写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2012年10月アーカイブ

 

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僕がこの4月から5月にかけて取材に行ったチベットで本当に信じられないような出会いがあったことは、当時の帰国報告のブログで詳しく書いているので、。ここではあまり触れないことにする。ともかく上記のトップゲルさん(54歳)をはじめ、計4人のノブラーのご子孫に会えたのである。ツーべムさん(64歳)は、わざわざ僕らを自宅にまで招いて歓待してくれた。

ラサをたつ前日に、突然僕が泊まっているホテルに訪ねてきて別れを惜しんだ。その際、私たちの日本の親戚の仲子さんに手渡して欲しいと写真の品々を預かったのだ。その約束を果たすために7月下旬に前橋の矢島仲子さんを訪問した。そして預かった品物を手渡したのである。写真は居合わせた上毛新聞社の論説委員・参与のKさんが撮ってくれたもの。これらは11月10日から始まる展覧会場で、矢島やノブラーの貴重な資料とともに展示されることになっている。

仲子さんは大変喜んだのは言うまでもない。「ぜひ、私が元気なうちにチベットへ行って義母・ノブラーさんの親戚の人たちに会いたい・・・・・・」と言葉をつまらせた。仲子さんは、若々しく見えるがすでに80歳。来年に行かなければますます厳しくなるというので、来春にチベットへ行ってノブラーの子孫たちと会い、その関連した場所や矢島との新婚時代を送ったノブリンカ宮殿などを巡るとともに、矢島とノブラーが旅したヤムド湖、ギャンツェ、シガッエなどを辿るツアーを計画中である。5月の連休明け辺りから出発して9日間ぐらいの予定だ。早春のチベットを一緒に旅してみませんか。詳しくは後日また、お知らせいたします。

 

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出来上がった報告集を持つ僕、自宅裏で・・・・・・・・。(撮影:塩崎亨)
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来年1月の新宿での写真展のDMの打ち合わせに来ていた塩崎君にも報告集を持ってもらって。彼とはこの取材にあたって中国大陸を2度にわたり、約10600キロメートル同行してもらった。感謝している・・・・。

矢島保冶郎の生誕130年と没後50年を記念して、この間、顕彰事業を取り組んできた。その大きな一つが、11月10日から矢島の故郷の上州で開催される小松健一作品展「130年記念 上州の探検家・矢島保冶郎^中国・西蔵30.000kmの旅」である。もうひとつの事業として同名の写真報告集を出版することであった。その他にも来年、矢島保冶郎の足跡を辿ってチベットを旅する計画などもある。

今回の報告集の刊行は、地元群馬の朝日印刷工業株式会社とぶどうぱん社の協力でできたものだ。A4版、52ページで、カラーグラビアページが表紙などを入れて42ページ。写真62点を使っている。矢島が歩いた上海から北京、西安、成都、重慶、康定、巴塘、チャムド、ラサ、ギャンツェからインド国境のヤートンまでの全コースが写真で紹介されている。

モノクロページは14ページで、貴重な当時の資料写真などをふくめて22点が使われている。チベットでの矢島の妻・テンバ・ノブラーの子孫たちからの独占インタビューや娘さんの矢島仲子さんが初めて語った父・保冶郎の想い出などが掲載されている。また「上毛新聞」で連載され好評をはくした「上州の探検家・矢島保冶郎」も全6回すべて載っている。その他にも矢島が入蔵した全地図、主要参考文献なども合わせて収蔵されている貴重な報告集となっている。

この報告集は限定500冊という限られた部数である。今回の事業に賛同してくれた方々にお礼として渡す分しか発行していないが、特別に2000円以上の募金をしていただいた方にはお分けすることにした。頒価1冊、2000円(送料は別料金)

☆甲仕込み先☆ 371-0846 群馬県前橋志元総社町67 朝日印刷工業 DIPS-A(担当:橋本)    電話027-254-1212 FAX027-254-1227

ぶどうぱん社 351-0031 朝霞市宮戸3-6-44  電話・FAX 048-456-7302   郵便振替口座 東京00150-4-191204

 

