写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2012年8月アーカイブ

中国西南地方の涼山自治州から帰国して以来、家を出ていない。あまりに暑さに閉口してである。しかし、ずーと家に篭もりっぱなしというのは良くないと思い都内に2度出た。1回は9月21日から10月11日まで東京朝日新聞社の1Fホールで開かれる「全日本写真連盟関東本部委員展」の出品作品を写真弘社で引き伸ばすためだ。その足で二コンへ。そして来年2月に展覧会をする東京中国文化センターへあいさつに行った。虎ノ門だったので、ついでに六本木の日本中国写真藝術協会の事務局へ11月20日から12月2日まで銀座・タカダブラインドギャラリーでおこなう弟5回展への出品作3点を届けた。烏里君と行ったので佐藤会長と一杯飲んだ・・・・・・。

後は28日に新橋で開かれた弟133回「一滴」句会である・・・・・・・。その他、最寄り駅まで「フォトコン」の副編集長が訪ねてくれたので出かけたり、病院へ行ったり、今回取材した写真のデータが消えたことを知り、励ます会をしてくれるというので近くの店に出かけたり・・・・・・・・。 でも数えると15日間の内、10日間は家を出なかったことになりますかな~。

 

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8月28日午後1時から第133回「一滴」句会が、俳人の中原道夫さんを選者に招いて新橋で行われた。僕は2ヶ月ぶりの参加だった。いままでとは会場が変わり、エコ効果でブームともなっているゴーヤのカーテンがある部屋での句会となった。僕はこの日、3句を出句したが、中原道夫選で3句とも入選どまりであった。以下記録として3句かかげておくこととする。

 

国境の島々昏し風の死す   白夜かな君のむくろの弾痕よ  三伏の日々を過ごしてまた太る   風写

 

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句会終了後、有志で烏森口にある大将、女将とも俳人である居酒屋「いそむら」へ行った。僕も好きな店で何度も行ってすっかり馴染みの店だ。この日の句会には、講師をふくめて16人の参加だったが、その多くが中原さんを囲んでの懇親会に参加した。大将の旬の料理が次々と出され、みな舌鼓を打った。芸術的ないわしの刺身盛りを旨そうに食べる中原講師でした・・・・・・・。岡井代表も80歳には見えない元気さで毎回必ず出席する。僕も入って記念写真!!(上の写真、僕から2人目)

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午後4時半から始めたので8時前に懇親会は終了した。しかし、まだ飲み足らないというつわものたちが残り、さらに「いそむら」で1時間ほど飲んだあと、後から駆けつけた地元の俳人仲間の宝海さんと合流して銀座へと繰り出したのである。後は写真でご覧の通り。カラオケなど歌いまくった晩夏の夜でした・・・・・・・・。

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もう1週間ほど前になるが、僕がこの8月に中国西南地方を取材してきたデータの一部が消えてしまったということを知り、出版社のYさんが、わざわざ最寄駅まで激励に来てくれた。落ち込んでいるときには、こうした心根は身にしみるものである。偶然、友人で地元の建設会社の社長夫婦と会い、一緒に合流して飲み明かした。お蔭様で僕はすっかりと元気になり、この日は大いに飲みまくったのだ・・・・・・・。それにしても現金なものでもあるなあ~。

感謝!!ありがとう・・・・・・    合掌

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みんなと別れた後、僕一人でよく行く酒屋の立ち飲みバー「みのる」へ寄った。そこでも三福の若大将やその友達、みのるを経営しているご夫婦などにもまたまた訳も判らずに励まされたのである・・・・.でも感謝!   

 

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W I N D S T I M E S 風通信 ♯015 2012.8.28

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次回写真研究会「風」例会のお知らせ

日時:9月8日(土)13時~17時

場所:世田谷区新町地区会館 2階
住所:世田谷区新町2-21-10

 
★欠席の方は事務局までお知らせ下さい。
 
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小松健一主宰が、10月1日より朝霞市立図書館にて写真展「ヒマラヤ古寺巡礼」
を開催されます。
 
2003年9月に新宿で展示された「ヒマラヤ古寺巡礼」が9年ぶりに首都圏で展示されます。
そこでオープン当日の10月1日、午前9時より飾りつけのお手伝いしていただける方
を募集しております。
 
今回の展示は即興でを決めていかれる場面もあるということですので、どのように
構成されていくのか間近で勉強できる絶好のチャンスです!!
 
