写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2012年3月アーカイブ

早いもので明後日から4月に入る。2012年もすでに3ヶ月間が過ぎ去ったことになる。光陰矢のごとし・・・・・・・。やるべき事はたくさんあれども、家に篭もっていると時間がただ流れていってしまう。自ら日々の行動を決めて能動的に動けばいいのだが、何故か頭も、身体も思うように動かないのだ。今日は風が強いから花粉が多く待っているだろうとか、雨が降っているからとか・・・・・何かと勝手に理由付けをして。では家の中で読書をと思って本を開くのだが、目が芳しくなくなってからは2~3ページ読み進むとやたらと億劫になってしまう。目が疲れるし、文章に集中できない。あげく睡魔が襲ってくるのである。

このブログは438回目となるが、いわば僕の日記代わりのようなものだと思っている。しかし、できるだけその内容は普遍的なものにしたいという願望はあるが、日々の暮らしがそう刺激的なものばかりではないので、果たして思うように行っているかは、はなはな疑問である。今日の写真は、みちのくにも少しづつではあるが、遅い春の訪れの兆しがある季節になったと思いを馳せ、小説家・太宰治の故郷である津軽の写真をアップしてみた。2009年5月に巡った折の写真だ。カメラは愛用のシグマDP1 である。

僕がはじめて津軽地方を旅したのは、いまから32年前の冬、27歳のときだった。そして3年前の2月と5月に取材をして、それまで4回の取材したものを合わせて2009年9月に新潮社のとんぼの本シリーズとして『太宰治と旅する津軽』(定価1575円)を刊行したのだ。末巻に22ページにわたって「無頼に生きたふたりー小説家・太宰治と写真家・田村茂をめぐって」を書き下ろした。自分で言うのはおこがましいが、ぜひ読んで欲しい本である。春から夏そして秋とこの本を友として津軽を巡っていただきたい・・・・・・・・。それが東北を元気づけることの一端にもつながるのだから・・・・・・・・・。

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 4月下旬から5月上旬にかけて津軽地方のりんごの花は満開になる。鯵ヶ沢近郊のりんご畑から雪をかぶっている岩木山を望む。

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 三厩にある義経寺から津軽海峡を望む。円空が刻んだ観世音菩薩像が祀られている。

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 太宰が生まれ育った金木の山深い所にある藤の滝。この滝は太宰の小説『魚服記』のモデルの滝といわれている。滝壺まで降りるのに死ぬ思いをした・・・・・・・。何故か突然、背中に激痛が走り、崖を降りている途中で動けなくなってしまったのである。

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 弘前市内を貫流する岩木川の川辺から夕暮れの岩木山(1625メートル)を望む。太宰はこの風景をこよなく愛し、作品にも登場させている。

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蟹田名物・トゲグリガ二。太宰の大好物で、この地での花見にはかかせないごちそう。この蟹、一見小ぶりではあるが、身がぎっしりと詰まっていて重い。身に甘みがあり、メスが抱える卵はとりわけ美味である。僕はいままでさまざまな土地で蟹を食べてきたが、このトゲグリガ二が一等美味しかった。とにかく酒はやたらとすすむのである・・・・・・・・・。

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 北風や朝夕は冷え込むが、だいぶ春めいてきた今日この頃、家の周りの梅ノ木も満開になり始めた。梅の開花も今年は例年よりも遅れている。しかし、ありがたいことに日本の四季は必ずや訪れるのだから・・・・・・・・・。

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20数年来の友人であるYさんとネパールのシェルパ族のアンガミ・シェルパ君と久しぶりに会った。Yさんはホンダ技研の技術者として長年務めてきたが数年前に退社して、現在はフリーの技術コンサルタントとして世界をまたにかけて活躍している。29日からも約一ヶ月間中国に出張だという。上海にマンションを借りていて現在は1年の内の多くは、中国やインドで生活をしている多忙な人だ。ちなみに登山、スキュバーダイビング、テニス、写真と趣味は多彩であるが、そのどれもが本格的で山の遠征も年に1回ほどは、南米やヒマラヤなどへ行っている。

そのYさんから中国出張の前日にもかかわらず、僕も彼もヒマラヤで出合ったアンガミ君を激励する会をしょうと声がかかったのである。僕は最近はほとんど家から出ない生活だから暇なので賛成したのだ。2人とも僕の家の近くの駅が都合が良いというので、夕方の5時に待ち合わせをして、僕が行く店を案内することにした。まず、一軒目は創業50数年になるホルモン焼きの店。この店はいまだ七輪に炭をおこして網で焼くという昔ながらのやり方である。僕はこれがうれしいのだ。2人とも懐かしがっていた。特にアンガミ君は祖国・ネパールの暮らしを思い出したと言っていた・・・・・・・・。

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 韓国人のママで、従業員やお客も韓国人が多い韓国料理の店。

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時間が早かったので次にはよく行く「三福」へ。明日から中国暮らしというYさんのために魚料理をいただいた。お客が多かったので、早めに引き上げて、もう一軒寄った。韓国料理店だ。ここでヒマラヤの酒・チャンに似ているマッコリを飲んだ。ネパールの人たちも非常に辛いのが好きな民族なので、韓国の辛い料理は口に合うのだそうだ。アンガミ君は、僕と何度もヒマラヤへ入っている。2月の雪のヒマラヤ行は忘れられない想い出だ。17年前に日本人と結婚して2人の子どもがいるが、また3人でヒマラヤへ行こうと話は大いに盛り上がった。アンガミ君の弟も山岳ガイドをしていて、僕とも2人でヒマラヤを歩いたことがあったが、その彼はいまは、イギリスでレストランのシェフになり、家もロンドンで買い、家族で暮らしているという。

