して以来だった。この日の選者は、俳人の中原道夫さん。代表の岡井輝生さんも元気な姿で参加していた。久しぶりに句をひねってみたが駄句ばかり。案の定3句のうち入選は1句のみであった・・・・・・・。

・一村の終焉の地の穀雨かな  (入選)     風写

・琉球弧 島人集ふ復活祭          風写

・江戸っ子の祖母の肖像切山椒        風写

1句目と2句目はこの前、行った奄美大島のことを詠んだもの。一村とは、日本画家の田中一村のことだ。同人誌「一滴」11号が刷り上っていた。今号の特集は「誰にでも『ふるさと』はある」だ。僕も「私の故里・上州人気質とチベット」と言う題で文章と写真2点それに俳句を2句でページを構成している。1冊、800円ですが内容は面白いのでぜひどうぞ~!☆

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真剣に投句をし、選をする同人たち。
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句会終了後は、いつもの中原さんを囲んでの「懇親会」。僕が休んでいる間に、ワインバーの洒落た店に行くようになっていた。僕は居酒屋派なので、どうも落ち着かないなあ~・・・・・・・・。
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この日は午後6時半から丸の内の東京會舘で、第38回「木村伊兵衛写真賞」の授賞式・レセプションがおこなわれた。主催は、朝日新聞社と朝日新聞出版。写真界の大勢の人たちが参加していた。
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今年の受賞者の菊地智子さん(右端)受賞作品は「IandI」だ。作品展は新宿のコニカミノルタギャラリーで5月2日まで。
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「対岸」で受賞した百々新君。今年の2人の作品は人間くさいドキュメンタリーの匂いがして好感が持てた・・・・・・・。
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日本の写真家を代表するメンバーがいたので記念写真をパチリ~!☆。 右から野町和嘉さん、田沼武能さん、水越武さん、中村征夫さん。これだけの豪華メンバーが一堂にそろうのも珍しいだろうね・・・・・。ちょと表情が暗いかなあ~。僕もふくめて、おじさんばかりだものね~・・・・・・・・。
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レセプションを早めに切り上げてこの後、銀座のバーを2軒廻った。一軒目ははじめての店だったが創業43年の銀座では老舗のバーだった。二軒目は、太宰治などが通った文壇バーとして知られる「ルパン」だ。この店は昭和3年にオープンしているから、今年で創業85年。大老舗のバーである。
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久しぶりだったがマスターは僕を覚えていてくれて、写真家・林忠彦、義勝親子のことなど話が弾んだ。ちょうど発売になったばかりの「サンデー毎日」を持っていたのでプレゼントをした。「沖縄の美しい風景とともに島の人々が写っているのがいいですね・・・・・」と言ってくれたのがちょぴりとうれしかった・・・・・・。林義勝さんは、時々は店に顔をだしているという。僕ももう少しは来ようかなと思った・・・・・・。ちなみにこの店は僕の著書『太宰治と旅する津軽』(新潮社)の中にも登場する・・・・・・。

 

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4月23日全国一斉発売となる「サンデー毎日」(5月5日号)の巻頭グラビアに、7ページの特集で僕の写真と記事が掲載されている。タイトルは「琉球そしてOKINAWA」。今回のグラビアには1985年から2009年までに撮影した写真を使用している。モノクロとカラーを使い分けて沖縄が抱えている”光と影”の問題を表現したのだ。文章では、1968年に僕が横浜で沖縄から来た青年と出会い、文通が始まってから沖縄との関係が深まっていった初公開のエピソードを書いている。僕の「沖縄シリーズ」はあまりまとめて発表していないので、ぜひ店頭で手にとってごらんくださればうれしいです・・・・・・・。

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上野にある東京都美術館で23日からはじまる「レオナルド・ダ・ウ”ィンチ展 天才の肖像」の特別内覧会がおこなわれた。この展覧会はアンブロジアーナ図書館・絵画館が収蔵するミラノ時代のレオナルド(1452-1519)の傑作で、日本初公開の「音楽家の肖像」をはじめ、レオナルドの直筆のメモや素描を編纂した「アトランティコの手稿」などを一堂に集めた人類至宝の遺産を身近に見ることができる貴重な機会である。写真は会場入口に貼られた「音楽家の肖像」のポスター。

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エスカレーターの光景。
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東京都美術館の広場。
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上野恩賜公園の交番。
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座り込む女性と僕・・・・・・・。

一気に冬に舞い戻ったかのような肌寒い日曜日の昨日、写真雑誌「フォトコン」の7月号月例コンテスト審査のために都内に出かけた。先月に続いて今月も日曜日の審査のため編集部には誰もいない。担当の坂本副編集長と僕だけの寂しい審査である。でもこの方が審査ははかどる。今回も午後2時前に開始して終了は5時過ぎであった。応募者数も作品数も横ばい状態であるが、内容は少しづつではあるがよくなってきている・・・・・・・。今後の飛躍に期待したい~!☆

