写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2012年4月アーカイブ

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 毎月新橋で開かれている「一滴会」俳句会に、今年になってはじめて参加した。仕事と重なっていたり、体調が悪かったりして昨年暮の忘年句会以来だった。俳人の中原道夫さんは超人気俳人で忙しいところを僕が無理をして選者として来てもらっているという経緯があるので、できるだけ参加してきたのだが、今回は4ヶ月ぶりの参加だったのでみんなに心配をかけてしまった。 僕の句は相変わらずの駄句で恥ずかしい限りだがこれも記録なので記しておく。

被災地の明日葉日毎伸びにけり  稚鮎汲み苔の香渓に広がれり  羞じるよう身をさらしたる蛍烏賊    風写

以上の3句である。「被災地の・・・・・・」が入選で5点句。次が3点句、最後の句が4点句であった。(上の写真は、右から俳人の中原道夫さん、岡井輝生一滴会代表、フォトエデターで同人の板見浩史さん) 

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句会終了後、有志でいつものように飲み屋に繰り出した。震災後は東北の店に行くようにしている。「津軽」という青森出身の夫婦でやっている店だ。僕も旅の準備があるため、顔だけだすことにした。久しぶりの参加だから乾杯の音頭をとらされた。ご無沙汰を仲間にわび、心配をかけたことも詫びた。30分ほどで失礼したがやはり仲間はいいな~とつくづくと思った次第である・・・・・・・。

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弟37回「木村伊兵衛写真賞」を授賞した田附勝君。受賞作は写真集『東北』。近年の木村伊兵衛賞作品にはなかった骨太の作品だった。授賞作品展がコニカミノルタギャラリーで5月3日まで開催されている。

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左から石川梵さん、高井潔さん、僕の左は松本徳彦(社)日本写真家協会専務理事。

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朝日新聞出版雑誌統括兼書籍統括責任者の鈴木健さん、写真家の市原基さん、東京芸大大学院生のMさん。

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 二コンイメージングジャパンへ寄ったり、いろいろな買い物を済ませたりしてから木村伊兵衛賞の授賞式ならびにレセプションがおこなわれている東京會舘へ行った。新橋の端から丸の内まで1時間ほど歩いていったのである。会場では写真家の田沼武能さん、熊切圭介さん、松本徳彦さん、木村恵一さん、野町和嘉さん、石川梵さん、水越武さん、市原基さん、高井潔さんをはじめ大勢の写真関係者の人たちが出席していた。水越さんの娘さん芸大大学院生のMさんが行ってみたいと言うので会館のロビーで待ち合わせて来たら、父親もすぐにきて合流。これなら何も僕が一緒に来なくてもよかったのに・・・・・・・。(上の写真は、写真家の神立尚紀さん、酒井孝彦さんと東京工芸大学の学生たち) 

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授賞式・レセプション終了後、有楽町駅前の僕が行く漁師居酒屋へ水越さんと市原さんと3人で行った。3人で飲むのは新宿のション便横丁で深夜まで飲んで以来。もう十年ぐらいはたとうか、よく市原さんとは会うのだがなかなか飲みに行くという機会はなかった。彼は水越さんを僕と同じように写真家として尊敬しているとさかんにそのことを話していた。何故自分が認め、目標としているのかと・・・・・・・。男三人で愉快な酒であった。僕も久々の旨い酒を飲むことができた。2人の先輩写真家の話を聞いていることが何よりの酒の肴となるのであった・・・・・・・・・。 

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 「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

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 「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

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「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

今どきの季節を季語で言うと「木の芽時」とか「蛙の目借時」などちょつと面白い言い方がある。とくに後者は普段はあまり使わない。「春深く、雨の降る夜などに眠たくなること。蛙に目を借りられるからだとも、蛙の雌狩り時などとも言う」らしい。この季語を使っての俳句はむずかしい。僕もまだ一句も詠んでいない。苗代のできる頃、蛙の声を聞いているとうつらうつらと眠たくなるというようなこの頃の時候を表したものだが、この古風な俳諧味のある季題は現代ではあまりぴんとこないのが現実であろう・・・・・・・。

今年は森鴎外が生誕150年を迎え、石川啄木も没後100年、室生犀星が没後50年となる。僕がこの何年間取材している矢島保治郎は生誕130年だ。来年没後50年となる。それを記念して矢島の故郷・上州で今秋、記念事業をしょうと計画中である。鷗外も啄木も犀星もそれぞれの関係した地で記念の催しが開催されるであろう。