お時間の都合がつきます方はぜひよろしくお願い致します。
 
※10月6日の14時からスライドトークも予定されています。
こちらも皆様お誘いの上ご参加をお待ちしております。
 
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編集後記
 
主宰はその後も11月に前橋のノイエス朝日で、来年早々に新宿のシリウスで写真展
を予定されています。展示される内容も全てちがいます。暑い日が続きますが、主
宰のパワーに圧倒されないよう、がんばりましょう~。
 
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Publisher_Kenichi Komatsu. Editor_Toru Shiozaki. © windstimes 2012

第4回目となるこの旅の報告もこれが最終回となる。撮影したデータが消滅してしまうというハプニングもあって、みなさんにいろいろな映像をご覧いただけなかったのは残念でならない。僕の不注意が招いたことだからどうしょうもない。しかし、この消去してしまったデータも復元できるというので、業者に送ってみた。あんまり費用がかからなければ回復してもらうつもりだ。まだまだアップしていない写真もこれから折に触れて紹介していきますので楽しみにしていてくださいね~☆!!

 

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12日の深夜遅くまで西昌市内のあちこちで繰り広げられた松明祭りの余韻を残したまま僕らはそれぞれバイクに乗ってホテルまで戻ってきた。そして翌朝早く5日間滞在をした涼山自治州の州都・西昌から南へ約280キロメートル入った雲南省との省境となる濾古湖へと向かった。途中3500メートルを越す峠をいくつか越えて午後にようやく着いた。

濾古湖は標高2690メートルの原生林におおわれた神秘的な地にあった。周囲は4~5000メートルの山々である。原住民はモソ族、言語はモソ語だ。モソ語で濾古湖は「山奥にある湖」という意味である。現在約3万人いると言われているが、同じモソ族でも雲南省側に住んでいるモソ族は白族に属しており、四川省側はモンゴル族という矛盾がある。かれらの生活様式や仏教を信仰し、体形からもモンゴル族系とみる方が正当だと思われる・・・・・・・・。

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この地に暮らすモソ族は約1500年の歴史を持っている。彼らの最大の特徴は、完全な母系社会を保っていると言うことだ。中国で現存する唯一の地であり、「人類最後の母系社会・・・・」とも言われている。僕が20数年前に行ったヒマラヤのムスタン地方などにも母系社会は残っていたが、今はほとんど見られなくなっている。モソ族の一家の主は、年長の女性であり、財産のすべては母から娘へと引き継がれていく。母親の血縁をきずなとして守っているのである。

結婚しても男性は女性と一緒に暮らさず、昼は母親のいる実家で暮らし、夜だけ妻の家に行き、朝になるとまた実家に戻るという「通い婚」である。モソ族の女性はみな大きくたくましかった。また性格も非常におおらかで男が浮気をしょうが、まったく意に介さないという。冗談ではあろうが、僕のお腹の大きいのを見て、「そのお腹の子供は私が育てるから生んで・・・・・・」と若い村の娘たちに言われたときには笑いを通り越して一種の感動さえ感じたのである・・・・・・・・・。

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濾古湖は非常に透明度がたかく、肉眼でも11メートルしたの底まで見通せる。深いところは約94メートルあり、中国でも三番目に深い湖だ。朝になると湖畔一面に白い花が咲く。波にゆられて彷徨う姿はなんとも美しい光景であった。その植物の葉も食べられる。前夜に酒の肴に食べてみたがまるで昆布を食べているような食感であった・・・・・・・・。島は5つあるが、うち2つは雲南省側となっている。僕らも夕立の来る気配のする湖に漕ぎ出し、ひとつの島に渡ってみた・・・・・・・・・。

旅の終わりはいつも物悲しいもであるが、烏里君の青春時代の思い出のある大渡河の河畔の町・石綿で一泊し、15日は成都へ11日ぶりに戻った。夕食まで少し時間があったので、諸葛孔明を祀ってある武候伺、劉備が埋葬されている恵陵、漢昭烈廟、それに古い成都の町などを僕が案内した。最後の夕食会は、烏里君の叔母さんをはじめ、兄弟や親戚が大勢集まり大いに盛り上がった。その後、みんなでチベット舞踊と歌の舞台を見に行った。さらに僕は友人のドライバーたちとまた飲みに繰り出したのである・・・・・・・。

