4月23日、新橋において俳句同人誌「一滴」の第141回目となる句会が開かれた。僕は昨年暮れの忘年会の句会に参加して以来だった。この日の選者は、俳人の中原道夫さん。代表の岡井輝生さんも元気な姿で参加していた。久しぶりに句をひねってみたが駄句ばかり。案の定3句のうち入選は1句のみであった・・・・・・・。
・一村の終焉の地の穀雨かな (入選) 風写
・琉球弧 島人集ふ復活祭 風写
・江戸っ子の祖母の肖像切山椒 風写
1句目と2句目はこの前、行った奄美大島のことを詠んだもの。一村とは、日本画家の田中一村のことだ。同人誌「一滴」11号が刷り上っていた。今号の特集は「誰にでも『ふるさと』はある」だ。僕も「私の故里・上州人気質とチベット」と言う題で文章と写真2点それに俳句を2句でページを構成している。1冊、800円ですが内容は面白いのでぜひどうぞ~!☆
久しぶりだったがマスターは僕を覚えていてくれて、写真家・林忠彦、義勝親子のことなど話が弾んだ。ちょうど発売になったばかりの「サンデー毎日」を持っていたのでプレゼントをした。「沖縄の美しい風景とともに島の人々が写っているのがいいですね・・・・・」と言ってくれたのがちょぴりとうれしかった・・・・・・。林義勝さんは、時々は店に顔をだしているという。僕ももう少しは来ようかなと思った・・・・・・。ちなみにこの店は僕の著書『太宰治と旅する津軽』(新潮社)の中にも登場する・・・・・・。
4月23日全国一斉発売となる「サンデー毎日」(5月5日号)の巻頭グラビアに、7ページの特集で僕の写真と記事が掲載されている。タイトルは「琉球そしてOKINAWA」。今回のグラビアには1985年から2009年までに撮影した写真を使用している。モノクロとカラーを使い分けて沖縄が抱えている”光と影”の問題を表現したのだ。文章では、1968年に僕が横浜で沖縄から来た青年と出会い、文通が始まってから沖縄との関係が深まっていった初公開のエピソードを書いている。僕の「沖縄シリーズ」はあまりまとめて発表していないので、ぜひ店頭で手にとってごらんくださればうれしいです・・・・・・・。
座り込む女性と僕・・・・・・・。
一気に冬に舞い戻ったかのような肌寒い日曜日の昨日、写真雑誌「フォトコン」の7月号月例コンテスト審査のために都内に出かけた。先月に続いて今月も日曜日の審査のため編集部には誰もいない。担当の坂本副編集長と僕だけの寂しい審査である。でもこの方が審査ははかどる。今回も午後2時前に開始して終了は5時過ぎであった。応募者数も作品数も横ばい状態であるが、内容は少しづつではあるがよくなってきている・・・・・・・。今後の飛躍に期待したい~!☆
初代理事長である丹野章さんの事務所が近いので電話をかけたら来てくれた。坂本、石丸理事と4人で飲みながらユニオンの歴史や設立に至る経過などをはじめ、現在の事業のことなど話あった。それに写真家として、おのおのがどう作品を創って行くのかということなど熱のこもった討論は4時間余りも続いた・・・・・・。久しぶりのユニオンのメンバーと飲む酒は愉快なものであった・・・・・・・・。
先週から6日間、家に篭っていた。土曜日から体調がよくなかったので病院へ3日間通った。いつもの眼科、内科、呼吸器科と・・・・・・・。白内障はもう進む所まですすんでいるらしくそろそろ手術を考えておいてくださいと医師から言われてしまった。一週間ほどの入院が必要とも。ちょぴりショクだった。もう少しがんばってみると引き伸ばし作戦にでた。金銭的なこともあるし・・・・・・・。
昨日はそんなこともあったので気分転換のつもりで都内に出た。銀座のギャラリー新居で開催している森くみ子さんの2年ぶりの阿波藍の個展だ。僕が気に入ってよくしている藍染のストールは彼女の作品で2年前に求めたものだ。ギャラリー新居さんは日本写真家ユニオンのオリジナルプリント展を毎年6月の「東京写真月間」の時期に開催してくれている。僕が役員をしているときに初めたのだが今年で8回目になる・・・・・・・・。