僕はそれぞれみな取材を続けてきているが、とりわけ鴎外は、ドイツのベルリン、ライプチヒ、ドレスデン、ミュンヘンなど鷗外が留学していた関連の街々をふくめて取材している。無論左遷された小倉、故郷、津和野、東京などもくまなく辿っている。なかでも島根県津和野町は好きで何度か足を運んでいる。島根と山口の県境に程近い山間に旧亀井藩四万三千五石の城下町だった津和野がある。この城下町は「山陰の小京都」と呼ばれているが、文豪・森鴎外の故郷としても知られている。

1862(文久2)年、亀井藩・典医の森家の長男として生まれた森林太郎は、明治5年10歳のときに父と共に上京するまでこの地に育った。鷗外の半自伝的小説である『ヰタ・セクスリアス』の中に少年時代の津和野を回想している。「・・・・・内の堀の上から真赤な椿の花が見えて、お米蔵の側の臭橘に薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。・・・・・晴れた麗らかな日であった。お母様の機を織ってお出なさる音が、ぎいとん、ぎいとん聞こえる・・・・・」と。鷗外と大逆事件の係わりのことなど についての文章とモノクロ写真でグラビア8ページを月刊誌「前衛」5月号に掲載した。本屋さんなどでご覧下されば幸いです・・・・・・。

 

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今や現役の写真家としては、日本でも長老格となっている丹野章さんと今年に入ってはじめてお会いした。中国の写真家・烏里烏沙君と打ち合わせを池袋でするのでもし、時間がありましたきませんか、と声をかけたら「台湾の教え子の写真家と銀座で会った後行くよ」と電話があった。丹野さんとはかれこれ40年以上の付き合いだからいまさら話すこともないが、なにせ僕の親父と同じ年、どこかで気になる存在ではある。この日も写真のことはもとより、社会、政治のことから女性の話まで話題は豊富であり、加えて泡盛をよく飲み、琉球料理をよく食べた。(左から琉球舞踊家の美崎陽子さん、丹野さん、「みやらび」の女将で舞踊家の川田功子さん、烏里君)

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出版社のYさんは用事があるので先に帰ったが、美崎さんのご主人である画家で音楽家の美崎太洋さんも来てくれ、しばしまた藝術談に花が咲いたのは言うまでもない。いつもながら25歳も年が違う丹野さんのエネルギシュには驚く。そして僕の方が元気を貰うのである・・・・・・・。

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4月17日、写真集団・上福岡の例会が開かれた。6月27日から7月1日まで川越駅前にあるデパート「アトレ川越」で開催する弟30回記念写真展の案内状や合評の日程など子細なことが決まった。30回記念展にふさわしい作品を出品しょうとみんなで確認をした。途中退席した人もいたが、最後に記念写真を撮った・・・・・・。

今秋の11月10日~18日まで前橋でおこなう「上州の探検家・矢島保治郎生誕130年記念事業」のための打ち合わせのために群馬県に行った。株式会社朝日印刷工業や上毛新聞社、矢島保治郎の遺族である矢島仲子さんたちと記念展示会や報告集などについて話し合いをもった。今回で5度目となる。なかなか具体的に進まないが一つ一つコツコツと進めて行くしかない。

僕が上州に行った日は、歌人石川啄木の没後100年の命日の4月13日だった。この日は各地で啄木をしのぶ様々な行事がおこなわれたようである。啄木の故郷、岩手県盛岡市では、啄木の父・一禎が住職をしていた渋民の宝徳寺では関係者が集い盛大な法要が開かれた。また東日本大震災の津波で流された陸前高田の松原に建っていた啄木の歌碑の再建の募金の呼びかけをはじめたという。ここの歌碑は先のチリ地震の津波でも流されていて「受難の碑」と言われていた。この碑は後に砂の中から発見されて違う場所に建立されたが、今回流された碑は、啄木の心友だった金田一京助の筆になる新しい歌碑であった。僕もこの二つの歌碑を撮影している。 さらに北海道のJR旭川駅の構内に、啄木の2,3メートルの像が建立され、その除幕式がおこなわれたという。