昨日は、第5回日本中国写真芸術協会展の出品作品のプリントチェツクのため銀座へ出かけた。同時に11月10日から前橋市で始まる「生誕130年 上州の探検家・矢島保治郎 -中国・西蔵30000kmの旅」の展示方法について(株)フレームマンの社長と打ち合わせをするためでもあった。その打ち合わせとプリントチェツクが1時間半ほどで終わったので少し写真展を見ながら銀座を歩いてみた。

銀座のフレームマンエキジビションギャラリーを見た後、先日山陰で撮影してきたフィルムの現像を出しに写真弘社へ。フォトアート銀座も覗いてからキャノンギャラリーへ。作者の山本君もいたので少し話を聞いた。札幌に住んでいて道内を取材しているとのこと。久ぶりに力の入った動物写真を見た。厳しい冬を越える命の葛藤がヒューマンな眼で捉えられていて観るものに感動を与える・・・・・・・・。銀座展が終了した後、福岡、名古屋、大阪、札幌と全国のキャノンギャラリーで巡回展をやるのでお近くの方は一見して欲しい。

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銀座に残る不思議な地下道。銀座を南北に貫く晴海通りを潜り抜けている小さな地下道である。ここにやはり小さな映画館が3つ。大衆食堂や居酒屋、理髪店などがささやかにある。映画館には何度か足を運んだが、本当に50席もないような館だ。しかし、大劇場ではかからないような硬派の良質な映画もよくかかっているので、常連客でもっているのだろう。

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若い頃はよく飲みに行ったバー。創業60年を越える老舗バーだ。銀座の裏通りにあるので目立たないが先日、山崎豊子原作のテレビドラマ「運命の人」でこの店が出ていたので懐かしかった。昭和の雰囲気を十分に堪能できるバーである・・・・・・・・・。

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オープニングパーティには出席できなかったので、どうしても見ておきたかった友人の石川武志さんの個展会場で、作者の石川さん。今回の展覧会は彼が3年間助手を務めた写真家・ユージン・スミスとの青春時代の濃密な水俣での日々がその背景にある。彼はある日、ユージンから「お前も水俣の写真を撮れ・・・・・・・」といわれたことから単なるユージンの助手だけでなく己自身も深く水俣と係わって行く事になる・・・・・・・・。そうした顛末をエッセイにして収めた写真集が同時発行された。「MINAMATA NOTE 1971~2012」副題に「私とユージン・スミスと水俣」というタイトルが付いている。千倉書房から4500円+税で販売している。僕も一冊求めたが、たましいに沁みる良書である・・・・・・・・。

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銀座ニコンプラザを出てぶらぶらしていたら「ご無沙汰していま~す」と突然声をかけられた。ライオン銀座七丁目店の総支配人だ。しばらく顔をだしていなかった。パティーをはじめ何度も使っている馴染みの店だった。寄るつもりはなかったけれども支配人がどうしてもと言うので一杯だけごちそうになることにした。この店の副支配人が注ぐ生ビールの味は一味違う。これを知っている人は相当な通である。

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ライオン銀座七丁目店にしろ、この和光デパートにしろ、この後寄って今一番人気の「バターアンパン」と「カボチャアンパン」を買った木村屋総本店にしても昭和の浪漫が漂っていて僕は好きだ。何か慕情のようなものが湧きあがって来るのである・・・・・・・・・。

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その後、池袋によってこれまた創業昭和24年の老舗焼き鳥屋へ。当時から名物としてある肉豆腐と焼き鳥、妬き豚で軽く一杯、やはり終戦直後から酒屋のなかでやっている立ち飲み屋へ。ここは酒は店で売っている値段と同じなのが呑んべぇにとってはうれしいのだろう・・・・・・・。この後もう3軒ばかり廻ったらしいが、こちとらの頭もすっかりと廻って詳しくは覚えていない・・・・・・・。しかし、きちんと家には、自転車で帰り着いていたのだ~。
今日は一滴もお酒はのみませんぞ~ 。 約束します。今年になって初めてのことかしら・・・・・・・。

 