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毎回、最終選考に残るのは30~40作品、さらにそこから入賞候補作品、そして入賞作品と選考が進む。最終的に推薦1作品、入選7作品だから非常に狭き門ではある。ちなみに5月号の入選のパーセントは2パーセント。ほぼ毎号この程度の確立なので相当厳しい月例だと言えよう。
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一昨日、長野から戻ったばかりだという坂本副編集長。「長野でも組み写真の月例はすごく評判でした。こんなに注目を集めている月例はいままでないですよ・・・・・」と言う。良くも悪くも多くの読者の評判になるということはいい事だ・・・・・・・。
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時間が早かったので、久しぶりに経済産業省認可の協同組合日本写真家ユニオンの事務所に行って見た。日本写真企画から近い場所の東銀座にあるのだ。坂本、石丸両理事がいた。長く預かってもらっていたオリジナルプリントを受け取ってきた。僕が専務理事を辞めてから早いものですでに5年が過ぎたのである・・・・・・・。
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初代理事長である丹野章さんの事務所が近いので電話をかけたら来てくれた。坂本、石丸理事と4人で飲みながらユニオンの歴史や設立に至る経過などをはじめ、現在の事業のことなど話あった。それに写真家として、おのおのがどう作品を創って行くのかということなど熱のこもった討論は4時間余りも続いた・・・・・・。久しぶりのユニオンのメンバーと飲む酒は愉快なものであった・・・・・・・・。

先週から6日間、家に篭っていた。土曜日から体調がよくなかったので病院へ3日間通った。いつもの眼科、内科、呼吸器科と・・・・・・・。白内障はもう進む所まですすんでいるらしくそろそろ手術を考えておいてくださいと医師から言われてしまった。一週間ほどの入院が必要とも。ちょぴりショクだった。もう少しがんばってみると引き伸ばし作戦にでた。金銭的なこともあるし・・・・・・・。

昨日はそんなこともあったので気分転換のつもりで都内に出た。銀座のギャラリー新居で開催している森くみ子さんの2年ぶりの阿波藍の個展だ。僕が気に入ってよくしている藍染のストールは彼女の作品で2年前に求めたものだ。ギャラリー新居さんは日本写真家ユニオンのオリジナルプリント展を毎年6月の「東京写真月間」の時期に開催してくれている。僕が役員をしているときに初めたのだが今年で8回目になる・・・・・・・・。

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作品を前に森くみ子さんと。僕がしているストールも彼女の新作だ。現在は徳島で創作しているとのこと。
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新宿伊勢丹の会場で、高橋芳宣さん。伊勢丹での仕事はもう40年になるという。彼とはコラボ展を何度かしたし、中国へも旅をしたこともある親しい友人だ。同世代ということもありよく飲み語る・・・・・・。
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この夜も歌舞伎町奥の「三日月」へ行った。いつも常連さんばかりの店だから安心して飲める。芳宣さんも伊勢丹の役員に連れられて一度きたことがあるといっていた。男2人でじっくりと飲んだ。彼からプレゼントされた蕎麦チョコで僕は飲んだ。酒が一段と旨かったのは言うまでもない・・・・・・・。
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軽妙な会話でお客を引き込む大将と女将さん。手前は常連の「週刊読書人」の明石編集長。
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この日、はじめて「三日月」に来たというプランニングマネジャーの愛称・エリザベスさん・・・・・・・。
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芳宣さんが「彼女の手が綺麗だから撮れ」というので一枚撮らせてもらった・・・・・・・。
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結局、何枚も撮らせてもらうことになってしまった。ごめんなさい~☆ 彼女は「三日月」を出てから友人と一杯やったあとに再びゴールデン街で僕らと会うはめになった。そこで一杯ごちそうになった・・・・・・・。  ありがとう~!☆  合掌
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終電前に最寄り駅に着くことができたので、酒屋がやっている立ち飲み「ゆたか」へ顔を出して仕上げの一杯を引っ掛けて帰った・・・・・・。この店は近所の青年たちのたまり場になっている。僕がいつも最年長のようだ。正面後ろが津軽美人のママさんで~す。

岡山の早島町在住の写真家・高田紀美子さんの写真展「巡礼日記ー四国八十八ヶ所」が15日、岡山市内で始まった。開館時間は9:00~17:00.最終日のみ終了が16:00だ。会場は僕も何度か行ったことがあるが、市内の中心街にある中国電力のビルの1Fにあるギャラリーで、広い駐車場もあり便利な所である。お近くの方はぜひ、見に行ってください。力作が並んでいますよ。もちろん作者本人も会場に毎日いると思います・・・・・。

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「飾りつけが無事終わりました」と紀美子さんが写真を送ってきてくれた。紀美子さんは前列右から2人目。夫である写真家の高田昭雄さんは後列左端だ。讃岐の写真家・寒川真由美さんも駆けつけた(後列右から2人目)のか、この写真におさまっている。

紀美子さんの今回の写真は、2007年春から今年の4月まで足掛け丸6年かけて取材したものだ。その間、春夏秋冬、延べ200日を費やし、40回ほど撮影に赴き、四国全土に広がる八十八ヶ所を3巡りしたという。その集中力と執念は目を見張るものがある。

