写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.447] 2012年4月23日 蛙の目借時の今日この頃、生誕150年となる森鴎外、没後100年の石川啄木、没後50年の室生犀星、そして生誕130年の上州の探検家・矢島保治郎のことなどを想う・・・・・・。

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 「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

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 「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

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「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

今どきの季節を季語で言うと「木の芽時」とか「蛙の目借時」などちょつと面白い言い方がある。とくに後者は普段はあまり使わない。「春深く、雨の降る夜などに眠たくなること。蛙に目を借りられるからだとも、蛙の雌狩り時などとも言う」らしい。この季語を使っての俳句はむずかしい。僕もまだ一句も詠んでいない。苗代のできる頃、蛙の声を聞いているとうつらうつらと眠たくなるというようなこの頃の時候を表したものだが、この古風な俳諧味のある季題は現代ではあまりぴんとこないのが現実であろう・・・・・・・。

今年は森鴎外が生誕150年を迎え、石川啄木も没後100年、室生犀星が没後50年となる。僕がこの何年間取材している矢島保治郎は生誕130年だ。来年没後50年となる。それを記念して矢島の故郷・上州で今秋、記念事業をしょうと計画中である。鷗外も啄木も犀星もそれぞれの関係した地で記念の催しが開催されるであろう。

僕はそれぞれみな取材を続けてきているが、とりわけ鴎外は、ドイツのベルリン、ライプチヒ、ドレスデン、ミュンヘンなど鷗外が留学していた関連の街々をふくめて取材している。無論左遷された小倉、故郷、津和野、東京などもくまなく辿っている。なかでも島根県津和野町は好きで何度か足を運んでいる。島根と山口の県境に程近い山間に旧亀井藩四万三千五石の城下町だった津和野がある。この城下町は「山陰の小京都」と呼ばれているが、文豪・森鴎外の故郷としても知られている。

1862(文久2)年、亀井藩・典医の森家の長男として生まれた森林太郎は、明治5年10歳のときに父と共に上京するまでこの地に育った。鷗外の半自伝的小説である『ヰタ・セクスリアス』の中に少年時代の津和野を回想している。「・・・・・内の堀の上から真赤な椿の花が見えて、お米蔵の側の臭橘に薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。・・・・・晴れた麗らかな日であった。お母様の機を織ってお出なさる音が、ぎいとん、ぎいとん聞こえる・・・・・」と。鷗外と大逆事件の係わりのことなど についての文章とモノクロ写真でグラビア8ページを月刊誌「前衛」5月号に掲載した。本屋さんなどでご覧下されば幸いです・・・・・・。

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