写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.450] 2012年5月18日 ”上州の探検家・矢島保治郎の足跡を辿るーチベット6010キロメートルの旅” (弟1回) 成都、ラサ、東チベット・・・・・・。

 今年生誕130年となる上州の探検家・矢島保治郎が102年前の1910年に世界で初めて中国・四川省から当時鎖国状態にあったチベットに入蔵したルートを辿る取材をはじめて6年、今年の8月をふくめると計8回、のべ走行距離は30000キロメートルを超える。4月27日から5月16日までの20日間の今回の取材はその核となるもので、チベット・青海省で6010キロメートルを走った。一部許可の下りなかった東チベット・カム地方のチャムドとインドとの国境線のヤートンをのぞいて矢島が歩いたコースを巡ることはできた。 

さらに矢島とチベット人の妻・ノブラーが暮らし、一子、意志信が生まれたノルブリンカやノブラーの実家があった場所、ラプランニンバータラを探し、その当時の建物を確認した。さらに奇跡的であったが、ノブラーの家族であるデンバ一族の人たち4人とも会い、お話を聞き、ノブラーの存在を確認できたことはこの旅最大の収穫であった。このことは、今後おいおいと書くことにする。写真も撮っているので紹介したいと思う・・・・・・・・。

4月27日、旅のはじめからハプニングではじまった。まず、早朝5時半にいつものタクシー会社に迎えにきてもらい羽田までのリムジンバスが出ている駅まで送ってもらう。そして予定の5時50分発のバスの時刻表を確認したら、何とその時刻のバスは無く、すでに20分前に出ているではないか。次は6時40分となっていた。「馬鹿な・・・・昨年3回も乗っているのだ」しかし無常にも今年になって改定されたらしい。仕方ないので羽田までタクシーで行くことにした。バスは1500円だが、家まで迎えに来てもらった分を足すと約18000円の出費となった。この後、次々とハプニングは襲うが・・・・・・・。ここでふれているとそれだけで長文となってしまうのでやめておく。結局僕は、今回同行してくれる写真家の山崎政幸君と烏里烏沙君の2人が到着するまで約2時間空港で独り待つはめとなったのである・・・・・・・・・。 

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それでも羽田ー北京ー成都はほぼ定刻に飛行機は飛び、中国時間の午後7時前には四川省の省都・成都空港に着いた。空港には烏里君の友人の中国国際航空の役員をしている王さんとクルージングを中心とした旅行会社を経営している女性が迎えに来てくれた。さらに美味しい四川料理までご馳走になってしまった。旅の初日で朝からハプニングに見舞われたが、この一件で帳消しかと思われたが・・・・・・・・。

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翌日の早朝、成都を立ち空路・チベット自治区の都・ラサへ。途中窓からチベットの雪の山々を撮影していたため、空港に着いた時には軽い高山病にかかったらしくしばらく地べたに座り込んでいた・・・・・・・。とにもかく にも十数年ぶりのチベットの地への弟一歩!!

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僕らの宿の前にある大型スーパーでは、イベントをしていてたくさんの市民が集まっていた。街はずいぶんと活気にあふれ、建物は新しくなり、僕が取材に来た十数年前とは隔世の感があった・・・・・・・・。

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街の通りで売っていたスイカ。中国のどこもまだできていないのに、標高4000メートル近いこのラサで収穫していることに驚く。そのほかだいたいの野菜、果物なんでもビニール栽培で作れるようになったと言う。

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宿で少し休んでからジョカン寺(大昭寺)とその周辺の八角街へ行ってみた。山崎君は高山病を心配してカメラを持たないででかけたが、僕は今回はじめて使用する二コンD700とこのブログに使うために、シグマDP1Xを持ってでかけた。日本人観光客をはじめ、外国人はほとんどいなかった。あらゆる所に立ち、集団で俳諧しているのは武装警察だった・・・・・・・。

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ジョカン寺前で五体投地をして祈る人々の姿は変わっていなかった・・・・・・・・。敷かれた石が磨きこまれたように光沢を放っていた・・・・・・・・。 

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ひらすらに祈りを捧げる女性・・・・・・・・。ジョカン寺は7世紀中期に創設されたチベットの中でも一番の古刹。

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ジョカン寺に向かって祈りを捧げるチベットの人々・・・・・・・。

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異様な迷彩服で銃器を持って祈りの道を徘徊する武装警察・・・・・・・・・。カメラを向ければすぐに没収される。僕も危うくやられそうになった。細心の注意を払って撮影をした・・・・・・・。

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八角街の通りには小さな屋台の店が何百と並んでいた・・・・・・・。

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チベットの食堂では、日本で言えば「流し」の歌い手がどこにでもいる。ただし生でなく、電気でギターやマイク使って歌うため煩い。しかし、烏里君に言わせると中国人はみな煩いから拡声器を使わないと聞こえないのだと言う。日本の1970年代のフォークソングのようでもあった。

