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[no.481] 2012年8月18日 中国・西南地方 イ族の歴史と文化を訪ねる2400キロメートルの旅・・・・成都、峨眉山、西昌、美姑 (第2回)

久しぶりにパソコンを前にして、映像がうまく保存できない。もともとパソコン音痴なのだから仕方ないのだが、機種を新しく買い換えたばかりだし、正直イラつくのも事実である。後ほど、パソコンに詳しい写真家の塩崎亨君にでも指導を仰ぎ、もしうまくファイルのロックが解け、データを保存できたあかつきには、写真を追加してアップするつもりだ。 今回アップできた写真は、美姑周辺の一部に限られている。成都から峨眉山、西昌などは一点もふくまれていない・・・・・・・・・・。

ちなみにこのブログの写真のほとんどは、シグマDPIX、レンズは28ミリのみである・・・・・。

 

8月4日朝5時に家を出発、成田空港には7時半過ぎに着いた。いつもは少し早めに到着するのだが、この朝はほぼ定刻だった。待ち合わせの中国国際航空のカウンター前に行くとすでにみなそろっていた。ほとんどの人が前泊をしていたので安心だった。京都から参加した学生のAちゃんがスーツケースの鍵を忘れてきてしまい空けられないので急遽送り返したとのこと。パスポートなど大切なものは別の小さなバックに入れていたので何とか切り抜けることができた。ほぼ定刻に出発、上海でトランジェツトで、国内便に乗り換え四川省の成都へ夕方5時に到着した。まだ日は高かった。3ヶ月ぶりの成都である・・・・・・・・・。

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(上の写真は、西昌から美姑へ行く途中、標高3000メートルを越す高原で高山植物を撮影する参加者。色とりどりの小さな花々が風にゆられていた。僕はエーデルワイスなどの数種類の花を手帳に挟んだ・・・・・)

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翌朝、峨眉山へ出発。時々激しい雷雨にあった。峨眉山へ付いたときには雨は上がっていたものの、ロープェが運転中止となっていたため、バスに乗り換えて万年寺へ向かう。途中ロープェに乗り、後は歩きだ。標高3099メートルある峨眉山は、中国仏教の四大霊場のひとつであり、普賢菩薩がご本尊である。万年寺は1020メートルの山麓に建っていた。その日は麓のロッジに泊まる。夜、報国寺のあるふもとの町へAちゃんの着るものや靴などを買いに出かけた。ついでに焼き鳥屋で一杯やってきた・・・・・・・・。

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「月琴」というイ族独特の楽器を奏でながら恋の歌を唄う民族歌手も歓迎会に来てくれた。

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3日目は峨眉山から西昌まで200キロ超の距離だが路が昨夜の大雨のため、何箇所かで土砂崩れで悪路の連続だった。予定の時間を3時間半ほど送れて到着した。西昌市政府の文化担当者たちとジャーナリスト、詩人、写真家たちが夕刻から歓迎の大宴会をセットして待っていてくれた。ホテルも西南地方最大の松明祭りの最中とあってどこも満員だったがいいホテルを確保してくれていた。この後もさまざまな配慮をしていただきこころから感謝している。なにせ日本から来た写真家代表団という触れ込みだったので歓迎の行事が大変だった。上の写真は美姑県の文化担当者たちの歓迎会だが2日間、夜も朝も続いた。気持ちはうれしいが少々くたびれた。酒が余り強くない日本の写真家たち、特に男たちは僕を除いてみなへばってしまい、最後まで体調はあまりよくなかった。そこへ行くと女性たちはさすがで、うまく乾杯の嵐をかわし、飄々と乗り切っていた・・・・・・・。

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(上の写真はイ族の民族衣装を着せてもらったAちゃんとお母さんのSさん)

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標高3200メートルの草原で、イ族の民族衣装で協力してくれた地元の学生、王晴さん(22歳)と劉寧梁さん(19歳)。2人とも成都の四川大学に通っている。美姑は美人の故郷として知られている。それは涼山自治州での美人コンテストでは毎回必ず、美姑出身の女性が優勝するからである。ちなみにこの2人も美しい。

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美姑の町に帰る途中、イ族の村を訪ねた。標高2500メートルの山麓にある村だったがどの家も近年に建て替えたらしくみなきれいだった。村の中の道路も整備されて、大型のトラックが入れるようになっていた。ちょうどキャベツの収穫をしていて活気があった。僕らに同行していた地元のテレビクルーが村で取材をはじめたので村中の人たちがもの珍しがって集まってきた・・・・・・・。

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美姑県の人口は約23万人。町には3万人が暮らしている。そのほとんどがイ族の人たち。イ族独特の建築様式の村を訪ねる。釘を一本もつかわないで多数の木の組み合わせだけの建物は日本古来の伝統的な建築様式に通じるものを感じた。また美姑には、ピモと呼ばれる祈祷師がいまでも7000人ほどいて生活をしている。婚礼や葬儀の儀式をはじめ、子供の名前を付けたり、いわゆる占いなどもふくめなんでもやるのだ。美姑のまちでもピモの周りに何重にも人だかりになっている光景を目にした。

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王さんと劉さんは、午後も民族衣装を着替えて僕らに付き合ってくれた。衣装を取るとやはり若々しい娘さんである・・・・・・・。

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美姑の町の商店街で。

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美姑県の人民政府の2日目の晩の歓迎会で。この日はまた1日目とはちがう人たちが出席していた。この晩は最後ということもあって2次会のカラオケにも連れて行かれた。僕は午前2時前には引き上げてきたが、地元の人たちと烏里君は朝方まで飲んでいたらしい。役員の人たちはみな同じホテルに泊まり朝食を一緒に食べて送り出してくれるという気の使いようで、何だか申し訳ないような対応であった・・・・・・・。

 

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