Yさんは、現在電気バスを作る会社の立ち上げに奔走していて、その関連で中国に足蹴く通っているのだ。できれば福島にバスを製造する工場を作り、福島の復興のため、雇用をはかり、そして環境にいいエコバスを走らせたという。エネルギーは、現在の10分の1になるという。しかも化石燃料は使用しない電気バスだから排気ガスなどの心配も無い。安くてコンパクトなバスをなんとしても実現化したいと熱く語っていた・・・・・。2人の生き生きした話を聞いていると励ますつもりだった僕が、逆に励まされいることに気づかされたのであった・・・・・・・・・・。

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この店の常連客の千さん。彼女は暮の雪の日に転んで足を複雑骨折して約2ヶ月間、入院していたのだそうだ。最近ギブスをはめてようやく少しは動けるようになったという。それでこの店に来たのだ。本当に3ヶ月ぶりの再会であった。退院祝いに乾杯をした。今度ギブスが取れて完全復帰したときには、完治祝いをしょうね、と約束をしたのだ。 彼女は他国で入院してはじめて、民族を超えた人のやさしさをしみじみと感じ、ほんとうにうれしかったと静かに語った・・・・。もう、あんまり飲み過ぎないようにしなさい!といかにも僕らしくない忠告をして、何となく照れくさかった・・・・・・・・・・。

今日3月26日は、詩人であり小説家でもあった室生犀星が亡くなった日である。昭和37年の没だから今年が没後50年となる。犀星は上州が生んだ近代詩を切り開いた詩人・萩原朔太郎と親しかったこともあり、上州にも長逗留して幾つかの詩を残している。僕は彼の飄々とした生き方が好きで、生まれ育った金沢や晩年に暮らした軽井沢の家などに何度か訪ねている。金沢市内を貫流する犀川の辺にある千日山・雨宝院という小さな寺の住職の内縁の妻に「貰い子」に出され、私生児として育てられた。犀星7歳のときに住職の養子になったのがせめてもの救いであった・・・・・・・。犀星のペンネームは常に目の前を流れていた犀川からなずけたのだろう。

先日、2002年10月25日に発行された僕のパスポートの申請をした。後10ヶ月ほど期間が残っていたが、今度の取材のためにビザの申請が必要なため、新たに10年間のパスポートを取得したのである。改めてこの9年余り使用したパスポートをめくってみたらこの間43回の海外取材をしていたことがわかった。行った国で多かったのはネパールへ7回をはじめ、中国などであった。若い頃と比べれば、海外へ行く回数は、ずいぶんと少なくなっているがこの9年間でも年平均4.7回いったことになるから驚いた。今年はすでに2回の海外取材を予定しているが歳とともに年々減ってはいくだろう。はたしてもう一度パスポートの申請をする日が来るだろうか・・・・・と漠然と思う日々である・・・・・・・・。

☆ 下のすべての写真は神奈川県内で撮影したもの。やはり僕のひとつのテーマである「日本文学風土記」で取材した作品の一部である・・・・・・・。                                                     

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「日本文学風土記」より。 神奈川県・横浜市

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 「日本文学風土記」より。 神奈川県・横浜中華街

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「日本文学風土記」より。 神奈川県横浜港

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 「日本文学風土記」より。 神奈川県箱根町

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「日本文学風土記」より。 神奈川県鎌倉市

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「日本文学風土記」より。 神奈川県湯河原町

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22日の昨日、10日ぶりに都内に出かけた。まず写真家の野町和嘉さんの写真展を見るためだ。昨年のXマス前に出発し、約2ヶ月間かけてエチオピアを取材して撮り下ろした作品だ。初日で夜にはオープニングパティーもあるので野町さんも会場にいた。15年ぶりの本格的なエチオピア取材だったという。「最近のデジタル機能はすごいよ。フイルム時代には撮れなかったものが、写るようになって表現領域が広がったね・・・・」と作品を解説しながら話してくれた。データを見てみるとISOが26500や16000なんていう数字が並んでいた。僕は、コダクロームを常用していたのでISOは64だ。一体いくら違うのだろうか、約414倍の暗い所でも撮れる計算になる。ろうそくの明るさだけで、暗い教会の天井の壁画や信者の顔などが克明に写っているのだ。ちなみにこのブログで使っているほとんどの写真はISOが100~最大でも800。シャツタースピードは極めて遅い。1秒や2分の1秒なんてこともよくあるので、いつも僕は「動かないでね~」というのが口癖となってしまった・・・・・・・。写真展会場で野町さんと奥さんで写真家でもある榎並悦子さんと僕でした。  (塩崎亨君の撮影) 

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写真展会場で野町さんと話し合う僕で~す。 (モノクロ写真の3点はすべて塩崎亨撮影です)

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来場者と語る野町さん(右)。写真家の塩崎亨君と待ち合わせていたのしばらく待っていた・・・・・・。この写真展は銀座の後、大阪、福岡、名古屋、仙台、札幌と7月までかけて巡回する。

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塩崎君と一緒にやはり銀座にあるライカサロンで23日から始まるアレックス・マヨーリの写真展の内覧会とオープニングレセプションへ行った。作品は見ごたえのあるものであった・・・・・・・。

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その後、19時からはじまるライカ大丸東京店のオープニングレセプションに廻った。東京駅の大丸デパートの10階にできた新店舗だが、この不況の時代に、銀座、東京駅と続けて店を出すライカカメラの底力みたいなものを見た思いがした。デジタルカメラのボデーだけで270万円ほどでレンズは約77万円合わせると約350万円もなる。一体だれが買うというのか、しかし売れないようなら店を次々と出店はしないであろう。写真業界に刺激を与えてくれるのを大いに期待したいと思った。