山陰地方から17日の深夜に戻った後、上記のような事をやりつつも、それ以外に来年1月5日から都内で始まる僕の個展の準備、DMやメディア向けの文章などの作業があった。この写真展も年内に展示・飾りつけを済ませないといけないので11月の展覧会が終了しだい本格的に忙しくなる。それに合わせての本の出版を進めないと・・・・・・・。22年間取材を続けてきた「三国志巡礼」がようやく日の目を見ることができるか・・・・・・・・。

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写真家・烏里烏沙君が所属する日本山岳写真家集団の写真展が新宿のアサヒペンタックスギャラリーで行われていたので、写真弘社・銀座店で、11月の写真展のプリントチェツクをした後に廻った。烏里君はK2の取材から約1ヶ月ぶりに戻ったばかり、久しぶりに新宿西口の呑んべぇ横丁へ繰り出した。

僕が1970年代から通っていた焼き鳥の店へまず行き、次にうなぎのかぶと専門の店、ここで愛知県から来たというトヨタ自動車に勤める青年と知り合い、僕の常連の店「ぼるが」へ。あまりにも混んでいて落ち着かないので、タクシーで池袋の沖縄料理の店「みやらび」へ。ここで画家の友人・美崎太洋さんと合流してもう一軒・・・・・・・・。よくは覚えていないけれどもきちんと電車で帰り、駅からは自転車で帰宅したらしい。翌日、財布を見たら中身は空っぽだった・・・・・・・・・。トホトホ・・・・・・・・

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「フォトコン」2013年1月号から18年ぶりに復活した月例部門の組み写真の部の審査のため午前中から出かけた。審査は12時過ぎから初めて6時前までかかった。隣でネイチャーフォトの部の審査をしていた中村征夫さんは僕よりも2時間も早く終えて「小松ちゃん、じゃお先にね・・・・・・」とさっさっと帰ってしまった。外はすっかりと暗くなったので一杯と思ったら、担当の坂本副編集長は明日早朝から千葉そして青森の弘前と6日間の旅に出るのでごめんなさ~いとのこと。藤森編集長は超忙しそうだし、石井社長は先約があって失礼しますと、みな付き合ってくれない・・・・・・・・。

やむをえず独り寂しく帰ろうと思ったが、駅までの途中、初めての居酒屋へ入った。覗いたらカウンターに誰もいなかったこと、親父の顔が良かったこと、そして店の名に引かれたのだ。軽く一杯やって帰るつもりだった・・・・・・・・。それが僕の隣に座ったこの店の常連客の秋田出身のMちゃんと奄美大島出身のYちゃんとすっかりと意気投合してしまったのである。二人で11月の群馬での僕の写真展に来てくれると言う。初めて出会ったのにありがたいことである・・・・・・・・・。  合掌

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10月23日、秋雨のそぼ降る日だったが写真集団・上福岡の10月例会が開かれた。この日は新しく会員となったIさんや母親の看病のため1年近く故郷の京都へ帰っていて久しぶりに顔を出したTさんなど14人が参加した。持ってきた写真も多く、合評は熱気があったが少々疲れた。僕の最新刊『生誕130年 上州の探検家・矢島保冶郎 -中国・西蔵30000kmの旅』(2000円)を皆が顕彰事業の募金として買い求めてくれた。うれしかったのは言うまでもない。ありがとう・・・・・・・。 合掌

会終了後、有志で新入会員のIさんのささやかな歓迎会を20数年来通っている焼き鳥でおこなった。毎回男数人だけで呑んでいるのでこの日は華やかな宴であった。T会長をはじめ、ベテラン会員の男性たちもいつになく写真の講釈に熱が入っていたのである・・・・・・・・・。

10月15日から17日の3日間、僕が以前からライフワークの一つとしている「日本文学風土記」の取材のため、島根県松江市と出雲市、平田市などを訪ねた。この旅に同行してくれたのは、岡山県在住の写真家・高田昭雄夫妻とその友人のMさん。3人ともこの8月の中国西南地方の取材に日本の写真家代表団のメンバーとして参加した写真家である・・・・・・・・・。