いまから100年前にわずか26歳で亡くなった啄木が今もこうして多くの人々に愛されているのに深い感動を覚える・・・・・・・。このとき矢島保治郎は、3年にわたる世界一周の無銭旅行から戻り、横浜について、その2日後にはまたチベットへ出発した。明治45(1912)年4月のことであった・・・・・。こうみてみると啄木より保治郎は4歳年長だったということに気づく。啄木は明治時代に亡くなっているので遥か昔の歌人という気がするのだが、実際は保治郎の方が年上なのであるから不思議なものである・・・・・・・・。  

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 前橋で打ち合わせを済ませた後、僕は84歳の母の待つ田舎に帰った。2月以来の帰省だ。お彼岸にこれなかったので父の墓参もしたかった。家のまわいはちょうど梅が満開だった。わずか20キロしか離れていない渋川などは桜が満開であったが、この山間の地方はまだ蕾は固かった。近くの鎮守様の宇佐八幡宮が春の祭りをしていた。犬の五右衛門2代目は、散歩に連れていってもらえるのがうれしくてたまらないのだ~。 

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 三男の弟、勝三夫婦が来てくれたので、母と近くの温泉に行き、夕食を食べた。弟のお客さんの店「大吉」は、驚くぐらいに旬で新鮮な魚がそろっていた。上州は海の無い県である。僕らが子どもの頃は、刺身などは食べたことが無く、魚と言えば塩辛い鮭か、干した秋刀魚ぐらいなものであった・・・・・・。母はご機嫌で生ビールをジョッキで3杯飲んだ。 

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戻る日の15日は、墓参りに出かけた。墓地の裏手の山は少しづつではあるが春の気配が感じられた。ちょうどすぐ近くの吾妻川の岸辺で「すいせん祭り」をしていたのでのぞいてみた。上越国境や日光連山の山々はまだ雪で真っ白だが、流れる吾妻川には、まだ浅いが春の足音が聞こえてくるようであった・・・・・・。 

 4月になって初めて、11日ぶりに都内に出かけた。フジフイルムや二コンイメージングジャパンなどへ用事があったついでではないが、都内の写真展を幾つか巡った・・・・・・・。

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 この秋、計画している生誕130年記念「上州の探検家・矢島保治郎展」の協賛の以来のためにフジフイルムと二コンイメージングジャパンへ行き資料などを渡して説明した。そして同じ写真家仲間の山口君の写真展へ足を運んだ。この日は最終日だったので山口君もいて久しぶりに話をした。続いて行ったのは、写真弘社に併設されている銀座アートギャラリー。齋藤さんがいて昨年以来の再会を喜んだ。彼女は上州・桐生の生まれだ。作品も桐生が舞台となっている。この写真を見る度に、日本のよき時代で日本人も幸せな時代だったと思うのだ。前日ツイッターでこの写真展を知った山口の青年が飛行機でわざわざ身に来たというので、齋藤さんと一緒に記念写真を撮る・・・・・・。

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銀座二コンサロンの百々新君の写真展をのぞいてから僕も出品している東日本大震災支援企画展へ。プロ写真家たちのオリジナル作品をチャリティー販売してそれを支援金に当てようという主旨の写真展だ。少し展示の仕方が雑だったのが気になった・・・・・・・。

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銀座から品川に出て向かったのはキャノンギャラリーS。久しぶりに都内に出てその人の多さに疲れる。階段の上り下りにはエレベーターやエスカレーターを使わないと先月から意識しているが、疲れはそちらの方でなく人の余りの多さにある。山岸伸さんとは、秋山庄太郎さんや藤井秀樹さんがご存命の頃、年に1回グループ展をしていて何故か僕も出品していたのでパティーなどで会ってはいた。今回これだけの作品群を見るのは初めてであった。彼のモットーは「写真を撮り続ける事が、一番の力。 30年間カメラマン。 これからもカメラマン。 一生涯カメラマン。」多岐にわたって活躍している彼らしい写真の展示だった・・・・・・・・。

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そして最後は弟72回国際写真サロンの入賞・入選作品展を見てから表彰式・パティーに出席した。このコンテストは朝日新聞社・全日本写真連盟が主催し、1927年に弟1回が開催された歴史のある写真コンテストだ。僕が出席したのは、全日本写真連盟関東本部委員だからだ。20数年前に今は無き写真家の佐藤明さんと大石芳野さんと僕の3人で朝日新聞社から委嘱されたのである。写真展は東京展が5月8日まで。その後、全国の主要都市で開催される予定だ。   