翌日はゆっくりとしてお土産などを買い空港に。そこで雲南省の昆明に向かう烏里君と別れて、僕らは上海空港へ向かった。上海で2時間ほどつぶして成田へ。午後9時20分に全員無事帰国することができた。その後、ハプニングもあつたが、それもいまとなっては愉快な思い出となった。この間、撮影した涼山自治州の写真は、来年2月に東京・中国文化センターで開かれる写真展に8人全員が出品することになった・・・・・・。


 

第2回の文章がまだ書けていなくてごめんなさい。やはり2週間あまり留守にするとすべきことが沢山たまってしまい、ばたばたの生活でなかなかブログに手がまわりません。

今朝、ブログを更新しょうとぼ~っとした頭でカメラの操作をしていたら、何と~!! 先日まで中国南西地方を取材し、撮影したデータの写真約800点余りが消去されてしまいました。最初の一部分が残ったのみで肝心な所はすべてありません。あせっていくら探しても・・・・・・・・。自分で何をどうぢたかもまったくわからなのだからどうしょうもない。恥ずかしい限りです。 今までの僕の写真人生の中で銀塩フィルムしか使ってこなかった男が、使い慣れていないデジタルカメラなどを使用するとすぐにこんなボロが出るのだ~。自らに呆れて情けなさも通り越してもう笑うしかない・・・・・・・・・・。

 

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ということで第3回、第4回分の写真はもう一台のカメラの方から持ってくるしかないので、少し時間がかかると思います。ご勘弁ください・・・・・・・・・。省エネでクーラーを使っていないので部屋の中が暑すぎるのも頭がボケーとする原因かもしれない。クソ~東電め~!!などと八つ当たりをしてもあの作品は帰ってこないのだ・・・・・・・・。

 

美人のふるさと美姑に2日間滞在して、9日の午後西昌に戻った。途中、村々でバザールをしていたので昭覚という県で撮影をした。翌日は朝から100キロほど離れた螺吉山(4359メートル)に行ってみた。山頂までは無理だが山麓の途中3500メートルまではバスとロープェで行けるらしい。しかし、僕らの考えが甘かった。いま西南地方最大の松明祭りのシーズンで、夏休みときている。中国人観光客がわんさと訪れていた。まずバスでロープェの駅に行くのに1時間待たされ、さらに炎天下でロープェに乗るまで2時間、帰りも1時間と並んでいただけでも合計4時間。高山植物の宝庫である螺吉山にいたのはわずか1時間・・・・・・・・。この日は、旅遊局の招待で、松明祭りメイン会場で行われる美人コンテストなどの催しに招待されていたし、昨年秋に日本に来たイ族の写真家たちが、僕を歓迎する宴会を準備していてくれている日だった。帰りも大渋滞に巻き込まれ遅れに遅れた。コンテストにはわずか30分ほどで、夕方から牛、ヤギ、鳥、うさぎなどを絞めて料理を作って待っていてくれる写真仲間の元に急いだ。しかし、着いたのは9時を大幅に回っていた・・・・・・・・・。

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螺吉山麓、標高3500メートル付近で撮影したヒマラヤでもよく見かけた植物。大木などに寄生してその木の養分を吸い取って繁殖ている。

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 あらゆる肉を使ったイ族料理。肉の他は、蕎麦、ジャガイモ、こんにゃくなどを使った料理もあった。器も漆器でこれもイ族の独特なもの。みな木製の手作りである。

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イ族の写真家たちをはじめ、文化人が大勢来ていた。村の子供たちや娘さんたちも歓迎の歌を歌ってくれた。また四川テレビ局のクルーたちも僕らを取材していた。西昌市内の大きな湖が眼下に見え、町の明かりが夜風に揺れる気もちの好い場所での宴会は深夜12時まで続いた・・・・・・・・。大きな瓶に長いストローみたいなもので何人かで飲み干すというイ族独特の酒の飲み方にはさすがの僕も酔いが回った・・・・・・・・。

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農家の娘さんを家の前で撮影。ご馳走になった蕎麦も旨かった・・・・・・・。