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僕は、日本全国至る所を歩いてきたが、この松江だけはまだ来たことがなかった。初めての松江は旧松江城の掘割に囲まれたしっとりとしたいい街だった。空が広い街というのが第一印象だった。まず向かったのは文学者・小泉八雲が約5ヶ月間暮らした旧居。当時のままに現在も保存されている。この旧藩士の慎ましやかな家は、松江城の掘割を囲んだ武家屋敷の一角にあった。八雲がこよなく愛した枯山水の庭園もほぼ当時のままに保存されており、ギリシャで生まれ、アイルランドで育ち、フランスやイギリスで教育を受け、青年時代はアメリカに渡った八雲の心境がわかるような気がした。

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八雲が通勤のかたわらによく散歩した道を辿ってみた。松江城の掘割に写っていた光景。

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八雲が好きでよく寄ったという城山稲荷神社。八雲が散策していた頃には石の狐の像が4千体以上あったというがいまはだいぶ少なくなっている。八雲が気に入っていた高さ150センチほどの石狐はいまも現存している。また彼はこの神社の火災除けのお札に大変興味を持ち、イギリスの大英博物館やオックスフード大学などに送っている。お札を見たら狐の上の米俵の上に2匹の蛇が榊と鍵を咥えいる絵柄だったので、僕は巳年なのでこれは何かの縁と思い2札買い求めた。 戻ってから家の中にさっそく飾ってある・・・・・・・。

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松江城は別名・千鳥城ともいう。初代藩主は堀尾吉晴、その後、京極忠高、そして松平氏が10代、234年間この城の城主として君臨してきた。ちなみに全国に現存する12の城の天守閣のうち平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは4番目だという。現在国の重要文化財に指定されている。

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天守閣の強固な寄木柱。

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天守閣の望楼から宍道湖をはじめ松江の街が一望できる。

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ボランテアの人だろうか甲冑に身を固めて望楼に座っていた。本人は武士になりきっていて言葉使いなども「ごくろうにござる・・・・・・」などと話、観光客に受けていた・・・・・・・。

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学校帰りだろう、地元の高校生と記念写真。うれしそうな僕でした・・・・・・・。

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夕日に染まる宍道湖。遠く嫁ガ島を望む。 浜辺には夕日を見にきた恋人たちやカメラマンをはじめいっぱいだった・・・・・・・・・。

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夜は松江の街に繰り出して夕食を取った。旬の地元の魚が沢山出て美味しかった。店の前を子供たちが祭りの練習で大きな太鼓叩きながら練り歩いていた・・・・・・・。僕は数枚シャツターを切って、また酒を飲みに店に戻った・・・・・・・。

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翌、16日も快晴だった。まず、「出雲風土記」のなかにあさくみの渡しとして記載されている現在の矢田の渡しに行ってみた。運行は朝と夕だけなので残念ながら乗ることはできなかった。小人は無料、大人は40円といまどき考えられないような値段だったのがうれしかった・・・・・・・。

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続いてやはり「出雲風土記」にでてくる十六島。アイヌ語で「うるっぷ」だったか・・・・・・。メモが見当たらないので確かではない。とにかくこの山陰地方にもかってはアイヌ民族は住んでいたと言う証だろうか・・・・・・。冬場の3ヶ月間だけ採れる日本海の荒波に打たれる岩場に育つ海苔は美味で古事記の時代から珍重されていたようだ・・・・・・・。残念ながらこの十六島海苔は食べれなかったが、同じ日本海だが他の地域で採れた海苔は食べた。やはり美味であった・・・・・・・。

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縁結びの神として絶大な人気がある出雲大社。本殿は日本で最も古い神社建築様式の大社造りで国宝に指定されている。着物姿の女性たちも目立った。僕も良縁がありますようにとじっくりと参拝した。どうか大国主大神様・・・・・・・・・。

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参拝の後は、門前町で出雲蕎麦を。この日は割子3枚にあご焼きでビール。今回の旅の途中、3回出雲蕎麦を食べた。僕はこの蕎麦が好きだ・・・・・・・・。