紀美子さんは見ての通りお淑やかで小柄な女性だ。その彼女が独りで、それも全て歩きで巡礼をしていたのである。健脚ぶりは、10数年前から夫・昭雄さんとともに、ヒマラヤ山麓を歩いていたので知ってはいたのだが、正直これほどの根性がある人とは思わなかった・・・・・・・・。 とにかく、おめでとうと心から祝盃をあげたい~!☆

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紀美子さんからどうしてもと頼まれて「写真展に寄せて」の文章を書いた。400字詰め原稿用紙3枚ほど。それがこの写真に写っているものだ。彼女が撮影に行き詰った時に、一緒に讃岐の根香寺、白峰地、土佐の竹林寺、青龍寺などを巡ったときのことや、ものごとの深部をみきわめるためにと空海の「遊山慕仙詩」のなかから「柳葉開春雨  菊華索秋霜」の一編をしたためたことなどを記した。

僕の駄文などをこうしてそれも直筆のまま飾ってもらうのは、恥ずかしい気がするが、ちょぴりうれしくもある。今回、彼女がはたしたことは、目標を持って精進を重ねれば、それは必ずや達成できるということだ。知り合った頃の彼女から今日の写真家としての高田紀美子さんを誰が想像できるだろうか・・・・・・・・。一人の女性写真家が岡山から羽ばたいたことを何よりもうれしく思う。

紀美子さんは、僕が主宰する写真研究会「風」のメンバーではないが、ここ数年の合宿には会員の昭雄さんとともに必ず参加していた。今年新たに高松の寒川さんも「風」の正会員として入会したこともあり、地方にしっかりと根をはった写真家が生まれることは、望ましいことだと考えている・・・・・・・・。  合掌

(紀美子さんと去年、中国四川省の南西部にある涼山自治州へ取材に行った三好幸子さん。2人は来月から今度はチベットへ撮影取材に行くという。すごいバイタリティーである)

 

今月2日の深夜に奄美大島から家に戻ってから、溜まっていた仕事をかたづけたのだが、そのなかでも奄美大島に滞在中に編集部から電話が入り、急遽「サンデー毎日」の4月23日発売で5月5日号の巻頭グラビア7ページの依頼が飛び込んで来たのがさらにドタバタに拍車をかけたのだった・・・・・・・・。

4日の夜は英伸三さんの個展のオープニングパーティがあったので少し遅れたが何とか出かけた。僕の1月の展覧会にはご夫婦して来てくれたこともあったが、何よりも僕が実際に指導を受けたといえば、若き日の英」さんしかいないのだ。現代写真研究所・研究科で2年間、その後、英塾という当時、若手でバリバリとがんばっていた写真家が月1回英さんを囲んで勉強会をしていた会に2年ほど入っていた。しかし当時、新聞社の写真部に務めていたこともあり、あんまり出席できず、確か2~3年目あたりで、塾頭の英さんから破門を言い渡されたような記憶がある。英さんに後年聞いてみたことがあったが、本人は「首になんかしないよ・・・・」と言って笑ってはいたが・・・・・・・。

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以前は家も比較的近く、よく飲んでは一緒に帰ったものだ。僕にとっては影響を受けた写真家の一人だ。いつまでもお元気で写真活動を続けて欲しいと願うばかりである。花見というので奄美から吊るしてきた美味しい黒糖酒を一本届けた・・・・・・・。 (撮影:「フォトコン」編集部・坂本太士)
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英さんのパーティを早めに失礼をして、独りで夜桜見物に新宿の花園神社へ行って見た。何本かある枝垂桜が満開で怪しい美しさを放っていた。境内の近くにある田舎料理の飲み屋へ久しぶり顔を出してみたが女将は入院中ということであった・・・・・・・・・。
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櫻木の下で外国人の男性と日本の女性が2人で花見をしていた・・・・・・・。
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歌舞伎町奥の路地裏にある「三日月」に顔を出してから、ゴールデン街のバー「ことじ」に行って見た。1月の個展にはママさんがわざわざ来てくれたので、お礼にいかなければと思っていたのである。ここでフランス人の写真家とアメリカ人の写真家2人と出合った。フランス人の彼は僕の作品を見て、ぜひフランスで個展をしないかと薦めてくれたのだが・・・・・・・・・。
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4月9日、「サンデー毎日」の原稿を持って、竹橋にある毎日新聞へ行った。編集委員とデザイナーとの打ち合わせも無事終わり、少し時間があったので東松照明さんの「太陽の鉛筆」と立木さんの写真展を品川のキャノンギャラリーへ見に行った。品川キャノンギャラリーは開設10周年となるらしく今年一年かけて企画展を開催する。その第一弾が立木義浩さんの写真展だ。
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立木さんの写真展のポスター。
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毎週10数枚の写真展の案内状が送られてくるが、この中で目に止まるDMは少ない。平林さんのDMには何か気が漂っていたので、新宿で下車して行ってみることにした。そうしたらよくパーティや「ことじ」でも合う人だった。「えっ!写真を撮っていたのですか」思わず聞いてしまった。話していたら以前は(株)ドイに務めていたというので共通の知り合いが多かったので盛り上がった。同名の写真集も窓社から同時出版している。
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10日の午後からはぶどうぱん社恒例の「花見をし蕎麦を食べる会」をした。今年の櫻は満開が早かったので機を逸してしまったが、毎年続けてきたのだからやろうという声があったの「葉桜を愛で蕎麦を食べる会」に変更しての開催だった。人数は少なかったが親しい仲間9人が集まってくれた・・・・・・・。
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参加者がそれぞれ酒やつまみを持ち寄っての会なので本当の手作りだ。僕は大皿に土佐のかつおのたたきを作った・・・・・・・・。
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午後4時過ぎからは会場を居酒屋「三福」に移して、松村さんの特製蕎麦を茹で、みんなで美味しくいただいた。お店の大将や女将さんたちにも食べてもらった・・・・・・・。
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今回は写真集団「上福岡」のメンバーが多かったが、写真研究会「風」からも写真家の塩崎亨君、鈴木孝雄さんが参加。遅れて写真家の烏里烏沙君もかけつけてくれた。来年もやろうと思う・・・・・・・。   合掌
(撮影:塩崎亨)