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 少々人生に疲れた~というような顔ですな・・・・・・・。

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ライカ大丸東京店の会場で会った右から写真家の中谷吉隆さん、日本カメラ社の編集顧問の河野和典さん、アサヒカメラ編集部の山田さん。この後、野町さんのパーティーに出席するという(株)日本写真企画の石井聖也社長とタクシーで銀座へ向かった。会場ではプロモーションビデオの制作に協力を言われカメラを廻してのインタビューには少々気恥ずかしかった・・・・・・。

ライカS2を持ってみたが、非常にシンプルで手にフィツトした。日本製のデジタル一眼カメラよりコンパクトで僕はいいと思ったが・・・・・・やはりお値段が手が出ない。「小松さんにライカ合いますよ、記念に写真撮っておきましょう」と塩崎君が言うので自分のカメラのつもりになって・・・・・・・・。

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ライカ銀座店で。

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会場は溢れんばかりの人・人・人・・・・・。久しぶりに会った写真家の桑原史成さんを真正面からパチリ。写真家の中村征夫さん、熊切圭介さん、新潮社の編集委員の金川功さんたちとしばらくぶりにゆっくりと話した。

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写真家も大勢来ていた。左から芳賀日向さん、林義勝さん、沼田早苗さん、バク斉藤さん。みな楽しそうに飲み語っていた・・・・・・。

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夜が更けていくのにもかかわらず会場は賑やかだった。僕は日々谷でお店をしている友人と久しぶりに会う約束をしていたので早めに会場を後にした。友人とは肴の美味い居酒屋を2軒ハシゴをして帰路についた。やはり外出していろんな人に会い、話すと元気が出てくるとしみじみと感じた次第である・・・・・・・・。

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作日の3月21日、ふじみ市、富士見野市、川越市など周辺地域を中心として30年間にわたって活動してきた写真集団・上福岡の3月例会が開かれた。何度も書いているが、この会が創設する前から市の公民館活動の一環として開催してきた写真教室を卒業したメンバーが核となって設立した会である。僕はその写真教室の講師をしていたことから創設後も今日までの30年間ずーと顧問として指導してきたのである。地域の中にしっかり根を張った草の根の文化運動をしてきたという自負はある。のべで会のメンバーは1000人を優に超えているだろう。この会の中で知り合い結婚した人もいれば、また多くの方々を黄泉の世界へと見送った。先日も初代会長として奮闘してくれた阿部章さんがお亡くなりになった・・・・・・・・。こころからのご冥福をお祈りしたい。   合掌 

創設以来、毎年欠かさずに開催してきた写真展が30周年を記念してこの6月27日~7月1日に、川越駅前の「アトレ」6階の市民ギャラリーで開催が決定した。今回の個展は松村敏興さんに決まった。これは会員展のなかにコーナーを設け、毎年1人の会員が作品20点あまりの個展を同時開催するというもの。これは会のメンバー全員がしなければならないので、真剣に創作活動をやらなければならないことになっているのである。今年は新メンバーも加えて30周年にふさわしい記念写真展にしょうと誓い合った例会となった。 終了後は有志が集ってこれまた27~8年通っている近くの焼き鳥屋へ繰り出して反省会を酒を交わしながらしたのである・・・・・・・・。この光景もまた人は変わっても30年間かわらない「写真集団・上福岡」の不滅の光景である・・・・・・・・・。

今日は祝日、春の彼岸の中日である春分の日だ。この時期ちょうど昼と夜の長さが等しくなるという。正確に測ったことはないが・・・・・・。広辞苑によれば、この日は「自然をたたえ生物をいつくしむ日」とあるが、少し上から目線の言いようで気になる。僕なら「自然を敬い、生物の一種として生きていられることに感謝する日」としたいものである。

この日、すっかり春めいた午後、家の近所を1時間ばかり歩いて見た。愛用のシグマDP1を首から提げて。ウオーキングなどではなくのんびりとだ。時々、撮影をしたり、柔軟体操をしたり、ストレッチをしたりしながらの散歩である。約1ヶ月間の風邪による体力の衰えは自覚できるほどになっていたので1週間前から朝起きたら腹筋、腕立て、背筋など各5~60回づつするようにしていた。だが足腰がどうしても弱る。都内に出かけるとやがおうでも地下鉄やJRにしても階段の上り下りなどで1万歩は歩くことになるのだが、ずーと家に篭もっていたので、筋肉が弱くなっているのだ。それを少しでも回復しょうと思ったのである。これから時間がある限りこの散歩はつづけようと思っている。来月からチベット横断の取材に行く予定をしているので、体力をつけておきたいのである・・・・・・・・。

先日も書いたが全国の友人が、何にやかんやと心配してくれて、さまざまなものを送って来てくれる。昨日はお彼岸にあわせて草もちが、四国高松から届いた。それに生産・育成の全てを管理して育てた豚から作ったベーコンやウインナーなどなど。土佐からはさまざまの柑橘類と土佐で昔から食べている懐かしいお菓子を何種類も。特に面白いのは、トイレットペーパーだ。「龍馬からの恋文」と銘打ったもの。紙に龍馬の手紙が印刷してあるのだ。「わしゃあ、おまんらあが好きじゃきに・・・・・・・・」などと。とてもではないが、龍馬好きの僕には、このペーパーで尻は拭けんぞな~!!大事にとっておくしかないぜよ・・・・・・。 それにしても感謝!!