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国譲り、国引きの神話で知られる稲佐の浜。また旧暦の10月、神在月のさい全国800万の神々を出雲に迎える浜でもある。野良猫が気持ちよさそうに日向ぼこしていた・・・・・・・。

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島根半島の最西端にある日御碕。大山壱岐国立公園の一部だ。またここには出雲大霊験所日御碕神社がる。ウミネコの繁殖地でもしられ国の天然記念物となっている経島がある。地元の民宿に泊まったが心ある持て成しを受けた・・・・・・・・。  合掌

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17日は帰京する途中、大阪で今年、大阪教育大学へ入学して芸術的な書道を学んでいる友人の娘さんのYちゃんに会った。子供のころからよく知っていたので大学の合格祝いも兼ねて食事をしたのだ。およそ1年ぶりの再会だったが、親元から自立して生活を始めたYちゃんは、随分としっかりした顔立ちになっていた。一度しかない青春時代を思いっきりエンジョイして欲しいと願がわずにはいられない・・・・・・・。  合掌

 

大変ご無沙汰していました。一週間ぶりのブログの更新です。実は10月12日の朝から岡山県の早島町へ写真コンクールの審査と講演会、早島写真同好会が主催する写真教室行っていた。13日で予定していた行事が終わったので、地元の写真家・高田昭雄さんの案内で、高松yから駆けつけてきた写真家のSさんとで小説家・藤原審爾の初期の代表作『秋津温泉』の舞台となった秘湯・奥津温泉へ遊んだ。

翌15日から17日までは、高田夫妻と友人のMさんと山陰の松江、出雲を中心に巡った。小泉八雲の世界や『出雲風土記』の風土を取材したかったのである。これらの取材記を写真を中心に2回に分けて報告する・・・・・・・・。

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12日の午後3時から第3回児島湾岸写真コンクールの審査がはじまった。応募作品は昨年より微増の約200点だったが応募者は13パーセント増えた。最終審査をする僕と早島町教育委員会 生涯学習課の黒瀬課長。今年はテーマを「児島湾岸地域の暮らしと風土」としたためか、力作が多かったので、入選作品を急遽10点設けてもらった。写真展は10月20日から同町のゆるびの舎でおこなわれる。詳しい内容については全体講評と作品評を書いているのでそちらをご覧ください。

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審査が終わった後、地元在住の日本写真かユニオン会員の写真家・高田昭雄さん夫妻とその友人のOさん、今回の企画を準備運営をした教育委員会のSさんと児島の何度か行ったことのある料理屋へ行った。地場物のいいだこや車えび、ワタリガニなどが美味であった。僕はこの日気分が乗って珍しく焼酎4合瓶を一本飲み干したのだ・・・・・・・・。

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この3年間、写真コンテストと「はやしま生涯学習まつり」の一環としての講演会を企画・運営を一人で担当してきたSさん。ほんとうにご苦労様でした。そしてありがとう・・・・・・・。

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13日は午後2時から講演会「ヒマラヤ・チベット巡礼の旅」だった。写真にはないが60人を越す人々が参加してくれた。午後6時半からは中央公民館に会場を移して早島写真同好会の主催で写真教室が開かれた。参加者は約30人ほど。それぞれ力作を持ち寄っての合評だったので少々疲れたのだ・・・・・・・・。終了後、有志のみなさんで軽く一杯やった。みな熱心な写真仲間で愉快な一夜であった・・・・・・・・。

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風光明媚な土地に不釣合いな看板を見つけた。これも僕らの電気料金で立てられているかと思うと腹が立つて来た・・・・・・・・。

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奥津渓で有名な天然記念物の甌穴。上流にダムが建設された影響で渓谷の流れは淋しくなったという。

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写真家の高田さんと高松のSさん。

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昼食は地元のおばちゃんたち手作りの料理を食べた。野菜が中心の献立で旨かった。お変わりは自由。コーヒーなどの飲み物の他にデザートまでも付いていた。料金は1200円と安かったよ~。