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8月11日はアンハ鎮に向かう。市内から40キロほど走った山間の村だ。この村ではこの松明祭りにあわせてイ族の伝統的な闘牛や闘山羊、闘鶏などがおこなわれるという。また村ではバザールも開かれているからずいぶんと賑やかだった。僕は農家の娘さんが売っていた蕎麦をごちそうになった。味付けはイ族の風味で山椒がきいていて少し辛味があったがとても美味だった。肉を豪快に焼いて食べるイ族料理も高原の風の中で食べるとビールもすすみ満足~☆

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毎夜、祭り広場で繰り広げられる イベントは、とにかく派手場であった。

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12日は松明祭りクライマックスの「十里長街松明祭晩会」の日だ。西昌市内が松明の炎で埋まるという。午前中は市内の山服にある「涼山イ族奴隷博物館」へ行く。奴隷というと何かおどろおどろしいが、いわゆるイ族の歴史と文化がわかる民族博物館だ。僕は2年前に訪れていたが、その時は博物館の門前まで車で入れたがこの日は、下のゲートですべてストップ。みな歩いて登らなければならない。約1時間の登山だ。僕は右ひざの調子が良くなかったので杖を突いていたら警察が特別に白バイで上まで運んでくれるという。まるで警察官に囲まれ護送されるような雰囲気であったが、正直助かった。この決定的な写真を同行した写真家のSさんが送ってきてくれたのだが、うまくアップできなくて紹介できないのが残念だ・・・・・・・・。

 

☆2012年 夏  残暑というよりも炎暑お見舞い申し上げます。 引き続きのこころのこもるお届け物に深く感謝申し上げます。  合掌

☆岡山・Sさん シャインマスカット ☆岡山・Tさん 巨峰・ピオーネ箱詰め  ☆香川・Sさん 特選讃岐名物 まながつおの味噌漬けをはじめさまざまな食べ物           全日本お布施党  党首

久しぶりにパソコンを前にして、映像がうまく保存できない。もともとパソコン音痴なのだから仕方ないのだが、機種を新しく買い換えたばかりだし、正直イラつくのも事実である。後ほど、パソコンに詳しい写真家の塩崎亨君にでも指導を仰ぎ、もしうまくファイルのロックが解け、データを保存できたあかつきには、写真を追加してアップするつもりだ。 今回アップできた写真は、美姑周辺の一部に限られている。成都から峨眉山、西昌などは一点もふくまれていない・・・・・・・・・・。

ちなみにこのブログの写真のほとんどは、シグマDPIX、レンズは28ミリのみである・・・・・。

 

8月4日朝5時に家を出発、成田空港には7時半過ぎに着いた。いつもは少し早めに到着するのだが、この朝はほぼ定刻だった。待ち合わせの中国国際航空のカウンター前に行くとすでにみなそろっていた。ほとんどの人が前泊をしていたので安心だった。京都から参加した学生のAちゃんがスーツケースの鍵を忘れてきてしまい空けられないので急遽送り返したとのこと。パスポートなど大切なものは別の小さなバックに入れていたので何とか切り抜けることができた。ほぼ定刻に出発、上海でトランジェツトで、国内便に乗り換え四川省の成都へ夕方5時に到着した。まだ日は高かった。3ヶ月ぶりの成都である・・・・・・・・・。

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(上の写真は、西昌から美姑へ行く途中、標高3000メートルを越す高原で高山植物を撮影する参加者。色とりどりの小さな花々が風にゆられていた。僕はエーデルワイスなどの数種類の花を手帳に挟んだ・・・・・)

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翌朝、峨眉山へ出発。時々激しい雷雨にあった。峨眉山へ付いたときには雨は上がっていたものの、ロープェが運転中止となっていたため、バスに乗り換えて万年寺へ向かう。途中ロープェに乗り、後は歩きだ。標高3099メートルある峨眉山は、中国仏教の四大霊場のひとつであり、普賢菩薩がご本尊である。万年寺は1020メートルの山麓に建っていた。その日は麓のロッジに泊まる。夜、報国寺のあるふもとの町へAちゃんの着るものや靴などを買いに出かけた。ついでに焼き鳥屋で一杯やってきた・・・・・・・・。