終電前に最寄り駅に着くことができたので、酒屋がやっている立ち飲み「ゆたか」へ顔を出して仕上げの一杯を引っ掛けて帰った・・・・・・。この店は近所の青年たちのたまり場になっている。僕がいつも最年長のようだ。正面後ろが津軽美人のママさんで~す。
岡山の早島町在住の写真家・高田紀美子さんの写真展「巡礼日記ー四国八十八ヶ所」が15日、岡山市内で始まった。開館時間は9:00~17:00.最終日のみ終了が16:00だ。会場は僕も何度か行ったことがあるが、市内の中心街にある中国電力のビルの1Fにあるギャラリーで、広い駐車場もあり便利な所である。お近くの方はぜひ、見に行ってください。力作が並んでいますよ。もちろん作者本人も会場に毎日いると思います・・・・・。
紀美子さんからどうしてもと頼まれて「写真展に寄せて」の文章を書いた。400字詰め原稿用紙3枚ほど。それがこの写真に写っているものだ。彼女が撮影に行き詰った時に、一緒に讃岐の根香寺、白峰地、土佐の竹林寺、青龍寺などを巡ったときのことや、ものごとの深部をみきわめるためにと空海の「遊山慕仙詩」のなかから「柳葉開春雨 菊華索秋霜」の一編をしたためたことなどを記した。
僕の駄文などをこうしてそれも直筆のまま飾ってもらうのは、恥ずかしい気がするが、ちょぴりうれしくもある。今回、彼女がはたしたことは、目標を持って精進を重ねれば、それは必ずや達成できるということだ。知り合った頃の彼女から今日の写真家としての高田紀美子さんを誰が想像できるだろうか・・・・・・・・。一人の女性写真家が岡山から羽ばたいたことを何よりもうれしく思う。
紀美子さんは、僕が主宰する写真研究会「風」のメンバーではないが、ここ数年の合宿には会員の昭雄さんとともに必ず参加していた。今年新たに高松の寒川さんも「風」の正会員として入会したこともあり、地方にしっかりと根をはった写真家が生まれることは、望ましいことだと考えている・・・・・・・・。 合掌
(紀美子さんと去年、中国四川省の南西部にある涼山自治州へ取材に行った三好幸子さん。2人は来月から今度はチベットへ撮影取材に行くという。すごいバイタリティーである)
今月2日の深夜に奄美大島から家に戻ってから、溜まっていた仕事をかたづけたのだが、そのなかでも奄美大島に滞在中に編集部から電話が入り、急遽「サンデー毎日」の4月23日発売で5月5日号の巻頭グラビア7ページの依頼が飛び込んで来たのがさらにドタバタに拍車をかけたのだった・・・・・・・・。
4日の夜は英伸三さんの個展のオープニングパーティがあったので少し遅れたが何とか出かけた。僕の1月の展覧会にはご夫婦して来てくれたこともあったが、何よりも僕が実際に指導を受けたといえば、若き日の英」さんしかいないのだ。現代写真研究所・研究科で2年間、その後、英塾という当時、若手でバリバリとがんばっていた写真家が月1回英さんを囲んで勉強会をしていた会に2年ほど入っていた。しかし当時、新聞社の写真部に務めていたこともあり、あんまり出席できず、確か2~3年目あたりで、塾頭の英さんから破門を言い渡されたような記憶がある。英さんに後年聞いてみたことがあったが、本人は「首になんかしないよ・・・・」と言って笑ってはいたが・・・・・・・。
いよいよ奄美大島の旅の報告も今回で最後となる。こうして写真で振りかって見るとなんだか毎晩ただひたすらに黒糖酒を飲み続けていたような気がする・・・・・・・・。実は奄美大島は今回が初めての訪問であった。今回はその大島の北部地方のみ。奄美群島には、人が住んでいる島はあと7島ある。喜界島、加計呂麻島、与路島、請島、徳之島、沖永良部島、与論島だ。沖縄の島々は周っているのに、奄美群島は皆無だった。機会があればぜひ、巡ってみたい島々である・・・・・・・・。
僕は40数年間、日本各地を旅してきたが、まだまだ訪ねていない土地があるものだな~と最近つくづくと思っている。昨秋行った山陰の松江、出雲地方も初めてであった。今回の奄美にしろ、松枝・出雲にしても、とても印象深い風土だった。僕のライフワークのひとつである「日本文学風土記」は、まだまだ知らない土地を取材しなければならないとあらためて思ったのである・・・・・・・・・。