お彼岸なので田舎の母に電話をしてみた。僕の声がまだ風邪声だったせいか、しばらく会話は僕でないと思っていたらしく話がちぐはぐだった。しばらくして「なんだ~健一か・・・・・」とようやく会話が成立。午前中に2人の弟たち夫婦が来てくれて一緒に墓参に行って来たという。総領の僕が墓参りにいけないことを申し訳なく思う。チベットへ発つ前には墓前に報告に行くつもりでいる・・・・・・・・。

☆下の写真12点は全て今日の散歩のなかで、僕の眼に止まった近隣の風景である・・・・・・・。

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今日18日は、万葉集の代表的な歌人・柿本人麻呂の忌日。また古今和歌集の代表的な歌人・小野小町の忌日でもある。歳時記では「人麻呂忌」、「小野小町忌」が18日となっている。しかし、歴史上では2人とも生没年などは不詳だ。人麻呂は万葉集のなかに長歌16、短歌63首が入集されている。他に「人麻呂歌集に出づ」として約370首載っている。歌聖とよばれた所以でもある。小野小町は、平安前期の歌人として活躍した。「古今和歌集」にも60首入っており、この時代を代表する歌人である。とくに恋愛歌に秀歌が多い。

別段18日の講釈を打ってもしがないことではあるが、13日以降、また家に篭もっていたので正直書くことがないのだ。長期間にわたって体調を崩していた悪性の風邪もようやく癒えてきたと思いきや今度は、ここ30数年来のことではあるが花粉症の季節となって、やはり元気がでない。人と会ったり、話をするのも億劫となる。だから「一滴句会」をはじめ、さまざまな予定をキャンセルする。 そして家で悶々としているのだから身体にも精神的にも良いはずがない。 今年もまもなく四分の一が終わると考えると焦りが出てくる。一体自分は何をしているのだろうかと・・・・・・・。

こんなグチめいたことばかりブログに綴っているから心配して電話やメール、手紙をくれる友人もいる。なかには春の便りだと果物や野菜、地元の銘菓などを送って来てくれる友もある。本当にありがたいことだ。こころから感謝したい。買い物にも余り行く意欲がないのでこうした贈り物で日々をすごしているのだ。15日には昨年写真集を出した瀬下太刀男さんと鈴木孝雄さんから声がかかり家の近くの居酒屋まで出かけた。「先生があんまり出かけてないみたいなので、どうですか魚で一杯・・・・」とありがたい誘いであった。2人とも77歳の喜寿を迎えている先輩に、ずーつと若い僕が励まされているようでは情けない。3人で写真談議を2時間ほどしたら、やはり元気になった。まだ手をつけてなかった平成23年度の確定申告の申請など済ませたのである。2人の人生の先輩に感謝~!!

下の写真はすべて福井県で撮影したものだ。福井というとあんまり目立たない存在であるが、隠れた見所は案外多い。まず紫式部が京都から旅をした当時、越前の国府であった武生。その式部が歩いた道を尋ねるのも観光化されていないので面影を見つけることができる。それに曹洞宗の日本の開祖である道元が開創した永平寺は一見の価値あり。戦国大名・朝倉氏の城館があった一乗谷、東尋坊をはじめとした越前海岸などなど・・・・・・・・。この春ぶらりと訪ねてみるのもいいかも知れない。

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「日本文学風土記」より ・ 福井県敦賀湾の杉津港を望む。

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 「日本文学風土記」より ・ 福井県一乗谷で。

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 「日本文学風土記」より ・ 福井県永平寺で。

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 「日本文学風土記」 ・ 福井県永平寺で。

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「日本文学風土記」より ・ 福井県永平寺で。

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 「日本文学風土記」より ・ 福井県越前海岸・東尋坊。

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「日本文学風土記」より ・ 福井県一乗谷で野焼きに会う。

僕の写真の弟子である高松のSさんの娘さんであるIちゃんが、 宮城県の石巻市など被災地を大学の休みを利用して巡ってきた。彼女は京都の大学の1年生だ。僕は現実をしっかりと自分の眼に、心に焼き付けてくるように事前にアドバイスをしていた。東京にも数日滞在するというので、13日に会うことになっていたのだ。体調がまだ完全に快復していなかったので5日以来、8日ぶりの外出であった・・・・・・・。

一日スケジュールを空けてあるというので、お昼に会うことにした。そして都内の各ギャラリーで開催している東日本大震災関連の写真展を中心に巡ることにした。夕方からは3週間ぶりに、中国の雲南省から帰国したばかりの写真家の烏里烏沙君と合流して、食事をすることになっていた。Iちゃんの妹のYちゃんが大阪の志望大学に合格したので、そのお祝いもやろうという事にしていた。肝心の本人は居ないのだけれども・・・・・・。

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 二コンサロンがあるのは新宿副都心の新宿エルタワーの28F。遠くに見えるスカイツリーを見つめるIちゃん。東京へは昨年の7月以来だ・・・・・・・。

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 まず最初に行ったのは新宿の二コンサロンだった。ここでは「3.11 震災と復興 写真展」と鷲尾和彦写真展「遠い水平線」(3月19日まで)をしていた。(新宿西口周辺を二コンサロンから見る)

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「遠い水平線」の作者である写真家の鷲尾和彦君とIちゃんと。この写真展は被災地のひどい状況などが写っているわけではないが、もの静かに見るものに迫ってくる。深い哀しみ、憤り、不安、絶望・・・・・・・そして漠全ではあるが未来へのかすかな希望・・・・・・・などさまざまな被災者の思いや声が写真から聴こえてくるのである。3月16日18:30~20:00まで写真展会場の隣にある二コンプラザ新宿セミナールームにおいて、作家の池澤夏樹さんをゲストに鷲尾君もパネラーとして参加するシンポジュウム「写真とことばー記録の先にあるもの」がおこなわれる。予約は不要なので、ぜひご参加ください。  