今回は、海外からの応募はインドの1677点をはじめ、41カ国から6126点。国内から3285点、総計9410点だった。この応募作品の中から、入賞作品が国内50点、海外80点、合計130点が審査委員を務めた田沼武能、細江英公、熊切圭介さんらによって選ばれた。審査委員特別賞は国外、国内とも3点ずつで計6点だった。パティー会場はイラン、チェコ、シンガポールなどからも入賞者が出席しており、国際色豊かな感じがして楽しかった。僕も久しぶりの外出だったので、細江さんや熊切さん、アサヒカメラの勝又ひろし編集長などとゆっくりと話した。途中で退席して池袋の沖縄の店で独りで泡盛をやって帰ってきたのである・・・・・・・。

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 一昨日は花祭。お釈迦様の降誕を祝福する仏生会に花で飾った花御堂のお祭りである。我が家の周辺の桜も満開の時期を迎えている。夕暮れ時に三本の桜を見て廻った。カンチュウハイに枝豆とシグマDPIXを持って。このカメラは今日が初撮りである。今までのDPIよりもレンズが明るくなったのでシャッタースピードがアップしたのが一番の違いだろう。夕刻時にしみじみと桜をみているとまるで雪の降リ積もった朝のように見えた・・・・・・。いままで雪桜などと言葉では使っていたが実体験として感じたのははじめてであった。とくに桜の木の下から見上げると錯覚かと思うほどの雪景色である・・・・・・。 

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桜が満開の頃を過ぎると僕の一番の好物である初鰹の季節がやってくる。 今年の鰹はやや小ぶりではあるが、脂がのっていて美味い。値段は油の高騰などでやや高いようだが、僕がよく行く飲み屋では、案外安く食わせてくれるからありがたい。「目に は青葉山ほととぎすはつ鰹」の句は、江戸中期の俳人・山口素堂だが、江戸っ子たちは初物にこだわり、うるさかったようだ。「初物を食うと75日長生きする」といわれ、初茄子から初瓜にいたるまで先を争って食べた。とりわけ中でも初鰹は、10倍の750日長生きできるとあっては、こちとら「女房を質に入れても食いてえ初鰹」などと落語のような話がまかり通った と言う。 

鰹は南の暖かい海に生まれ、1月ごろフィリピン沖から黒潮に乗って、2~3月に九州沖を北上し、4月になると駿河湾沖でイワシをたくさん食べて丸々と太る。そして初夏、江戸時代は鎌倉から来る物は特に有名で、相州の初鰹といって江戸っ子に珍重される風習があったそうである。現在は静岡や千葉の各漁港で水揚げされた鰹を初鰹と呼んでいるのだ。今年は昨年起きた福島原発の放射能漏れの影響で、黒潮の流れの外側での操業をしなければならず、漁師たちは大変な思いをしていると言う。初鰹を味わうのも良いが、漁師たちのこうした苦痛もしっかりと受け止めていただくべきではないだろうか・・・・・・・。

弟7回目となる”ぶどうぱん社の自然に感謝をこめてー花見の会”が7日、花冷えの中おこなわれた。前日と比べると10数度も気温が下がり、2月下旬の寒さだった。それでも写真集団・上福岡のメンバーを中心に、写真研究会「風」のメンバー、ネパール、中国の友人、写真家など15名が参加してくれた・・・・・・・。 

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この会は、料理やお酒などはそれぞれが各自もちよりが原則でこれは最初からのルールだ。みんな手作りで愛情がこもっていて美味しい。ネパールや中国の食べ物や飲み物もあった。とにかく食べきれないほどたくさんの料理だった・・・・・・・。

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午前中はまだ晴れてあたたかかったのだが、会が始まる午後1時過ぎになったら冷たい北風が吹き始めて本格的な冬の季節に逆戻りしたようになった。みな羽毛のジャケットなど着込んでの宴会となった。芋焼酎のお湯割りが売れていた。料理も温かいものが人気があったのは言いまでもないね・・・・・・。

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 ぶどうぱん社から桜堤の土手へ行く途中に毎年必ず薄紫の可愛い花を咲かせる名も知らぬ花・・・・・・・。