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温泉は奥津荘の内湯に入れてもらった。ここの鍵湯は400年前、津山藩主の森忠政が入浴するため、一般の人の入浴を禁止し、鍵をかけたことが由来だという由緒ある名湯である。常連客だった版画家の棟方志功をはじめ、与謝野鉄寛・晶子夫妻など多くの文人が訪れている・・・・・・・。

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吉井川の源流に位置する川辺にある奥津温泉は、文学の舞台にふさわしい情緒がある町であった・・・・・。

 

今日10月11日は、あの未曾有の大災害がおきた東日本大震災、福島減発の放射能漏れがおきて、1年7ヶ月となる日だ。いまだ避難生活をしている人は16万人以上。行方不明者は2778人という現実をしっかりと僕ら日本人は胸に刻み、忘れてはならない。国民が税金で負担して作り上げる復興予算の使い道が日々マスコミを賑わせているが論外の話だと思う。官僚も政治家たちも一体何を考えているのか、人間としての真っ当な良心はないのだろうか・・・・・・・。この現実に、怒りを通り越して哀しささえ覚えるのは僕だけだろうか・・・・・・・・。

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(家の前に突然咲き始めた可愛い花・・・・・・・。サフランとか言う花だとか、花が咲き終わると葉が出てくるのだと言う)

今日、10月11日のこのブログで、記念すべき500回を迎える。2009年4月末に試験的にはじめ、5月から本格的にスタートさせて以来、3年4ヶ月である。約2.4日に一回の更新をしてきたこととなる。僕としては振り返ってみると良く続いたと感心する。日記感覚で書き綴ってきたが、世界50カ国以上の人々がアクセスしていると思うとどんな忙しいときにもがんばれた。日記を書いたのは中学生の時以来だったが、日々の自分の思いを記録しておくのも面白いものであると最近感じるようになった。「日記文学の最高峰」と言われる歌人・石川啄木の「ローマ字日記」を綴っていた気持ちがちょっぴりと理解できる気がしてきている・・・・・・・・。これからも日々の僕の感情の襞をできるだけ赤裸々にそしてリアルに書きて行きますので末永いお付き合いをこころからお願いするものです。  合掌

 

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7日に写真展「ヒマラヤ湖巡礼」が終わってからめちゃくちゃの日々だった。まず、すぐに取り掛かったのが11月10日から群馬県で始まる写真展の作品セレクトと構成。作品をプリントするためにサイズを決め、選ぶ作業だ。それに3日間かかった。それを持ってプリントをしてくれる会社の社長さんと会って値段等の交渉、担当者との綿密な打ち合わせを済ませた。続いて「サンデー毎日」が巻頭グラビアで紹介してくれると言うので、作品のセレクトとレイアウトをして、竹橋にある毎日新聞本社へ持ち込み、編集者、デザイナーと打ち合わせをしたのである。それに来年1月5日から東京・新宿で開催する僕の写真展の打ち合わせに、会場となるアイテムフォトギャラリー「シリウス」へ行った。 勿論その合間にいろいろと雑務はあるのは言うまでもない・・・・・・・。

その一つが日本司法センター(法テラス)の評議員をしているKさんが、明日12日から東松島や南三陸町などの東日本大震災の被災地を視察するのだという。そこで事前に僕に心構えなどをレクチャーして欲しいと言うのだ。僕は正直、精神的にも相当追い込まれているくらい忙しかった。しかし彼女が特許庁の役人をしている頃からの友人。気分転換と思い出かけた。話が済んでレクチャーのお礼として奢ってもらったのが上の写真。池袋で会ったので良く行く沖縄料理店「みやらび」へ行った。そこで彼女は琉球の楽器サンバにはまってご覧の通り、女将や琉球舞踊家のSさんに直接手ほどきを受けたのである・・・・・・。気をつけてしっかりと被災地の現実を見て、被災地の生の声を聞いてきてくださいな・・・・・・・・・。

 

昨日、10月1日から始まった僕の写真展が大成功の内に終了した。この写真展を企画・運営してくれた実行委員会のみなさんをはじめ、協力してくださったたくさんの方々に心からの感謝の意を表したい。ありがとうございました・・・・・・・・。  合掌