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僕は「足洗い」が好きで中国に来たときは必ずしてもらう。前日成都のホテルでやってもらったが、これがひどいもので、今までのなかでも最低。まったくそのためのトレーニングをしていない正にど素人。気分が悪かったので改めてラサで挑戦してみたのである。当りで非常に技術が高く、満足した。値段もサービスしてくれ、さらに小雨がぱらついていたこともあったのでか、僕の手を握って階段を降り、なんとホテルのロビーまで送ってきてくれたのである。 写真は足の爪を切って貰っている所で^~す。

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翌日からいよいよチベットでの本格的な取材の開始。まずは矢島と結婚したノブラーが特別なダライ・ラマ13世の計らいで住むことを許されたノブルリンカ宮殿へ。この宮殿はダライ・ラマ7世が1740年に造園をはじめたもので、広大な敷地に大木の樹木が多い繁り、たくさんの花々が咲き誇っていた。ここで2人は一子である長男・意志信を生んだのである。歴代ダライ・ラマの4月から9月までの夏の離宮であるこの宮殿のどの建物に矢島とノブラーが暮らしていたかは不明である。

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ダライ・ラマ14世も夏を過した「タクテン・ミギュ・ボタン」離宮。1956年に竣工されたこの建物はノルブリンカのなかでも一番の見所である。

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ジョカン寺を取り巻くように広がる八角街に面した場所にあるノブラーの生家。いまは人に貸しているが、以前は家族が住んでいた。ジョカン寺の正面に向かって右側の繁華街の一等地にあった。

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ノブラーの生家の中庭。ノブラーが生まれた家は、ダライ・ラマが法王を務めるチベット仏教・ゲルク派の創始者ツォンガバの末裔である貴族だったことがわかった。この家も祖先がゾンガバから褒章として譲り受けたものだという。ツォンガバもしばらくここに住んでいたという。 

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建物の柱などには、かっての美しい装飾がまだ残っていた・・・・・・・・。

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ジョカン寺から広場とポタラ宮を望む。右側の岡に聳えるのがポタラ宮殿。

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僕の助手をかってでてくれたチベット人のローサン君(37歳)と写真家の山崎君。ジョカン寺で。実はこのガイドとして協力してくれたローサンの母親がテンバファミリィーの血を継ぐ人だった。そこから今回のノブラーの家族の消息がつかめたのである。

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ジョカン寺の内部。幾重にも回廊のようになっている。巡礼者と中国人観光客が引きを切らない。

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ジョカン寺広場で。ラサ滞在中に1416年に創建されたデプン寺にも行ってみた。ここから西北へ12キロほど行った山の中腹にある。矢島の文章にも記述が残る寺だ。 

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一日日程を早めてラサを発った。102年前に矢島がラサをめざしてきた道を逆に辿る道程である。昨年秋に四川省の成都を出発して康定、理塘、巴塘と来て、長江の上流である金沙江で引き返したが、今度は逆に金沙江のある東チベットをめざして走る旅である。途中、ラサから50キロほどのワンポル山に建つガンデン寺に寄る。ゲルク派の創始者・ツォンガバが1409年に創設した古寺である。 

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矢島が歩いた道・・・・・・・・。現在は川蔵公路となっている。

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最初の峠は、標高5130メートルのメラサン峠。雪と風で帽子も手袋もしないで20分ほど撮影していたら指先が痛くなってしまい、後でマッサージして戻すのに苦労した。

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辺りの山々もみな一面雪景色・・・・・・・・。ヒャ~寒いよ~。

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一端3800メートルまで下って一休み。今回の旅のメンバー紹介。右からイ族出身の写真家・探検家の烏理烏沙君、ドライバーのチベット人、僕の倅と同じ呼び名のジュンペイ(31歳)、ガイドのローサン、長崎在住の写真家・山崎政幸君で~す。この5人と僕とで今回の旅は通した。この道も矢島が通った道・・・・・・・。

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翌日の5月1日も昨日山は雪だったらしく樹木みな雪化粧で美しかった。標高4500メートルのセチラサン峠は雪で真っ白だった。

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ニンティに入ると山は緑が深く、川は清流、渓谷が続く。チベット自治区のなかでも信じられないような森林地帯だ。モンスーンの影響も受け降水量も多い。南側をヤルッアンポ川が流れ、高低差が5000メートルの大渓谷を作っている・・・・・・・・。

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道の傍らに無数のタルチョーが張り巡らされた場所があった・・・・・・・。

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無地のタルチョーは死者を弔う場所に立てるという。この近くにはチベットで唯一おこなわれている樹葬が見られるという。幼くして亡くなった子どもたちを大きな木にくくりつけて埋葬するやり方だ・・・・・・・・。この道も矢島が102年前に通ったかと思うと胸が熱くなる・・・・・・・・。ラサを発って3日目、940キロメートル走った。

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