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桜の下での宴会はあまりの寒さのため2時間ほどで切り上げて、会場をぶどうぱん社へ移動した。ここでは僕が毎年魚を食べてもらっている。今年は土佐風の鰹の刺身と静岡産の天然ぶりの刺身。そのどちらも人気があってあっという間に大皿は空になってしまった。もうひとつのイベントは、写真集団・上福岡のメンバーの松村さんの名人芸・そばの打ちたてを食べることだ。こちらも12人前をぺろりと平らげた。気勢を上げる仲間たち・・・・・・・。

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6時からはさらに居酒屋・三福に場所を移して”二次会”をした。これも毎年の恒例で、昼の時間に参加できない人のために設けたもの。昨日は8人がさんかしてくれた。一次会から流れたメンバーも含めて。「風」のメンバーの千代田さんと塩崎君が仕事を終えて参加してくれた。ここで9時過ぎまで、まだ元気がある写真家の烏里君と菱山君と3人で、韓国のマッコリを飲みに・・・・・・。その後は独りで酒屋の立ち飲みバーへ。11時過ぎにテクテクと歩いて家まで無事戻って忙しかった一日は終わったのである・・・・・・・・。

珊瑚浜踏みゆく門中清明祭   風写

今日、4月5日は二十四節気のひとつ清明。上記の句は沖縄で詠んだものだが、沖縄ではこの時期、親戚一家総出でご先祖様の眠る亀甲墓の大掃除をする。亀の甲羅のような形をしていることからこうした名前が付いているが、沖縄戦の時には住民はみなこの中に避難していた。米軍からみれば巨大なトーチカに見えたようだ。 掃除が済むと墓の前の広場に茣蓙を敷いて、料理を並べ、泡盛を飲み、三線で歌い踊るのだ。沖縄のお香は本土のように一本づつではなく、平べったくて5~6センチの幅がある。紙にお札金のように印刷された札も燃やす。あの世でお金に困らないようにするためだ。中国でもこうした風習はいまでもある。

僕は2度ほど清明祭にいったことがあるが、関係ない人にも料理や酒を振舞ってくれる。それにこの日のために摘でいたヨモギで作った草餅をどの門中もくれるので、一山になるほどもらったことがある・・・・・・・・。話は長くなったがそんな清明の日に、家の周りをぶらりと散歩してみた。そして目に飛び込んできた花々と風景をパチリとやった。それがこの写真。ちょつと見せるのも恥ずかしいような写真だが、ようはあんなに寒かったのに春は確実にやってきていたということを見てほしかったのである。 武蔵野の面影が残る雑木林は、家の前だが一昔前と比較すると十分の一程に減ってしまった。 僕の好きな散歩道だったのに・・・・・・・。 

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昨日は4月とは思えないような「爆弾低気圧」。その暴風雨が日本列島中に傷跡を残して過ぎ去った今日はまるで嘘のような青空が広がった。昨日は僕も午前中から家の周りを片付けて強風に備えた。夕方には、珍しく一階と二階の雨戸を閉めた。そして息を殺すように暴風雨が過ぎ去るのを見守ったのである・・・・・・・。

青空の下、昼過ぎから郵便局や銀行へ行った。その道すがら、この前まで桜の蕾が固かったのにもう咲き始めていた。梅の花も今が満開だというのに。この光景は、まるで北国、東北地方などのようであった。この季節になると毎年、ぶどうぱん社の主催で「自然に感謝をこめて・・・・・お花見の会」を開いている。石神井公園に住んでいた頃も2度ほどしたが、恒例となったのは、こちらに戻ってからだ。今年で7度目となる。 

写真仲間や編集者など10数人でささやかにしている。近くの川の辺の桜の木の下で、手作りの料理を各自で持ち寄り一次会をする。次にぶどうぱん社兼我が家で、蕎麦打ち名人による蕎麦を振舞う嗜好だ。ここでも飲む。さらに足らない人、並びに昼の部に参加できなかった人たちが参加する三次会は、いつもの居酒屋・三福で午後6時ぐらいからはじまることになっている。僕は最初から参加しているので、年毎に疲れが増してくるようだが、がんばって付き合うことにしている。主催者だからね~☆

この花見の会は、暮におこなっている「望年会」とともに、ぶどうぱん社の2大行事だ。望年会の方は20数人が参加するが、花見は本当に気心がしれた人ばかり。日頃の感謝とのんびりと写真のこと、人生のことなどを持ち寄った肴をつまみながら酒を酌み交わそうという主旨だ・・・・・・・。かの時代より日本人は、花見酒に終わらず、雪見酒、月見酒などと、なにかと風流な遊び心を培ってきた。あまりにも世知が無い世の中、先人たちが残してくれたこうした風流な遊び心を失しなってはいけないのではないだろうか・・・・・・・・。 かっこつけて、本当は酒を飲みたいだけでは・・・・・といわれそうだが、僕の本心は前者の方ですぞ!!