突然の指名だったので何を話したかよく覚えていないが、確か村上君がまだ若き頃、桜島を目の前に望む海岸で、僕に「どうしても写真家になりたい・・・・」と胸の内を語った時のことなどを語った気がする・・・・・・・・。後姿は村上君。
みなさん~!☆ 長い長い「奄美大島の旅の報告」に、お付き合いいただきましてありがとうございました。正直、僕も疲れました。もっと早くアップしょうと思っていたのですが、原稿の締め切りが詰まっていて深夜などにしか書けませんでした。ごめんなさい~! この間書いた仕事は次の雑誌などでご覧になれます。
「サンデー毎日」(4月23日発売・5月5日号)、カメラ雑誌「フォトコン」5月号、6月号、月刊誌「前衛」5月号、季刊誌「季論21」春号、JPSメルマガニュース67号,高田紀美子写真展「巡礼日記ー四国八十八ヶ所」(4月15日~21日・岡山市エネルギアプラザギャラリー)に寄せて などです。どこかで見ていただければうれしい~です☆☆☆
奄美大島から戻って、その報告を1度したきりでもう5日が過ぎてしまった。ごめんなさい。この間、「フォトコン」6月号の月例コンテストの作品評や総評などの原稿、「サンデー毎日」5月5日号(4月23日発売)の巻頭グラビアの原稿など集中して書かざるを得なかったため、ブログがかけませんでした・・・・・。 合掌
さて奄美大島への旅の第2回目を書く。前回は3月30日の途中で終わっているのでその続きから行きたい。100年以上の歴史を持つ瀬留教会を見学した後、同じく龍郷町にある奄美自然観察の森へ行った。下の写真はその森で撮った巨木だ。人間の手が入っているものの出来る限り自然環境をそのままにした運営に共感が持てた。ガイドをしてくれた青年もいかにも奄美の自然を愛しているという熱意が伝わってきて爽やかであった・・・・・・・。
写真展会場でセレモニーに参加した人たちと記念写真。宮崎緑館長から左へ2人目は、写真家の村上君を支え続けてきている奥さまで~す。
西郷が愛加那と暮らした住居。原型のまま再建したものだが、柱などは当時のまま使われている。簡素ではあるが奄美での生活は西郷にとっては人生の中で一番穏やかな生活だったといえよう。龍愛子の子孫である龍昭一郎さんが、詳しく話をしてくれた。
村上光明夫妻がお礼のあいさつに立った・・・・・・。しかし宴会はこのあとフィナレーとなり、その後、二次会、三次会と奄美の夜は更けていったのである・・・・・・・・・。
1週間ぶりのブログの更新です~☆ 生きていましたよ~!☆
3月28日の朝から昨夜まで、鹿児島県の奄美大島へ6日間出かけていた。鹿児島在住の写真家・村上光明君の奄美群島復帰60周年を記念した写真展の開催と写真集の刊行を祝っての旅だった。村上君とは彼がまだアマチュア写真家時代の頃からの付き合いで、かれこれ20年ほどになる。ずーと彼の写真家としての成長を見守ってきた一人として、また公益社団法人日本写真家協会の入会にあたって僕が推薦人の一人であることの責任もあり、彼の大きな飛躍の場であるこの機会にどうしても行って少しでも協力し、祝うことができればという思いがあったのである・・・・・・・。
日程は6日間と短かったが、写真展の展示構成、地元の写真家たちのための写真講座、鹿児島からの団体ツアーの受け入れ、写真展のオープニング式典、オープニングパティー、などなどスケジュールは盛りだくさんで正直忙しかった。1回ではとても収まりきれないので3回に分けてこれから報告していきたいと思う。奄美の自然、風土、伝統、食文化などを紹介していきたい。特に僕にとっては、画家の田中一村、小説家の島尾敏雄、明治維新の立役者である西郷吉之助の3人がそれぞれの時代に、奄美に愛着を持ち、暮らした息吹に触れられたのは何ともうれしかった。これからの創作活動に少しでも影響を与えることができれば望外のしあわせである・・・・・・・・。
奄美の神々と癒される自然、やさしき奄美の人々、島唄の調べと黒糖酒に、心からの感謝をおくりたい。ありがとうございました・・・・・・・・・。 合掌
祭壇に祀られている聖母マリア様像・・・・・・・・。