4月になって初めて、11日ぶりに都内に出かけた。フジフイルムや二コンイメージングジャパンなどへ用事があったついでではないが、都内の写真展を幾つか巡った・・・・・・・。
この秋、計画している生誕130年記念「上州の探検家・矢島保治郎展」の協賛の以来のためにフジフイルムと二コンイメージングジャパンへ行き資料などを渡して説明した。そして同じ写真家仲間の山口君の写真展へ足を運んだ。この日は最終日だったので山口君もいて久しぶりに話をした。続いて行ったのは、写真弘社に併設されている銀座アートギャラリー。齋藤さんがいて昨年以来の再会を喜んだ。彼女は上州・桐生の生まれだ。作品も桐生が舞台となっている。この写真を見る度に、日本のよき時代で日本人も幸せな時代だったと思うのだ。前日ツイッターでこの写真展を知った山口の青年が飛行機でわざわざ身に来たというので、齋藤さんと一緒に記念写真を撮る・・・・・・。
銀座二コンサロンの百々新君の写真展をのぞいてから僕も出品している東日本大震災支援企画展へ。プロ写真家たちのオリジナル作品をチャリティー販売してそれを支援金に当てようという主旨の写真展だ。少し展示の仕方が雑だったのが気になった・・・・・・・。
銀座から品川に出て向かったのはキャノンギャラリーS。久しぶりに都内に出てその人の多さに疲れる。階段の上り下りにはエレベーターやエスカレーターを使わないと先月から意識しているが、疲れはそちらの方でなく人の余りの多さにある。山岸伸さんとは、秋山庄太郎さんや藤井秀樹さんがご存命の頃、年に1回グループ展をしていて何故か僕も出品していたのでパティーなどで会ってはいた。今回これだけの作品群を見るのは初めてであった。彼のモットーは「写真を撮り続ける事が、一番の力。 30年間カメラマン。 これからもカメラマン。 一生涯カメラマン。」多岐にわたって活躍している彼らしい写真の展示だった・・・・・・・・。
そして最後は弟72回国際写真サロンの入賞・入選作品展を見てから表彰式・パティーに出席した。このコンテストは朝日新聞社・全日本写真連盟が主催し、1927年に弟1回が開催された歴史のある写真コンテストだ。僕が出席したのは、全日本写真連盟関東本部委員だからだ。20数年前に今は無き写真家の佐藤明さんと大石芳野さんと僕の3人で朝日新聞社から委嘱されたのである。写真展は東京展が5月8日まで。その後、全国の主要都市で開催される予定だ。
今回は、海外からの応募はインドの1677点をはじめ、41カ国から6126点。国内から3285点、総計9410点だった。この応募作品の中から、入賞作品が国内50点、海外80点、合計130点が審査委員を務めた田沼武能、細江英公、熊切圭介さんらによって選ばれた。審査委員特別賞は国外、国内とも3点ずつで計6点だった。パティー会場はイラン、チェコ、シンガポールなどからも入賞者が出席しており、国際色豊かな感じがして楽しかった。僕も久しぶりの外出だったので、細江さんや熊切さん、アサヒカメラの勝又ひろし編集長などとゆっくりと話した。途中で退席して池袋の沖縄の店で独りで泡盛をやって帰ってきたのである・・・・・・・。