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毎年、この桜の木の下で「花見の会」をおこなっている。今日は2分咲き程度だった・・・・・・。

今日、4月1日はいわゆる「四月馬鹿」、日本では万愚節だ。欧米の習慣でエープリル・フール。日本ではやはり、嘘をつくという行為があまり良いとは言わないので、Xマスやバレンタインデーのように一般的にはそれほど広まってはいない・・・・・・・。

昨日、写真研究会「風」の3月例会が都内でおこなわれた。烈風吹き荒れる冷たい雨の降る日であったが、例会には僕をふくめて5人。後の懇親会に1人が駆けつけた。欠席者は自身が体調を崩したり、家族が病気になったりしたため参加できないと連絡があった。鈴木事務局長は、この間2度撮影に行った中国の民衆に的を絞った作品を100数十枚持ってきた。それを70点ばかりして、大四つ切のバラ板紙にプリントをする作業中である。すでに40点ほどは仕上がっており、それを1点づつチェツクした。森さんは3月11日から3日間、岩手県の陸前高田、大船渡、気仙沼に取材に行ってきた作品を100点ほど持ってきた。昨年加入した鈴木さんは、以前に撮った花の写真を。最後に3月に17日間ヨーロッパを巡ってきた吉田さんはできたての写真をたくさん焼いてきて広げて見せた・・・・・・・・。    

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大四つ切に綺麗に焼いた鈴木事務局長の作品を見る「風」のメンバーたち。

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 吉田さんの作品の一部。アムステルダム、パリ、バルセロナの都市を中心に撮って来た作品。6月に銀座でグループでオリジナルプリント展をやるという。森さんは、「1年後の3.11」をやはり5人で写真展を開くというので、1年たっても今だ陸地に上がったままで放置してある船を撮影した写真を集めて出品したらとアドバイスをした。

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 いつも「風」の例会がおこなわれる町のメインストリートに最近建ったサザエさんの像。一緒に建つっているのはタラちゃんかな・・・・・・・。

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 例会終了後、家が遠い森さんをのぞいた4人で、いつもの居酒屋へ。吉田さんの無事帰国祝いをささやかながらした。2時間半ほどでこの日は切り上げた。何をどう撮っていくのかが、話題の中心になった。

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写真学校の授業が終えてから来た塩崎君とは、僕が渋谷で付き合った。17~8年前から行っている店へ。奥まった路地を挟んでおでん中心の「なだ一」を妹さんが、まぐろ・活魚料理の「まぐろ処」をお兄さんがやっている。偶然だがこの兄と「風」の元メンバーの写真家の菱山君が高校の同級生なのだ。不思議な縁である・・・・・・・・。(浅葉さんが載っている女性誌を見る塩崎君をパチリ・・・・・) 

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僕も久しぶりの店だった。以前にこの店でバッタリとデザイナーの浅葉克己さんと遭遇して盛り上がったことがあったが、この日はシンガーソングライターの河口恭吾さん(一番奥)と映画「バナナとグローブとジンベイザメ」のプロデューサー・大城英司さん(真ん中)と席が隣同士だった。塩崎君は知っていたようだが、実は僕は歳が違うせいか、2人をちっとも知らなかった。河口さんはあの僕も言われれば聞いたことのある「僕がそばにいるよ 君を笑わせるから 桜舞う季節かぞえ 君と歩いていこう・・・・・」の「桜」を作詞・作曲して歌っている人だった。  

3月28日にリリースしたばかりのオリジナルアルバム「ROMANCHICAI」(ユニバーサル・ミーュジュツク/定価3000円 ) をみせてもらった。ひとつしか持ってない11曲入りのCDは女将がプレゼントされて喜んでいた。大城さんのプロデュースする映画「バナナとグローブとジンベイザメ」の主題歌を河口さんが担当するという。公開予定は今年の夏の予定。沖縄が舞台となる様だが楽しみだ。2人とも骨太の 好青年だと思った。お互いに宮崎の芋焼酎をやりながら話はしきりと盛り上がったのである・・・・・・・・・・。

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