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 新宿東口を闊歩するIちゃん。母親が2004年に個展をしたコニカミノルタプラザへ・・・・・・・。

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コニカミノルタプラザで開催中の長倉洋海写真展「子どもたちの元気便ー震災からの出発」。その作者の長倉さんとIちゃん。2人は京都の同じ大学の先輩・後輩だと言うことがわかりり、盛り上がっていた・・・・・・。

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写真展と同時に発売された『だけど、くじけないー子どもたちの元気便」(長倉洋海と東北の子どもたち・NHK出版)を買いサインをしてもらう・・・・・・。僕は彼と久しぶりに写真談議をした。そしてまだまだこれからお互いにがんばろうと固い握手をして会場を後にした・・・・・・・。

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 昼食を食べてなかったので、新宿西口界隈に残る昭和の面影が残る横丁にある「カブト」へ行った。2時過ぎに開店している店はあんまりないのとIちゃんが行って見たいというので。創業64年のこの店は開店と同時に客が入る。ちょうど女性誌の取材も来ていた。長年いる右側のおじさんは、京都大学出身で、生まれも育ちも京都だという。僕も長年通っていたがはじめて知った。Iちゃんが京都から来た学生と知るといつもよりも愛想がよかった・・・・・・・・・・。

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うなぎの串のフルコースとキャベツ、追加でうなぎの正肉の塩焼きを2本づつ食べた。僕は「金宮」のストレートを一杯半飲んだ。久しぶり の酒だったので顔が真っ赤になってしまった。Iちゃんは強いが最近は少し控えているという。      

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 「小松さ~ん飲んでると所を撮ります~」とIちゃんが撮影してくれた・・・・・・・。

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 腹ごしらえをしてから今度は、先日も紹介したがJPS主催の写真展「生きるー東日本大震災から1年」を見に行った。15日までだが、入場者は多かった。自分の眼でみてきたばかりの被災地の写真があったと真剣な眼差しで作品を見つめる・・・・・・・・。

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冨士フォツギャラリー新宿の近くにあるアイテムフォトギャラリー「シリウス」でやっている池谷俊一捨診界典ーKAOSとは半過去と暗室からのメッセージを見た。ちょうど作者の池谷さんもいてIちゃんもいろいろと質問していた。いままで人の顔を1000人以上撮ってきたという。新藤兼人映画監督の99歳のクローズアップなどの顔は迫力があった。池谷さんはフイルムや銀塩印画紙などにすごいこだわりを持っている。この展覧会のために3ヶ月間、暗室に篭もって仕上げたという。 写真界の先輩である秋山庄太郎さんの肖像の前で。

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最後に向かったのは、東京工芸大学・中野キャンパスにある写大ギャラリー。ここで今月の25日まで開かれている土門拳写真展「古寺巡礼弟5集より 「和」(なごみ)を見るためだ。工芸大で収蔵している土門先生の作品の展示である。作品の大きさは四つ切だがオリジナルだけ見ごたえはある・・・・・・・。

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ひっそりとした会場で。贅沢な時のながれ・・・・・・・。

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Iちゃんが一番好きだという作品の前で・・・・・・・・。この作品の中には、東日本大震災で被災した宮城県の瑞巌寺の作品も出品されていた。土門先生は桃山時代建造の建物が好きだったので、国宝の瑞巌寺の本堂はすぐれた桃山建築だ・・・・・・・・。

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写真展のポスターと階段を入れてIちゃんを撮影・・・・・・・。

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ギャラリーを出て駅に向かう途中に、鍋島家の墓所のあるお寺さんがあった。その門前に咲いていた梅の花・・・・・・・。

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 Iちゃんが「新宿に近い東京とは思えない町並みですね~」と言った光景が西の空に広がっていた・・・・・・・。中野坂上から。

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池袋で5時半に写真家の烏里君と待ち合わせていた。彼はIちゃんも母親のMさんも知っているので、中国の雲南省のおみやげを渡したいと来てくれたのだ。Iちゃんは驚くほどに辛い料理が強く、この日も四川料理の店へ行った。お客は中国人ばかり、烏里君が料理長をよく知っていると言う店だ。僕も何度か着ている。今回は料理長がわざわざあいさつに来た・・・・・・・。

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料理の味付けは、本格的な四川の味付けにとリクエストをしたので、むせるほど山椒がきいていて舌に辛さが残る。烏里君ですら辛いと言っているのに、なぜか彼女は平然と食べ続けた。こちらの方が少し心配になってしまう。「刺激物だからほどほどにね・・・・・・」と。

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お母さんも心配していたからと言っても、だって美味しいだもの・・・・・・・・・。僕と烏里君は、ビール、白ウィンと紹興酒の10年古酒を1本づつ空けた・・・・・・・。口の中が辛いので酒が進んでしまうのだ~。

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やはり、池袋といえば、琉球料理の店・みやらびへ。Iちゃんも好きな店なのだ。みな歓迎してくれた。三線やサンバという三枚の竹を合わせた楽器などで演奏したり踊ったりと賑やかだった・・・・・・。三線がうまいお客さんとパチリ!