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記念に製作した僕のヒマラヤの写真をプリントしたオリジナルTシャツを着て。実行委員のKさんと。Tシャツは限定でしか作らなかったが好評だった。

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最終日とその前日の2日間で400人を超える入場者があった。(株)ゴールドインの部長のYさん、新潮社の編集委員のKさんは奥様と、「サンデー毎日」編集委員のYさん、(協)日本写真家ユニオンの岩尾専務理事、S理事、A理事、(株)タムロンの広報部長のTさん、アイテムギャラリー「シリウス」のYさん、画家の美崎太洋さんなどをはじめ大勢の友人・知人のみなさんが駆けつけてくれた・・・・・・・・・。ありがと~う!☆

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6日午後2時から開かれたスライド・トーク「朝霞とヒマラヤをむすぶもの」には、突然の雨にかかわらず100人を超える人が参加してくれた。会場の席は50人ほどしか用意していなかったので実行委員は大慌てでしたが、なんとか座っていただいた様でした。2時間の予定だったが、質問が次々とあり、予定時間を30分程オーバーしてしまったのでした・・・・・・・。

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展覧会の解説と作家論を書いてくださったジャーナリストの岡井輝毅さんご夫妻も遠路来場してくれた。朝日新聞記者時代、「アサヒカメラ」編集長を務めていた頃から知り合いだが、さまざまな面でお世話になっている先輩である。いま岡井さんが代表の俳句同人誌「一滴」で僕も同人として籍を置かせてもらっている。
 

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写真家の塩崎亨君のファミリー。子供たちの成長振りには目を見張るばかりだ・・・・・・・・。

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2日間、会場に来てくれてトークショーでは挨拶をしてくれたネパール人のギミレ ビディヤさん。彼女はいま、朝霞市内でインド料理店・チャンドニーを経営している。ネパールのポカラ出身だ。彼女の実家のある町は僕は何度も訪ねていることがわかった・・・・・・・。

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6日会場を閉めたあと、実行委員を中心に希望者でチャンドラーへ行った。スタッフ全員ネパール人だった。店内には、なつかしいネパールの匂いが漂っていた・・・・・・・・。

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さらに有志のみで2次会へ・・・・・・・。

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2日間に3回も足を運んでくれたOさん。新体操やヨガなどのインストラクターをしているからか、写真から沢山の「気」を感じるのだそうだ・。なにはともあれ、ありがとう・・・・・・・・。

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搬出・後片付けなどすべてが終わり、最後に実行委員のメンバーと協力してくれた写真集団・上福岡のメンバーと図書館の職員とで記念写真をパチリ!!  本当にご苦労様でした。そしてありがとう・・・・・。合掌

世界最高峰の質と幅広さを誇るコレクションで知られるニューヨークのメトロポリタン美術館の4000年にわたる「人類の美術遺産」を紹介する展覧会が東京都美術館で始まる。それに先立つ特別内覧会に行ってみた。ゴッホの「糸杉」が日本初公開であることをはじめ、レンブラント、セザンヌ、モネ、ルノアールなど西洋美術を代表する巨匠たちの作品も多数並んでいた。テーマは「自然」。古代から現代に至るまで、さまざまなジャンルの作品をたどりながら「自然とは何か」を問いかけている。僕はゴッホの「糸杉」やポール・ゴーガンの「水浴をするタヒチの女たち」などを興味深くじっくりと鑑賞した・・・・・・・。

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展覧会を観終わった後、上野公園で気になった光景をスナップした・・・・・・・・。

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矢島仲子さんを囲んで朝日印刷のスタッフの人たちと印刷現場で。

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10月4日、午前中に家を出て、群馬県の前橋市に向かった。この日午後1時から朝日印刷工業で印刷の立会いが予定されていたからだ。11月10日からノイエス朝日で始まる小松健一作品展「上州の探検家・矢島保冶郎ー中国・西蔵30000kmの旅」と同時発売される写真報告集のためである。A4版52ページのささやかな本ではあるが、中身はけっこう濃い。文章ページも12ページあり、矢島に関する資料も多数入っている。妻であったチベットの貴族の娘だったテンパ・ノブラーのことも・・・・・・・。