 

いよいよ奄美大島の旅の報告も今回で最後となる。こうして写真で振りかって見るとなんだか毎晩ただひたすらに黒糖酒を飲み続けていたような気がする・・・・・・・・。実は奄美大島は今回が初めての訪問であった。今回はその大島の北部地方のみ。奄美群島には、人が住んでいる島はあと7島ある。喜界島、加計呂麻島、与路島、請島、徳之島、沖永良部島、与論島だ。沖縄の島々は周っているのに、奄美群島は皆無だった。機会があればぜひ、巡ってみたい島々である・・・・・・・・。

僕は40数年間、日本各地を旅してきたが、まだまだ訪ねていない土地があるものだな~と最近つくづくと思っている。昨秋行った山陰の松江、出雲地方も初めてであった。今回の奄美にしろ、松枝・出雲にしても、とても印象深い風土だった。僕のライフワークのひとつである「日本文学風土記」は、まだまだ知らない土地を取材しなければならないとあらためて思ったのである・・・・・・・・・。

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奄美の最後は「ワイド節」で盛り上がるの慣わしらしい。出席者全員が大きな輪になって踊りだした。市長も教育長も副市長も新婚時代、朝霞に住んでいたという市議会議長もそして原口先生も主役の村上君も踊っていた・・・・・・。
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今回大変お世話になったニッコールクラブの久野さんは島太鼓の奏者でもある。
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横浜から遊びに来ていた久野さんのお孫さんも、一村記念美術館の職員で、絵本作家である藤谷優美子さんも踊る・・・・・・・・。こうして開宴から3時間を過ぎた午後9時過ぎにようやく村上君の写真展を祝う会は幕を閉じた。僕の写真集なども受付けの隅におかしてもらっていたが全部で50冊ほどが売れてしまった。島の人たちは優しいな~・・・・・・・。  合掌
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二次会はすでにバッチリと用意されていた。写真関係者を中心に、書家、画家など奄美を代表する人々と鹿児島からの参加者たち大勢が参加してさらに盛り上がりを見せていた・・・・・・。
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村上君のカラオケを聞くのは初めてでだったが、甘い声でなかなかの上手さであった・・・・・・・。
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午前0時頃に、二次会は終了したが、さらに鹿児島からの原口先生ご一行様は三次会へ繰り出すというので付き合う。一村記念美術館で働きながら絵本作家として活躍している地元の藤谷さんがみんなを先導してまたしてもカラオケ店へ行ったのだ~!!
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僕と同じ年の園中さんの彼氏は、ジュリーになった気分で歌いまくっていた・・・・・・・。
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全国に着物の着付けのお弟子さんが8000人いるという着物の着付け学園の副学長さんと原口先生。
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原口先生のパワフルさには頭が下がる思いがした・・・・・・・。みんな店に置いてある仮装をして盛り上がっているのだ~!!
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最後の締めもやはり歌が大好きな原口先生の歌声で・・・・・・・・・。村上君は奄美の黒うさぎになりきっていた・・・・・・・・。
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”盛り上がり部長”を務めた藤谷さんも終始、元気印であった。もちろん彼女はメンバーの中ではとりわけ若いのだがよく、おじさん、おばさんとともに深夜遅くまで付き合ってくれたと感謝している・・・・・・。ありがとうね~☆☆
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ホテルに戻ったのは午前2時を廻っていた。部屋で一人一杯やりながら自写像を撮る。しかし女性陣たちはさらに午前3時過ぎまで奄美の夜の街を飲み歩いていたという猛者もいたという話を翌朝きいたのだ・・・・・・・・。
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4月1日。奄美に来て5日目。田中一村記念美術館へ。この日も朝から村上君は地元のテレビ局の取材などで忙しかった。県内よりも県外や海外の人たちがたくさん入るのがこの美術館の特徴である。
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鹿児島からのツアー参加者が午後の便で帰るので、空港まで見送りに。その途中、海辺のレストランで昼食を取った。どこも奄美地方の地元料理である・・・・・・・。
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レストラン前に広がる浜辺。アダンやソテツなどを見るとどうしても田中一村の絵の構図がイメージしてしまうのには閉口した・・・・・・・。6日間も美術館に通い続けているのだからいた仕方が無いのだろうか・・・・・・・。
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地元の子供たちが海に入って遊んでいた・・・・・・・。
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奄美大島の最北端・笠利崎。これも一村にイメージが・・・・・・・・。
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奄美での最後の夜の晩餐は、写真家の久野さんの家に招かれた。奥さまと久野さんの手作りの料理は、奄美の料理とは違ってホッとした。お孫さんたちも一緒に食べた・・・・・・。(撮影:久野末勝)
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久野さんは一級建築士、太い木材をふんだんに使った家は、まるで別荘のよう。窓やベランダからは龍郷湾が一望できる。音楽家の奥さまが指揮する奄美市合唱団の人たちが練習できる別棟も備えている夢のような暮らしだ・・・・・・・・・。  本当に奄美滞在中はお世話になりました・・・・・・・。  合掌
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作家・島尾敏雄は1955(昭和30)年4月10日にミホ夫人の故郷・奄美大島へ移住してきた。以来この地に20年間暮らす。島尾敏雄文学碑は、かって島尾が館長を務めた鹿児島県立図書館奄美分館があった土地に建てられている。その敷地内には島尾が暮らした官舎が今も残っている。