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陽子ネーネーとIちゃん。この後、作曲家で画家でもある陽子さんのご主人である美崎太洋さんが来てくれて、Iちゃんと烏里君に手作りの「サンバ」をプレゼントしてくれた。感謝~☆

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僕とIちゃんのツーショットを撮る烏里君と太洋」さん。

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この写真が先程の写真です。Iちゃんが「小松さんは若いですよ~」などとおだてるので、その気になって春らしい桜色のショールを首にまいて行った。帽子はオーストラリアのカンガルー島で求めたもの。カンガルーの皮でできている。

みやらびの後、太洋と陽子さん夫妻も合流して、友人がママをしているスナック「じゅん」へ。Iちゃんや太洋さんの歌をはじめて聞くことができた。 帰宅途中の電車で寝てしまい気が付いたら下車駅を4つばかり通過していた。あわてて降りてタクシーで家まで。途中経過は記憶にございませ~ん。Iちゃんは友達の家まで無事に帰れたというので一安心でした・・・・・・・。やはり酒はあんまり飲んでいないのはいかんな~と反省しつつ、今後は適度に飲むべしと思うなり・・・・・・・・。呑み助の勝手な屁理屈ではある。   合掌

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 あの未曾有の大災害だった東日本大震災がおきてから今日でちょうど1年目。多数の死者ならび行方不明者の方々にまずは心からのご冥福を祈るばかりである・・・・・・・・合掌。 そしてその遺族の方々、いまだ避難されている福島をはじめとした34万4千人の方々へ深くお見舞い申し上げます。

1年経過しても何もできないもどかしさを感じる日々を送っているのは僕だけではないだろう。日本人、いや世界の人々も少なからず心を痛めている。そして何かできることから少しでも足を踏み出していこうと行動にでている人々もいる・・・・・・・・。その積み重ねが大切なのだ。小さな積み重ねであっても多くの人々が、長期間にわたって継続していけば大きなエネルギーとなっていく。それが復興への道につながって行くのだと思う・・・・・・・・。

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 僕が今月からはじめたことは、昨年に続き、東北の被災者支援のためのチャリテー写真展への出品だ。フレームマン・エキジビションサロン銀座のシュールームで開催される44人の写真家たちのオリジナルプリントを額装してチャリテー特別価格で販売し、その売り上げを被災者支援にあてようという企画だ。僕もヒマラヤシリーズの作品を6点出品している。他に芥川仁、大石芳野、栗林慧、児島昭雄、鈴木一雄、竹内敏信、田中光常、土田ヒロミ、沼田早苗、樋口譲二、山岸伸、山口勝廣、吉野伸、吉村和敏、水越武、松本徳彦、星野小麿の各氏などが出品している。価格は10000~30000円という信じられない設定である。主催者によれば、利益はまったく考えてないという。 

☆3月24日(土)スタート!! 開館時間10:00~18:00まで(土曜日16:00まで) 定休日は火曜日

☆フレームマン・銀座ショールーム  中央区銀座5-1 銀座ファイブ2F TEL/FAX 03-3574-1036 

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上記写真の3点は、2011年9月8日に岩手県宮古市で撮影した。1点目は、宮古が誇る三陸海岸の代表的な名所である浄土ヶ浜海岸。この海岸は、宮古三常安寺7世の霊鏡竜湖和尚が「さなながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと伝わっている。詩人・宮澤賢治はこの浜が好きで、夜を明かし、多くの短歌を残している。「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」この歌の歌碑が1996年、賢治の生誕百年を記念して、浄土浜に歌碑が建立された。僕はその折にも訪ねていた。今回の大津波で歌碑は流されたと思っていたが、なんと奇跡的にその歌碑は残っていた。つい最近、できたばかりのレストランやおみやげセンターなどは使い物にならないほど激しく被害を受けていたが・・・・・・・・・。

後の2点は田老地区で撮影。2点目の海岸は田老漁港。何重にも築かれていた巨大な堤防は木っ端微塵に破壊されていた。上の写真は最後の堤防。万里の長城のようだとギネスブックにも載っていた巨大堤防だったがここも津波に襲われ、この堤防の向こうにあった町もすべて流されたのだ。僕はこの巨大なブロックの塊を見て、自然への畏敬を忘れた人間の欲望の石棺に見えたのである・・・・・・・・・。   合掌 

今日は9日、すでに啓蟄も過ぎているのに朝から冷たい雨が降り注いでいる・・・・・・。先月の17日から体調を崩してすでに22日。病院にも薬局にも行って処方された薬を3週間も飲み続けているのにもかかわらず、ちっともよくならない。歳のせいか、それとも持病のせいか、正直いらつく日々だ。

三寒四温を幾度かくり返して本格的な春が訪れると昔から言われてきたが、昨今の異常気象ではどうもあてにならない。もともとこの現象は、中国北部や東北部、朝鮮方面の冬季に3日ほど寒い日が続くとその後4日くらいあたたかい日が続くことからきているのだから日本の気象にも用いているもののあんまりあてにはなりますまい。

ニュースは、2日後の東日本大震災からの1年目を迎えることから、連日その関連ニュースと首都直下型地震が震度7だとか、連続する都会での孤独死や餓死などの暗いニュースを垂れ流し続けているので、独り身にしてみれば、不安な気持ちを煽られているようで気分が悪い。いまさら震度7の大地震に備えてどうしようようといううのか、僕などは半ば諦めの境地である・・・・・・・。神仏のみの知るべきことなり・・・・・・と。

余りにも気持ちが暗いから数年前に行った先島諸島の八重山列島で撮影した写真を載せようと準備をしていたら、親しい先輩写真家の石川文洋さんから文章が届いた。ちなみに文洋さんは沖縄島首里の出身である。その文によれば今日9日付けの読売新聞の夕刊「言葉のアルバム」というページに、文洋さんがベトナム戦争の従軍をしていた記者時代の記事が載るそうだ。それをぜひ、読んでほしいと言う内容であった。いま、彼の暮らす信州・諏訪地方はみぞれまじりの雪が降っていると言う。数年会っていないので文洋さんと会ってあの引き込まれるような笑顔に対面したいとつくづくと思った・・・・・・・・・・。