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「月琴」というイ族独特の楽器を奏でながら恋の歌を唄う民族歌手も歓迎会に来てくれた。

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3日目は峨眉山から西昌まで200キロ超の距離だが路が昨夜の大雨のため、何箇所かで土砂崩れで悪路の連続だった。予定の時間を3時間半ほど送れて到着した。西昌市政府の文化担当者たちとジャーナリスト、詩人、写真家たちが夕刻から歓迎の大宴会をセットして待っていてくれた。ホテルも西南地方最大の松明祭りの最中とあってどこも満員だったがいいホテルを確保してくれていた。この後もさまざまな配慮をしていただきこころから感謝している。なにせ日本から来た写真家代表団という触れ込みだったので歓迎の行事が大変だった。上の写真は美姑県の文化担当者たちの歓迎会だが2日間、夜も朝も続いた。気持ちはうれしいが少々くたびれた。酒が余り強くない日本の写真家たち、特に男たちは僕を除いてみなへばってしまい、最後まで体調はあまりよくなかった。そこへ行くと女性たちはさすがで、うまく乾杯の嵐をかわし、飄々と乗り切っていた・・・・・・・。

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(上の写真はイ族の民族衣装を着せてもらったAちゃんとお母さんのSさん)

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標高3200メートルの草原で、イ族の民族衣装で協力してくれた地元の学生、王晴さん(22歳)と劉寧梁さん(19歳)。2人とも成都の四川大学に通っている。美姑は美人の故郷として知られている。それは涼山自治州での美人コンテストでは毎回必ず、美姑出身の女性が優勝するからである。ちなみにこの2人も美しい。

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美姑の町に帰る途中、イ族の村を訪ねた。標高2500メートルの山麓にある村だったがどの家も近年に建て替えたらしくみなきれいだった。村の中の道路も整備されて、大型のトラックが入れるようになっていた。ちょうどキャベツの収穫をしていて活気があった。僕らに同行していた地元のテレビクルーが村で取材をはじめたので村中の人たちがもの珍しがって集まってきた・・・・・・・。

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美姑県の人口は約23万人。町には3万人が暮らしている。そのほとんどがイ族の人たち。イ族独特の建築様式の村を訪ねる。釘を一本もつかわないで多数の木の組み合わせだけの建物は日本古来の伝統的な建築様式に通じるものを感じた。また美姑には、ピモと呼ばれる祈祷師がいまでも7000人ほどいて生活をしている。婚礼や葬儀の儀式をはじめ、子供の名前を付けたり、いわゆる占いなどもふくめなんでもやるのだ。美姑のまちでもピモの周りに何重にも人だかりになっている光景を目にした。

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王さんと劉さんは、午後も民族衣装を着替えて僕らに付き合ってくれた。衣装を取るとやはり若々しい娘さんである・・・・・・・。

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美姑の町の商店街で。

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美姑県の人民政府の2日目の晩の歓迎会で。この日はまた1日目とはちがう人たちが出席していた。この晩は最後ということもあって2次会のカラオケにも連れて行かれた。僕は午前2時前には引き上げてきたが、地元の人たちと烏里君は朝方まで飲んでいたらしい。役員の人たちはみな同じホテルに泊まり朝食を一緒に食べて送り出してくれるという気の使いようで、何だか申し訳ないような対応であった・・・・・・・。

 

久し振りの祖国・日本は相変わらずの気の遠くなるような猛暑日が続いていました。今日、中国・西南地方の旅から無事に帰国しました。半月ぶりのブログの更新です。大変失礼をいたしました。今回の旅は今秋11月10日から始まる僕の写真展と来年正月の5日から始まる写真展のために取材を重ねたものです。例え1点でも2点でも作品が追加できればと思い四川省の涼山自治州を中心に13日間で2400キロメートルばかりを走破してきました。四川省と雲南省とチベットの境界に近い周辺で3000メートル前後の高原地帯でしたので日中でも風は涼しく朝夕は長袖にズボン下を履かなくては寒いくらいに過ごしよかったです。

今回の旅のもう一つ目的は、イ族文化とその歴史を知り、イ族の詩人や研究者、写真家たちと広く交流を深め、イ族の人たちが多く暮らす涼山自治州を日本に知らせることでした。そのため僕の他に日本各地から5人の写真家と学生1人が参加しました。今日から数回に分けて旅の報告をしたいと思いますので、どうぞご期待ください~☆☆☆