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島尾敏雄は、この地で『名瀬だより』をはじめ、『日の移ろい』(谷崎潤一郎賞)、『死の棘』(日本文学大賞・芸術選奨賞)。随筆の『離島の幸福 離島の不幸』や『ヤポネシア序説』などを出版し、琉球弧の認識・概念を広く広めた・・・・・・・。 この殺風景な官舎が島尾の終の棲家となった。務めていた図書館はいまは地域の公民館として使われている・・・・・・・。

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東京へ帰る4月2日。午前中、島尾敏雄の旧居や文学碑を取材した後、田中一村記念美術館へ行くった。絵本作家の藤谷優美子さんがいたので彼女の本を一緒にいた今給黎さんと求めた。『しあわせになった花』(文芸社・1000円)。「きみはしあわせ?」とみんなに問いかける 大人も読める癒しの絵本である・・・・・・・。

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奄美大島の最後の食事は、島の人たちがこよなく愛する老夫婦がしている食堂へ行った。僕は島で採れる野菜をたっぷりといただいた・・・・・・。じっくりと煮込んだ豚の足も・・・・・・。
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島にいた6日間、本当にお世話になった左から今給黎さん、久野さん、それに村上君。本当に楽しく豊かな時間を ありがとう・・・・・・・。  合掌
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この写真から下の4点は、村上君が記念にとメールで送ってきてくれたもの。 (撮影:村上光明)
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西郷吉之助が島の娘・愛加那と約3年間暮らした新婚の家。 (撮影:村上光明)
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村上光明写真展を祝う会で。 (この写真と下の写真は鹿児島の友人・今給黎さんが撮影してくれた)
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突然の指名だったので何を話したかよく覚えていないが、確か村上君がまだ若き頃、桜島を目の前に望む海岸で、僕に「どうしても写真家になりたい・・・・」と胸の内を語った時のことなどを語った気がする・・・・・・・・。後姿は村上君。

みなさん~!☆ 長い長い「奄美大島の旅の報告」に、お付き合いいただきましてありがとうございました。正直、僕も疲れました。もっと早くアップしょうと思っていたのですが、原稿の締め切りが詰まっていて深夜などにしか書けませんでした。ごめんなさい~! この間書いた仕事は次の雑誌などでご覧になれます。

「サンデー毎日」(4月23日発売・5月5日号)、カメラ雑誌「フォトコン」5月号、6月号、月刊誌「前衛」5月号、季刊誌「季論21」春号、JPSメルマガニュース67号,高田紀美子写真展「巡礼日記ー四国八十八ヶ所」(4月15日~21日・岡山市エネルギアプラザギャラリー)に寄せて などです。どこかで見ていただければうれしい~です☆☆☆

奄美大島から戻って、その報告を1度したきりでもう5日が過ぎてしまった。ごめんなさい。この間、「フォトコン」6月号の月例コンテストの作品評や総評などの原稿、「サンデー毎日」5月5日号(4月23日発売)の巻頭グラビアの原稿など集中して書かざるを得なかったため、ブログがかけませんでした・・・・・。  合掌

さて奄美大島への旅の第2回目を書く。前回は3月30日の途中で終わっているのでその続きから行きたい。100年以上の歴史を持つ瀬留教会を見学した後、同じく龍郷町にある奄美自然観察の森へ行った。下の写真はその森で撮った巨木だ。人間の手が入っているものの出来る限り自然環境をそのままにした運営に共感が持てた。ガイドをしてくれた青年もいかにも奄美の自然を愛しているという熱意が伝わってきて爽やかであった・・・・・・・。

