写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.463] 2012年6月23日 67回目となる沖縄全戦没者慰霊の日を迎えた沖縄は、梅雨明け宣言。日本復帰40周年の今年、一人の日本人として、写真家として何ができるだろうか・・・・・。

 原色のちぬ口開けし沖縄忌    風写

6月23日の今日は、67回目を迎える沖縄の「慰霊の日」だ。沖縄の人々はこの日をもって沖縄戦の敗戦の日と位置づけている。今日、各地で戦没者に対して祈りが捧げられたが、沖縄戦の最後の激戦地となった南部の糸満市摩文仁の平和公園では「沖縄全戦没者慰霊祭」がおこなわれた。戦後67年も過ぎ、日本へ復帰してから40年もたっているのにもかかわらず、沖縄の実態はなんらかわっていないのが実情だ。在日米軍基地の74パーセントはいまだ沖縄にあり、世界一危険な基地と言われている普天間基地は返還しないばかりか、珊瑚やジュゴンが棲むちゅら海を埋め立てて新基地を作ろうとしている。加えて今秋にはその危険な普天間基地に、何度も墜落事故をおこしている垂直離着輸送機MV22オスプレイの配備を強行しようとしているのである。

野田首相の白々しいあいさつは聞いていて腹がたった。一言も上記のことについては触れなかったのは言うまでも無い。しかし、さすがに仲井真沖縄知事は、普天間基地の県外移設を強く訴えたし、県議会の高嶺議長は、オスプレイの配備反対を明確にしたあいさつをした。いつも思うのだが、日本の首相は一体何処の国の総理なのか。何処の国民に顔を向けているのかと思う。これは今までの自民党政権からずーと同じことである。1945(昭和20)年3月26日から6月23日まで続いた沖縄戦では、「鉄の雨」や「鉄の暴風」と言われるほどの艦砲射撃がおこなわれ、その凄まじさは沖縄の地形が変わるほどであった。日米両軍と民間人を合わせて25万以上の人が亡くなっている。その内、沖縄の人は15万人以上が死んでいるといわれる。沖縄の人4人に1人が亡くなったことになる。

朝鮮から連れてこられていた人たちも1万人以上が亡くなっていると言われるが、その実態は正確につかめず、上のデータには入っていない・・・・・・・・。  こうした事をみれば、子どもたちでさえ沖縄にもうこれ以上の他国の軍事基地を押し付けてはならいと思うはずであるが、残念ながら我が国の歴代首相たちは誰一人、そうは思わないのが不思議でならない。あっそうそう一人だけ一時「普天間基地の移転先は最低でも県外・・・・・」と言った首相がいたっけ・・・・・・・・。

僕も毎年のようにこの慰霊の日には沖縄に取材に行っていた時期があったが、ここ数年はいっていない。今日届いた手紙のなかに沖縄の友人からのものがあった。彼は「沖縄タイムス」の写真部長など務め、退職後はフリーの写真家として活躍している。その一節に「沖縄は去る5月15日で復帰40周年を迎えました。この節目に小松さんと沖縄の写真仲間との交流会等が開催できないものかと常々考えてます・・・・・・」とあった。うれしいことである。僕も一人の日本人として、そして一人の写真家として何ができるのか、何をしなければならないのかを自らに問いながらこれからの命を生きて行きたいと思っている・・・・・・・・・。 

はるか1700キロメートル離れた地からではあるが、こころから戦没者のみなさんの御霊にたいしてお祈り申し上げます。  合掌

コピー ~ 08.12沖縄 143.jpg

コピー ~ 08.12沖縄 194.jpg

コピー ~ 08.12沖縄 137.jpg

コピー ~ 08.12沖縄 180.jpg

(写真は上から 摩文仁の平和公園の「平和の火」、やんばる地方・東村のマングローブ、糸満市・ひめゆり隊の記念資料館、沖縄島・残波岬  全て2008年12月撮影)   

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。