印刷の方は、朝日印刷のスタッフの努力もあり、順調に進んだ。矢島の娘さんの矢島仲子さんも一緒に立ち会った。朝日印刷の社長も見えた。この6年間で都合8回の取材、その全走行距離は30000キロメートルを越えたハードな取材のある意味総決算である。後世にん残るようないい作品集にしたいと思っている。限定版なので部数は限られているが、分価は2000円を予定している。ぜひこの事業への協力のつもりでお買い求めください。

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遅くなってしまったので、渋川に住んでいる弟の小松勝三の家に泊めてもらった。前橋まで車で迎えに来てくれた。弟夫婦と近くの温泉に行ってから、友人が経営している店に行ってゆったりと飲んだ・・・・・・・・。

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弟夫婦がもう15年も飼っている黒猫。もう一匹いたのだが3年前に亡くなった。2人はこのクロをわが子のように可愛がっている。最近太り気味のクロ君の生態を3カット撮ってみた・・・・・・・・。

 

 

_DSF3368.jpgテレビ埼玉の取材に応える僕でした・・・・・・・。作品の紹介やインタビューをニュースで放映してくれた・・・・・・・・・。(撮影/塩崎亨)

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初日に、地元の友人たちが花を届けてくれた。ありがとう~☆☆☆感謝!!

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山本建設の社長ご夫妻とルミちゃん。居酒屋三福で偶然に会ったので花の鉢のお礼をした・・・・・・。

合掌

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以前、三福でアルバイトをしていた学生さんだったMちゃんとばったりと会った。卒業して就職がきまって働き始めているのだという。就職祝いにということとなり初めて彼女と飲んだ。1年ほどいたが物静かで笑わない子という印象だったが、社会人となって変わった感じがした。これからの人生、大切に生きていって欲しい願うものである・・・・・・・・・。

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Mちゃんが撮ってくれた僕の肖像。 三連チャンの深酒なので少々疲れが見えるなあ・・・・・・・・。

☆10月6日(土)午後2時からのスライド・トーク「朝霞とヒマラヤをつなぐもの」では、写真展に展示されていないヒマラヤの写真をはじめ、「地球巡礼」の写真約100点もスライドショーで放映します。ぜひ皆様のご来場をお待ちしております。

10月1日、朝霞市立図書館で小松健一写真展「ヒマラヤ古寺巡礼」がオープンとなった。この日は朝、9時からから搬入、飾り付けがおこなわれ、地元朝霞市の実行委員をはじめ、写真集団「上福岡」、写真研究会「風」のメンバーたちが大勢かけつけてくれた。なかには名古屋から夫婦で来てくれたメンバーもいて恐縮した。午後1時のオープンは予定どうりに間に合った。

開始と同時にぞくぞくと入場者が来て午後からの開始なのにもかかわらず、初日は170人の入りであった。テレビ埼玉のクルーも来て丁寧に取材をした。僕もインタビューに答えた。2日の昼のニュースで放映されたそうでそれを見て来たという人もいた。下の写真は飾り付けを終えてスタッフで記念写真。

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俳人の中原道夫さんが初日、花を持って来てくれた。ありがとう~☆

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9月30日、台風が本州を直撃し、接近している中、第3回「三福きずな寄席」が志木市の居酒屋三福で開催された。電車の間引き運転なども始まっており、チケットは完売になっていたのだが当日来れなかった人たちが20人ほど出た。しかし、会場は八割がた埋まった。師匠の立川志遊さんも熱の入った噺で会場は外の強風を吹き飛ばすほどの笑いに包まれた。終了後の打ち上げはさすがに少し寂しかったが、世話人をはじめ17人ほどが残って師匠を囲んで楽しんだ。

お開きとなった10時頃には雨も小降りとなり、それぞれ散会した。山手線などが不通となったため師匠と手伝いに来てくれた菱山くんが家に泊まった・・・・・・・。

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立川志遊師匠と僕・・・・・・。下の写真は世話人の面々です。

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この日、司会をした三福の若大将(左)と師匠を囲んで盛り上がるお客さんたち。

 

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