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この森の春は野鳥たちの巣作りが始まる。アカヒゲやルリカケス、アマミコゲラなどの鳴き声が深い森に木霊していた・・・・・・・。
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鹿児島から村上君の写真展のツアーに参加した25名の人たちの初日の夜は、その歓迎もふくめて僕らが毎夜通っていた島唄居酒屋「かずみ」での夕食会となった。店の中には入りきれずに外にも机や椅子を出して特設の会場を作った。村上君と鹿児島学術文化出版社の前田社長が乾杯の音頭を取った。
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今回の写真集に序文を寄せてくれた鹿児島県立図書館長・志学館大学教授の原口泉先生(真ん中)と村上君たち。
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島唄の名人も参加して最後は「ワイド節」でのヒィナレー。狭い店内はカチャシーの踊りと指笛、太鼓、そして三線の音に包まれた・・・・・・・。僕なのどは隣近所に迷惑がかからないか、大丈夫なのだろうかと、そちらの方ばかりが心配だったのである・・・・・・・・・・。
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店の外の席は、涼しい潮風が吹きぬけて酔った体に心地良い。左から前田幸一社長、印刷会社の社長も兼ねている。エステサロンを経営している園中恭子さん、村上君、原口泉教授。みんなすごくパワフルであ~る!!
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徳之島から駆けつけてきてくれた写真家のMさん。僕とは20数年ぶりの再会であった(左端)。
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「かずみ」の女将・西かずみさんと園中さん。園中さんは屋久島の小杉谷で生まれ育ったという。僕も思いで深い地だったので盛り上がったのだった・・・・・・・。彼女は赤ワインと芋焼酎を水のように飲み、いつでも、どこでも、誰とでもテンションが高い性格だという・・・・・・・・。通称、「ふさふさ天然パーマのキョちゃん」は、すごいパワーの持ち主だ~!☆

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さて、いよいよ3月31日、村上光明写真展 「黒潮街道シリーズ ”神々の島 奄美”」のオープニングセレモニーのスタートが会場の鹿児島県奄美パーク・田中一村記念美術館で午前10時30分からおくなわれた。左から同美術館館長の宮崎緑さん、+陶芸家・鹿児島県美術協会名誉会員の尾前喜八郎さん、それに僕、主役の村上光明君、鹿児島県立図書館館長・志学館大学教授・原口泉さん、奄美市長・朝山毅さんの6人でテープカットがおこなわれた。 (撮影:久野末勝)

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村上君と僕と原口さんと・・・・・・・。  (下の集合写真も含めて・撮影:久野末勝)
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写真展会場でセレモニーに参加した人たちと記念写真。宮崎緑館長から左へ2人目は、写真家の村上君を支え続けてきている奥さまで~す。

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作者である村上君によるギャラリートークには大勢の人たちが聞き入っていた・・・・・・・。
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マスコミも地元の新聞社、テレビ、NHKなど数社が駆けつけた。インタビューに応える村上君。
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僕は結局、奄美大島いた6日間毎日、一村記念美術館へ通った。一村は僕が育った上州の隣の栃木県で生まれ、育っている。彼の強烈な個性的な生き方に、同じ表現者として惹かれるものがあった・・・・・・・・。一村が奄美に移住して間もない頃の自写像。アダンをバックにして海を写生している一村。なかなかの腕前である。
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一村記念美術館の池を見つめていた園中さん。昨夜の黒糖酒がまだ残っているのだろうか・・・・・・・・。
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写真家・村上光明君と奥さま。一村祈念美術館の入口で。
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夜のオープニングパーティまで時間があったので、西郷吉之助(隆盛)が奄美で2年8ヶ月間暮らした場所「西郷南州流たく地跡」へ行った。西郷はこの地で島の名門郷士、龍家の娘・龍愛子(23歳)と30歳の時に結婚。愛加那は一女、一男を儲けた。66歳で死去した愛子の墓。
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西郷が愛加那と暮らした住居。原型のまま再建したものだが、柱などは当時のまま使われている。簡素ではあるが奄美での生活は西郷にとっては人生の中で一番穏やかな生活だったといえよう。龍愛子の子孫である龍昭一郎さんが、詳しく話をしてくれた。

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村上光明写真展のオープニングパーティは、市内の奄美サンプラザホテルで18:00から始まった。原口泉教授の基調講演の後、主賓の一人としてあいさつをする僕。首からたらしているのは、この日のために、大島紬の専門店で購入した泥染めショール。
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お祝いのために舞われた琉球舞踊。
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会場は満席だった。奄美の藝術・文化関係者が大勢出席してくれた・・・・・・・。
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園中恭子さんとその婚約者。僕と同年輩だという。
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西かずえさんをはじめとした島唄の名人たちも出席してくれた。
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里美加さんと娘の歩寿さん。
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4人の豪華な島唄の歌い手が一同に・・・・・・・・。
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ニッコール奄美群島支部の女性たちの華やかなダンスショー。
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園中さんと。婚約者の彼が撮ってくれた・・・・・・・。
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村上夫妻を囲んでの記念写真。
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村上光明夫妻がお礼のあいさつに立った・・・・・・。しかし宴会はこのあとフィナレーとなり、その後、二次会、三次会と奄美の夜は更けていったのである・・・・・・・・・。

1週間ぶりのブログの更新です~☆ 生きていましたよ~!☆

3月28日の朝から昨夜まで、鹿児島県の奄美大島へ6日間出かけていた。鹿児島在住の写真家・村上光明君の奄美群島復帰60周年を記念した写真展の開催と写真集の刊行を祝っての旅だった。村上君とは彼がまだアマチュア写真家時代の頃からの付き合いで、かれこれ20年ほどになる。ずーと彼の写真家としての成長を見守ってきた一人として、また公益社団法人日本写真家協会の入会にあたって僕が推薦人の一人であることの責任もあり、彼の大きな飛躍の場であるこの機会にどうしても行って少しでも協力し、祝うことができればという思いがあったのである・・・・・・・。