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 竹富島で琉球瓦にシーサーのいる家

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 石垣島で。手のひらに乗るような小さな猿、名前は忘れてしまった

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石垣島で。商店街を歩いていたら子どもたちのエイサーに出会った

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石垣島で。琉球衣装に着替える娘さんたち

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 石垣島・白保の海にでる漁師

  

荒地野となりたる町よ流し雛     風写

この句は昨年の春に東北地方を想って詠んだ句だ。雛祭りも終え、ようやく春らしい季節が巡ってきたが、いまだあの大震災による行方不明者は3272人という膨大な人数である・・・・・・・。一日も早く遺族の元に帰れることを心から祈るばかりである・・・・・・・・。 合掌

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3月5日、冷たい春雨のそぼ降るなか、5日ぶりに都内に出かけた。この日は上記写真展の他に、細野晋司写真展「知らない顔」(銀座キヤノンギャラリー・7日まで、その後仙台、札幌、名古屋のキャノンギャラリーを巡回)や和田直樹写真展「惨禍ー三陸沿岸部の定点記録・二コンサロン大阪・3月22日~28日まで)などを見て廻った。和田君の写真展は最終日で15時に終了してしまったため間に合わなかった。ごめん!一番に書の大家である井上有一さんの展覧会へ行った。一晩で10万人以上の都民が亡くなった1945年3月10日アメリカによって無差別攻撃がおこなわれた東京大空襲によせる思いを書にした作品が圧巻であった。次は長倉さんの写真展。本人がいたので写真展の前でパチリ!彼と僕は同世代であるが、いつもながら長倉さんのバイタリティーには頭が下がる思いがする。彼だってすでに余り若くは無いのに・・・・・・・・。今回の作品は昨年9月~12月にかけて被災地の南相馬市、いわき市、宮古市、仙台市の4都市の子どもたちを追いかけた作品だ。子どもたちの屈託の無い笑顔の向こうにあるのは何なのかを問いかけている・・・・・・・・。

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 次は僕も所属している公益社団法人・日本写真家協会が主催する写真展「生きるー東日本大震災から1年」をのぞいた。受付にいた同展実行委員のみなさん。ごくろうさまです・・・・・・。また同時発売で、被災地の写真家を中心に編纂した珠玉の記録写真集として、新潮社から出版されている。解説は作家の伊集院静さんが書いている。

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 雨の日の平日なのにも係わらず大勢の人々がつめかけてくれていた 。中には涙を流しながら見入っている人の姿もあった・・・・・・・・。

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72人の写真家たちの作品が所せましと並んでいた・・・・・・・・。

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作品をくいいるように見つめている鑑賞する人々・・・・・・。

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今月上旬から銀座・フレームマンショールームで開催される東日本大震災チャリティー販売企画展に出品するための作品6点のプリントチェックのため、写真弘社へ行った。その1Fで知り合いの朝日新聞写真部出身の写真家と共同通信出身の写真家の2人が震災の写真展をしていたので顔を出した。あいさつ文によれば2人のオジサン写真家は居酒屋で飲んではなしているうちに、この未曾有の震災に何か写真家として出来ないかということとなり、被災地へカメラを持って出かけたという・・・・・・・・。それぞれがそれぞれの立場で出来ることを継続していくことが大切なのである!!

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この日の目的のひとつは、十数年ぶり会う友人のシャンソンコンサートに行くためであった。かれこれ20年前は僕はよく音楽家を撮影していた。僕の友人のシャンソン歌手が渋谷で店をしていてそこに中山さんも常連で歌っていたのだ。それが知り合うきっかけだったと思う。その後、彼女の東京FMでのコンサートなどにも行った記憶がある。僕の写真展にも何度か来てくれた・・・・・・。その後僕も何度か引越しをしたりして音信普通となっていたが、突然電話がかかってきたのだ。それは東日本大震災の被災地でボランティア活動していて昔一緒に歌っていた友人と出合って、今度一緒にコンサートをしょうという事になったという。それがこの日のコンサートだった。2人の出会いも十数年ぶりだという・・・・・・・。会場は震災のボランティアの人たちなど温かい雰囲気で満席だった・・・・・・・・。

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ベテラン歌手の有希九美さんのステージは彼女の人柄が滲み出ているあったかいステージだった・・・・・・。話の節々には彼女が被災地の人々に寄せる熱い思いが感じられた・・・・・・・・。

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一部が終了して2部までの休憩で。たまたま僕と同席になったHさん。彼女は日本○○○○館に勤めている人だった。昨年の3月11日の東日本大震災の日、偶然にも南浦和で中山恵子さんと一緒になり10数時間を励ましあいながら過ごしたのだと言う。それ以来友人としていまも付き合っていると言う。記念に2人でパチリとやったが、会場が暗いためごめんなさい~☆ プロらしくないね・・・・・・・・。

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2部の始まり・・・・・・。一部の静かな曲目から一転明るい曲へ・・・・・・・。

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十数年ぶりの彼女は体型も顔もほとんど変わりがないように思えたが、僕は40キロほど体重が増えている。いま彼女は「ジャグササイズ」という世界初のジャグリングとエグササイズをプラスして、脳と身体を磨く新しい健康法を開発して普及しているのだ。このボールを使ったエグササイズを持って被災地の仮設住宅など避難所を巡っていたのだという。「私の身体はこのエグササイズのおかげ、小松さんもやればシェイプアップできるわよ・・・・・」とすすめられている。    詳しくはhttp://dandygo.com/juggxsercise.htm

