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[no.445] 2012年4月16日 「上州の探検家・矢島保治郎生誕130年記念事業」の打ち合わせに前橋へ。そして母の故郷・吾妻で、亡き父の墓参りをして来た・・・・・・。

今秋の11月10日~18日まで前橋でおこなう「上州の探検家・矢島保治郎生誕130年記念事業」のための打ち合わせのために群馬県に行った。株式会社朝日印刷工業や上毛新聞社、矢島保治郎の遺族である矢島仲子さんたちと記念展示会や報告集などについて話し合いをもった。今回で5度目となる。なかなか具体的に進まないが一つ一つコツコツと進めて行くしかない。

僕が上州に行った日は、歌人石川啄木の没後100年の命日の4月13日だった。この日は各地で啄木をしのぶ様々な行事がおこなわれたようである。啄木の故郷、岩手県盛岡市では、啄木の父・一禎が住職をしていた渋民の宝徳寺では関係者が集い盛大な法要が開かれた。また東日本大震災の津波で流された陸前高田の松原に建っていた啄木の歌碑の再建の募金の呼びかけをはじめたという。ここの歌碑は先のチリ地震の津波でも流されていて「受難の碑」と言われていた。この碑は後に砂の中から発見されて違う場所に建立されたが、今回流された碑は、啄木の心友だった金田一京助の筆になる新しい歌碑であった。僕もこの二つの歌碑を撮影している。 さらに北海道のJR旭川駅の構内に、啄木の2,3メートルの像が建立され、その除幕式がおこなわれたという。

いまから100年前にわずか26歳で亡くなった啄木が今もこうして多くの人々に愛されているのに深い感動を覚える・・・・・・・。このとき矢島保治郎は、3年にわたる世界一周の無銭旅行から戻り、横浜について、その2日後にはまたチベットへ出発した。明治45(1912)年4月のことであった・・・・・。こうみてみると啄木より保治郎は4歳年長だったということに気づく。啄木は明治時代に亡くなっているので遥か昔の歌人という気がするのだが、実際は保治郎の方が年上なのであるから不思議なものである・・・・・・・・。  

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 前橋で打ち合わせを済ませた後、僕は84歳の母の待つ田舎に帰った。2月以来の帰省だ。お彼岸にこれなかったので父の墓参もしたかった。家のまわいはちょうど梅が満開だった。わずか20キロしか離れていない渋川などは桜が満開であったが、この山間の地方はまだ蕾は固かった。近くの鎮守様の宇佐八幡宮が春の祭りをしていた。犬の五右衛門2代目は、散歩に連れていってもらえるのがうれしくてたまらないのだ~。 

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 三男の弟、勝三夫婦が来てくれたので、母と近くの温泉に行き、夕食を食べた。弟のお客さんの店「大吉」は、驚くぐらいに旬で新鮮な魚がそろっていた。上州は海の無い県である。僕らが子どもの頃は、刺身などは食べたことが無く、魚と言えば塩辛い鮭か、干した秋刀魚ぐらいなものであった・・・・・・。母はご機嫌で生ビールをジョッキで3杯飲んだ。 

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戻る日の15日は、墓参りに出かけた。墓地の裏手の山は少しづつではあるが春の気配が感じられた。ちょうどすぐ近くの吾妻川の岸辺で「すいせん祭り」をしていたのでのぞいてみた。上越国境や日光連山の山々はまだ雪で真っ白だが、流れる吾妻川には、まだ浅いが春の足音が聞こえてくるようであった・・・・・・。 

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