日程は6日間と短かったが、写真展の展示構成、地元の写真家たちのための写真講座、鹿児島からの団体ツアーの受け入れ、写真展のオープニング式典、オープニングパティー、などなどスケジュールは盛りだくさんで正直忙しかった。1回ではとても収まりきれないので3回に分けてこれから報告していきたいと思う。奄美の自然、風土、伝統、食文化などを紹介していきたい。特に僕にとっては、画家の田中一村、小説家の島尾敏雄、明治維新の立役者である西郷吉之助の3人がそれぞれの時代に、奄美に愛着を持ち、暮らした息吹に触れられたのは何ともうれしかった。これからの創作活動に少しでも影響を与えることができれば望外のしあわせである・・・・・・・・。

奄美の神々と癒される自然、やさしき奄美の人々、島唄の調べと黒糖酒に、心からの感謝をおくりたい。ありがとうございました・・・・・・・・・。  合掌

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3月28日の朝、家を出て最寄り駅から羽田空港行きの高速バスに乗ったが、首都高速道路が大渋滞で通常時間より大幅に送れ、空港に着いたのは出発ぎりぎりの20分前だった。何とか間に合ったものの飛行機は30分遅れとなり拍子抜けした。村上君からは電話が入り、彼が乗る予定だった鹿児島発の便が欠行になったので次の便で来るということであった。僕の方が早く着いたので、出迎えてくれた奄美の写真家・久野末勝さんが近くのあやまる岬へ連れて行ってくれた。この日は黄砂の影響か、晴れているのにもかかわらず、美しい奄美の海の眺望はできなかった・・・。

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遅い昼食を取ったレストランの窓辺から見たアダンと白浜。
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レストラン前の浜辺。
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この日は、写真展会場となる田中一村記念美術館へ行き、学芸担当者と打ち合わせをしたり、会場の企画展示室などを見せてもらった。ホテルに戻る途中、ドラックストアーの駐車場へ止まっている所へバックしてきた車に衝突され、警察の現場検証などで開放されたのが午後9時、僕は疲れていたので一足早くホテルに戻らしてもらったが、村上君が戻ったのは9時を廻っていた。その後2人で”島唄の聖地”と呼ばれている居酒屋「かずみ」へ行った。初日からいろいろとあったが、これで厄払いはできたと乾杯をした。村上君と島唄の名人としてその名が知られているママである西かずみさん。

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この店では自由に三線を引き島唄を歌うことができる。今は有名になった元ちとせ、中孝介などが毎日のように来て歌っていたという。この日は島唄で奄美一になった学生の里歩寿さんとやはり島唄を歌う母親の美加さんが来ていて、物悲しい調べを聴かせてくれた・・・・・・・・。
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母親には見えない里美加さん。後ろのポスターは、村上光明写真展のもの。市内の至る所にこのポスターが貼られていた。
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お客さんが引けても島唄を歌い続ける里親子。近く島唄の大会があるらしく、そのために大阪の大学から戻ってきているのだという。
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居酒屋「かずみ」の看板娘である恵子さん。ママのかずみさんの長女であり、一児のお母さんでもある。僕が飲みたいと思う銘柄の黒糖酒をぴたっと出してくれる気が合う女性だった。初日は癖の在る酒を中心に6種類ばかり飲んだ。「長雲」という麹の香りがぷ~んと匂う酒が僕は一番美味しかった・・・・・・・。 こうして奄美大島の初夜は更けていったのである・・・・・・・・・。

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奄美大島2日目の3月29日は、朝から写真展会場の鹿児島県奄美パークの中にある田中一村記念美術館へ展示構成のために向かった。一村記念美術館は池を取り囲むような回廊形式になっており、奄美地方に古代から伝わる高床式の蔵、高倉をイメージした建築となっている。山形の酒田にある写真家の土門拳記念館と似ている所がある美しい建築物だと思った・・・・・・・。

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写真展会場となる企画展示室には、午前9時には島内をはじめ、加計呂麻島からなどたくさんの写真仲間が駆けつけてくれた。特に、僕の友人でもある写真家・菅洋志さんの肝いりで作ったというニッコールクラブ奄美群島支部のメンバーの人たちには、大変お世話になった。 心からの感謝~!☆  合掌

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昼食はみんなで楽しく語らいながら・・・・・・・・。
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僕は奄美名物「油そーめん」というものをいただいた。魚介類と野菜の具がたくさん入っており美味であった。沖縄のそーめんチャンプルに少し似ても入るが味がまったく違った・・・・・・・。
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午後4時前までには何とか展示構成を大方終わりにした。会場を奄美文化センターへと移して僕と村上君とで「写真講座」を開いた。地元の写真家たちの要望があり急遽の開催だったが、ニッコールクラブの人たちを中心に20数名の参加者があった。