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中山恵子さんにとっては1年半ぶりの歌だというが、彼女独特な歌声は変わらず小さいステージではあったが心に沁みるコンサートだった・・・・・・・・。

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被災地の人々への思いを語る中山恵子さん・・・・・・・・・。

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暗い会場で、「小松さん~」と声をかける人がいた。振り返ってみると何と写真家の山田省蔵さん。懐かしかった彼とも十数年ぶりだろう。硬い握手を交わした。たったいま陸前高田から直接戻ってきたばかりだと言う。この間、彼も三陸を取材しているのだという。何で君がここに居るの?と僕が聞くと「小松さんに昔、中山さんを紹介してもらったんだよ・・・・・・」というそういえば、何となく覚えているが・・・・・忘れていた。ということでHさんと山田さんと3人で席を変えて2部まで残ることになったのだ。Hさんと山田さんを撮ったらすべての写真がごらんのように画面が燃えている。それも全部形が異なる。山田さんもどうしてか原因がわからないと言う。僕もこんなのははじめて・・・・・・・。「2人が燃えているのでは・・・・・・」と冗談を言ってみたが・・・・・。同じ条件で僕を撮っても炎はでない。不思議な光景だ!!?・・・・・・・・。

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その燃える男・山田省蔵と中山恵子さんと僕・・・・・・・。  Hさんが撮影してくれた。出会えてありがとう~☆

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 体調は万全ではないが、昨日3月1日、ちょうど1週間ぶりに出かけた。まずは銀座の写真弘社へ。(株)フレームマンが銀座のショールームで行うと言う「東日本大震災チャリティー販売企画」への賛同のため作品を7点引き伸ばしを依頼しにいった。3月上旬からフレームマンの銀座ショールームで賛同者の写真家たちの作品が常に44点飾られるという。特別価格になっているのでぜひ、足をお運びになってください。僕はヒマラヤシリーズから好きな作品を制作した。全点にサインとエディションNOが入る。銀座アートフォトギャラリーでの東北工芸大の作品展を見てからフォトエデターの板見浩史さんの事務所へ行った。「タムロンフォトギャラリー」へ出品するために「中国・三国志巡歴の旅より」から15点を届けに行った。企画・編集・制作会社のジョフィー・コミュ二ケーションズを一緒に立ち上げた宮地君が亡くなってからもう1年半あまりが経つ。この2人とは同世代と言うこともあってずいぶん昔から親しく付き合ってきたのだ。 お互いにまだ20歳代の青春時代から・・・・・・・・・。

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板見さんは、今日3月2日~15日まで富士フォトギャラリー新宿ではっじまる社団法人日本写真家協会主催の写真展「生きるー東日本本大震災から1年」の内覧会の方へ行った。僕は今年からリニューアルしたギャラリー新居の新店舗に顔をだして社長にあいさつした。毎年、日本写真家ユニオンのオリジナルプリント展を企画してくれるのでそのお礼もした。

ドイツのライカカメラ社が世界ではじめてプロフェショナルをはじめとしたフォトグラファーための直営店を東京の銀座にオープンした。それを記念したレセプションがおこなれた。招待状が届いていたので顔をだしてみたのだ。会場はすでに出席者でいっぱいだった。僕は少しだけ出て、この日一緒に参加した編集者のYさんと食事でもと思っていた。そうしたら会場で思わぬ人とであった。北海道に住む写真家の水越武さんだ。かれこけ1年ぶりの再会である。昨年暮れに長電話が1度あったきりだったので懐かしかった・・・・・・・・。

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 フォトシューティングスペースや出力機を設け、ライカSシステムをはじめとするライカ製品の高いクオリティをその場で自由に試すことができる場所となる。会場のスタジオでモデル撮影をして見た。ライカカメラでなく僕のシグマDP1だけれども・・・・・・・。

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左が水越さん、右が写真家の野町和嘉さん。その他、吉野信さん、社団法人日本広告写真家協会副会長の鈴木英雄さんたち大勢のフォトグラファーが来ていた・・・・・・・。

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 せっかく付き合ってくれたのでYさんを会場で撮る・・・・・・。

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 水越さんの東京藝術大学大学院生の娘さんも来ていたので、一緒に食事をと思っていたが、明日からしばらくヨーロッパへ行くというのでその準備のために早めに帰った。1年ぶりの再会と僕自身は10日ぶりぐらいの本格的な酒を祝って水越さんと呑むことにした。Yさんもオジサン2人に付き合ってくれることとなった。最初の店は銀座に終戦直後からある和食の飲み屋。この店は好きでたまには来る、この日はえらく混んでいた・・・・・・・・。ライカのレセプションでシャンパンを相当空けていたのでここでは3人で芋焼酎のボトル1本を空けたのみ・・・・・・・・。

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この日も水越さんは僕に文章を書け、書けとすすめるのだ。写真を撮れとはあんまり言わないのだ。この前にもさんざ言われたことなので、もう聞きなれてはいるが、「僕はまだまだ写真家として勝負したいのだ・・・・」と心では思っていたが、先輩である水越さんには言わなかったのである・・・・・・・。もう一軒行こうということなり、やはり並木通りにあり、創業60年を迎えるバーへ行った。この店は1950年代~60年代には、写真家の丹野章さんたちが仕事連絡先としてたまり場にしていたという。昭和の雰囲気が色濃く残るいいバーである。その前で2人の記念写真を。Yさんは新橋から帰宅するというので、僕は水越さんを銀座の丸の内線駅まで見送ってから帰路についたのだ・・・・・・・・・。久しぶりの酒であったが美味しく呑めたのは何よりもうれしかった・・・・・・・・・。 

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