 

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前日、画家であり音楽家の美崎太洋さんと琉球舞踊家の奥さんと北池袋の肴の旨い飲み屋で午前様ときめこんでいたのにもかかわらず、またしても8月になってさらに暑さを増した1日に出かけた。中国の少数民族出身の写真家・烏里烏沙君と打ち合わせのためだ。待ち合わせたのはまだ西日が照り返している午後6時。まずは一杯と先日飲み屋で隣り合わせた夫婦がしている店へ行って見た。女将が山形の寒河江の出で、大将が伊豆大島出身だ。それで島のくさやが旨いと言っていたので烏里君に食べさせてやりたいと思ったのである。東長崎の路地にあり、個人周りとしたいい店だった。値段も庶民的だった・・・・・・・。

 

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その足で椎名町の「あさ田」という店に寄ってみた。前から娘さんから「両親がしている店ですが、一度きてくださいね」といわれていたのだ。椎名町駅近くの静かな路地の一角にある気持ちの好い店周りだった。魚がとにかく手ごろな値段で旨い。主人の話によれば、開業以来26年たつというが残念ながらこの15日に店を閉めるという。メニューをみたが魚介類を中心に豊富だし、値段も安い。何故、こんな良い店が・・・・・と思ってしまうがやはり客足がめっきりと減っているのだという。烏里君は、岩がきやほっき貝、めごちのてんぷら、谷中しょうが、かつお刺しなどつぎつぎと食べていた。

そこに突然、一人の男性が入ってきて僕にごぶさたしていますと挨拶をした。しばらくそのひげ面の男が思い出せなかったが、「NHKのMです」というのであ~あと思い出した。17年ほど前の話である。当為まだ学生だった彼が、僕の著書を読んで感銘を受けたのでぜひ会いたいと言う手紙をくれたのだ。会ってみるとNHKの入社に内定したのだが、はたしてこのまま入社してもいいものだか悩んでいるという。その相談を受け僕は何を言ったかはもう覚えていなかったが、M君によれば「あのときの小松さんの一言がなければ僕はここにいません」という。何かえらそうなことをのたまわったのか・・・・・・。でもいまや、りっぱなジャーナリストとして活躍していてうれしい限りだ。再会を祝福して乾杯をした。ところで何で僕が今日ここに来るのがわかったの?と不思議だった。実は彼はこの店の常連で昨日も来ていて、僕が明日来るらしいと聞いていたのだという。その偶然性に驚いた。昨日遅くまで呑んでいた太洋さんも駆けつけてきてさらに盛り上がったのはいうまでもない・・・・・・・・。

 

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翌、2日もめちゃ暑い中出かけた。銀座1丁目のキャノンから銀座6丁目にあるニコンまで歩き、用事を足し今度は神田小川町にある出版社へ行った。体中汗だくである。20年前から友人であるその出版社の部長と僕の本の出版の話を詰めにきたのだ。2時間ほど話し合ってから近くの「みますや」へ行って見た。僕は十数年ぶりだった。Sさんはちょくちょく顔をだしているらしい。どじょうの一本煮や馬刺し、キンピラ、しめ鯖などが美味であった。狭い店だがえらく繁盛していた。彼が僕が次に行く新宿の歌舞伎町までタクシーで送ってくれたんはありがたかった。なにせ夜になっても余りにもくそ暑いから・・・・・・・。

 

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20数年前によく飲み歩いた友人夫婦が突然、つくば市から飲みに出てきた。家は青森の八戸にあるのだが、娘さんか筑波大学に通っているので家族で数年前に出てきたのだという。小学校へ入る前頃に何度か会った娘さんがもう大学4年生になっていた。先日祖父が日本人として最初にトルコに住んだということで家族でトルコ政府に招待されて行って来た話など資料をみせてもらいながら聞いた。興味ある話であった。久しぶりにということで新宿の「三日月」へ行った。そういえばここのメニューである「莫久来」(ばくらい)は、彼女がお土産に持ってきたのがきっかけでメニューになったのだった。大将もなつかしがって再会を喜んだ。これからつくばまで帰るというので積もる話は山ほどあったが11時過ぎに別れたのである・・・・・・・・・。

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