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始めに僕が40分ほど写真の創作についての講義をしてから合評に入った。2つのテーブルに並べきれないほどの作品群とそのレベルの高さに驚かされた。同時に奄美の人たちの写真に対する情熱の高さにも驚いた・・・(撮影:久野末勝)。

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合評の終了後、参加者で記念写真を撮る・・・・・・・。
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夜は昨夜と同じ島唄居酒屋「かずみ」へ行く。僕はどこの土地でも気に入った店があればそこにしかいかない。そこで出会った染色家の橋本真智子さん。橋本さんは奄美の伝統的な染色方法である泥染めと藍染の作品を制作しているアーティストである。1974年から高田賢三さんのスタッフとしてパリで活躍。その後、東京・パリで9回の個展を開催している。(島太鼓を演奏する橋本さんと友人の山下さん)
☆<奄美の地・血・智> 奄美大島からの発信・・・・展 VoI.9   ・5月2日~7日 12;00~20:00
・アートギャラリー道玄坂  TEL03-5728-2101

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この日、「かずみ」に飛び入りで入ってきたスイスから来た青年。いい加減な僕らの英語と橋本さんの流暢なフランス語でのコミニュケーションだったが、青年は、奄美の夜とみなさんのことは生涯わすれないと僕ら一人ひとりと固い握手をして分かれた。愉快な出会いであった・・・・・・・・。

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里歩寿さんの出した島唄のCDを持つ母親の美加さんと・・・・・・・。
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里歩寿ちゃんは大学一年生の19歳。2010年、高校2年の17歳で奄美民謡大賞を受賞。1996年、元ちとせが最年少の高校3年生で受賞して以来、誰もが破ることができなかった最年少記録を塗り替えた島唄の旗手。僕は結局、彼女の島唄を島の酒・黒糖酒を傾けながら三日三晩聴いたことになる。何と贅沢な時の流れだったろうか・・・・・・・・。  実はこのブログも彼女が受賞したときに歌った「喜徳なべ加那節」を聴きながら書いているのである・・・・・・・・。

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奄美群島日本復帰60周年記念 村上光明写真集『神々の島 奄美』を持つ村上君を囲んで。この日、名瀬港に荷が上がったばかりの所に、僕と村上君で取ってきたばかりだった。
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「かずみ」の女将である島唄名人・西かずみさんと長女の恵子さんと息子さん。
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ふ~っ。やっと3日目になった。30日の朝、もう一度、会場の一村記念美術館へ行って、学芸担当の堀脇さんとライティングとキャプションのチェクをしてようやく展示構成は完了した。ほんとうに堀脇さんご苦労様でした。記念に写真を撮ってもらった・・・・・・。

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鹿児島からこの写真展のオープニングセレモニーとオープニングパティーに参加するためのツアーが組まれており25人が参加しているという。その人たちを空港に出迎えに行くことになった。途中、海が綺麗だったので浜に寄って撮影した。

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村上君が何枚か記念に撮影してくれた。沖縄の海を思い出すような青さだ。  (撮影:村上光明)
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僕らも地元の写真家・久野さん家族とともに横断幕を持って迎えにでたが、周りは各学校の先生が新しく就任してくる時期らしく、大勢の生徒や先生たちでロービーは華やかだった。こうした光景は都会では見ることはできない。

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奄美の方言で書いた横断幕を持つ村上君。
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空港ロービーで村上君と僕とバスの運転手さん。  (撮影:久野末勝)
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こんなに海が美しい日はそうはないので、昼食前に先ほど、僕らが行った浜へみんなを案内した・・・・・・。
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うらやましいなあ~とため息をつきつつシャツターを切る・・・・・・・。
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浜に群生するアダン。
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昼食は奄美大島を代表する郷土料理 「鶏飯」(けいはん)。江戸時代、薩摩の役人をもてなすために作られたことから「殿様料理」とも呼ばれていた。鶏肉、錦糸卵、しいたけ、パパイヤの漬物、タンカンの干皮などの具を熱い御飯にのせて、地鶏スープをたっぷりとかけてたべるもの。鍋のなかにスープが入っている。僕は1回たべればもういいと思った・・・・・・・。

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創建されてから今年で104年を迎える瀬留カトリック教会献堂はちょうど復活祭の準備をしていた。ご近所の信者のみなさんの手作りの料理を振舞ってもらった。どれもが美味しかったがとくにこの写真の小麦粉で作った餅が美味しく僕は3個も食べてしまったのだ・・・・・・・。

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1908(明治41)年以来からのこの教会の歴代の司祭の写真。この瀬留カトリック教会がある龍郷町だけでも7つの教会があるように奄美大島全体でも非常に教会が多い。この教会の神父様から『瀬留カトリック教会献堂100周年記念誌』というカラー版の分厚い本をいただいた。それを編集し写真を撮ったのが僕の知人でもある写真家の島尾伸三さんだという。彼の父である小説家の島尾敏雄さんは20年ほどこの奄美に住んでいたが、名瀬市内である。そこの辺のことを聞くと信者のおばさんたちは、「お母さんがこの村で療養生活をしていたのよ」ということであった。不思議な出会いを感じた・・・・・・・。

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祭壇に祀られている聖母マリア様像・・・・・・・・。

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